Forever You
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悶々としながらも平穏な日々は流れた。
安澄は着々とおふくろたちに餌付けされ、俺がいない日でも遠慮なく上がり込んでおやつを食っていた。
「お帰り、明之」
まさにうちの子状態。
「何してんだよ?」
「勉強。明之が来る前に終わらせようと思ってさ」
それだと俺がいる意味がないんじゃないか?
むしろ俺んちで勉強する意味がない。
「明之も手を洗っておやつにしなさい。食べ終わったら安澄くんと道場お願いね」
久々に聞いた『道場お願いね』。
「なんでだよ? 高木さんは?」
高木さんというのは、空手の教室の先生をしてくれている近所の人だ。
オヤジとは高校の時からの親友で、武道仲間。
「お父さんと一緒に出かけてるわよ」
「姉貴は?」
その言葉を待っていたかのように安澄がニッカリ笑った。
「なんと、憲政がデートに誘った」
「は??」
「山本さんちにお茶しに行っただけよ」
『山本さんち』は近所にある『さにー・でいず』っていう名前の喫茶店。
絶対に「カフェ」などではなく、昭和の香りがする古風な店だ。
「マジでデートなわけ?」
「たぶん憲政はそのつもり」
「姉貴は?」
「明之と安澄くんの話をしてたわよ」
余計なこと言ってねーだろうな?
ものすごい不安だ。
「それよか、行こうよ。道場」
片手に食いかけのマドレーヌを持ったまま俺を引っ張る。
こうして改めて見ると、ケンカなんてしそうにないキレイな指だ。
なのに、手の甲には古い傷がたくさんあった。
「道場なんて楽しいかよ?」
いやいや練習させられた過去がある身としては、面倒くさい以外の何物でもない。
けど、安澄はキラキラした目でこちらを見ていた。
「楽しいって。子供もいっぱいいるし」
子供はおまえだろ。
というか、とりあえず手に持ってるものを食え。
「けど、ここんところ空手も柔道も剣道もぜんぜんやってないからな」
ダルいので練習もサボリ気味。もちろん腕も落ちたと思うのに。
「あら、今日は見てくれるだけでいいわよ。瓦を割れなんて言わないから」
当たり前だ。うちの道場はカルチャースクールと同じで、真面目に武道をする奴が来る場所じゃないんだから。
……と思っていたのに。
「明之、瓦割れるのか?」
「3、4枚ならな」
「すっげー。な、な、俺にも教えて」
「いいけど」
まあ、いいか。
安澄に教えるためなら。
瓦くらい5枚でも6枚でも割ってやろう。
……多少、無理しても。


たらたらと道場に歩いていくと、戸口で恵実がそわそわしていた。
「なにやってんだ、恵実。オヤジも高木さんも出かけてるんだって?」
「そう、出張だって」
どうせまたよその道場に遊びにいったんだろう。
まったく、とつぶやく俺の隣で安澄が恵実にキラキラ光線を飛ばしていた。
「恵実も瓦割れるのか?」
本当に興味津々って顔だった。
「ううん。僕は剣道しか……」
安澄の前で手を広げて見せたのは、「瓦なんて割れそうじゃないだろ?」って意味なんだろう。
でも、安澄の興味はすぐに別のものに移った。
「へえ。剣道できるのか」
「剣道部だよ」
恵実は小学校の時からずっと剣道一筋。
もともと真面目な性格なので、毎日の稽古は欠かさない。
「見かけによらねーな」
うちの道場は曜日によって種目が違う。
オヤジが剣道を、高木さんが空手を教えている。
子供たちも多いので、姉貴が空手、恵実が剣道のアシスタントをしていた。
ちゃんとバイト代も貰えるんだけど、部活も生徒会もあるし、なにより面倒なので俺はやらないことに決めていた。
もちろん俺は男だから、姉貴より強いし、練習不足のわりには剣道も恵実より上手い。
だから、オヤジは俺に後を継げって言うんだけど、もちろんそれもスルーだ。


道場に入るとチビたちの声が響いた。
「わ〜、今日は明之先生が一緒だぁ!」
あっという間に子供に囲まれた。
「ありゃ〜? 安澄君だろ?」
健康のために来ている近所のオヤジさんが気さくに声をかけるもんで、
「ちわー」
安澄も人懐こい笑顔を返した。
「大きくなったねえ」
「高校生っすよ」
「へえ。早いもんだねえ」
ほのぼのとした会話。
常々うちは道場じゃなくカルチャースクールだと思っていたが、これを見る限り、保育所兼老人ホームって感じだ。
だとしても世間話ばっかりしてたら月謝泥棒って言われるよな。
「アキ君、今日は何するの?」
オヤジさんに聞かれて、空手が苦手な恵実が困ったように俯いた。
さて、どうしよう。
頭の中で軽いメニューを組み立てていたら。
「あきゆきセンセ、かわら割って〜」
子供がみんなでのせるもんで。
「割って〜!」
安澄まではしゃぎ出す始末。
「……仕方ねえな」
おとといオヤジが不意打ちで俺と恵実に空手の試験したのは、どうやら今日の出張のためだったらしい。
まんまとハメられた。

子供たちがせっせと瓦を用意した。
「せんせ、何枚?」
「ん〜? 5枚くらいでいいか?」
「いい〜っ!」
恵実が思いっきり驚いていた。
そうだよな。オヤジの前でもそんなに割ったことはなかったかもしれない。
「行きまーす」
わりとカッコばっかりの精神統一をして構え、一気に手を振り下ろす。
「はぁっ!!」
ガチャンっっ!!
5枚の瓦が真ん中から割れて崩れ落ちた。
我ながらキレイに決まったもんだ。
「うわ。すげー。ホントに割ったー」
安澄はめちゃくちゃ嬉しそうだった。
恵実は目をぱちくりさせていた。
初披露なんだから当然だ。
「あー、父には5枚割れるって絶対に言わないでくださいね」
また道場を継げなんて言われたらシャレにならない。


その後、安澄も交じえて筋トレと型の稽古をした。
「次、空打ちで正拳の上段。終わったら中段。その後、正面蹴り中段。フォームチェックするから、気合入れて」
「あきセンセー、これやってー!!」
オヤジが配ったと思われる小冊子を開いて子供がねだる。
「今日は組み手の稽古はなし。高木先生のいる時にね」
俺の華麗な技を披露してやりたい気持ちはあったが、オヤジがうるさいので今日はおあずけ。
一通りフォームのチェックが終わると、安澄に声をかけた。
「寸止めくらいなら安澄もできるだろ?」
「けど、俺、型がめちゃくちゃだもんなぁ」
「いいから、俺にやってみな? あ、ちょっと遠慮しろよ」
安澄の腕前は良く分かっている。
思いっきりやられたら、怪我するだろうけど。
「え? 防具つけないの?」
つけたら却って気を抜きそうだ。喜んでバシバシ入れられても困る。
「じゃあ、そっとね」
安澄は心配してたけど、勢い余ってなんてことはなかった。
「うわ〜、おにいちゃん、すご〜い」
さすがに水沢先生の弟だ。
気持ちいいくらいピシッと止まる。
しかも、本当に寸止めで、正直結構びびった。
子供たちも大喜びで拍手をする。
これなら留守中の代役は無事果たせたと思っていいだろう。

そのあと安澄は子供たち相手に転げまわって、楽しそうに遊んでいた。
子供にも大人気なのは同じレベルで楽しめるからなんだろう。
「じゃあ、またなー」
安澄が名残惜しそうに子供たちを送り出したあと、母屋に戻った。
「お疲れさま。汗かいたでしょう? シャワー浴びてきたら? 良かったらお風呂も入ってね?」
おふくろが持っているのは俺の着替え。
だが、安澄に渡した。
「じゃあ、お言葉に甘えて!」
楽しげな足取りで風呂場に向かう。
後ろ姿も弾んでいた。
ドアを開けた音とともに「わ〜っ」という声が聞こえたので、慌てて風呂場に行くと全裸の安澄がびっくりした顔で立っていた。
「どうした?」
「ひっろいなぁ……」
確かにうちの風呂は広い。
オヤジのこだわりらしいのだが、本当に無駄に広い。
子供の頃は俺も泳いだ。
……って言っても、大きい方の風呂で横2.5メートル縦1メートルくらいなんだけど。
「ま、ゆっくり入れよ」
たまに子供たちも入ったりするけど、今日は全員帰ったし。
好きなだけ遊べばいいと思ったんだけど。
「もったいないなぁ。明之も一緒に入ろうよ?」
「え??」
天然かつ衝撃的な発言にうろたえる。
いや、いくらなんでもそれは……俺が困る。
「おばさ〜ん、明之の着替えも〜」
風呂場から思いっきり安澄が叫んだ。
「後で持っていくから、先に入ってなさいね〜」
「え、ちょっと―――」
一緒に入ったら、どんなに鈍い安澄でも気づくだろう。
男は厄介だ。身体の形が変わるんだから。
もたもた服を脱いでいると、安澄は先に風呂に入っていった。
こうなったら仕方がないので、一旦トイレに駆け込み、一度抜いてから風呂に戻った。
腰にタオルを巻いて、髪を洗っている安澄に背を向けて座る。
なるべく見ないようにという配慮だったが、かえって妄想が肥大しているような気がしなくもない。
しかも、安澄がやけに楽しげで。
「明之、背中流してあげるよ?」
断わろうと思ったのだが、ちらっと振り返ったらすでにボディソープを泡立て始めていた。
もこもこ泡だらけになったタオルでゴシゴシと背中を擦る。
それがあまりにも力強くて、思わず笑ってしまった。
「くすぐったい?」
「いや。ちょうどいいよ」
色っぽい気分にならなくてちょうどいい。
「うわ、明之、傷だらけだなぁ」
手を休めて俺の背中に見入る。
それだけでもちょっと怪しい感じだったのに、さらに指でつつっと肌をなぞられて本気でヤバくなった。
「これ、ナンの傷?」
「あー……自転車で転んだ時のかな」
場所は神社の階段。幅30センチほどの石造りの手すりを自転車で駆け下り、豪快に踏み外した。
今なら絶対そんなことはしないけど、当時は小二。
バカ真っ盛りだからしかたない。
「じゃあ、これは?」
家出して帰るに帰れず、真夜中に屋根伝いに部屋に戻ろうとして落ちた時の傷。
他にもいろいろあった。
「あ、これ……」
安澄の手が不意に俺の内腿に触れた。
問題の箇所には一応タオルを広げていたものの、なんだかヤバイ雰囲気だ。
「それも……自転車で…」
引き攣れたような後が今でもはっきりと残っている。
交通事故の痕。
とはいってもぶつけられたわけじゃなくて、自転車で転んだのと変わりないんだけど。
「思いっきりチェーンの形してるんだなぁ。すっげー……」
とりあえず、今の俺にとって過去の傷などどうでもよかった。
本当にヤバくなってきているのに、普通の会話を続けなければならない、その苦痛といったら。
「あー……じゃあ、今度は俺が安澄の背中流してやるよ」
無理やり安澄を椅子に座らせて、泡立てたタオルを取り上げた。
「けど、明之の背中、まだ途中だよ?」
「いいって、そんな真剣に洗わなくても。それよりさっさと洗って風呂入って、メシ食いに行こう。な?」
『メシ』の一言で安澄を完全に釣ることができた。
背中を流すとジャブンと湯船に浸かり、ジャバジャバと湯を好きなだけ飛び散らせた挙句、のぼせたといって出ていった。
「はぁ……よかった」
一人になったとたんに緊張が解けて脱力したけど。
触れられた傷跡はそのあとも妙に疼いてどうしようもなかった。




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