目が痛くなるほどよく晴れた日だった。
部活のスケジュールをすっかり把握した安澄は、休みのたびに必ず俺のクラスに顔を出した。
廊下を走ってきて勢い良くドアを開けけ、全開の笑顔で叫ぶ。
「会長ーっ、帰りになんか食いに行かねー?」
HRが終わったばっかりでまだ教壇に立っていた水沢先生は苦笑い。
「泗水がいることを確認してから叫ぶんだな、安澄」
「いないわけないじゃんかよ。昼も一緒だったんだから」
理由になっていないような気もするが、まあ、いいだろう。
俺は梅雨に入る前のこの季節が好きで、必然的に寄り道が多くなる。
安澄はご丁寧に毎回俺に付き合ってくれた。
「水沢、泗水といっつも一緒だなぁ」
クラスのヤツに笑われても、
「俺、会長が一番好きー」
悪びれもせず笑顔で答えた。
「つきあってるみたいだよねぇ」
ときどき意地悪半分でそんなことを言うヤツもいたが、まったく気にする様子もない。
「なに食いに行く? それとも本屋? コンビニでもいいよ」
こういう話をしている時が安澄は一番楽しそうだった。
それぞれ自分の自転車を取りに行くため一旦別れ、正門で落ち合うことにした。
俺はちょっとだけ部室に寄り、自主練習はしないで帰ることを伝えてから待ち合わせ場所に向かった。
急がないと。
あんまり待たせては可哀想だ。
そう思って自転車を走らせたけど。
部室から少しのところにある一年の自転車置き場にはまだ安澄の姿があった。
「あず……」
叫ぼうとした時、正面に立っている女の子に気づいた。
二年の中谷さん。俺の隣のクラスなので名前は知っていた。
この4月に転校してきたばかりだが、あっという間に学年中に名前が知れ渡ったほどの可愛い子だ。
真っ赤な顔で俯いている彼女とぼんやり突っ立っている安澄。
話をしている様子もない。
声をかけていいものか分からず、少し距離を置いて眺めていた。
なのに。
「泗水〜っ、また明日な〜」
そんなものは視界に入っていない級友たちのどでかい挨拶のおかげで、見ていたことが思いきりバレてしまった。
俺は気まずかったんだが、安澄はホッとした様子で手を上げた。
いや、手招きをしていた。
とりあえずその場に自転車を置き、安澄のところへ。
「先に帰ってようか?」
気を利かせたつもりでそう尋ねたが、安澄は首を振った。
しかも結構激しく。
いいのかなという気持ちと早くこの場から安澄を連れ去りたい気持ちが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざる。
だからといって顔には出てなかったと思うんだが。
「……じゃあ、あの、わたし、これで……」
俺にペコリと頭を下げたあと、中谷さんは小走りに去ってしまった。
なんだか申し訳ない気持ちになったが、安澄がホッとした顔をしているので、これでよかったんだろうと思うことにした。
「中谷さん、なんの用だったんだ?」
携帯の番号でも渡されたのかと思ったが、手には何も握られていなかった。
「あの子、中谷さんって言うのか……」
ひとりごとのようにつぶやいた後でやっと中谷さんが走り去った方向に目をやった。
「名前も聞いてなかったのか? どう見ても告白って感じだと思ったのに」
問いかけた時、安澄の横顔を見てドキリとした。
「……この間話した可愛い子って、あの子なんだ」
―――ああ、やっぱりそうなのか……
『すっげー可愛い子から好きだって言われた』
ぽわんとした表情が昨日のことのように思い出された。
あれからもう半月くらい経っただろうか。
「……で、今日はなんだって?」
ズキズキと心臓が痛む。
「別に何も。これ渡されただけ」
ポケットにねじ込まれていたのは薄い水色の小さな封筒。
俺の目の前でシールをはがし、中身を取り出した。
裏側からも少し透けて見える女の子らしい文字を安澄の目が追う。
なにが書いてあるのか気になって仕方なかったけど、明らかにそういう手紙だとわかっていながら尋ねるのは気が引けた。
一通り読み終えたあと、安澄はしばらく考え込んでいた。
「なんだって?」
心配な気持ち半分と、じれったさ半分で返事を急かすと、安澄はようやく顔を上げた。
「付き合いたいって」
言葉を濁したりはしなかった。
そして、嬉しいという気持ちも隠さなかった。
「そっか、よかったな」
他に言葉が見つからなかった。
「うんっ」
その後、二人で何を食べたのか、どうやって帰ってきたのか。
まったく覚えていなかった。
ただ、安澄の照れたような笑顔だけがずっと脳裏に焼きついていた。
そもそも男同士。
報われない恋だってことは最初から分かっていたけど。
「明之、最近、安澄くん連れてこないのね?」
帰るなりおふくろがそんなことを言うもんだから、また彼女のことを思い出してしまった。
本当は、今日連れてこようと思っていた。
英語の宿題があるって言ってたし、何より安澄が来たがっていた。
だけど、とてもそんな気分になれなかった。
「宿題がたくさん出てて、それにちょっと調べたいこともあって」と嘘を並べて断わる俺に、
「俺じゃ手伝えないもんなー」
なんの疑いもなくそう言うと、少ししょんぼりして帰っていった。
本当にただの先輩だったら、安澄を思いきり冷やかして、少しはアドバイスなんかもしてやって、『頑張れよ』って祝福してやるんだろう。
「明之、聞いてるの? また安澄くん、連れてきなさいよ?」
人の気も知らないで。
刺々しい気持ちを自分の中だけで留めておくことができず、気がついたら口が滑っていた。
「安澄ならもう来ないよ。彼女ができたから」
居間にいたその他2名がいっせいに振り返った。
「いつ??」
恵実が目を丸くして聞いてくる。
高校入って二ヶ月程度。しかも、そういうこととは無縁そうな子供っぽいクラスメイトに彼女が出来たら誰だって驚くよな。
しかも、安澄だ。
「今日。誰にも言うなよ?」
「言わないよ。……ね、相手の人って同じ学校? 僕も知ってる?」
さすがにそれ以上は言えなかった。
恵実の質問を無視し、階段を上がった。
ベッドに仰向けに寝転がって天井を眺めていると、この部屋ではしゃぎながら勉強したのがずっと昔のことのように思えた。
「明之、入っていい?」
姉貴の声がドア越しに響く。
いつもならいきなりドアを開けるのに。
「……なんだよ?」
ドアをほんの少しだけ開けて覗いた姉貴を避けるように、寝返りを打って背中を向けた。
「ごはん、どうする?」
「いらない。安澄と食ってきた」
そう、と答えた声もいつものハイテンションモードではない。
「元気出しなさいね。世の中には可愛い子なんていっぱいいるんだから」
パタン、とドアが閉まるのを確認して、俺は頭まで布団を被った。
明日はちゃんと一緒に喜んでやろう。
話を聞いてやって、最初のデートはどこに行くのか一緒に考えてあげて。
安澄はそういうのに疎いから、ちゃんと相談に乗ってやらないと。
頑張ればこれから先もいい先輩でいられるはずだから。
そう決めたはずなのに。
気持ちの整理ができず、昼休みには部室に逃げ込んでいた。
そのままギリギリまで時間を潰して、授業が始まる直前に教室に戻った。
「安澄くん、中谷さんと付き合うんだって」
隣の席の女子からいきなり話を振られ、内心は思いきり動揺していたが、辛うじて平静を装った。
「ああ、そうらしいな」
そんなこととっくに知ってると言わんばかりの口調になったのは、やっぱり自分が一番安澄と親しい関係なのだと思っていたかったからなんだろう。
「な〜んだ、知ってたの? じゃあ、なんでOKの返事をしに行く前に泗水くんのところに来たんだろう?」
はじめは言われている意味がわからなかった。
けど。
「安澄、教室に来たのか?」
「うん。いないって言ったら残念そうに帰っていったよ。また宿題やってもらうつもりだったのかな?」
最近はちゃんと全部自分でやっているから、それが用事ではなかっただろう。
「それよりさぁ、中谷さん。OKもらった時、泣いてたらしいよ」
「うわ〜、やっぱかわいいなぁ。でも、あの二人なら絵になるよね」
誰からの情報なのか、クラス中その話でもちきりだった。
「泗水くんのご感想は?」
なんでこういう時に俺にコメントを求めるかな。
「よかったんじゃないか? 中谷さん、いい子っぽいし」
他になんて言えばいいんだよ。
「男子にはすっごい人気あるもんねぇ。かわいいし、女の子らしいし」
中谷さんは物静かで大人しい子だ。
きっと一大決心で告白したんだろう。
俺だって、許されるなら『好きだ』って言いたい。
けど、それを聞いたあとも安澄が今までと同じに笑ってくれるとは思えない。
「泗水ともあんまり遊んでくれなくなっちゃうね、安澄ちゃん」
「だろうね。けど、まあ……彼女、放っておいて俺のとこ来られても困るし」
上の空で言葉を返す。
刺々しい口調になっていないだろうか。
突き放した態度になっていないだろうか。
「でも、宿題は『やって〜』って来るんじゃない?」
和訳とか穴埋めとか、簡単な問題ならもう自力でできるだろう。
でも、英文スピーチのようなものだとまだ安澄一人では厳しい。
すがるような気持ちでそんなことを考えたけど。
「あ、でも、中谷さんって英語が得意らしいよ? 彼女に教えてもらうんじゃない?」
その瞬間、唯一の繋がりがプツンと切れた気がした。
俺の最後の存在価値。
もう、なんにも残ってないんだな……
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