Forever You
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あれ以来、中谷さんは火曜日と木曜日は安澄に弁当を持って来るようになった。
食い物で釣るのが一番だと気づいたのだろう。
もちろん手作りの可愛らしい弁当だ。
最初の日、中谷さんは気を遣って俺の分まで弁当を作ってきた。
「いいよ、俺は」
一応、断わったけど。
「せっかく作ってきてくれたんだから、明之会長も一緒に食べようよ」
安澄はもちろん、中谷さんにも同じことを言われてしまい、その日だけは仕方なく三人で食べた。
「次からは俺のこと誘うなよ?」
安澄に良く言い聞かせ、中谷さんには丁重にお断りして。
それでも安澄は不満そうに、
「なんで? みんなで食べた方が上手いだろ?」
あれこれと理由をつけて文句を言ってたけど。
俺もそこまでは図々しくないし、何よりも中谷さんが作った弁当を安澄が上手そうに食べる姿を見るのが辛かったので、何を言われても首を振った。


どこで見ていたのか、俺が教室に戻るとクラス中でその話をしていた。
「泗水、ジャマしすぎ」
そんなこと他人に言われるまでもない。
「けど、作ってきてくれちゃってんのに断わるの悪いだろ?」
まあ、安澄なら二人分をきれいに平らげたとは思うけど。
「ちゃんと次回は遠慮するって言ってきたよ。俺だって居心地悪いし」
「だよなぁ」
安澄はもとから目立っていたし、中谷さんは可愛いし、噂になりやすいのはわかるけど。
いちいち俺に振るなよと思いながら席に着いた。


それから俺は火曜日と木曜日は部室で昼飯を食べるようになった。
安澄もそろそろ二人でいることに慣れてきたらしく、最近は普通の会話をしているようだった。
そして、中谷さんの塾と部活がない日は必ず二人でどこかに出かけていた。
ぎこちなさが消え、仲良く笑い合っている姿を見かけるたびに胸の奥が痛んだ。



それでも、安澄はデートの日以外は相変わらず俺の家に入り浸って、姉貴やお袋に懐きまくっていた。
まるで自分の家のように、お袋の手伝いをしたり、姉貴の話し相手をしたり。
「おかえり〜、明之〜」
笑顔で俺を出迎えたり。
楽しそうな安澄を見るのは好きだったけど、安澄が楽しい理由は考えたくもない。
複雑な気持ちで「ただいま」を言い、安澄をリビングにおいて部屋に逃げ込んだりしているうちに、だんだん重苦しい気分になっていた。
会えないのは辛い。
けど、会って安澄の口から中谷さんの話を聞くのはもっと辛い。
「はぁ……」
またしても深い溜息。
我ながら辛気臭いと思うけど。
安澄はそんなことにも気づく気配はなく、相変わらずいつでも楽しそうにしていた。


放課後。
教室を出た途端に良く通る声が俺を呼び止めた。
「明之会長〜、部活休みなんだろー? もう帰る?」
隣りのクラスの入り口から目敏く俺を見つけると、中谷さんを置き去りにして走ってきた。
「いや。今日は……」
「なんかあんの?」
「剣道部に呼ばれてんだ」
「恵実?」
「じゃなくて水沢先生」
それを聞きつけて教室から水沢先生が出てきた。
いつも思うけど、先生は耳がいい。
「大将がケガして交流試合に出られないから、代わりに泗水に頼もうと思ってな」
「へえ〜。いきなり大将やるのかぁ。カッコいいなぁ」
安澄が目をキラキラさせてそんなことを言うんだけれど。
「バ〜カ。吹奏楽部に大将が務まるかよ」
そんなことしたら、他の部員だって面白くないだろう。恵実だってやりにくいに違いない。
「そっか? なら、先鋒でもいいぞ。二本勝ちしてくれれば雰囲気も良くなるしな」
水沢先生は俺の剣道の腕前など知らないはずなのに、やけに強気だ。
「とりあえず実力の程を見せてもらおうと思ってな。道場でも滅多に稽古に出てないって言うから、ちょっと心配なんだが。一年の泗水が『兄貴は自分より強い』って言うもんだから、みんなえらく期待してるぞ」
そんな噂だけで俺に大将をやらせようとしていたのか。
なんと言うか、さすがは水沢先生だ。
「恵実は何番目ですか?」
「今は先鋒だ。泗水が引き受けてくれなければ大将をやる」
それが実力順だとすれば、俺に大将を任せようというのも的外れではないのかもしれないけど。
「防具持って来たか?」
「朝、クラブハウスに置いてきました」
「じゃあ、行くか」
先生はキレのいい声でそう言うとバシバシと俺の背中を叩いた。
力の加減がいまいちなところもさすがに水沢先生だ。
「俺も! 俺も行く〜!!」
安澄はまたしても満面の笑み。
ふと気になって振り返ったが、中谷さんはいつの間にかいなくなっていた。



体育館に行くと剣道部のヤツらが勢揃いしていた。
ほとんど一年。そりゃあ、恵実が大将になるわけだ。
「会長、剣道できるんスか?」
聞いたのも一年だ。
「ちょっとだけな」
「じゃ、泗水が大将をやらなかったと仮定したメンバーで、順に泗水の相手をしてくれ」
水沢先生の声が体育館に響いた。それでいくと恵実が大将だ。
他の部の連中も面白がって見学していた。
「いきなり5人、ですか?」
「5人抜きが得意だって安澄が言ってたんだ」
それは小学校の時の話だろう。
安澄を見るとバカみたいに口を開けてヘラヘラ笑っていた。
「まったく……」
わずかにため息。
勝つことにこだわるつもりはなかった。
けど。
安澄が見てるんだよな……
それだけで、妙に張り切ってしまう自分に苦笑しながら。
やっぱり、勝ちたいと思った。

「1本!」
なんとか4人は抜いたものの。
残りは恵実だ。
楽勝と思っていたのだが、練習を怠っていたのがモロに響いた。
この段階でもう限界。体力が続かない。
「最後、恵実。大将なんだから意地を見せろよ」
水沢先生に大声で送り出されて、恵実はマジにかかってきた。
時間一杯まで粘ったが、最後の最後で綺麗に胴を決められてしまった。
「お疲れ」
恵実に声を掛けて水沢先生のところに行った。
「あと少しで5人抜かれるところだったな。さすが泗水だ。……やっぱり、大将をやらんか?」
水沢先生は大満足だったけれど、俺は断わった。
「助っ人ですから、真ん中くらいにしておいてください」
いつもと変わりなく受け答えをしたけれど。
悔しかった。
5人抜けなかったことも、恵実に勝てなかったことも。
こんな気持ちも久しぶりに味わった。


その後、交流試合では中堅をする前提で、恵実たちに交じって練習をした。
安澄はその間、退屈そうな顔もせずに熱心に練習に見入っていた。
後から体育館に来た中谷さんはそんな安澄の顔を見て微笑んでいた。
時折、安澄が何かの説明をするとそのたびにニッコリ笑いながら相槌を打つ。
誰が見ても嫌になるほど似合っていて。
だから、練習が終わるまでずっと安澄に背を向けていた。


「安澄くんも剣道部に入ったら?」
クラブハウスから正門までの帰り道。中谷さんがそんなことを言い出した。
あんなに熱心に見ているくらいだから、相当好きなのは間違いない。
なのに、安澄は今でもなんの部活もやっていなかった。
剣道に限らず、スポーツはなんでも得意なはずなのに。
「見てるだけじゃ退屈だろ? 剣道部じゃなくってもいいから安澄もなんかやれよ?」
たまには助っ人もいいもんだなと思っていた時だったから、俺も軽い気持ちで安澄に部活を勧めた。
せっかく素質があるのにもったいない。
もうちょっと本腰入れて練習すれば確実に恵実よりも強くなるのに。
「う〜ん。でも、なあ……」
水沢先生が顧問じゃやりにくいのかもしれない。
そう思ったが、俺の予想は外れだった。
「剣道部は吹奏楽部と休みの日が違うからさ。そしたら、道場に行けなくなるだろ?」
俺がいなくてもうちに上がり込んでいる以上、それは理由になってない気がするんだけど。
「でも、恵実くんとは一緒なんだから平気じゃない?」
中谷さんだって不思議そうな顔をした。
そうだよな。部活が終わったら恵実と一緒に帰ってくればいいんだ。
なのに、安澄はそれでも渋っていた。
「けどさ、恵実が帰る時間には道場は閉まってるだろ?」
恵実は人見知りが激しいから、道場の手伝いをさせられるのが好きじゃない。
だから、いつもわざと間に合わないように遅くまで部活をしてる。
安澄はそれを知っていて、恵実に遠慮してるのかもしれない。
でも。
「だったら姉貴に頼めばいいだろ? いつだって大歓迎されてるんだから」
それでも安澄は「うん」とは言わなかった。
「っていうかさぁ、明之と休みがズレたら、しょうがないんだよ」
ちょっと口を尖らせ、小さな声で文句を並べてた。
「勉強なら俺の部活が終わった後でも間に合うだろ? 姉貴にでも言っておけば道場だって出入り自由にできるし」
「じゃなくってさ。……もう、いいよ」
なんとなく妙な沈黙が流れて。
どうしようかなと思っていたところで門を抜けた。
「じゃあ、私、ここで……」
中谷さんがそう言ってペコリと頭を下げ、俺もつられて会釈をした。
安澄は能天気な声で「じゃあな〜」と手を振っていたけど。
「送って行かなくてよかったのか?」
中谷さんはバス通学なんだから、バス停で一緒に待ってやればいいのに。
少し話でもして、バスが来たら「じゃあ、また明日」って感じで。
……気が利かないって言われるわけだな。
まあ、送るって言ってもすぐそこだし、見られたら恥ずかしいっていうなら分からなくもないけど。
「送りオオカミとか言われたくないしー」
安澄の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「誰もそんなこと言わないって」
バス停は大通り沿いにあって、二人っきりになるチャンスなんてカケラもない。
「けどさ、陽子さんがからかうんだ」
安澄がぷっと頬を膨らます。
「姉貴の言うことなんて、真に受けるなよ。一年中そんなことしか言わないんだから」
思わず構いたくなる気持ちはよく分かるけど、安澄にそういう冗談ははダメだって言っておかないとな。
「そう言えば陽子さん、明之のこともオオカミって言ってたよなぁ。そっちのオオカミはどういう意味なんだろう?」
……同じ意味なんだけど。
説明しても安澄にはきっとわからないだろうな。
俺の沈黙を安澄は勝手に解釈したらしい。
「明之が知らないならいいや。わかんなくても恥ずかしくないってことだし」
こういうところが可愛くもあり、厄介でもある。
同じ年頃の友達となら成長過程で品のない話もするはずなのに、安澄はそういうところが抜け落ちている。
水沢先生も勇吾先輩もそういうのは疎そうだから、家系なのかもしれないけど。
……まあ、それは俺が考えてもしかたないか。
「で、さっきの話に戻すけどな、安澄」
「ん? なに?」
「なんで休みが俺とズレちゃダメなんだ?」
びっくりするようなものすごい深い理由があるんだろうなどとは初めから思ってなかったけど。
「明之より早く帰ってたら、5人抜き見られるかもしれないだろ?」
ああ、それか……って感じだった。
「けど、ここ数年夕方の稽古に出たことないぞ」
今日の出来を考えると、しばらくは家に帰ったあとも練習した方がよさそうだけど。
「道場で教えるのだって、前みたいに先生が出張だったらやるんだろ?」
「まあ、そうだけどな」
だとしてもそんなことは滅多にない。
滅多に、どころか一年に一回もないかもしれない。
「だったら、やっぱりズレちゃダメじゃん」
今日、俺が恵実に勝っていれば……5人抜いていれば、そんなことは言わなかったんだろうか。
そう思うと余計に悔しさが募った。




翌朝から、俺は恵実と一緒に稽古に出た。
「兄貴もやるの? 珍しいね」
恵実は嬉しそうだったし、オヤジも上機嫌だ。
「交流試合までの間だけな」
本当は試合のためなんかじゃなかった。
例え前に4人抜いた後だったとしても、恵実に負けたことが。
安澄の期待に応えられなかったことが。
ただ悔しかった。
朝飯のときに「明之がやけに張り切っていた」というオヤジのコメントを聞いて、おふくろが珍しく心配な顔をした。
けど。
「イヤねぇ。熱でもあるんじゃないの?」
コレだもんな。
まったく。
息子が前向きになってる時くらい普通に喜んで欲しいもんだ。




久しぶりに身体が痛いなと思いながら一日を過ごし、どのあたりを重点的に練習すれば良いだろうかと考えていたら、安澄が思い切りドアを開けた。
「明之〜、今日も剣道部行く?」
どうやらHRが終わるのを廊下で待ち構えていたらしい。
突っ込みを入れたのはもちろん水沢先生だった。
「安澄、おまえのクラスは帰りのホームルームはないのか?」
確かに早すぎる。自分のクラスに最後まで出ていたのかは非常に疑わしい感じだ、と思っていたら。
「やってるよ。けど、俺、一番後ろの席なんだ」
それは、もしかして。
ホームルームは途中で抜け出してるってことなんだな。
でも、水沢先生はその部分を聞き逃したらしい。
その証拠にお咎めはなしだった。
「な、明之、剣道部行こう?」
「ああ。ちょっと片付けるから、待て」
俺が机の中のモノをカバンに詰め込む間、安澄は隣りでじっと待っている。
でも、良く見るとちょっとソワソワしていた。
「な、明之、今朝から恵実と一緒に稽古してるってホント?」
恵実がしゃべったんだな。
まあ、同じクラスなんだからそれくらいの話はするか。
「単なる交流試合って言っても、負けるわけにいかないからな」
気合を入れて席を立つと、安澄は俺を見上げて「えへへ」と笑った。
「なんかおかしいか?」
「ううん。ぜんぜん」
そう言っているくせにまた笑う。
「さ、行こうよ、体育館〜」
俺の腕を掴むとずんずん歩いていく。
隣りのクラスの前を通った時、中谷さんの悲しそうな顔が目に入って、ふと思い出した。
今日は中谷さんが予備校も部活もない日。
「安澄、今日ってデートじゃ……」
安澄は「しまった」という顔をしてから、バッと中谷さんを振り返った。
「あ……気はつかわなくていいよ。用があるなら……」
「ええと、別に用ってほどのことじゃないんだけど」
そうだ、安澄。剣道部で遊んでいる場合じゃないだろう。
しかも、自分でやるならまだしも、ただ見てるだけなんだから。
「これから剣道の練習なんだ。中谷さんも来る?」
中谷さんはしばらく考えていた。
「……安澄くんもやるの?」
「うん。俺も防具持ってきた」
なんだ、やる気満々なのか。
だったら、まあ、仕方ないような気もするが。
「なら、行くね」
それにしても。
用ってほどじゃないことより前から決まっていたデートを後回しにされるのはショックだろう。俺なら立ち直れない。
「後で安澄によく言っておかないとな……」
俺の独り言に、中谷さんが淋しそうに笑った。
でも、安澄だって恵実以外のヤツには勝てるだろうから、彼女に格好良いところが披露できるのはいいかもしれない。
「明之会長、俺と手合わせしてよ」
「ああ、いいけど。安澄、剣道部に入るのか?」
「ううん。明之が練習する時だけ〜」
彼女の前でその発言はマイナス30点だぞ、安澄。
そして、俺にとってもマイナス30点。
せっかくただの先輩でいる努力をしているのに、変に期待させるようなことを言うなよな。
「やっぱ、カッコいいよなぁ〜、明之」
屈託なく真正面から笑顔を向けるから、視線が外せなくなった。
安澄が悪いわけじゃない。
それは分かってる。
けど。

―――安澄……

心の中で何度も名前を呼んで。
ずっとこうしていられたらと願っていた。




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