Forever You
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体育館の隅で水沢先生から部活の注意事項を聞かされている安澄を見ていたら、中谷さんが俺に話しかけてきた。
「安澄くん、ずっと泗水くんに憧れてたって言ってたんだ」
普通に考えればそんなことはたいしたことじゃない。
なのにやっぱりどこか淋しそうなのが気になった。
「子供の頃だからカッコよく見えたんじゃないのかな」
実際、それが真実だと思う。
当時は俺もカッコつけてたし。
「そんなことないよ。泗水くん、本当にかっこいいもの。みんなそう言ってる」
俺に向かって俺の話をしているのに、あんまりこちらを見ようとしない。
いつもそんな感じだから、どうしても申し訳ない気持ちになってしまう。
なのに、俺たちをここまでどっぷり落ち込ませている本人だけが妙に能天気だ。
「子供の頃もカッコよかったもんな〜、明之会長。背も高くてさ〜」
いつの間に来たのか、そんなどうでもいいことを楽しそうに話すもんだから、彼女の視線はいっそう下に落ちる。
「俺と1つしか違わないのに、頭一つ半以上違っててさ」
「うちはおふくろ以外みんなデカいからな」
何にしても、背丈の違いがわかるくらい近くにいたこともあるってことだ。
俺はぜんぜん覚えてなくて、なんだか不思議な感じだった。
「ずっと仲良かったの? それとも高校に入ってから?」
「そうだよ」
安澄が短い返事をした。
けど、それじゃあ、なにが「そう」なんだかわからないだろう?
アホ安澄。最低でも相手にわかるような返事をしろよ。
「安澄とは高校に入ってから友達になったんだよ。生徒会で武下を伸したっていう一年の話が出て、面白そうだったから教室まで顔見に行ったんだ。その時は安澄が子供のころ道場に来てたことなんて全然知らなかった」
気を遣ったつもりだったが、中谷さんの顔はまた曇った。
「ふうん。そうなんだ……」
安澄に答えてもらいたかったんだろうけど。
それだけでそんな顔しなくてもいいのにと思うのは俺の性格が悪いんだろうか。
「泗水くんと会った時、すぐに憧れの人だって分かった?」
今度は安澄の方だけを見て話す。
まるで俺を除け者にしようとしているみたいに感じるのは彼女に嫉妬しているせいなんだろうか。
「高校で最初に会った時? ううん、わからなかったよ」
そりゃあ、そうだ。
安澄だってこの間までぜんぜん気付いてなかったんだから。
「なのに、友達になったんだね。気が合う人ってすぐにわかるものなのかなぁ……」
安澄はそれにも首を振った。
「最初はカッコいい人がいるなぁって思っただけ。そしたら生徒会長だって言って新入生歓迎の挨拶とかするから、すっげーびっくりした」
……え?
思わず顔に出していた。
安澄にしては珍しくすぐに気づいたらしい。
笑いながら詳細を付け足した。
「明之、入学式の日に受け付けしてただろ?」
「え……ああ、生徒会役員は全員やるから……」
まさか覚えているとは思わなかった。
「あの時さ、女の子が『カッコイイ人がいる!』って騒いでて、俺も見たくて、明之が受付してる列に並んだんだ」
「そしたら、本当に格好よかったから覚えてたの?」
口調はごく普通。でも、表情はちょっと複雑な感じだった。
なのに、やっぱり安澄は気付かない。
「だってさ、めっちゃカッコ良くない? 背も高くて、頭良さそうで、しかも足元にトランペット置いてあったんだよ?」
いや、それは関係ないような……
「ふうん、そうなの」
なんだかとても楽しくなさそうだ。
当然の反応だとは思うけど。
安澄が一目ぼれした相手で、他のクラスでも噂になるほど可愛くていい子なんだから。
俺を相手にヤキモチをやく必要なんて全然ないはずなのに。
一方で、付き合ってるってこういう感じなんだろうなとぼんやり思った。
どんなに頭で「大丈夫」って思っていても、何かあるたびちょっとしたことで妬いたりもしてしまう。
そういうもんだろうって思うのと同時に、やっぱり少し羨ましくなってしまったのかもしれない。
「……俺も安澄のこと覚えてるよ」
気がついたらそんな言葉を口にしていた。
事実をそのまま伝えただけでたいした内容でもない。
なのに、心臓だけは勝手にバクバクしはじめる。
「みんなスーツを着てるのに、一人だけジーパンとハイネックのTシャツで、書類封筒以外はなんにも持ってなくて。保護者もついてきていない上に、いきなり『職員室どこですか』なんて聞くやつ、他にいなかったからな」
あの時の安澄の真っ直ぐな瞳を思い出すと何度でも恋に落ちそうな気がする。
「それ本当に安澄くんなの?」
中谷さんは信じていないみたいだったけど、それも当然のことだ。
何百人っていう一年の受付をするのに、その中の一人をそこまで覚えているのっていうはどう考えても不自然だ。
なのに、安澄はこの上なく嬉しそうな笑顔を見せた。
「すっげー。やっぱ、明之ってすっげーな」
笑顔は相変わらず屈託がなくて。
俺の気持ちも中谷さんの気持ちもまったく分かっていないんだろうってことは明らかだった。
「あんまり勉強しなくてもできるわけだよなぁ。俺にもその記憶力分けて欲しいー」
頭がいいから覚えていたわけじゃない。
けど、中谷さんの前だから、そういうことにしておいた。
「いいなぁ……私なんて小学校の頃からずっと塾に行ってるのにぜんぜん成績良くならないよ」
普通の会話なのに。
無理して繋げているような気がした。
「でも、中谷さんって英語が得意なんだよね?」
「……英語だけ。それでも泗水くんよりずっと下だよ」
俺だって特別英語が得意なわけじゃない。
安澄に教えるために入念に勉強をしているから上位でいられるだけだ。
「そういえば……安澄くんは英語苦手だって聞いたんだけど……」
中谷さんは多分、「よかったら一緒に勉強しない?」って誘うつもりだったんだろう。
でも、安澄は彼女の気持ちなんてほんの少しも推し測ることなく、思ったことをそのまま答えてしまった。
「うん。でも、最近はずいぶんマシになったよ。明之、教えるのも上手いんだ」
自分の言葉一つで相手がどれだけ悲しい思いをするのかなんて考えたこともないんだろう。
たとえば誰かから「それじゃダメだよ」と注意されたところですぐに改善されるとも思えない。
だからなんだろう。
中谷さんはすっと話を変えた。
自分と安澄、二人きりしかわからないことに。
「……ね、安澄くん。私と最初に会った時のこと、覚えてる?」
その言葉で俺はすっかり切り離される。
あれだけポワンとしていたんだから、当然安澄だって覚えてる。
俺だって、きっとあの日のことは死ぬまで忘れない。
「うん。自転車置き場で明之を待ってたんだよな、俺」
こんな話題でもいつも俺をすぐ近くに置いてくれる。
彼女にしてみればそれはため息の原因で。
俺にとっては、安澄を諦められない理由になる。
「いちいち俺の名前出さなくていいんだぞ、安澄」
さらりと注意したけれど。
寂しそうな微笑はそれとは関係がなかった。
「……その前にも、会ったことあるんだけどな」
「へ??」
安澄は心底驚いていた。
それを見た中谷さんはいっそう暗い表情になってしまった。
「でも、新入生だと先輩の顔まではなかなか覚えられないよな。かなり印象的なことでもないと」
フォローを入れながらも、安澄がなんで入学式の日のことを覚えていたのか考えていた。
自分に都合のいいことばかりが頭を掠めて慌てて首を振る俺の斜め前、中谷さんもうすっかり俯いてしまっていた。
「……私には印象的なことだったんだけどな……」
それだけ言って唇を噛み締める。
言葉を捜したけれど、俺が慰めても彼女は救われない。
なのに。
「いつ? どこで?」
中谷さんの表情がさらに沈んでいく。
それでも、小さな声で答えを返した。
「……武下先輩に絡まれた時、助けてくれたよね」

――――バカ安澄……

安澄が武下とケンカをしたのは入学式の日。
受け付けにただ座っていた俺を覚えていて、助けてあげた可愛い女の子を覚えてないなんて。
「あー。あれ、中谷さんだったんだ?」
悪びれた様子もなく聞き返しす。
マイナス100点。これでゲームオーバーでもおかしくない。
「やっぱり……覚えてなかったんだね」
泣きそうになっているのに、安澄は竹刀を弄んでいる俺の手元を見ているだけ。
言い訳のひとつもしなかった。
「……ごめん、私、今日は帰るね……」
全部言い終わらないうちに背中を向けて体育館を出ていってしまった。
それでも安澄は呆然と突っ立っているだけ。
「バカ、安澄っ、追いかけろっ!!」
体育館に怒声が響くと、安澄も慌てて走り出した。

―――……バカは、俺だよ



安澄は中谷さんをバス停まで送ってから戻ってきた。
少し落ち込んだ顔をしていたが、「自業自得だ」と怒っておいた。
その後はイマイチ練習に身が入らなくて。
だから、一足早く切り上げて俺んちに帰った。
部屋に鍵をかけて、おふくろも姉貴も立ち入り禁止にし、テーブルを挟んで向かい合う。
さすがの安澄も今日はおやつに手をつけなかった。
「……こういう時ってさ、どうすればいいんだろ?」
それを俺に聞かれてもな。
「今度こそ二人でディズニーランドにでも行ってこいよ」
「……うん」
そんなことで亀裂が修復するかどうか俺にはわからないけど。
「俺の話は一切するなよ」
「……うん。でも、そしたら話すことないよ」
「中谷さんのこといろいろ聞いてやれよ。彼女の好きなものとか、何が楽しいとか。安澄だって興味あるだろ?」
「……うん」
「それから、自分の家族のこととか好きな弁当のおかずとか、なんでもいいから話してやれよ。安澄と中谷さんが二人とも楽しめる話ならいいんだから」
それでも安澄は複雑な顔をしてた。
「なんで、明之んちの話はダメなんだ?」
この期に及んでそんなことを言う安澄は本当にバカだと思うけど。
だからこそ可愛くて、抱き締めてしまいたくなった。
でも、それはできない。
「中谷さんといる時間より俺といる方が長いんだ。彼女といる時くらい俺んちのことは忘れてろよ」
俺は先輩なんだから。
「けどさ……」
安澄を応援してやらなきゃいけないんだから。
「おまえな、入学式の日に受付に座ってた男を覚えてて、悪漢から守ってやった可愛い女の子を忘れるってのはどういうことなんだ?」
少し厳しい声で問い詰めると、安澄はため息と共に途切れ途切れの質問を返した。
「あのさ、明之……『アッカン』ってなに?」
安澄は英語の次に国語ができない。それは知っているけど。
さすがに俺も溜息をついた。
「……悪いヤツってことだよ」
半分うつむいたまま、さらに「うん」と顎を下げた。
「ぜんぜん覚えてなかったわけじゃないんだろ?」
さすがに少しくらいは思い出しただろうと踏んで尋ねたのだが、安澄はやはり首を振った。
「泣いてたから悪いと思って顔あんまり見ないようにしてたんだ。だから、本当に覚えてない」
「ちゃんと彼女にそう言ったか?」
安澄は黙って首を振った。
それも俺が言ってやらなきゃダメなんだろうか。
「遊びに行こうって誘ったら、ちゃんとそう言えよ」
「……うん」
うまくいって欲しいなんて本当は少しも思っていないけど。
安澄の辛そうな顔を見なくて済むならそのほうがいい。
「そんな顔するなよ。仲直りできるようにしてやるから」
先輩としてちゃんと。
俺にできることはなんでもしてやるから。
「ありがと、明之」
「別にいいよ」
どうせ、俺の気持ちは叶わないんだから。



翌日、俺は中谷さんの教室に行き、安澄が昨日落ち込んでいたことを話した。
「悪いんだけどさ、もう一度安澄と出かけてやってもらえない?」
なんでこんなことをしているんだろうと思いながら。
「でも……」
「ディズニーランド嫌い?」
「ううん。大好きだけど」
「なら、決まり。安澄が来たら、うんって言ってやってよ」
安澄が誘いに来るとわかって嬉しかったんだろう。
明るい笑顔とともに優しい色の唇がほころぶ。
「泗水くん、優しいのね」
俺が安澄を好きでなかったら、そんな言葉も素直に喜べただろう。
「そんなこともないんだけどね」
笑うに笑えず微妙に引きつる俺を、中谷さんは不思議そうな顔で見つめていた。

ホントに何やってるんだろうな、俺。
自分で自分が分からなくなった。



その週末、安澄は無事にデートを済ませ、中谷さんと仲直りをした。
「ありがとう、泗水くん」
月曜日、朝一番で中谷さんが礼を言いに来た。
「楽しかった?」
「うん。とっても」
けど、その後でちらりと過ぎった苦笑いが気になった。
「何かあったのか?」
「ううん。なんでも。ただ、やっぱり泗水くんにはかなわないんだな、って思っちゃった」
また俺の話をしたんだろうか。
あれほど言ったのにと呆れながら尋ねたら、中谷さんは笑いながら首を振った。
「その逆。泗水くんの話をしないように一生懸命なんだもん」
容易に想像できる光景だった。
なんと言ってもそこは安澄だから、さりげなくとかそういう芸当はできなかったんだろう。
「でも、いいんだ。私のこと気遣ってくれてるって分かったし。だから『別に泗水くんの話していいよ』って言ったら」
「言ったら?」
「泗水くんに怒られるからダメって言うんだもの」
「あのバカ……」
事前に仕込んだ意味がない。
「素直なのよね」
「……まあ、そうなんだけど」
素直過ぎて笑えない。
「でも、ありがとう。本当に嬉しかった」
よかったな、と口先だけで祝ったけれど。
同時に少し憂鬱になった。
安澄と会ったらまた同じことを言うんだろうか。
祝福するフリをして。
笑いながら。

そんなこと、俺にできるだろうか。



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