Forever You
- 20 -




「おかえり〜」
玄関を開けると元気のいい声が俺を出迎えた。
「先に食っててよかったのに」
テーブルの上にお茶しか置かれていないのを見てそう言ったが、安澄は笑って首を振った。
「うん。でも、明之と一緒がいいかなって思ってさ」
もうすっかり普通だ。
ドタバタと道場から戻ってきた姉貴にも安澄は「おじゃましてます」とにこやかに挨拶をし、ついでに「昨日はすみませんでした」と詫びた。
「いいのよ。明之なんて、そんなことにしか使えないんだから」
姉貴の毒舌は幼少の頃からずっとだから、いつもなら負けずに言い返すんだけど。
安澄が楽しそうに笑うから、今日のところは聞き流しておいた。
姉貴は座っている安澄の頭を撫で回したあと、冷蔵庫から自分の分のお茶を取り出しながらニッカリ笑った。
「なんなら安澄ちゃんに明之貸してあげるから、今日もおうちに持って帰っていいわよ?」
「なんだよ、それは」
まったく……と思う傍らで、少しでも気が紛れるなら、しばらく安澄の家から学校に通ってもいいとまで思ったけど。
安澄は「えへへ」と笑っただけで、「うん」とも「ううん」とも言わなかった。




幸いおふくろさんの病状は数日で安定し、安澄もすっかり元通りになった。
ただ、俺との間はやっぱりどこかがしっくりしなくて、ときどき微妙な空気が流れたりしていた。
はっきりした原因も分からず、相談する相手も思いつかず。
気がついたら副理事長室の前をうろうろしていた。
「なんでこんな所に来てるんだよ、俺は」
ぶつぶつ言いながらドアの斜め前あたりに突っ立っていたら、突然、背後から声が。
「いらっしゃい、泗水。来ると思ってたけどね」
「うわ、副……理事長……いや、俺は別に」
条件反射で否定したけど。
「まあ、入ってよ」
あっという間に腕を掴まれ、半ば強引に引き摺り込まれた。
「好きなところに座って」
指先がピッピッピとテーブル席、ソファ、副理事長の椅子を指し示す。
ためらっている間に「ここでいいよね」とテーブルに冷たいお茶が置かれた。
「あの……」
口を開いたものの、そもそも何でここに来たのかもよくわからない。
それでも話しているうちに整理できるかもしれないと思って、適当に切り出してみた。
「お聞きしたいことが……」
「うん、いいよ。なんでもどうぞ?」
ニヤニヤ笑うのがかなり気に入らなかったけど。
「安澄はここに何の相談に来たんですか?」
とりあえず一番気になっていたことを尋ねた。
「来たわけじゃなくて、ぼんやり歩いてたから連れ込んだだけだよ。まあ、世間話が半分で、あとはお母さんのこととか彼女のこととか。もちろん泗水のこともね」
おふくろさんのことと中谷さんのことはなんとなく見当もつくけれど。
「俺のことって……何を?」
やっぱりあの夜のことなんだろうか。
そうだよな。
他には思い当たることなんて何もない。
「その前に、安澄くん本人に聞いてみたの?」
「……聞いてみましたけど」
でも、返事は「ごめんね」だったんだ。
思い出してちょっと項垂れてしまった俺を見て、エロオヤジは意味ありげな笑みを浮かべた。
「じゃあ、一つ交換条件で教えてあげるよ。安澄くんと二人でテニス1回。その後二人で食事。もちろん家まで送っていくよ。それについて泗水は邪魔しないって約束で」
この言い方がどうにもエロくさい。
「それはダメです」
きっぱり断わったけれど、やっぱり反撃があった。
「ふうん、じゃあ個人的に誘おうかな。でも、いいの? ホントに知りたくない?」
見え透いた攻撃だ。
だが、今の俺には思いがけず深手を与えた。
まったくどこまでも悪趣味なヤツだ。
こんな手に引っかかってはいけない。
精一杯頑張って「別にいいです」と答えた。
「またあ。嘘ついちゃって」
そうだけど。
だからって、安澄と交換にはできない。
「でも、まあ、そんなこと聞くってことは、最近安澄君と上手くいってないのかな?」
だって。
安澄が。
もう俺の部屋には泊まらないって。
「あれ? もしかして、本当にメゲちゃってるのかな」
その上、俺に隠し事までして。
言ったセリフが「ごめんね」なんだから。
「ほっといてください」
素直に認めてどうするよ。
もっと毅然としてないと弱みにつけこまれる。
「じゃあ……そうだな。とりあえず、お茶の後はおいしいアイスコーヒーなんてどう?」
「もういいです」
涼みに来たわけじゃない。
だからってコイツに当たりに来たわけでもないんだけど。
モヤモヤがイライラになって、頭の中をグルグルして、グチャグチャになった。
そんな気分がずっと抜けなくて、ちょっと血迷った挙句にここに辿り着いてしまっただけだ。
「まあ、そんなに尖らないで。長い人生、そんなことも一度や二度や3度や四度はあるよ」
呑気にそんなことを言いながらコーヒーを入れて冷蔵庫から氷を取り出す。
もともと書庫だったこの部屋には、冷蔵庫を始めとしていろんなものが揃っていた。
エアコンも入っているし、ほどよく明るいし、窓からの景色も良くて居心地がいい。
たとえ目の前にいるのがエロオヤジでも、だ。
「いいでしょ、ここ」
ほうっと溜め息をついた俺の気持ちが読めるかのようにそんなことを言ったけど。
「ここね、窓から旧体育館の裏が見えるんだよ」
指し示された方向に男子生徒と女子生徒。
人通りもなく、緑が多く、夕陽が綺麗な場所で、告白するには最適だということはおそらく全生徒が知っているだろう。
「あれ、でも……」
うつむきかげんに立っているふんわり髪の女の子に見覚えがあった。
「そうみたいだね。首を振ってるってことは『私、安澄くんが……』っていう返事なんだろうけど」
双眼鏡まで出しやがって。このエロオヤジ。
きっといつもこんなことをしているんだろう。
生徒会から『旧体育館裏での告白は禁止する』という通知を出した方がいいかもしれない。
「安澄君は彼女に対してあんまり積極的じゃない。でも、上手くいってないわけでもない。だからとりあえず現状維持。……そんな感じかな?」
俺は返事ができなかった。
そうかもしれないけど、彼女とのことは俺にもわからない。
「まあ、まだキスもしてない仲だけどねぇ」
なんでオマエがそんなこと。
って思った俺の気持ちが、やっぱり読めるみたいな返事がくる。
「安澄くんの相談って、それだよ」
なんとなくそんな気はしてたけど。
実際、聞いてしまうとやっぱり複雑な心境だった。
「彼女とキスした方がいいのかなぁ……なんて、可愛いこと言ってたよ」
けど、よりによってコイツに相談するんだ。
そりゃあ、いい年だし、遊んでそうだし、そういうことには慣れてるだろうだけど。
「泗水にも相談したんだって?」
されたよ。
安澄がしたくないなら、しなくていいって答えたよ。
……ってことは、俺じゃ相談相手にもならないって思われたんだろうか。
「なぁ、泗水、」
「なんですか?」
なんとなくため息をつきそうだったから、慌ててアイスコーヒーを流し込んだ。
「安澄くん、泗水とは『したい』って言ったのかな?」
目の前に、エロオヤジのエロい笑みが。
「な……に……?」
甘いはずのアイスコーヒーが、次の言葉を予測できたかのように妙に苦く感じられた。
「キス」
そんなことまで、なんでコイツが。
いや。
カマを掛けてるだけだ。そうに違いない。
「安澄くんの心中、聞いてみたら?」
ひどく簡単に言うけど、本人に問えるくらいならこんなところに来ていない。
「何をです? 『中谷さんこのことが本当に好きか』って?」
聞いたところで安澄のことだから「明之が一番好き〜」とか的外れな返事をするに決まってる。
今度こそ本当にため息をついたら、エロオヤジの口元がいっそう緩んだ。
「そうじゃなくって」
そこでさらにニッカリ笑って。
「『今度は本気でキスしてみない?』って」
口にしたコーヒーを思わず吹き出すところだった。
安澄のやつ、もしかしてホントにあのことしゃべったのか?
いや、口止めなんてしなかったけど。
「そうだよ。聞いちゃった……って言ったら、泗水は怒る?」
安澄が言ったんなら。
こんなヤツに話さなきゃならないほど悩んでたのなら。
全部俺のせいだ。
「……怒りません。けど……」
安澄はなんて言ったんだろう。
夜中にいきなり抱き締められて無理やりキスされたとか?
そんなことされると思わなかったとか?
どう思われても、自業自得。
安澄が悩んでたことさえ気付かなかったんだから。
はぁ、とため息をついた俺の気の緩みを狙ってエロオヤジが楽しそうに口を開いた。
「泗水、」
「……はい」
もう、返事をする気力もなくなってたのに。
トドメの一撃が。
「キス、うまいらしいね」
グッと喉がつまって。
吹き出しはしなかったものの思いきりむせてしまった。
ゲホゲホと咳き込む俺の背中をトントン叩きながら、エロオヤジはこの上なく楽しそうに笑っていた。
「……安澄、そんな……こと…??」
言うはずないだろ?
「言ってたよ。ドキドキして眠れなくなったって」
それはキスの上手いヘタとは関係ない。
安澄には刺激が強過ぎただけだ。
まだ咳が止まらなくて、次の言葉を聞く準備ができてないっていうのに。
エロオヤジがまた口を開いた。
「それから、」
思いっきり身構えたけど。
向けられたのは意外と真面目な表情だった。
「『少し淋しかった』って」
それもかなり予想外の言葉で。
「へ?」
脳がついていけなかった。
「泗水、ちゃんと説明してやらなかったんだね」
何の?
「キスした理由」
「理由なんて……」
説明するか、普通?
「安澄君ね、泗水が仕方なさそうに練習に付き合ってくれたって言ってたよ」
「え?」
仕方なさそう?
絶対、そんなシチュエーションじゃなかったと思うのに。
「練習終わりって、言ったんだって?」
確かにそう言ったよ。
けど。
「安澄くんはね、恋愛感情と友情の区別はついてなくても、自分が泗水を好きかどうかくらいは分かってるんじゃないかな」
それは俺だって分かってる。
安澄が。
俺のこと、中谷さんよりも好きかもしれないって。
そう言ってたから。
「だからね、泗水。あんまり深く考えずに言ってみてもいいんじゃないのかな?」

好きだ……って?
安澄が好きだから、キスしたんだって……?

ちょっと考えて見たけど、やっぱりダメそうな気がした。
だって、安澄の「好き」は絶対に恋愛感情なんかじゃない。
それに。
「なんで、副理事長がそんなこと……」
下心全開だったくせに。
今さら俺に手を貸すようなことをするか?
「んー、そうだな。『今日の泗水が意外と可愛かったから』って感じかな」
そんな言葉とともにニヤニヤ笑われて。
どうやらからかわれてるらしいってことは分かった。
なんだよ。
せっかく感謝する気になってたのに。
「それに、泗水になら安澄くんをあげてもいいかなって思ってね」
コイツの考えなんて俺には読めない。
っていうか、安澄はオマエのものなのか?
「副理事長、あの、」
それでも礼を言おうと思った時。
またしても例のニッカリ笑いが飛んできた。
「……で、安澄くんがもうちょっと大人になったらいただこうかと」
感謝の気持ちなど一気にぶっ飛んだ。
そのあとで、「冗談だよ」というフォローがあったけれど。
「教師って聖職ですよね」
「そう。教え子の幸せを常に一番に考えてるよ」
だったら、冗談でもそういうことは言わないよな?
「こういうのも楽しくていいなぁと思ってね」
やっぱりただのエロオヤジだ。
俺らで遊びやがって。
何よりも心の底から楽しそうなのが気に障る。
「それに、安澄くんは泗水の髪の毛の先端まで大好きだからね」
だったらなんだ。
「たとえ僕でもそれ以上になるのは難しいかなってね。そう思わない?」
俺は返事ができなかった。
そういう意味で俺を好きだとはとても思えなかったからだ。
いつも無邪気で。
恋愛感情なんてちっとも分かってなくて。
「泗水って案外鈍い?」
否定はしないけど。
「それに、意外と根性がない」
それもそうかもしれないって思うけど。
振られて今までの関係が壊れることより、安澄を傷つけることのほうが恐い。
男の俺に好きだって言われて、どう思うかなんて考えたくもなかった。
「……安澄が大事なんです」
エロオヤジはふふんと笑ったけど。
その後、「若いっていいね」と言いながらアイスコーヒーを注ぎ足した。




Home     □ Novels       << Back  ◇  Next >>