フツウの恋愛
-3-



卓巳くんは打たれ強い。
つくづくそう思ったのは俺が口を利かなくなってから4日目。
「ガ〜クちゃん」
いきなり俺の部屋に入ってきて、俺を羽交い締めにし、いつものようにズルズルと引っ張ってリビングに連れていった。
「ビデオ借りてきた。一緒に見よ?」
「またエロビなんだろー?」
あ……口、利いちゃった。
卓巳くんは、そういうときに素直に思いっきり嬉しい顔をする。
そうすると俺も口を利かなかったことを申し訳なく思ってしまうのだ。
でも、今回の笑顔の理由はちょっと違った。
「そうだよ。今日のは増田のオススメ」
……え?
嫌な予感。
始まったビデオはいきなり野郎が二人。
大当たりだった。
「ちょっと、卓巳くん?? 俺、そーゆーのは……」
初心者向けっぽいソフトなヤツだったけど……それにしても男同士だもんなぁ……。
「大丈夫、見てなくてもいいから」
言うなり俺を押し倒した。
「もう、俺、ガクちゃんとしてる夢ばっか見ちゃって、おかしくなりそうだから、ちょっとだけ付き合って。ね?」
「ダメ、卓巳くんってばっ……」
でも、卓巳くんにされるのがものすごく気持ちイイってことを知ってしまった後だ。
俺の抵抗はイマイチ弱い。
結局、卓巳くんの誘導にのせられてしまった。
「ずるいよ、卓巳くん。俺だってオトコなんだから、触られれば反応しちゃうよ」
「ごめんね、ガクちゃん」
かわいく謝るのだけは得意なんだから。
でも、手は止まらない。
「待って、卓巳くんってば……あっ、うっ」
もう平常心で会話なんてできなかった。
「ダメ、卓巳くんっ……ダメっ」
「……ガクちゃん……そんな声出したら、俺」
「あ、あ……あっ!!」
無意識のうちに卓巳くんにしがみついていた。
だくみクンはギュッと片手で俺を抱きしめて唇を塞いだ。
片手はちゃんと動いて俺を追い上げた。
二人の腹の間に二人分の液体が飛び散った。
「ガクちゃん、大丈夫?」
「……あんまり……」
大丈夫じゃない理由は自己嫌悪なのだ。
身体がどうとか、良くなかったとかそういうことではない。
決して。

恋愛感情じゃない。
なのに、こんなことしちゃいけない。

「ガクちゃん」
卓巳くんが心配そうに顔を覗きこむ。
「……卓巳くん、ダメだよ。こういうの」
卓巳くんには俺の苦悩はわからない。
「わかった。週に1回だけにするから。ね? ね?」
打たれ強いとか、そういうことじゃないのかもしれない。
「卓巳くんってそんなのばっか……」
「これでもガマンしてるのに。最後までしてって言ってないじゃない?」
「そうだけどさぁ……」
こうやってまた流されていく自分にまた嫌悪感。
せめて卓巳くんをスキでスキでどうしようもないのなら、男同士でも割りきれるかもしれないけど。
でも、そうじゃない。
俺の気持ちは今までと何も変わらない。
卓巳くんは卓巳くんなのだ。
それを確かめたあと、無言のまま深い溜息をつくと、卓巳くんが俺の顔を覗きこんだ。
「ね、ガクちゃん」
「……何?」
「怒ったなら、そう言って。ナンの説明もしないで口利かないのナシだよ?」
悲しそうな顔だった。
気にしてないのかと思っていたのに。
俺は卓巳くんの言う通り冷たいのかもしれない。
「……卓巳くんに怒ってるわけじゃないよ」
自分の方がよっぽど無神経かもしれないと思わないわけじゃない。
でも。
「じゃあ、何でそんな顔してるの?」
「こんなこと、しちゃいけないだろ?」
「どうして? 俺のこと、好きじゃないから?」
はっきりとした理由なんてなかった。
ダメなものは、ダメなんだよ。
「……好きだけど、恋愛感情じゃないから」
「ガクちゃん、他に好きな人がいる?」
「いないけど」
そうじゃなくって、ダメなんだって……
視線を上げると、目の前に卓巳くんの顔があった。
卓巳くんは、ぜんぜん笑っていなかった。ものすごく真剣な顔で俺を見つめている。
「ガクちゃん」
「……な、何?」
俺はちょっと怯んだ。
卓巳くんは滅多にまじめな顔なんてしないのに。
「いいよ。恋愛感情じゃなくても」
そのまま俺の頬に手を当てた。
キスされるのかと思って後ろに引いた。
けど、違った。
「ガクちゃんに彼氏がいても彼女がいても、俺とこうしてくれるなら、なんでもいいよ。そばにいたい。一番近くにいたい」
一気にそう言ってから、そっと俺を抱き締めた。
自己嫌悪がますます募る。
「……恋愛感情じゃないって言われてるのに、普通はそこまで言わないよ」
気持ちいいっていうだけで、こういうことだけ受け入れて。
卓巳くんの気持ちは真正面から拒否してるくせに。
「だってほかに好きな人いないんでしょ? 俺のこと、好きでしょ?」
「……うん」
卓巳くんがそっと俺の髪を撫でる。
昔からぜんぜん変わらない優しい仕草で。
「……ごめんね」
なんて言っていいのか分からずに謝っていた。
「なんで謝るの?」
「だって……」
なんだか泣きそうになっていた俺の顔を見ながら、卓巳くんが笑った。
「ガクちゃんは『気持ちよければいい』って思わないんだね」
卓巳くんの長い指が俺の髪を梳いた。
「ガクちゃんのそういう所が好きだよ」
にっこりと微笑む卓巳くんがそっと差し出した手に身体を預けた。
ダメだと思いながらも、卓巳くんに抱き寄せられた。
髪を梳く手が心地よくて、そっと頬に触れる唇が気持ちよくて……
「ガクちゃん」
卓巳くんには彼氏がいるのにとか、自分は恋愛感情なんてないのにとか、
いろんなことが引っかかっていたけれど、それには気づかない振りをして目を閉じた。
「大好きだよ」

俺は何も答えられなかった。
誰かにこんなに真剣に好きだと言われたことは一度もなかった。
好きだと言ったこともなかったかもしれない。
“もっとまともな恋愛しなよ”
そう言ったのは俺なのに。

―――……まともな恋愛って、なんだろう



その後、卓巳くんは増田さんからビデオを借りてくることもなく、「エッチしよう」なんてことも言わなかった。
あのままどんどん先に行く展開になったらどうしようかと本気であせっていたから、ものすごくホッとした。
不意に抱きついたり、おやすみのキスくらいはしたけど、そんなのもう慣れっこだったから、別にどうでもよかった。
平穏無事な日々が流れた。



『大事なテストだからしっかり勉強しておけよ』
先週、教授にそう脅されていたのに、すっかり忘れて遊び呆けてしまった。
昨日の夜になって突然思い出して、焦りまくりながら徹夜で暗記した。
その勢いで勇んで出かけたのに、教授がカゼで休講になった。
「……まあ、いいか。帰って寝ようっと」
なんとなくダルかったから、部屋にこもって寝ることにした。
卓巳くんは大学に行っていた。
静まり返った部屋。
風邪薬を飲んだ後、俺はすぐに眠ってしまった。

『……う、あっ……』
ドア越しにくぐもった喘ぎ声が聞こえて俺は目を覚ました。
カーテンの隙間から射し込む光で夕方だということがわかった。
また、卓巳くんがビデオでも見てるのだろうと思って、そっとドアを開けた。
テレビはついていなかった。
ピッタリとカーテンの閉められた部屋に、増田さんと卓巳くんがいた。
その……最中だった。
ソファで絡み合う体を見て、カッと血が昇った。

ぼんやりと思い出したのは朝の会話。
卓巳くんに聞かれたのだ。
『ガクちゃん、今日、何時に帰る?』
テストの後、レポートの資料を揃えるために図書館へ行くはずだった。
『そのまま学食で夕飯を済ませてくるから7時過ぎかなぁ』
けど、教授が休みで課題のレポートもなくなった。

「卓巳、力抜いて」
「……孝治……もっと、奥……んっ、」
増田さんの上で身体を仰け反らせている卓巳くんが目に入った時、急に息苦しさに襲われた。
バクバクと鳴り響く心臓を押さえながら、自分の部屋に戻った。
そっとベッドに入って、上気した卓巳くんの頬とクチュクチュという濡れた音を思い出しながら、一人で熱を吐き出した。
俺と一緒の時の、ふざけた卓巳くんとはぜんぜん違う。
あんなに色っぽい顔をしてるのを見たことがなかった。
気持ち良さそうに白いのどを晒して、腰を動かして、喘いで……
なんだか酷くグッタリとしてしまって、俺は素っ裸のまま、また眠ってしまった。

卓巳くんを犯している夢を見た。
結局、俺も卓巳くんとしたいだけなんじゃないだろうか。
恋愛感情なんてなくても、抱ければいいんだろうか……?
本当に?
そうだろうか?
増田さんの顔が憎らしいくらいはっきりと浮かんできた。

たぶん、嫉妬だった。


「……ちゃん、ガクちゃん」
「……卓巳くん……?」
目が覚めた時、卓巳くんの心配そうな顔が目の前にあった。
すっかり夜になっていた。
「大丈夫? ずっとうなされてたよ。ちょっと熱あるみたいだけどカゼかな」
うなされていたのは夢のせいだ。
増田さんが卓巳くんを連れていってしまう夢。
夢で良かったと思いながら、起き上がろうとしてハッとした。
素っ裸だったっけ……
しかも、ティッシュがシーツの下に丸まっている。
「なんか、ダルくて……」
確かにカゼっぽいとは思うけど、これは言い訳だった。
なんで裸なの、と思われたくないし。
「今、お粥炊いてるから、もうちょっと待ってて。のど乾かない?」
「ちょっと乾いた」
卓巳くんがキッチンへ行った隙に慌ててパジャマのズボンだけをはいた。
布団から肩が出てたから、上は何も着ていないのバレバレだし。
急いでティッシュを捨てて、ベッドに潜る。
ペットボトルとグラスを持って卓巳くんが戻ってきた。
「はい」
差し出されたスポーツドリンクは大きなグラスに入れられ、ストローが付いていた。
「子供の頃、思い出すね」
卓巳くんが目を細めて笑った。

学校から熱を出して帰ってきても、俺の家には誰もいなかった。
いつも卓巳くんの家でうんうん言いながら寝ていた。
おばさんがいても、卓巳くんは自分が世話をするからと言って聞かなかった。
「ガクちゃんと結婚したらぜんぶ自分がやるんだから、今から練習しておく」
そう言って。
優しいおばさんは「ごめんなさいね」と困ったように笑いながら、俺に謝っていた。
あの頃と同じ。

「……卓巳くん、」
「なに?」
「増田さんのこと、好き?」
我ながらバカなことを聞いてるなと思った。
けど、聞かずにはいられなかった。
嫉妬なんて、しても仕方ないのに……
「やだな、聞こえちゃったんだ?」
「……うん」
「帰ってきた時、ガクちゃんが寝てるのを確かめたのに」
卓巳くんは笑って言った。
俺はちょっとムッとした。
好きな相手にあんなところを見られて、笑っていられるものだろうか?
卓巳くんはそんな俺の気持ちが分かったみたいで、宥めるように優しい口調で質問に答えた。
「……増田のこと、好きだよ。いいヤツだし。けど、それだけ」
「でも、するんだ?」
俺、卓巳くんを責めてる。
そんな資格なんてないのに。
「しとかないと、俺、ガクちゃんのこと襲っちゃいそうだから」
「俺のせいなの?」
なんだかわからないけど、無性に腹が立った。
「違うよ。俺がだらしないから。……ごめんね。変な言い方して」
気まずい空気が流れた時、炊飯器がピーピーと鳴って、お粥ができ上がったことを知らせた。
「食べられる?」
「うん」
「梅干とフリカケいっぱい買ってきたから」
「うん」
卓巳くんは変わらない。
ずっとこんなだった。
他の人とあんなことするって、言葉ではわかっていたけれど、俺は受け入れられなかった。

他の人と……ってことが、どうしても受け入れられなかった。


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