理想の子猫
<その後>

-2-



頭が痛い。腕が動かない。

―――助けて……臣……

この間のことは後でちゃんと「ごめん」って言うから。
だから、ずっとそばにいてよ――――




「……ぅん……」
そのまま死ぬんじゃないかと思ってたけど、俺はちゃんと目を覚ました。
「……けど、なんか、すごいことになってるっぽい……」
腕と頭と足に包帯やガーゼ。
身体にも。たぶん。
「もう、暢気なこと言ってる場合じゃないでしょう?」
ずっと付き添っていてくれた母さんが説明してくれたところによると、おでこに小さな傷。その他の箇所には擦り傷と切り傷と打撲が数知れず。
「落ちたのがゴミ袋の上じゃなかったら死んでいたかもって言われて……」
母さんもそれ以上は言葉が詰まってしゃべることができなかった。
生きててよかったって俺も思ったけど。
「……あのさ……臣は?」
ちゃんと会社に行ったんだろうか。
もう心配してないだろうか。
叫んでいた声がまだ耳に残っていて、思い出したらこっちが心配になった。
でも。
「そうね、呼んでこなくちゃ」
今日はもちろん平日で。
しかも、まだ昼間なのに。
「……来てるの?」
「朝からずっとついててくれたのよ。今は外で休んでるけど……呼んでくるから待っててね」
自分が熱を出しても会社だけは休んだことがなかったのに。
「……っていうか、バカだよな」
実際そうなんだけど。
それでも、顔を見たらきっと泣いてしまうだろうって思った。

なのに。
「紀和、ホントに心配したんだぞ」
部屋に入ってきた臣の方がすっかり涙目で。だから、こっちはなんだかタイミングを逃してしまった。
いい年して泣くなよなって気持ちと、そんなに心配しなくてもいいのにって気持ちが半々で。
だから本当はちゃんと「ありがとう」って言うつもりだった。
なのに、口から出てくるのはいつもと同じ可愛げのない言葉ばっかり。
「……わかってるよ。臣の声、すっごいうるさかったから」
そう言いながらも、臣が必死で俺の名前を呼んでるのを思い出したら少しだけ涙が出た。
だから、小さな声で「ありがとう」と「ごめんね」を言ったけど、ぐずぐず泣いている臣に聞こえたかどうかは分からなかった。


その後、母さんが父さんに電話をかけに行って、病室は俺と臣の二人だけになって。
そしたら、なんだか急に照れ臭くなった。
「っていうか、会社どうしたんだよ?」
そう言われた臣は、ニッカリ笑って壁を見ながらポリポリ頭を掻いた。
「ん、昨日から休みだ。ばーちゃんが死んだことになってる」
「そんなことしていいのかよ?」
臣のおばーちゃん、アパートから徒歩十分のところに住んでるのに、それを知ったらなんて言うか……。
これじゃ俺の方が罪悪感を持ってしまう。
だから、今からでも会社に行けよって言ってみたんだけど。
「いいんだよ。せっかく休んだんだから」
こんな時でもなければ休めないからなって言いながら、臣は楽しそうに俺の髪や頬をいじりはじめた。
それがあまりにも『子猫ちゃん好き好きモード』で。
「臣……あのさ」
誰かに見られたらどうしようって思ったその時、本当に看護師さんが入ってきてしまった。
しかも、臣の視界に彼女は映っていないらしく、延々と俺の髪をなで続けている。
「恥ずかしいからやめろよ」
小さな声で言ってみても臣の手は止まらない。
気付かないフリも白々しいと思ったのか、看護師さんはニコニコしていて。
それを見てもっと恥ずかしくなって、怪我をしてない方の手で臣の手を無理やり剥がした。
「何考えてるんだよ、まったく」
それでも臣はぜんぜん悪いとも思ってないみたいで、二人きりの時と同じように俺をベタベタ触りながら、この世の終わりみたいな顔で言った。
「紀和、おでこに傷ついちゃったな」
たかが数センチ。ぜんぜん絶望的な怪我じゃない。
なのにこの大げさな反応はどうなんだろう。
「大丈夫ですよ、そんなに強くは打ってないですからね。脳にも異常はないですし」
看護師さんだってそう言ってたのに。
「紀和の可愛い顔に傷なんて……」
そんなことばっかり何度も何度も言いながら、また少し涙ぐむから。
「臣、もう止めろよ」
本当に恥ずかしくて看護師さんの顔なんてまともに見られなかった。
「そんなに心配しなくても傷は生え際だし、もう少ししたら目立たなくなりますからね」
大丈夫ですよ、なんて、ものすごく天使の微笑みで説明する。
病院はいろんな人が来るから慣れているのかもしれないけど、それにしても看護師さんは偉いと思った。
「じゃあ、体温測りますからね」
それだって「ちょっと離れてくださいね」って意味だったと思うけど、臣はぜんぜん気付いてなかった。
「臣、どうでもいいから、終わるまで外に出てろよ」
慌てて追い払う間も看護師さんはニコニコしたまま待っていてくれた。
本当は「この忙しいのにいい加減にしやがれ」って気分だと思うけど。
「すぐに済みますからね」
臣にも聞こえるようにそう言ってくれて、終わったらすぐに呼び戻してくれた。
……っていうか、放っておいても勝手に戻ってきたと思うんだけど。


とにかく、そんな流れで。
担当じゃない看護師さんにまで「優しい彼ね」なんて言われるようになってしまって、居心地最悪。
「違いますって」
臣があまりにもベタベタしすぎるから「彼」なんて言われてしまうんだって思っていたのに。
「え、そうなの? 自分で『彼氏でーす』って言ってたのよ?」
それを聞いて心の底から呆れ果ててしまった。
「でも、毎日来てくれるなんて優しいじゃない?」
怒り爆発寸前の俺を宥める看護師さんのフォローがうまくて、だから、俺もちょっとだけ「そうかもな」って思った。
確かに臣はこの三日間欠かさず見舞いにきて、面会時間ギリギリまで残って話し相手をしてくれる。
看護師さんにも何度も「紀和のこと、お願いします」なんて言って、すっかり保護者気取りで。
まあ、それも別に嫌なわけじゃなくて、どっちかって言ったら嬉しい気もするんだけど。
「でも、普通はそういうのって隠すもんだよな」
そういうところが、臣はヘンタイサラリーマンなんだと思う。
「もっと喜んであげたら? だって、紀和君のこと、『可愛くて仕方ないんです』っていっつも言ってるのよ」
「えっ」
今更言っても治らないのは分かってるんだけど。
……それはちょっと重症なんじゃないか。


そんなこんなで、まだ三日目なのにもう臣は病院の中ではすっかり俺の『彼氏』として認知されていた。
もちろんみんなは冗談だと思って楽しんでるだけなんだろうけど。
噂話は歩行練習を兼ねて院内を散歩している俺の耳にも入ってきた。
「ここに来る時はキリッとしててまあまあ格好いいのに、あの子の前にいくとデレデレなのよね」
どれもそんな微妙な噂なんだけど。
でも、誰かに「カッコいい」って言われるのはやっぱり少し嬉しくて。
早く話してあげようって思って病室に戻ってみたら。
「あの子、可愛いよなぁ」
臣は子供番組を見ながらニヤけてた。
視線の先はどう見ても小学生の男の子。
「……そう言えば、臣が俺を可愛がってたのってちょうどアレくらいの頃だったよね」
ふて腐れモードで呟いたら、臣は少しだけ笑って。
「拗ねるなよ。紀和は今の方がずっと可愛いって」
そんなことを言ってムギュッと抱きしめるんだけど。
「臣がそういうこと言うからさ、看護師さんが……」
気になって振り返ったら、ドアのところに薄いピンクの服がチラッと覗いてた。
どう見ても、臣がベッタリしてるので遠慮して病室に入ってこられないって感じで。
でも、やっぱり臣は気付いてなくて。
ベッドに座った俺の顔に頬を当ててすりすりしてた。
「相変わらず柔らかいなぁ、紀和は」
「……ヘンタイ」
看護師さんが困ってるだろ、って言おうとしたら――……もう、いなくなってた。
そりゃあ、こんなことしてたら入ってこれないよな。
あの位置からじゃキスしてるように見えても不思議じゃないし。
今頃、ナースセンターで噂になってるかもしれない。
「だからって、わざわざ『あれは違うんです』って弁解するのも変だよなぁ」
なんで入院してまで、こんなことに悩まされるんだろう。
それもこれも全部臣のせいだ。
「もう、いいから、看護師さんが来る前にちょっと離れろよ」
「まだ来ないよ」
「だって巡回の時間だよ」
うだうだ文句を言って、その間に何回もキスされて。
ちょうど臣が落ち着いた頃、看護師さんが来た。
臣は「よろしくお願いします」って言い残して花瓶の水を替えにいこうとして。
でも、彼女がカルテみたいなのを見ている間に俺の頬に「ちゅ」っとキスして出て言った。
看護師さんは最後まで何も言わなかったけど。
……でも、絶対に気付いてたに違いない。


「もう、なんだかなぁ……」
さすがに家族の前では「近所のお兄さん」らしく振舞ってくれていたけど、病院中がそんな扱いなのにバレないはずもなく。
母さんが来て、不意にそれについて聞いた時だけはさすがに困った。
「看護婦さん、臣くんのこと紀和の彼っていうのね。『彼』っていうのは『恋人』っていう意味じゃないのかしら?」
……その通りなんだけど。
「えっと、それはさ、臣が看護師さんに『彼氏で〜す』って言ったかららしくて……もちろん冗談だけど」
嘘はついてない。
臣がどこまで冗談のつもりなのかは不明だけど。
とにかく母さんはそんなどうしようもない説明にケラケラと笑って。
「あら、臣くんらしいわねぇ」
そんな無責任な一言で全てを片付けた。
うちの親は楽天家だ。
息子がゲイで、近所のお兄さんと付き合ってるかもしれないなんて少しも思ったりはしないんだろう。
事実がバレた時のことを思うと今から頭が痛い。
「あー、もう早く退院したい」
大きな声でひとりごとを言い続けたせいか、俺は予定より早く家に帰れることになった。



そして、退院の日。
俺を迎えにきたのはやっぱり臣だった。
父さんも母さんも仕事でどうしても休めないからと、臣の申し出に甘えたらしい。
けど、その日も平日。
そして、臣の会社は週休二日、休みは土日祝日のみのはずなのに。
「臣、仕事休みなの?」
「休みだよ。……世間的には『ズル休み』とも言うけど」
やっぱりそんな返事だった。
「臣、いつかクビになるよ」
「大丈夫だよ。今年初めての有給だし」
その言い訳に納得しかけたけど。
「……この前も休んでなかったっけ?」
「あれは慶弔休暇」
「なんか違うわけ?」
「表向きはちょっとだけ違うけど、まあ、休みは休みだから」
臣はお気楽サラリーマンだから、細かいことはどうでもいいらしかった。
「じゃ、帰るか」
その時、やっぱり「ちゅ」とキスされて。
「臣、やめろって。ホントに怒るからな」
ガシガシ蹴りを入れながら、微笑む看護師さんに見送られて病室を後にした。
「……お世話になりました」
こうして俺の入院生活はわりと短く終わったのだった。



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