理想の子猫
<その後>

-3-



それからは、またごく普通の日々。
ケガがすっかり治ってからも相変わらず外でデートなんてしなかったけど、それについて思いきり拗ねたりすることもなくなった。
あの日、事故に遭って、毎日うっとうしいくらいに世話を焼く臣を見て。
昔と同じくらい、ううん、もしかしたらそれよりもずっとたくさん、俺のことを好きでいてくれてるんだって分かったせいなのかもしれない。
俺はもうすっかり大きくなってしまったけど、本当はそんなの全然大丈夫なんだって。
もう、わがままを叶えてもらうことで臣の愛情を確かめる必要はないんだって、そう思えたから。


「紀和〜」
ついでに、臣のバカなリクエストに対して文句を言うことも減った。
呼びつけられても素直にソファに向かう俺は意外いいヤツなんじゃないかと自分でも思う。
でも。
「はい、ここに座ってすりすりして」
黙っていると臣のリクエストはどんどんエスカレートするばっかりだから、たまには少しだけ文句を言っておく。
「やだよ。臣、さわり心地悪い」
「大丈夫、ほらスベスベだろ?」
会社から帰ってきてまた念入りにひげを剃り直すほど臣はこれが大好きだった。
こういうところがヘンタイなんだと思うけど。
「仕方ないなぁ……」
いつもと同じ。一回だけすりっとしてあげる。
けど。
「それだけ? もっとしてよ」
当たり前のように催促されて、俺の眉間にもだんだんシワが寄る。
「臣って俺がちょっと大人しくしてるとすぐに調子に乗るんだよな」
やだよ、ともう一回言ったけど。
「じゃあ、ちょっとだけあっちを向いてて」
臣はそう言うが早いか俺の顔をガシッと掴んで、おもむろにスリスリしてきた。
確かに頬はスベスベだったけど。
「やだっ」
「なんで? 痛くないだろ?」
「痛くなくても無理やりはヤダ」
子猫じゃないんだから。
それにもう子供でもないんだから。
「ちゃんとコイビトの扱いしろよ」
そう言ったら、やっと。
「そっか」
にっこり笑って俺をそっと抱き締めた。
「ごめんな。でも、紀和のことが可愛くて仕方ないんだ」
こんな赤面ものの返事と、それから、ちゅっと軽くキスをして。
客観的に見たら、バカそのものなんだけど。
それだってやっぱり嬉しくないわけじゃないから、恥ずかしいこと言うなよって思いながらも許してしまう。
ついでに、本当は臣の膝の上に乗せられるのが不満なわけじゃなくて、子供の頃と違ってそこから思いっきりはみ出してしまう自分が嫌なだけなのかもしれないと思ったりしてしまう。
「臣、ごめん」
「何が?」
「なんか……いろいろ」
もちろん俺が何を言いたいのかなんて全然わかってなかったけど。
「いいよ。ちゃんとここにいてくれるんだから。それに――」
紀和がすることだったら、俺は何でも許すよ……って。
そんなことを言って少し照れくさそうに笑った。

子供の頃からずっと臣はこんなふうで。
多分、誰よりも俺に甘かった。
そんなことにも不意に気付いてしまうようになったこの頃。
「紀和、顔、赤いよ」
「……臣が変なこと言うから」
すうっと息を吸い込むと、ほわほわした太陽の匂いのする部屋で。
膝の上にあげられて。
何度も髪を撫でられて。
いろんな話をした。
子供の頃のこと、最近のこと。
それから、臣がこの間までずっと悩んでたってことも。
「紀和が子供の間は、『こんなに小さいんだから可愛くて当たり前だ』って思おうとしてた。……でもな」
中学になって、高校になって。
そんなに大きくなってもまだ可愛くて仕方なくて。
「だから、紀和を困らせないうちに早く離れないと……って、思ったんだ」
そう言った時の申し訳なさそうな顔に胸がキュッとつまった。
「そんなの、俺と遊んでくれなくなった理由にならないよ」
「そうなんだけどな」
「そうやって遊び相手をしなくなったら、俺がもう来なくなるって思ったのかよ」
「うん」
でも、本当は他の誰かの所になんて行って欲しくなかったんだけど……って、真面目な顔でそんなことを言うから。
「俺、あの時、臣は大きくなった俺のことなんてもうキライになったんだって、本気で悩んでたんだからな」
思い出すと、またちょっとムッとしてしまうんだけど。
でも、臣は本当に嬉しそうに笑ってから、俺をギュッと抱きしめて、
「ごめんな」
いつになく優しい声でそう言った。
抱きしめ返すために腕を回した臣の背中は大きくて温かくて。
だから。
「……いいよ、もう、そんな前のこと」
明日も明後日もその次もその次も。
ずっとこうしていられたらいいのにって思った。


部屋はさっきよりもまた少し暖かくなって、いつもなら眠くなりそうなくらい休日モードの空気だったけど。
臣が身体に回した手をぜんぜん緩めてくれないから、ドキドキしてそれどころじゃなかった。
「あのさ……」
そんなに強く抱きしめられていたわけじゃないのに、なぜか変に息苦しくて。
だから、そっと臣の身体を押し戻した。
臣の腕はほんの少しゆるくなったけど、やっぱり離してはくれなくて。
その代わりに、
「傷、やっぱり残りそうだな」
溜め息交じりの声と一緒に、指先でそっと俺の前髪を上げた。
おでこについたほんの数センチの切り傷。
普段は前髪で少しも見えないのに、臣だけはすごく気にしてた。
「あの日、ケンカしなければ紀和だって事故になんか遭わなかったかもしれないのに」
そんなの絶対臣のせいじゃないのに。
臣ははあっと深いため息をついた。
「こんなのぜんぜん平気だよ。つまんないことで落ち込むなよ」
本当に大丈夫なんだから、って何度言っても臣は「ごめん」って言うばかり。
「もう、気にするのやめろってば。臣にそんな顔されるほうが嫌だよ」
せっかく一緒にいられるんだから。
もっと楽しいことしようよ……って。
そう言って、臣の頬にちょっとだけキスしてみた。

臣はしばらく俺の顔をじっと見てたけど。
「紀和、」
突然、真面目な顔で俺の名前を呼んで。
「え……なに……?」
言葉に詰まっていたら、不意に唇が重なった。

軽いキスならいつだってしてるけど。
でも、今日は少し違う。

「……んっ、臣」
舌先が唇を割って口の中に入り込む。
そのまま舌を絡め取られて、呼吸を奪われて。
クチュッという音がやけにエッチっぽく耳の奥に響いた
それは、いつもへらへらしてる臣からは想像もできないくらい大人のキスで。
「……ん……ぅっ……臣……っ」
「嫌なら嫌って言っていいよ。俺だってちゃんと我慢できるから」
いつもは『子猫ちゃん』の話ばっかりしていて。
ぜんぜんそんな感じじゃないのに。
でも、本当は俺よりもずっと大人で。
「イヤ……じゃ、ない……けど、でも、こんな急に……ぅんっ……」
背中に回っている手も、耳をなぞる指も。
深いキスも、体の熱も。
本当はずっと我慢してたんだなって。

「―――好きだよ、紀和」

そんな言葉を聞きながら、今頃、やっとそれが分かった。



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