Maybe … "Yes"

Sweet,sweet,bitter sweet
-3-



客を見送った後で戻ってきた彼は、穏やかな笑顔で永海に挨拶してからこちらに向き直った。
「ごめん、笹原。こっちで時間を指定したくせに待たせちゃって。写真だけ先に撮りに行こうと思ってるんだけど時間大丈夫かな」
優しい声は今でもほんの少し気持ちをくすぐるけれど。
彼の隣には笑顔で見上げるツカサ君がいて。
自分の隣には少し不機嫌になった永海がいて。
それぞれに違う時間が流れていることもわかっている。
「……今日はもう他の予定はありませんから」
少しだけ微笑んでそう返した時、また彼にクスッと笑われた。
「本当に相変わらずなんだな、笹原。もっと普通に話していいのに」
そんな言葉と優しい笑顔を残して車のキーを取りにいった彼の後をツカサ君が楽しそうに追いかける。
優しい眼差しでときどき振り返る彼と、そのたびに笑顔を返すツカサ君。
二人を眺めていたら、永海が唐突に笑い出した。
「笹原ってモトカレにもそんな話し方なのかよ? ずいぶん他人行儀なんだな」
「だったら何だよ」
それのどこが笑うほど楽しいのかと、少しムッとしたけれど。
「っていうか……なんか安心した」
ソファに踏ん反り返ったままの姿勢で。
「俺にだけかと思ってたからさ」
本当に嬉しそうに告げられて、不意に胸が苦しくなった。





車を飛ばして着いたのは日の暮れかかった高台の図書館。
隣接した公園から子供たちがバラバラと帰り始めたところだった。
「ここはどうですか?」
永海が彼に依頼された写真は夕日と街並み。
少しノスタルジックなイメージでというのが先方の希望だった。
彼の言葉など聞いているのかいなのか、永海は街を見下ろせる場所に立つとおもむろに深呼吸をした。
「気持ちいいなぁ。笹原も来いよ」
振り返った笑顔に悪気など微塵も感じられなかったけれど。
「深呼吸も結構ですが、仕事優先でお願いします。永海先生」
厭味のつもりだったが、永海はやはりさらりと聞き流した。
「笹原んち、実家の近くに公園あった? 俺、こういう『おうちへ帰ろう』な雰囲気って結構好きなんだよな」
まったくもっていつものプライベートモード。
「永海、真面目にやれよ」
いよいよ本気で怒らなければ駄目かもしれないと思ったが、永海は意外とあっさりカメラの準備をはじめた。
そして、ある程度整うと、少し離れて立っている彼とツカサ君を振り返った。
「適当に撮りますから、仁科さんと彼氏くんは車で待ってもらってもいいですよ。もちろん笹原は俺の手伝いで居残りだけど」
「いいよな?」という視線に含みを感じたが、頷かなければ仕事はしない。
そういうところは本当に我がまま放題だ。
「……かしこまりました。何からお手伝いすればよろしいですか?」
他人行儀と慇懃無礼を足して2で割ったような態度で問い返したら、永海はやはり不機嫌になった。
「仕事中かもしれないけどな、俺には普通に話せよ」
思いきりムッとした永海の声が響いて嫌なムードが流れたけれど。
「いいなぁ。僕も幹彦さんと一緒に仕事ができるようになりたいなぁ」
本当に羨ましそうなツカサ君の声が聞こえて、思わず永海を顔を見合わせてしまった。
「ツカサはまず大学に行かないとな。宿題持ってきたか?」
まるっきり保護者のように微笑みかける彼と、そんな彼を見上げるツカサ君の少し尖った口。
子ども扱いが気に入らなかったのだろうけれど、そんな仕草も本当に愛らしかった。
「おーお、ガキは可愛いねえ。宿題だってさ。笹原のモトカレも恋人っつーよりはパパ気分だな」
いつのまにかファインダーを覗いていた永海もいつになくほのぼのと笑い転げていた。
「……年、12も違うらしいから……」

本当は年齢のせいなんかじゃない。
自分だって、あの子のように振舞うことができるのなら。
永海にもきっと迷うことなく『Yes』を言っただろう。

そんなことを考え始めて、また溜め息を飲み込むと、永海の指先がそっと書類を持つ手に触れた。
「――ま、俺らはチャッチャと仕事を済ませないと。笹原のモトカレの事務所の将来がかかってるんだから、ボーッとしてないでよろしくな」
そう言うと笑顔のまま機材の入ったバッグを差し出た。
「……わかってる」
見た目よりも重いそれを受け取って頷くと、永海はもう一度笑ってからしっかりとカメラを構えた。

いつになく真剣な永海の横顔。
シャッターを切る音が心地よく耳に響く。
一秒ごとに暮れていく街並みは確かにノスタルジックで、不思議なほど美しかった。

「笹原」
見とれていたら、不意に呼ばれて。
「なんだよ」
ドキッとしながら無愛想な返事をしたけど、永海はそれに突っかかることもなく、真面目な顔で言葉を続けた。
「―――今、笹原が見てる風景、よく覚えておけよ」
そう言われたけれど。
意図が分からなくて眉を寄せた。
ファインダーを覗いている永海にはこちらの表情など見えていないはずなのに、まるで全部分かっているかのように言葉を足した。
「後で俺が撮った写真と比べて感想聞かせて」

モデルを頼まれるのと同じくらいに苦手なこと。
感想など求められても、気の利いた表現など思いつかない。
何度そう言って断っても、永海は「なんでもいいから、笹原からの言葉が欲しい」と言うだけ。
綺麗だとか、いい写真だとか。
どんなに感動してもそんな月並みな返事しかできないのに……―――

自己嫌悪がため息に摩り替わる直前、
「笹原」
永海はファインダーを覗いたまま一瞬だけ手を止めた。
「……なんだよ」
刻々と暮れていく空の中、
「―――そろそろ本気で答えてくれよ」
カメラから目を離さずにポツリとつぶやいた言葉が、写真のことなのか、それとも自分たちの関係についてなのかは分からなかった。


数十回シャッターを切った後、永海はカメラを変えた。
ふと振り返ってみると、彼とツカサ君が少し離れたところで楽しそうに話をしていた。
見下ろす家々も次第に影になり、やがてポツポツと明かりが灯り始める。
「わあ、キレイ。ね、見て、幹彦さん」
はしゃぎながら彼の隣に立ち、ギュッと腕にしがみつく。
その瞳は綺麗と言っていた夕方の情景などすっかり忘れて彼の横顔だけを見つめていた。

何も隠さず、ただ真っ直ぐに向けられる。
そんな視線を彼はどんな気持ちで受け止めているのだろう。
素直に笑うことさえできない自分には、永久にあんな時間は持てないだろう。
誰と付き合っても同じようなことで言い争って、同じ場所でつまずいて……

苦い気持ちで彼らから目を逸らした時、不意に温かいものが左手を包み込んだ。
隣で写真を撮っていたはずの男は、相変わらず眼下に広がる街並みを見つめていたけれど。
「……永海……?」
いつの間にかカメラの代わりに俺の手を握っていた。
「派手じゃないけど、いい景色だよな」
遠くを見たまま柔らかく微笑んで、そっと手に力を込めた。
何一つ言葉は返せなかったけれど。
その温もりを感じながら、ただ同じ空を眺めた。




ふと我に返ったのは、しゃべり続けていたあの子の声が聞こえなくなったから。
どうしたのだろうと思って振り返ろうとしたら、永海がまたギュッと強く手を握った。
「笹原、見る相手が違うって」
少し不機嫌な表情でそう言うと、いきなり抱き寄せてそのまま唇を塞いだ。
もう日は落ちかけていて、周囲にはわずかな光があるだけだったけれど。
「……んん……っ、バカ、こんなところで……」
万一、マスコミにでも見つかったら、ただでは済まない。
そう言って咎めたら、少しだけ身体を離したけれど。
「デートの時はちゃんと自分の彼氏を見てろよ」
永海の口からは、またそんな言葉。
「……いつから彼氏になったんだよ」
言葉とは裏腹に強く握られたままの手を振り払う気になれずに立ち尽くした。
こんな投げやりな返事の後の沈黙はいつもならひどく気まずいのに、触れている手から伝わる温度がそれをなくしていた。
「……笹原、俺―――」
こちらを見つめたまま、真剣な瞳で何か言いかけた永海。
次の言葉を待っていた時、遠くから無邪気な声が響いた。
「いいなぁ……幹彦さん、僕もしたい」
反射的に振り返ったら、ツカサ君がこっちを指差していた。
困ったように微笑むあの人と目が合って、急速に頭に血が上った。
慌てて永海の手を振り払ったけれど。
「ね、幹彦さん、ダメ?」
少し拗ねたような瞳で見上げられて、あの人は苦笑いしながら、あの子の頬にそっとキスをした。
「また子ども扱いなんだから」
プイッと顔を背けるその様子が愛らしくて、そのままなんとなく目を逸らせると、また永海に抱き寄せられた。
それから、何を思ったか急にニヤリと笑って、
「俺らも負けねー」
そう言い放って、また強引に唇を合わせる。
「永……バカ、やめろって、仕事中だ、それに……」
大騒ぎしていたら、後ろからあの人の笑い声が聞こえて。
「じゃあ、俺たちは先に車に戻ってるから。写真を撮り終えたら戻ってきて」
まともに顔を見ることができなくて、ただ小さく頷いた。



その後、永海は何もなかったように夜景に変わっていく街並みを取り続けて、すっかり暗くなってからまたキスをした。
「だから、やめろって」
どんなに強く言っても笑っているだけの男に同じ言葉を繰り返す。
無駄な遣り取りだとは思うけれど、以前のような苛立ちは感じなくなっていた。
「OK、笹原。これで仕事は終わり。思ったより早く片付いたな。それに……」
案外楽しかったなと言いながら、笑ったまま車に向かった。
仕方のない奴だと思いながらもそれ以上怒る気にもなれず、黙って後から車に乗り込んだけど。
「じゃ、続きは帰ってからゆっくりしような、笹原」
わざとらしく弾んだ声で言う永海の視線の先には思い切りこちらを見ているツカサ君がいて。
案の定、すぐに彼の方を振り返ると袖を引っ張った。
「ねー、幹彦さん」
その言葉の続きを察した彼は、困ったような顔で「はいはい。後でね」と言って車を出した。



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