ロイヤルミルクティ・ブレンド

<5>



それ以来、高也の顔を思い出すと変に意識してしまって、一人で勉強をしていても気が散ることが多くなった。
「思い出さなきゃいいんだよな……」
確かにそうなんだけど。
でも、「何か大事なことがわかっていない」という自覚はあったから、常にモヤモヤした気持ちが抜けない。
なのに。
『よ。何してる?』
なぜか高也がうちにくる頻度はめっきり高くなっていた。
今日は水曜日。高也も普通に仕事があるはずなのに、インターフォンからは『遊びにきた』という声。
「友達じゃないんだから、普通に来るなよ」
ぶつくさ言いながらも玄関に向かうと高也はもうスリッパを履いて勝手に上がり込んでいた。
「トモ、一人の時は鍵かけろよ。危ないぞ」
「……忘れてたんだよ」
それ以前に、勝手に入ってくるやつなんて高也しかいないよって言おうとしたけど、文句を言うとまた強引に口を塞がれそうだから黙ってた。
「それより、高也の学校ってなんでそんなに早く終わるわけ?」
そりゃあ、もうすっかり夕方だけど。この時間じゃ普通の先生はまだ働いてるはずだ。
「俺、部活の顧問とかしてないしな」
「けど、他にもやることあるんだろ?」
俺の学校の先生だって毎日夜までずっと忙しそうだ。高也とは全然違う。
「んー、まあ、そうだけど。先生としての宿題は家で適当にやるからいいよ」
こんな返事を聞く限り、仕事はどうでもよさそうな感じだった。
「だからってさ……まだ水曜だし、高也に見てもらうような宿題もないし……」
いつもなら一緒にコーヒーくらいは飲むんだけど、今日はどうしても追い返したい理由があった。
なぜなら。
「勉強を見にきたわけじゃないって。この前の試験の結果、返ってきたんだろ?」
「うっ……」
そう。ちゃんと勉強していたにもかかわらず結果は散々で。
どうしても高也にその話はしたくなかったのだ。
「ほら、見せてみろって」
「……やだ」
「俺はトモの家庭教師なんだぞ? 勉強の成果を確認する義務があると思わないか?」
十秒以内に持ってこなかったら、もう勉強は教えてやらないからなと言われて、仕方なくソファに投げてあったカバンのショルダーを掴むとズルズルと引き摺ってきた。
「本当に嫌そうだな」
高也は笑ってたけど。
「……結果見ていきなり怒ったらダッシュで家出するからな」
前置きをしてから成績表を手渡した。
点数もさることながら順位も最悪で、真ん中よりもずっと下という目も当てられない状態。
「うわ、ひでえな」
さすがに高也も引いていた。
「そんな言い方しなくたって……」
高也の教え方は決して下手じゃない。職業=教師なんだから当たり前かもしれないけど。
なのに、ここのところ俺は絶不調で、今日の結果ももらう前から最悪ってことだけは分かってた。
「……ちょっと調子が悪かっただけだし」
机に向かってる時間が長い割に身になってないのは自分でも感じてた。
勉強しても頭に入らない。それ以前にあんまり集中できない。
どんなに言い訳をしてもそれは自分が悪いんだけど。
「トモ」
「……なんだよ」
怒られるんだろうなって思って、反射的に目をつむってしまったけど、高也はため息をついただけだった。
それから、
「きっと、俺のせいなんだろうな」
そんなことを言われて。
なんだかすごく落ち込んでいるっぽくて、俺もちょっとドキッとしてしまった。
「……高也が気にする必要なんて……」
キスの件以来、確かに俺はちょっと挙動不審だけど、それと試験の結果は関係ないはず。
勉強中に高也のことを思い出してしまうのだって、ただ単に集中できてないだけで。
「成績が上がんなくてイライラして……でも、イライラするとまた集中できなくて、そんな感じで……」
だから、別に高也のせいじゃないよってもう一回言ったけど。
次の言葉に耳を疑った。
「……家庭教師、他のヤツに頼んでやろうか?」

――――え……?

冗談だよね、って聞き返そうとしたけど。
「受験まであと一年。おまえが思ってるよりずっと大事な時期だよ。なのに、このまま下がり続けたら朝子にだって怒られそうだからな」
高也は真面目な顔でそう言った。
「そんなの……今回はちょっと諦めるのが早くて、だから、たまたまできなかっただけで、次はちゃんと――――」
たった一回のテストだろ、って言い訳してみたけど、高也からは厳しい声が返ってきた。
「受験本番も一回だけだ。わかってるのか?」
「そうだけど……でも」
俺は家庭教師を変えて欲しいなんて思ってない。
「俺、高也がいいよ。ほかの先生じゃ……」
嫌なんだ……って必死に頼んで。
「次はちゃんとやるし、それにさ」
高也はやっぱりため息をついてたけど。
「……じゃあ、変えるかどうかは次回の結果を見てからにするか」
やっとそう言ってくれた。
「うん」
ホッとしながら頷いたけど。
でも、やっぱり自信はなくて、「ちゃんと頑張るから」と言えないままうな垂れていたら、高也の手が俺の頭をポンってたたいた。
「じゃあ、試験の話はおしまい。紅茶入れてやるから、待ってろよ」
「……うん」
高也がカバンから取り出した缶には「ロイヤルミルクティ・ブレンド」の文字。
紅茶ならうちにもあるのに、なんでわざわざ持ってきたのかは謎なんだけど。
「勝手にキッチン使うからな」
「あ……だったら、俺がやるから」
「いいって。せっかくおばさんが『キッチンでもなんでも好きに使っていい』って言ってくれたんだから、たまには俺がやるよ。なんならメシ作って食っても、風呂沸かして入ってもいいって―――」
高也はもう家族ぐるみの付き合いだから、母さんとも仲はいいんだけど。
「……母さん、細かいことは気にしないから、きっと何聞いても『いいわよ』って言うんだよ」
姉貴の大雑把な性格はたぶん母さん似だと思われ。
しかも、そのさっぱりした部分は全て姉貴に行ってしまったのか、俺にはまったく遺伝していなかった。
「……だからさ」
テストが悪かったせいなのか、高也が家庭教師を辞めるかもしれないからなのか、今日はそんなどうでもいいことにさえヘコみたくなる気分。
一人でため息を我慢していたら、頭上を高也の声が通り過ぎた。
「隣りの席の先生からもらったんだけどな、すごい美味いから」
明るい声でそう言って。
また、温かい手が俺の髪をなでた。
「……ふうん。普通のと違うんだ?」
ようやく顔を上げたら高也と目が合って。
一瞬、キスされる前に似た空気が漂ってドキッとしたけど。
「ロイヤルミルクティ専用にブレンドしたリーフなんだってさ。あ、牛乳もらうからな」
高也の手は俺の頬に軽く触れただけ。
すぐに冷蔵庫の方に行ってしまった。
その間、俺は高也の後ろにぼーっと突っ立っているだけ。
邪魔かなって思っていたら、
「部屋で待ってろよ。持ってってやるから」
やっぱり追い払われて。
「あ、でも、俺もなんか手伝うし……」
本当は自分の部屋にいるとすぐにでも勉強をしないといけないような落ち着かない気分になるから、あんまり戻りたくなかっただけ。
だから、少しだけ粘ってみたんだけど。
「まあ、そうやって後をついてこられるのも可愛くて悪くないけどな。俺、子供の頃に犬を飼っててさ、そいつがちょうど―――」
高也が何を言いたいのかがなんとなく分かったから、やっぱり部屋に戻ることにした。




しばらくして、まるでウェイターのように指先にトレイを乗せて登場した高也は満面の笑みで俺の前にティーポットを置いた。
「カップも温めてあるからな」
少しキザっちく見える仕草で大き目のカップにミルクティを注ぐとぱっと湯気が立ち上った。ちょっとヘコんだ日にはちょうどいい感じのまったりとした色と香り。
「砂糖入れてもいい?」
またバカにされるかなと思ったけど。
「トモが飲むんだから、自分の好きにすればいい」
そんなことで他人に気を遣うことないぞって付け足されて。
「……うん」
控えめに砂糖を入れた甘い紅茶を口に入れた時、ホッとするような、それでいてちょっと切ないような変な気持ちになった。
テストが悪かったことなんてなんでもない。
高也だって、次に頑張ればこのまま家庭教師を続けてくれるはず。
でも、やっぱりどこかが不安で。
「……あのさ、高也」
「なんだ?」
「やりかた教えてくれたら、今度は俺が入れてやるよ」
そんなことを言ってみたのは、きっと何か約束が欲しかったから。
たとえば高也が家庭教師じゃなくなったとしても、もしかしたら今日みたいに遊びにきてくれることがあればいいって思ったから。
我ながらバカだなって呆れてしまったけど。
高也はにっこり笑って「サンキュ」って言っただけだった。
それから。
「成績ってな、上がり始めてから上昇している間は勉強も楽しいんだけど、停滞し始めると急に面白くなくなるから、大抵また下降するんだよ。まあ、そんなわけで、トモのも普通の反応だから心配するな」
もっとしっかり教えてやるからなって言われて、顔を上げたらにっこり笑ってて。
「……うん」

高也はチャラけているように見えるけど、本当はちゃんと分かってる。
受け止めてもらいたい時と、怒って欲しい時と、慰めて欲しい時と、ただ聞いて欲しい時と。
俺がどう思って話してるのか、ちゃんと分かってるんだなって。
そう思った。
大人だからなのかもしれないし、先生だからなのかもしれないけど。

「……高也」
「んー?」
もう一生高也には感謝なんてしないって決めてたけど。
「いろいろ、ありがと」
お礼を言いたくなる日だってある。
高也は一瞬首をかしげた。でも。
「んー、まあ、よくわからんけど。その言葉は喜んで受け取っておくよ」
その後プニプニとほっぺをつままれて、「また子供扱いかよ」って思ってたら、唇にまたキスされて。
「トモの口、お子様味だな」
バカにしてるっぽかったから、それにはちょっとムッとしたけど。
気持ちの裏側で、本当はもう高也のことが好きかもしれないって思った。

「高校生は駄目だ」って言ってた高也のことなんて、好きになってもどうにもならないのに――――

「じゃあ、トモ。次回のテストは頑張れよ」
「……うん」
「それと」
頬杖をついて俺を見ている高也は少しだけ微笑んでいた。
「他にも悩んでることがあったら遠慮なく言えよ」
どんなことでも相談に乗るから……なんて言葉を聞きながら、ちょっと泣きたくなるくらい「ありがとう」って思った。
だから、クッキーを作ったら高也にもあげようって決心しかけたんだけど。
「他人の悩み事ってホント笑えるよなぁ。特におまえとか、ありえないほどどうでもいいことで悩むし。人の不幸って蜜の味がするんだよ。知ってたか?」
……その言葉で思い留まった。



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