ロイヤルミルクティ・ブレンド

<7>



買い物も順調に済んで、家に帰って。
「ここまでしてやってんだから、俺にも食わせろよ」
クッキーを作ってる途中で高也が何度もそう言うんだけど。
そのたびに『本命からもらうから、いらないんだろ』って言いそうになるのをグッと堪えた。
そのまま黙り込んでいたら、
「トモ、返事は?」
催促までされて。
「……どうせいくつかは失敗するだろうから、それ食べればいいよ」
そんなことしか言えないところが俺ってダメなんだと思うけど。
「それ以前に一個でも成功するヤツがあるといいなぁ……」
ついついそんなことまで心配になってしまう俺を高也はいつものように笑い飛ばした。
「バーカ、おまえ、思慮が足りないぞ。失敗したやつを朝子に持たせないと、誰もアイツが作ったって思わないだろ?」
「……そうかもしれないけど」
さすがに高也の『思慮』は大人の悪知恵満載だった。
「でも、なんか騙してるみたいで気が引けるよな……」
今頃言うことじゃないかもしれないけどって思い悩む俺にまた笑って。
「なんだよ。騙す気満々じゃなかったのか? さすが俺の教え子って思ってたのに修行が足りんな」
なんなら騙しのテクも磨いてやるぞって言われたけど。
「……いい。俺、このまま真っ当に生きていくから」
そんなくだらない会話をしながらも二人で真面目にクッキー作り。
高也も俺も初めてだから大騒ぎしてたけど、結果を言うなら案外うまく焼きあがった。
「さすが、俺。何をやらせても上手いな」
自画自賛している高也を横目に味見をしたが、本当にけっこうおいしくて、これなら相手もそれなりに喜んでくれるかもしれないと思ってホッとした。
「……よかった」
心底安堵している俺の頬に高也が軽くキスをして、
「トモって本当に心配性だよな。誰に似たんだか」
また俺がひそかに気にしている部分を突くから、心の中では「うっ」って思ったけど。
「まあ、トモ一人だけでも可愛げのある性格でよかったよな。朝子みたいのが二人もいたんじゃ大変だし」
一応褒めてくれているようなので、それ以上は触れないでおくことにした。
「じゃ、これが朝子に持たせる分。で、これが俺の分。職員室でひけらかしながら食うことにしよう」
そう言いながら、高也は本当に楽しそうに、しかも、上手に焼けたヤツばっかりを選んで別の皿に移した。
でも。
「……どうせ生徒からたくさんもらうんだろ?」
楽しげな女の子。黄色い声。
頭の中に蘇ってまたちょっとヘコむ。
きっとあの子たちの他にだってたくさんもらうはずだ。
「……あーあ」
ため息と一緒に体の力が抜ける。
ついでに全てのやる気がなくなっていった。
「なんだ、トモ。もしかして妬いてくれてるのか?」
不意に言われて、俺は持っていたクッキーの皿をテーブルの上に落としてしまった。
皿もクッキーも割れたりはしなかったけど。
「そんなんじゃ―――」
でも、否定すると嘘っぽくなりそうな気がしてそのまま黙り込んでたら、高也に呼ばれた。
「トモ」
顔を上げたら、また。
そのまま長いキス。
反射的に目を瞑ったけど、高也の口元がなんとなく笑ってる気がしたから、少しだけ目を開けてみたらやっぱり笑ってた。
「なんで笑ってるんだよ……っていうか、その前に、こんなとこでするなよ。誰か帰ってきたらどうすんだ」
キッチンなんてリビングからも丸見えなんだからって言いながら、高也の体を押し戻したら。
その瞬間、いきなりドアが開いて。
「ただいま」
姉貴が顔を出した。
「うわっ……ねーちゃん?……今日、なんでこんな、早く帰っ……っていうか、まだ6時過ぎ……」
見られたかもしれないと思ったら焦ってしまって上手くしゃべることもできないでいたのに、
「ビルにメンテナンスが入るとかでさー、強制帰宅させられたんだよなー」
まだ仕事残ってるのに……と一人で文句を言いまくるから、とりあえず現場を見られてはいないことがわかってホッとした。
もっとも、ばっちり見られていたら、高也は今頃ボコられて再起不能になってたと思うけど。
「でー、なに二人で楽しそうに遊んでるわけ?」
テーブルの上は皿に並べられたクッキー。周囲だって「いかにも」って感じで散らかっていて、どう見ても状況は分かるはず。
それを目の前にして聞く姉貴も姉貴だけど。
「ホモ教育」
真面目な顔で堂々と答える高也も高也だ。
しかも、ぜんぜん嘘ばっかり。
「高也、おまえね、そういうこと言ってると出入り禁止にするよ?」
ついでに学校もクビにしてやる、と脅す姉貴に高也はちょっとに苦笑いしてたけど。
「まったく、高也のせいで朋宏まで奥が深くて幅の広いホモになったらどーするわけ?」
タラタラと文句を言う姉貴に、
「大丈夫。その時は俺が責任取るから」
高也の弾んだ声がそう告げた。
「どうやって?」
「もちろん一生面倒見るよ。ホモは結婚できないし、何かと支え合って生きていかないと。な?」
クッキー作りも案外楽しかったし、高也とこうやって遊ぶこと自体は別にいいっていうか、むしろありがたいんだけど。
だからと言って同意を求められても微妙に困るわけで。
「えーっと……それはさ……」
俺はものすごく返事に悩んでいたのに。
「ほら、これが朝子の分。ちゃんと持っていけよ」
「今食べるんじゃないわけ?」
「食いたいならこっち食えよ」
「えー、なんで? こっちのほうがキレイじゃん」
「上手くできすぎてると朝子が作ったんじゃないのがバレバレだろ?」
「ああ、なるほどね」
……二人ともその話はもう終わってるらしくて、一人取り残された俺は少しショックを受けた。



「でー」
言いながら、姉貴は手も洗わずにクッキーをつまみあげて口に運んだ。
「なんだよ?」
高也が呆れてるのはわかったけど、口を挟む勇気がなくて黙ってた。
「家庭教師の日でもないのに、わざわざこのために来たわけ?」
ポリポリといい音をさせながら、姉貴がちょっと冷たい声で聞く。
「後で勉強するけどな。っつーか、朝子、相変わらず行儀わりいな。ちゃんと座って落ち着いて食えよ。その前に手くらい洗え」
なんとなく先生っぽい高也の声を聞きながら、俺はちょっとがっかりしていた。
「……やっぱ勉強するのか」
クッキーを作ったら疲れ果てたなんて言ったら怒られるとは思ってたけど。
「なんだよ、トモ。あんな成績じゃ肩身の狭いホモにしかなれないぞ」
そう脅されて。
「……うん」
「恋人を作るにしても、一人で生きていくにしてもまずは自分を磨かないとな」
いきなり説教モードな高也に渋々頷いた。
他人に言うだけあって高也は優秀だ。
一流大学を出て進学校の教師になって、見た目もまあまあで。
でも……。
「それと。適度の天然はまあ可愛いとは思うが、だからってあんまりぼーっとしてるなよ。見る人が見ればホモは一発で分かるからな。トモも変な男に目をつけられて、連れ込まれて犯られたりしないようにいついかなる時でも気を抜くな」
……やっぱり何かがちょっと違う気がする。
「そんなことあるわけないだろ」
「ホモ教育」と称して俺を人間不信にしてどうするつもりなんだろう。
そんなことを思いつつ、ため息のような深呼吸をしたら、高也に小突かれた。
「じゃ、勉強するからな。朝子は部屋に入ってくるなよ」
なんでそこで姉貴をシャットアウトするのかもわからないし……って思っていたのが分かったかのように姉貴が高也を叱り飛ばした。
「ふざけんなよ。身内の前でそんな下世話な話をしたあとで、密室に二人きりにさせてもらえると思ってんのかぁ?」
その後、「だいたい高也は昔から手も早くて……云々」の説教が始まって、高也は「うげ」っていう顔をしてたけど、そのうちに言い合いをはじめて。
「あのさー……ねーちゃんも高也も……ちょっと聞いてよ」
これが楽しいんだって言われれば、そうなのかもしれないと思う程度の遣り取りなんだけど。
でも、このままなのもなんだかなって思ったから。
「それ、ねーちゃんが持っていく分だから適当にラッピングしてよ。それから、ミルクティ入れるから、ねーちゃんも飲んで。この間高也が入れてくれて、すごくおいしかったから……」
ガーガーやり合う二人の間を縫ってなんとかそこまで言ったら、高也がニッコリ笑って俺の顔を見て。
「じゃ、いい機会だから入れ方を教えてやるよ。朝子は向こうで座ってな」
そう言って今にもキスしそうな感じで俺の肩に手を……――と思ったけど。
その瞬間、「ビシッ」っという音と共に高也の手はあっけなく撃墜されてしまった。
ちらっと見たら、手の甲が思い切り赤くなってて、見ただけで痛いのがわかった。
「朝子……普通はもうちょっと手加減しねえ?」
それでも高也は笑いながら、俺を手招きしてコンロの前に立たせた。
それから、紅茶の缶を持ってきて入れ方を教えてくれた。
「ったく、相変わらず手の早いヤツだよな。いきなり叩き落とすかぁ?」
クックッと笑いながら、鍋の中にミルクを注ぐ。
こんなことをしていても、高也と姉貴は仲がいい。
それもすごく気の合った友達っぽくて、本当のことを言うと俺にはそれがちょっとうらやましかった。
楽しそうな高也を少し寂しい気持ちで見上げてしまうのはどうしてなんだろう。
またくだらない悩みが頭を占領しそうになったけど。
「なんか、いいよな」
高也に不意にそう言われて。
「……何がだよ?」
また首を傾げたんだけど。
「俺と朝子が言い合ってる時に紅茶を入れてくれようとするトモの気持ち」
「……そうかな」
いまいち納得していない俺に高也はまた楽しそうに笑って言った。
「こいつとならずっと一緒にいたいなって思ったよ」
その言葉に、わけもなくドキッとして。

――――それって……

顔を上げたら高也が真面目な顔で俺を見てた。
だから、なんとなく目が逸らせなくて、そのまま見つめ合ってしまって。
でも、その三秒後。
「こら、そこのホモ教師。家族の目が届かないと思って教え子に手を出さない!」
『百万年早いわ、ボケ』、『さっさと紅茶持ってこい』という姉貴の怒鳴り声が響いて、すぐに現実に引き戻されてしまった。


結局そのあとは三人でお茶をしただけ。
高也が言うところの『密室での二人きりの勉強会』については姉貴の許可が下りずに解散となった。
「じゃ、トモ」
今日は「勉強しろ」なんて言葉もないまま。
「……うん」
玄関まで高也を見送って、姉貴に見えないように小さく手を振ってから部屋に戻った。



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