その先の、未来

- Another Side:2 -




その後、何回かはわざと渉の誘いを断わった。
「会議なんだ」
「予定があるから」
「彼女と約束してる」
理由なんてなかった。ただ、すんなり誘いに乗ることに抵抗があっただけだ。
「おまえのことなんて何とも思っていないんだ」と言う代わりに冷たい態度を取る。二人で会っても楽しそうな顔はしない。
そう決めていた。
本当に遊びだけの関係なら、適当に楽しんで「飽きた」と言って捨てればいい。けれど、俺にとっての渉は、同期の連中にさりげなく自慢するほど可愛がっていた後輩。
簡単に割り切ることはできなかった。
そんな俺の気持ちを見透かしたのか、渉はいつでも真正面からぶつかってきた。
「なら、いつだったらいいですか? 仁藤さんの予定に合わせますから、都合のいい日を教えてください」
強気な口調とは裏腹に、あまりにも真剣な瞳が見つめていた。
体だけでいいなら、と言ったのは俺だ。渉もそれに承知したのだから、少しでも気が向かなければ断わればいい。気持ちを見透かされそうだったら、笑って流してしまえばいい。

気付かれる前に―――

けれど、それ以上強く突き放すことはできなかった。
「じゃあ、金曜だな」
そうやって散々引き伸ばして約束した日も、一緒にメシを食うわけでもなく、いきなり俺のマンションの前で待ち合わせた。
半分は気まずさから、残りの半分は単に意地悪い感情で。
我ながらバカなことをしていると思いながら、鍵を開けて渉を迎え入れる。部屋に入るとすぐにシャワーを浴びさせ、前戯もそこそこに身体を繋いだ。
渉は苦痛に顔を歪めながらも、俺を受け入れてすぐに達した。
俺が達くまで何度も身体を貫かれて苦しそうな表情を見せたけれど、 抱かれている時は従順で、言われたことはなんでもした。
でも。
「どんな関係でもいいって言いましたけど、もう少し気を使ってください。俺だって仕事もありますし、怪我はしたくないですから」
終わった後、まだ呼吸も整わないうちにそう言われて苦笑した。
「だったら、すぐにそう言えよ。おまえに気を遣うつもりはないからな」
冷たい言葉を返すたび、渉は一瞬表情を曇らせる。
「……わかりました」
ため息を殺したような返事に苦い気持ちが込み上げて、目を逸らす。
渉が遊び半分でこんな関係を受け入れたわけじゃないことはわかっていたはずなのに。いまさら、「じゃあな」と言えない自分がいた。


飽きたらいつだって別れられる。
どんなに酷い断ち切り方でも、渉の性格なら会社でそれをバラすようなこともしないだろう。
先の先まで予測して続ける不自然な関係。
渉がどんなに真剣でも、男同士でどうにかなるわけじゃない。
そんなことも分からないほどこいつも子供ではないだろう。


その後もずっと、散々焦らしてから誘いをOKした。
一度決めた約束も簡単に破った。
優しい言葉などかけたこともなかった。
部屋の前で何時間も待たせたこともあった。
それでも渉は何も言わず、いつなら会えるかと問い続けた。
「じゃあ、金曜はどうですか? 俺、先に終わると思うので……」
いつだって真剣で。
その必死さが伝わると余計に全てを壊したくなる。
「いい加減に諦めろよ。おまえの相手してられるほど暇じゃないんだぜ?」
冷たい言葉。
乱暴なセックス。
渉は「はい」と答えたけれど、だからと言ってすぐに他の誰かを好きになれる性格でもない。
それをわかっていながら、ベッドの中から彼女に電話をかけた。
渉が聞いていることを承知の上で、優しい言葉や楽しげな会話を並べた。
「じゃあ、明日な。どこでも好きなところに連れてってやるよ」
携帯を置いて、チラリと背けられた顔を覗き込む。
最初はギュッと唇を噛み締めていたけれど、繰り返すうちにただ諦めたように目を閉じるだけになった。

渉がどんな気持ちでいるのかなんて、百も承知で。
なのに、傷つけずにはいられなかった。



曖昧な関係のまま、時間だけがどんどん経過して。
いつの間にか毎週のように渉を抱くようになっていた。
だんだん彼女に会うのを面倒に思うようになって、やっと気持ちの変化に気づく。
「最近、部屋に入れてくれないのね」
そんな愚痴を言われて、適当な返事で流す。
彼女のことを抱きたいと思わなくなったことまでは誤魔化しきれていないだろう。けれど、彼女は「無理しないでね」と言っただけだった。


そんなことを何年も続けて、もうとっくに後戻りなどできなくなって。
それでも、まだズルズルと同じ状態を引き摺っていた。
唯一の救いは、こんな歪んだ関係でいても渉が変わらなかったこと。
仕事中はもちろん、二人でいる時も、
「いつなら会えますか?」
「もう少し丁寧に扱ってください」
相変わらず真正面から言ってきたし、必要なことならはっきり要求したけれど。
でも。
ただの一度も、彼女と別れてくれとは言わなかった。


「弘佳、俺、明日は……」
会社の延長で苗字を呼んでいたのに、いつの間にか名前を呼ぶようになった。
1年経つ頃には口調も丁寧語ではなくなった。
多分、セックスの時に会社のことを思い出したくなかったから、自然とそうなったのだろう。

―――弘佳……

彼女と同じように俺を呼ぶ声が耳の奥をくすぐる。
恋人じゃないはずの渉に呼ばれる方がずっと愛しく感じた。
それでも、会社にいればただの後輩で、渉も付き合っていることをまったく態度には出さなかった。きっちりと丁寧語を使い、他の後輩達と同じように振る舞う。
俺がどんなに嫌な態度を取っても会社では何も言わなかった。
二人きりになった時、「弘佳、性格悪いよ」と返すだけ。
怒りもしない。泣きもしない。
その代わりに甘えることもなかった。
「だったら、もう誘うなよ」
俺の返事に口を閉ざす。
「体だけ」と言い切る俺よりもマシな相手なら、他にいくらでもいるはずなのに。
なぜ一緒にいることを選んだのだろう。
どうして、そうまでして俺の後を追いかけてくるのだろう。
渉が俺に好きだと告げたのは、最初に関係を持ったあの日だけ。
けれど、それからはそんな言葉も口にしなくなった。
一緒にいても大抵は憎まれ口で、残りはどこか諦めたような冷めた返事。
「本当に可愛げがないよな」
そんなセリフも何度となく口にしたけれど、渉はプイッと顔を逸らすだけで俺には何も言わなかった。
何度傷つけられても、全部自分の中に押し込んで。
俺に「好きか」と聞いたこともなかった。
そんな渉がたった一度だけ、俺の顔さえ見ずに聞いたのは彼女との結婚が決まる少し前。
「弘佳、……俺、何番目?」
その言葉の意味が分からなかったわけじゃない。
それでも俺は笑って逸らした。
「何が?」
突き詰める勇気がなかった。
気づいてしまったなら、きっと戻れなくなる。
このまま踏み外すことなんてあってはならないはずだったから。
「彼女の次? それとも他にもまだ……」
不安そうな渉の表情から視線を外して、突き放した。
「彼女と比べられるかよ。バカじゃないのか?」
傷つくだろうと思った。
それでも。
これで終わるなら、お互いその方がいいのだと自分に言い聞かせた。



けれど。
別のところで薄く浮かび上がる衝動。
好きだと言ったら、どんな顔をするだろう。
いまさらと呆れるだろうか。
それとも、喜んでくれるのだろうか。
泣くことも笑うことも怒ることもない。
俺には告げない本当の気持ちを知りたいと思った。



結婚の話を切り出したのも、本当はそんな理由なのかもしれない。
好きだと言って泣きつく顔が見たかった。
けれど、渉はぼんやりとシートにもたれたまま、あっさりと別れの言葉を告げた。
「いいよ。弘佳のことは忘れることにしたから」
それが返事。
どんなに仕事がキツイ時だって泣き言なんて言わない奴だから、そんな態度は予想しておくべきだったのに。
「さよなら」
あっさりとそう言って車を降りた。
前だけを見て歩き出そうとするその背中に向けて、悪あがきのように返した。
たった一言。
「またな」
そう告げて。渉が自分を引き止めてくれることにまだ期待していた。
何一つ自分から決められずに、この関係を引き延ばすことだけ考えて。

振り返りもせずにアパートの門をくぐる。
渉を見送ってからも、俺はぼんやりとそこに座っていた。


いつまでこうしていられるのだろう。
それとも、もう終わったのだろうか。
結婚を決めた俺が渉と会う理由などない。
そう思っても、どこかでまだ信じられずに。
自分で決めたはずなのに、誰かが壊してくれればいいと思っていた。




それからしばらく、渉に会うこともなかった。
同じ会社なのに顔さえ合わせる事もなくて、社内を歩くたびに無意識で渉の姿を探した。
それでも偶然は降ってこなくて、結局、焦れて週末に同僚を誘って駅で待ち合わせた。それも、渉の帰り時間を見計らった上で仕組んだこと。
なぜこんなことをしてるのだろうと思いつつ、それでも気持ちを抑える事ができなかった。
「待ち伏せしてたわけじゃねえぞ」
見え透いた言い訳に聞こえないようにわざと笑ってそう告げた。
そんな言葉にも渉はサラリと返事をした。
「んなこと、思ってねーよ」
まるで偶然のように駅で顔を合わせた渉を当然のように皆が誘った。
強引な奴ばかりだから、渉も断わり切れずに渋々ついてきた。
それも俺の予想通り。
店も俺のマンションの近く。
他愛のない会話を繰り返して場を繋ぐ。その日の渉は普段と変わりないように見えたけれど、それでもどこか投げやりに映った。
全て俺が仕組んだ事だと気付かずにしたたかに酔っ払って、早々に潰れてしまった。
普段ならそんなことはないのに。
そんな些細なことでさえ、期待に変わった。
結婚の事も、本当はショックを受けているのではないかと思った。
「いいよ、杉下。俺んちまで連れてって車で送ってくから」
当然の成り行きだから、誰も疑わなかった。
渉の腕を俺の肩に回して抱き支える。
それだけで体が熱くなるほど、渉を欲しいと思った。
「しっかり歩けって」
笑いながら二人で帰る道。
「……歩いてるつもりだよ」
いつものように少し反抗的な言葉を返す渉の横顔。
飽きるほど見てきたはずなのに。
わけもなく苦しくなった。
「意外と重いな」
もたれ掛かる体の重みさえ心地よくて、気を抜くとそのまま抱き締めてしまいそうになる。
「弘佳よりは絶対、軽いよ」
他愛もない会話が愛しくて。
「こんだけ酔っていても、憎まれ口は叩くんだな」
もう、駄目だと思った。


結婚を決めた事も。
渉との関係を正面から受け止めなかったことも。
全部、自分のせいだけれど。




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