招待状を渡した2日後、渉からの返事が届いた。
ボールペンで囲まれた「出席」の文字。
それから、「ご招待ありがとうございます」と書かれていた。
もう、これで終わり。
同じ言葉を繰り返しながら、何日も過ごした。
このまま全部忘れると決めたはずだった。
なのに。
気がつくと駅に立っていた。
渉を待つ時間は、今でも俺にわずかな高揚感を抱かせる。
週末なのに一人でふらりと歩いてくる渉。その姿を見つけた瞬間に呼び止めていた。
「本当に来る気か?」
受け取ったハガキを突きつけて問いかけた。
「嫌なら招待するなよ」
話もしたくないのか、渉は最初から喧嘩腰な口調だった。
「そういうことじゃない。もう、いいのかって聞いてるんだ」
会社を休んだあの日に、渉がどこで何をしていたのかは分からなかったけれど、一日で吹っ切れたとは思えなかった。
「いいよ」
渉からは素っ気ない返事があっただけ。ほんの少しも表情は変えなかった。
だから、切符を渡した。
「なら、来いよ」
気持ちを量るために差し出したそれを見て、わずかに眉を寄せた。
「もう、なんとも思ってないなら、大丈夫だろう?」
試すような言葉に返す言葉もなかったのか、しばらくそのまま立ち尽くしていたけれど。
渉は切符を受け取った。
そして、面倒くさそうに部屋まで来ると、何も言わずに俺に抱かれた。
「渉、力抜いて」
泣きはしなかったけれど、時折、苦しげに声を漏らす以外はずっと口を結んでいた。唇を合わせても、体を繋いでも、気持ちは深く隠したまま。何も応えなかった。
どんなに優しく抱き留めても顔を背けて、ずっと感情を殺していた。
耐え切れなくなると俺の腕を強く掴む渉の指。そのたびに肌に爪が食い込んだ。
もう、なんとも思っていないと言いながら、気持ちを隠す。
苦しそうに声を詰まらせる唇を無理にこじ開けた。
含ませた指先に歯列の痕。
痛みがなかったわけじゃない。
けれど、それさえ愛しくて、ただその身体を抱き締めた。
そんな他愛もない行為に身体は熱を高めていく。
「……愛してる……渉、……」
告げるたびにピクンと反応を返して、またプイッと顔を背ける。
苦しげに歪む表情の意味など、問うまでもない。
「あ、…弘佳っ……っ……」
柔らかく撓る体が震えながら絶頂を迎える。
その快感に抗い切れずに深く繋がったまま熱を放った。
触れていた指の間を渉の先端から溢れ出したものが、流れ落ちる。
これが偽りでないのなら、まだ未来はあるのかもしれない。
「……渉」
呼吸が整わないまま、虚ろに壁を見つめている。
わずかに上気した頬と投げ出された手足。
気だるい視線。
他には何も言えなくて。
また、「愛してる」とつぶやいた。
口付けた渉の肩先がまたピクリと動いて。
耐え切れずに、また、きつく抱き締めていた。
その後も、渉は一度も誘いを断らなかった。
差し出された切符を無言で受け取って、俯いたまま部屋に入る。
そして、俺がシャワーを浴びている間は何も変わっていないはずの部屋をじっと見つめていることが多かった。
髪を拭きながらバスルームを出て、リビングに戻ると渉がカレンダーの前で立ち尽くしているのが目に入った。
「何が、欲しい?」
2ヶ月先につけられたオレンジ色のマークは、一度も祝ってやったことのない渉の誕生日。
けれど、渉はプイッとカレンダーから目を逸らした。
「……いらねーよ」
そんな返事にも感情は見えなかった。
「言えよ。なんでも好きな物をやるから」
痛みなど麻痺するほどに何度もつけた傷。
ほんの少しでも償うことができるなら、最後くらいはなんでも聞いてやりたいと思った。
こんなことで救われようとするのは間違っていると思うけれど。
それでも、許されなければ先へは進めないのだから。
なのに。
「……楽しいかよ?」
歪んだ口元から吐き出された言葉に我に返った。
「何が……」
見透かされたような気がした。
この関係から逃げ出そうとしていることも。
本当は、自分を偽ろうとしているだけだということも。
「分かってるんだろ? 俺が弘佳のこと忘れられないって。だから、こんな風に……」
一瞬、まっすぐに飛び込んできた視線。
囚われて、目が離せなくなった。
「……おまえが、忘れたって言ったんだ。もういいって……」
―――本当は、分かってた……
渉の気持ちも自分の気持ちも。
けれど、認めたくなくて。
受け入れることができなくて。
ずっと気づかない振りをしてきた。
もう、許されたのだと思いたかった。
「渉、」
ずっと偽ったまま。
この先、何十年も歩いていくのだろうか。
後悔するたびに深くなる傷。
思い出すのは、苦い表情とため息と、泣きながら部屋を飛び出す後姿。
何年もずっと一緒にいたのに。
一度だって渉が楽しそうに笑ったことはなかった。
抱き寄せるつもりで掴んだ腕を渉は必死で振り払おうとした。
「放せよ、もう、俺に構うなっ!!」
泣き顔のまま強がりを言う。
けれど。
ここから逃げても、気持ちは変わらない。
渉も、俺も……―――
「好きだって、言えよ」
ずっと迷っていたけれど。
「何言ってんだよ……?」
次から次へと頬を伝う涙。
今からでも、止めてやることができるだろうか。
「俺のこと、好きなんだろ?」
無意識のうちに渉の腕を掴んでいた手に力がこもって、渉の表情が少し歪んだ。
それを見ながら、そっと渉の頬を拭いた。
「……言っても、仕方ないだろ」
子供のように泣き続ける。
「どうして?」
こんな渉を見るのも初めてのこと。
「どうしてじゃねーよっ……言ったらどうにかしてくれんのかよっ!?」
投げやりな返事。
だが、それも当然。
いまさらこんなことを言うなんて、嫌な奴だと思うだろう。
それでも。
「してやるから、言ってみろよ」
期待など少しも含んでいない目が一度だけギュッと閉じられて、また、涙が落ちる。
「……好きだよ…っ、どうしても、忘れられな……」
もっと早く尋ねていても、渉は同じ言葉を返しただろう。
なのに、今日この瞬間まで、俺には受け止める勇気がなかった。
力の抜けた身体を抱き寄せて、深く口付けた。
「なら、こんなこと、これで最後にしてやるよ」
その返事に渉は再び目を閉じて頷いた。
「……俺、やっぱり、式には行かないから……」
そんな返事に、渉が言葉の真意を捉えてくれなかったことを知った。
それが、俺のつけた傷の深さ。
自分がどんな態度で渉に接してきたのかを思えば当然のこと。
なのに、ひどく苦しかった。
「……わかってるよ」
もう一度強く抱き締めて。
全てが終わってから、ちゃんと伝えようと思った。
彼女より、世間体より、おまえを選んだのだ……と。
一週間かけて、自分の気持ちと彼女との関係を清算した。
泣かれて、何度も謝った。
それ以上、彼女にどう償えばいいのか分からなかった。
彼女を傷つけてまで決めたこと。
渉が戻ってきてくれる保証はないというのに。
それでも、自分の選択を間違っているとは思わなかった。
彼女との話がついてから、すぐに関係先に詫び状を出した。
会社でも上司と友人に詫びた。
「すみません。ご予定を空けていただいておりましたのに」
応接室で向かい合った部長はため息をついたけれど。
理由は聞かずにただ「残念だが、仕方ないね」と言ってくれた。
あとは渉だけだ。
そう思いながらフロアに戻った。
「結婚、止めたって本当ですか……?」
誰に聞いたのか、渉は俺が告げるよりも先に知っていて、真正面から尋ねてきた。
会社だというのに感情は隠さなかった。
「ああ、本当だ」
こんなことも初めてだなと思いながらも、その驚いた顔が愛しかった。
「何で、そんな……」
堪え切れずに少し笑ってしまった俺を渉はまだびっくりしたままの顔で見つめていたけれど。
「……なんでだろうな?」
ポケットから取り出した切符を机に置いた時、一度だけキュッと目を閉じた。
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