顔を洗って前髪を濡らしたまま戻ってきた堂河内は、二人の姿がないことを確認すると俺を抱き寄せてキスをした。
長くて深くて激しいキス。
俺に呼吸をする隙さえ与えてくれないようなディープなヤツだった。
シャッターを切る音が聞こえた。
堂河内は多分気づいてないだろう。
もともと細かいことに気付く方じゃないけど、ヤッてからは更に周囲に目がいってない。
っていうか、ちょっとタガが外れてる。
「なあ、堂河内、」
「なんだ?」
返事をする堂河内は心なしかニヤけている。
普段のキリリとした顔は跡形もない。
「ニイさんたちがここでキスしろって言ったら、おまえ、する?」
「していいなら、どこでもするぜ?」
聞いた俺がバカだった。
ちゃっかり聞いていたニイさんがウキウキしながら部屋から出てきた。
「じゃあ、もう一回やって。ね? 今度はきれいに撮ってあげるから」
困った事に堂河内はやる気満々だった。
「おまえな、後でなんかあった時にこの写真、出されるんだぞ?」
「いいじゃん、別に」
「洸ちゃんったら往生際が悪いわよ。それにしても堂河内くんの方がキャリア長いみたいねえ?」
それは性格の問題だろ?
ゲイ歴が関係あるとは思えないんだけど。
「堂河内、いつから?」
「何が?」
「男」
「おまえが初めてだって言っただろ?」
「抱いた経験じゃなくて好きになった経験」
「だから、海瀬が最初だって」
それにしちゃあ、切り替え早いな。
「これでも悩んでた期間は長いんだぜ?」
ふうん……
「入社したときから、ずっとだって知ってたか?」
「……えっ……?」
さすがに引いた。
長いよ、それ。
「知らなかっただろ?」
「……あ、ああ、」
ぜんぜん気づかなかった。ってことは、かれこれ4年?
じゃあ、いつ社内恋愛してたんだ?
う〜ん……
ツジツマが合ってないぞ。
「だからね、応援したくなっちゃったのよ」
「ニイさん、いつから知ってたんだ?」
「いつかなぁ? ねぇ、カナちゃん?」
カナさんが棚からアルバムを持ってきた。
今度は堂河内の写真。
薄暗い店で並んで飲んでいるのは俺と堂河内。
堂河内の視線の先にはよそ見をして他の男としゃべっている俺。
他のも同じように堂河内が俺を見ている写真。
酔っ払って堂河内に寄りかかってクダを巻いている俺。
でも、堂河内はほんわかと笑いながら俺の肩を抱いている。
俺って、酒グセ悪い。
……じゃなくて。
こうして写真で見ると堂河内が俺に惚れているのは一目瞭然。
けど、俺はぜんぜん気がつかなかった。
会社と家ではまったくフツウだったから。
「ここに来ると気が緩むんだよな。みんなゲイだし」
そんなものかな。
「自分からちゃんと言うまでほのめかさないで欲しいって言われてて、ガマンするの大変だったのよぉ?
あたし、意外とおしゃべりでしょう?」
「意外と」は、要らんと思うが。
「海瀬くんも案外ニブいんだなあ」
カナさんまで。
「うるさいよ」
俺は自分の気持ちを処理するので精一杯だった。
都合のいいように考えないようにしようと思ってきたから。
「お客が洸ちゃんに色目使うたび、堂河内クン、ハラハラしてたのよ?」
「知らんって」
だいたい俺に言い寄ったヤツなんかいたかよ??
「忘れてるの? それとも、気づいてないだけ?」
「誰のこと言ってるわけ?」
ぜんっぜん分かりませ〜ん。
「あら、やだ。ほんとに気づいてないの?」
「全く心当たりないんだけど、俺」
「松木さんでしょ、山川さんでしょ? 谷重さんでしょ、矢口さんでしょ……」
「それって、常連の名前適当に言ってるだけじゃないのか??」
もし、本当だとして、そんなことペラペラ喋っていいのか?
「うちの常連の大半は洸ちゃん目当てなんだから。もう、ニブチン」
どうせ、堂河内を妬かせるためのデマなんだろう。
なんて姑息なことを……。
「洸ちゃん、モテるからって浮気はダメよ。あんたのためにノンケの道を捨ててくれた堂河内クンのためにも、ね?」
妙に力説してくれるんだけど。
ニイさん、堂河内を相当気に入ってるんだな。
「それにしてもお客が減るねえ。代わりにカワユイ子、連れてきてよ」
「知るかよ、そんなこと。だいたい付き合ってるなんて言わなきゃわかんないだろ??」
迂闊に吐き捨てたために、俺はまた抱きすくめられた。
「わっ、バカ。冗談に決まってるだろ??」
すぐに呼吸を奪われる。
堂河内のキスは体をあっという間に熱くする。
長いキスの後、体に力が入らなくて、腕に抱かれたまま見つめ合ってしまった。
当然、シャッターが切られた。
「どんな写真になったかはできてからのお楽しみ。でも、今までで一番キレイだと思うわよ」
ニイさんが花嫁を誉めるみたいに涙ぐみながらつぶやいた。
年を取ると涙もろくなるって言うからな……
まだ30代だけど。
それにしても。
堂河内はマジでヤキモチ焼きかもしれないな。
……ちょっと可愛いかも。
夜遅くなって俺と堂河内は店の2階に押し込められた。
「じゃあ、よろしくね、ケイちゃん」
メーキャップアーティストのケイくんが俺と堂河内を着替えさせるという。
「で、何で俺だけドレスなわけ??」
用意された純白のドレスを見て文句を言ったが聞いてもらえるはずなどなく。
「お客さんのリクエストらしいですよ」
ケイくんも常連だから別に不思議そうな顔もしない。
この店ときたら、そんなことばっかりだ。
まあ、忘年会かなんかの余興だと思えばいいか。
そう言えば、ちょっと前に全員女装の忘年会をやったな。
「俺も見たいよ。海瀬のドレス姿」
……アホがここにも一人。
妙にすんなり店に溶け込んだと思ったら、エロおやじと同じレベルかよ。
「海瀬の凛々しいとこは会社でいつも見てるからな」
「ヒール履いたらおまえよりでかいぞ、俺」
「大丈夫よ、洸ちゃん。4センチヒールだから」
だいたいなんで26.5センチのヒールがあるんだよ??
「あら、あたしのに決まってるじゃない」
そういやあ、俺、ニイさんとサイズが同じなんだよな。服も靴も。
「げ、そんなマジに化粧しなくていいぞ??」
眉を整えるのだけは止めてくれ。
会社に行けなくなる。
「ダメよ、花嫁さんはきれいにしないと」
花嫁っていうか……ただのコスプレじゃねーか……。
「ここから先はマスターも堂河内さんもお預け。下で待っててくださいね」
タキシード姿の堂河内はしぶしぶ先に階下へ降りていった。
「んー、さすが海瀬さん。モトがいいから、キレイですぅ〜っ」
ケイくんに呼ばれてニイさんが2階に上がってきた。
「まあまあ」と言いながら俺の手をとった。
またワザとらしく涙ぐみやがって。
「じゃあ、行きましょうか。バージンロードなんておこがましいことは言わないけど。……堂河内くんで何人目なの?」
うるさい。
だいたい付き合うって言っただけでなんでこうなるよ??
何年もここに通っているし、堂河内で何人目かわからないけど、こんなことは初めてだった。
ニイさんに連れられ、店カウンターの脇にある螺旋階段を下りていくと、結婚行進曲と派手なクラッカーに迎えられた。
「悪ノリし過ぎだっ!」
「今日くらいおしとやかにしてなさい、洸ちゃん」
しかも、牧師が来てる。
と思ったら、常連の一人だった。
これもコスプレか??
……そうなんだろうな。
もっともらしく誓いの言葉を読み上げて、流されるままに『誓います』を言わされた。
むろん、そのあとは周囲の期待に応えて長いキス。
しかも、どぎついヤツだ。
堂河内もノリノリで、わざと舌が見えるようなのを披露してくれた。
それはもう異常なほどの拍手喝采で、俺にとっては今まで一番こっ恥ずかしい日になった。
むろんドレス姿の写真もニイさんのコレクションになるんだろう。
あーあ……。
また人生の汚点が増える。
余興がなんであろうと結局はいつものように飲んだくれの集まりになった。
堂河内は酒が強いから、最後の最後までわりとしっかりしていたけど、俺はいつも通り途中で潰れた。
最初に目を覚ました時、俺はまだ店にいてちゃんとドレスを着ていた。
客はまだまだ大盛り上がり中だった。
「海瀬、よくこんなうるさいところで寝られるな」
頭の上で堂河内の声がした。
「ん〜……いつも、そうだから……」
見上げると堂河内はにっこりと微笑んだ。
俺はちゃっかり堂河内に抱っこされていたのだった。
どうりで妙にあったかい。
「いいよ。寝てて。ニイさんのお許しが出たら送ってくから」
「おまえ、自分ち帰るのか?」
「いや。海瀬と一緒に帰るよ」
「あ、そ。じゃあ、悪いけど、よろしくな。俺、もうちょっと寝る」
酔って体に力が入らない俺をしっかり抱いたまま、堂河内は俺に何度もキスをした。
冷やかしの声も堂河内の鼓動も、すべてが心地よく眠りを誘った。
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