- 春ノイズ -

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それでも、その後の学校生活はわりと平和だった。
周りの空気にも少しずつ馴染んできた4月の半ば、新入生歓迎会が催されると聞いた時もそこそこ楽しみしていた。
「それって、つまりは部や同好会の勧誘パフォーマンスなんだ?」
会場は第一体育館。
ステージにはいかにも「今くっつけました!」という感じの紙テープや花飾りが揺れていて、幼稚園のお遊戯会を思い出させる。
手作り感満載の舞台だ。
「中等部もこんな感じだったぞー。真面目に自分の部の説明するところもあるし、そういうのとはぜんぜん関係なく、歌ったり踊ったり漫才したり演劇したりして、純粋に新入生に楽しんでもらおうって感じのところもあるらしいけど」
表向きは部活選びの参考のために見学するという主旨だ。
基本的に参加は自由。
でも、毎年工夫を凝らしたアピールが繰り広げられるということは中等部からきた連中はみんな知っているので、一年のほとんどが適当にな場所に座って大騒ぎしていた。
「サク、また掛け持ちすんのか?」
「どーしよっかなぁ。勉強ちょーヤバイしなー」
倉田は冷やかし半分で俺たちにつきあっているだけで、もう化学部に届けを出したらしい。
しかも、部員が少ないのでいきなり副部長だという。
ゆるい部を探して入ろうかなと思っていたが、ゆるすぎると倉田のようにいろいろ押し付けられてしまうので、まずは十分な下調べが必要だ。
「矢本は? もう決めたのか?」
「あー……中学の時はサッカーやってたんだけど、親が『塾に行け』ってうるさいんだよな」
なんと言っても奇跡の編入なので、現実問題として回避できそうにない。
あまり気合の入った部活と両立はまず無理だ。
だからと言って、学校のあとも毎日勉強というのは考えただけで気が滅入る。
「大丈夫だって、矢本。編入試験に通ったんだから少なくとも真ん中よりは上だよー」
桜沢は本当にうらやましそうに「いいよなー」と言ってくれたが、そんなに気楽な状況じゃないってことは自分が一番良くわかっている。
「っていうかー、矢本より俺のほうが深刻だしー。部活どころじゃないよなー。でも、なんにもやらないのってつまらないよなー?」
「そうなんだよなぁ……」
「なー」
一番後ろの席に腰を下ろし、桜沢と二人して「なー」「なぁ」言い合っていると、体育館のステージの上で開会の挨拶がはじまった。
「あ、今、司会やってる先輩のアシスタントをしているのが、説明会の日に矢本の代わりにつかまったっていう編入生だ」
アシスタントなどという名目だが、ボケもツッコミもこなさなければならない盛り上げ役だ。
赤くなったり青くなったりしながら先輩にいじられている純朴そうな一年を見ながら、心底安堵の息を漏らした。
「……逃げてよかった」
中等部から持ち上がりの生徒はみんなイベント部がどんなものかを知ってるので、騙せるはずがない。
わざわざ編入生の説明会の日にハンティングを行うのは、やはりよくわからないうちに引きずり込んでしまおうという安易な発想からに違いない。
「あー、あとさー、夏祭(ナツサイ)の生贄は各部の新入部員から抜擢されるのが恒例だから、捕まりたくなかったらそれが決まってから遅めに入部するといいらしいよ?」
司会の隣りに立ってお役目をこなす編入生は隣のクラスのヤツ。
噛んだり、間違えたりするたびに先輩がぐりぐりと頭をなでている。
「やっぱり今年もイケメン採用だな。じゃ、俺たちは大丈夫じゃないか?」
倉田が呆れ顔でつぶやき、桜沢も笑いを堪えている。
こういう場所で活用される人材は、捕まえる側、つまりイベント部役員の好みで決まるのが常らしい。
「選んだのは司会やってる人だってさー」
自分のパートナーは自分でスカウト。まあ、理には適っている。
それはともかく。
どんなに遙にムカついても結果的にあの場に自分が立たずに済んだわけで、本当によかった。
「そういえば、瀬崎先輩って生徒会執行部員になったんだな。去年はきっぱりさっくり断わったらしいのに」
桜沢情報によれば、今年もずっと『準備の手伝いくらいはしてやるが執行部には入らない』と当時の会長を切り捨てていたらしい。
「なのに、始まる前にちらっと見たら腕章してたからさー。結局、捕まっちゃったってことなんだろうなー」
「そういえば、会長から捜索願い出てたらしいぞ。矢本ここへ来る途中どっかで見かけなかったか?」
「いーや、ぜんっぜん」
会うわけがない。
二年のいそうな場所にはぜったいに近づかないようにしてるんだから。
「そもそも説明会の日以来、ちらっとも会ってないし」
答えた瞬間、背後からガシッと頭をつかまれてワシワシゆすられた。
「うあっ」
何が起こってるのかわからない、なんてことはなく。
「撫でられたくらいで変な声出すな」
やっぱり遙だった。
しかも、「なでてないだろ」と思ったのは俺だけだったようで、桜沢はごく普通に遙に会釈をした。
「瀬崎先輩、見回りですか? お疲れ様です」
赤い腕章には「生徒会執行部」という金色のロゴ。
どんなポジションなのかよく分からないが、とりあえず、こういった行事ではあれこれと雑用をさせられるってことだけは遙の表情からなんとなく分かる。
「遙の捜索願いが出てるって」
だからさっさとどっか行けよ、という気持ちをギュウギュウ詰め込んでみたが、遙は少しも感じ取ってくれなかったようだ。
「能見(のうみ)から? それとも枝広(えだひろ)?」
わりと機嫌のいい声でそう聞いてきた。
けど。
能見が誰で枝広が誰なのかさっぱり分からなかったもんで。
「……会長」
倉田から聞いたまま答えたら、後頭部をペシッと引っ叩かれた。
「おまえ、入学式も始業式も出てなかったのかよ」
どうやら遙にはすべてが丸分かりだったようだ。
「出てたけど」
会長が新年度の挨拶を、副会長が一年生へ贈る言葉を、それぞれ壇上で話していたような気がするが名前も顔も記憶していなかった。
「ったく……能見が会長、枝広が副会長。この間おまえの隣にいたのが綿貫(わたぬき)で、後ろに立ってたのが荻。ちゃんと覚えておけ。ついでに、その四人には二度と捕まるな」
ということはあの中に会長も副会長もいたってことか。
もはや洗濯バサミ以外は顔すらおぼろげだ。
いや、遙が途中で俺を退場させなければ、きっと名前だって教えてもらえたはず。
けど、自己紹介をされる前に逃げられたのは俺にとって大変素晴らしいことだったのも事実なわけで。
「……わかったよ」
渋々という感じからは抜け切れなかったものの、とりあえず素直に頷き、そのあとこっそりあたりを見回した。
見た目からしてどこにいても目立ちまくる遙だが、一番うしろかつものすごく隅っこだからか、今のところ誰の注目も浴びていないようだ。
みんなの目がステージに注がれている間にさっさとどこかへ行って欲しい。
ふつふつと湧き上がる焦りに似た気持ちを遙本人にぶつけようか迷っていたら、桜沢が弾んだ声を上げた。
「瀬崎先輩、執行部どうですか?」
引き止めるなよ、という無言の圧力を送ってみたが、気付いたのは倉田だけ。
桜沢は遙の腕章の生地を指先でツルツルなでたりしている。
「すげー面倒くさい」
「なんで入ったんすかぁ?」
「無理矢理名前書かされた」
しつこいやつがいるからな、と吐き捨てた遙の眉が寄る。
「あー会長っすね。でも、仲いいんだから仕方ないんじゃないですかぁ?」
執行部員は10名までなら会長と副会長で好きな人数だけ指名することができる、ということがその後の桜沢と遙の話からなんとなくわかった。
遙はその中の一人ってことだ。
「ふーん」と思いながら心の中でうなずいていると、周囲からまばらな拍手が聞こえた。
どうやらどこかの部の説明が終わったらしい。
舞台袖からわらわらと現れた部員たちが大道具を片付け始め、おもむろに照明が落とされると、遙がいきなり立ち上がった。
「コーヒー飲みに行くぞ」
なぜか俺の腕を掴んで引っ張りあげる。
「まだ説明会やってるのに?」
「別にいいだろ。自由参加なんだから」
しかも、「おごってやるって言ってんだからありがたくついて来い」と俺様全開。
「勝手に決めるなよ。友達と一緒なんだから」
ムッとしながらも引き止めてもらえることを前提に桜沢と倉田を振り返ったけど。
「矢本、もうサッカー部でいいじゃんよ。んじゃな」
「面白いことあったら、あとで教えてやるし。また明日ぁー」
あっさりと手を振られ、そのまま退場するハメに。
思っていたより冷たい扱いにちょっと拗ねながら、遙に引きずられて体育館を出た。


行き先は学校のすぐ近くにあるファミレス。
自由参加とは言え、サボるのは気が引けてたのに、店内はうちの制服で溢れ返っていた。
大半が二年だったけど、真新しい制服もちらほら。
三年はとっくに家に帰って勉強でもしているんだろう。それらしい感じの生徒はいなかった。
席に案内されるとすぐ遙のポケットで携帯が震えた。
でも、遙はやっぱり俺様全開で、おもむろにそれを取り出し、電源を落すとすぐにまた定位置に戻し、フロアスタッフのお姉さんを呼びつけた。
「店長おすすめのコーヒー二つ」
コーヒーなんて月に2,3回はどっちかの家で向かい合って飲んでる。
わざわざ抜け出してここへ来たのには何か特別な理由があるに違いない。
だから携帯も切ったんだろう。
……と思ったんだけど。
その後は別に何かを話すわけでもなく、よそ見をしたままボーッとカップを口に運ぶだけ。
しかも、周りがみんなドリンクバーなのに、一杯がその倍の値段のおすすめコーヒーとかどうなんだよって感じだ。
なんてことを考えていたら、ドアに近い席に座っていた二年が携帯を片手に叫ぶのが聞こえた。
「瀬崎ぃ、能見から指名手配出てんぞー」
「無視しとけ。30分したら戻る」
「そしたらもうイベ部のステージ終わってんじゃねえ?」
「終わんの待ってんだよ」
どうやら時間つぶしにつき合わされただけらしい。
サボるなら一人でサボれと言いたかったけど、この間の感謝の気持ちがまだ少し残っているのでやめておいた。
「あー、そー。そーなの。新入生連れて。へー」
遙の友達と思われる2年生の反応がちょっと気になったけど、従兄弟だと説明したらもっと珍しがられそうなので無言でコーヒーをすする。
クチコミなんかではここのファミレスのおすすめコーヒーはおいしいって言われてるけど、それでも遙の家で出されるのより落ちると思った。
「おばさんが入れたコーヒーのほうがうまいよね」
何気なくつぶやいたら、遙がよそ見をしたままつぶやいた。
「なら、金曜に来いよ」
しかも、いきなり曜日指定だ。
普通は最初に相手の都合を確かめると思うんだけど、遙にそんな発想はない。
「けど、おばさん、金曜から旅行って言ってたような気が……」
「ああ。日曜までな」
高校生が授業を終えて帰ってくる時間には家にいないだろう。
それは遙がコーヒーを入れるってことなんだろうか。
珍しいこともあるなと思いながらも、「じゃあ、夕方行くから」と答えた。
遙は年に2、3回くらい普段より優しいことがある。
そういう時は俺もそれなりに楽しいから「まあいいか」って感じなのだ。
会長からの捜索願いは無視したけど、本当はわりと機嫌がいいんだろう。
今ならきっと聞いてくれる。
そう思って切り出した。
「それと……前にも言ったんだけど、遙と従兄弟だってこと内緒にして欲しいんだけど」
カップを持ったまま小声で頼む。
遙は別に怒ったりはしなかった。
けど。
「なんでだよ?」
理由がまったく分かりません、って顔だった。
凡人ゆえの苦労とかコンプレックスとか、そういうものに無縁な人間はこれだから嫌だ。
「……比べられんのやだし」
それを口にするだけでも劣等感がぐつぐつ沸きそうなのに。
「あ、そう。けど、それっておまえが出来のいい高校生になれば済む話なんじゃねーの?」
軽く言った口元は半分笑っていた。
こういうところが本当にまったく、初めて会った7歳の頃から少しも変わってなくて壮絶にムカつく。
結局、そのあとはたいした話もせず、きっちり30分を潰してから家に帰った。



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