- 春ノイズ -

-4-

翌日、教室に入るなり、桜沢の叫びが降ってきた。
「矢本、昨日あれから結局一回も学校戻らなかったのかよ! おかげで俺が会長に拉致られたんだぞー!」
廊下側一番後ろ、倉田の席に踏ん反り返ったまま教室中に響くような声で騒いでいる。
「拉致って? 後片付けを手伝わされたとか?」
「じゃなくて!!」
席の主である倉田は桜沢を退かすこともせず、隣りから椅子だけを引っ張ってきて腰かけていた。
ふてくされている桜沢を思い遣って場所を譲ってやったのかもしれないが、顔はさっきからずっと笑いをこらえている感じだった。
「会長から夏祭の生贄指名されたんだよ、コイツ」
例年各部の新入部員から抜擢されていたが、その噂が広まりすぎたため、今年は方針を変えたらしい。
「イベ部の持ち時間の間、『鬼ごっこ』という名目のハンティングが行われたんだ」
『では、ちょっと鬼ごっこをしましょう』
副部長がそう言ったあと、部員10人がステージを降り、それぞれが気に入った一年に『ご指名』と書かれたシールを貼る。
貼られた一年は貼ったイベ部員を捕まえてシールを返す。
それができなかったら、夏祭までイベ部のアシスタントとなる。
……というのが、ルールだったらしい。
会長は俺を捕まえるつもりで探しに来たが、不在だったために代わりとして桜沢を『ご指名』していったのだ。
「会長、逃げ切ったんだ?」
「当たり前じゃん! すっごい足早いんだぞ?!」
今は会長職が忙しくて帰宅部だが、中学の時は陸上をやっていたらしい。
「ふーん。そっか。……よかった、いなくて」
一応ずっとサッカー部だったし、足にはわりと自信があるけど、だからといって陸上部に勝てるとは思えない。
「『よかった』じゃねーだろおおお! 俺の身にもなれえええ!」
女装させられたらどうすんだと桜沢は大騒ぎしてたけど。
「今から気にしてもしかたないって。会長も『今年は例年と違った方向を目指してる』って言ってたし、そういうのはないんじゃないのか?」
倉田が慰めの言葉をかけるが、他人事と思っているのがダダ漏れだ。
本当に正直なやつだ。
「そうであることを願うよ。あーあ」
空を見上げたつぶやいた桜沢は半分魂が抜けたような顔だ。
「けど、何も桜沢じゃなくてもよかったのにな」
災難だったな、と心の篭らない声をかけたが、桜沢は無反応だ。
「いや、サクが良かったんだろ。会長が『元気でいいね。俺好み』ってにーっこり笑ってたし」
「それを言うなあああ」
悪いとは思うけど、自分じゃなくて本当によかった。
なんだかんだと言いながらも桜沢はノリもいいしテンションも高い。
お祭り騒ぎが好きだと自分で言うくらいだから、いざとなれば使命はちゃんと果たすだろう。
というか、騒いではいるものの、きっぱり断わらなかったんだから本当はそれほど嫌じゃないに違いない。
「けど、よかったよな。これでもう今期の役員がイベント補佐を募集することもないし」
「サクには悪いけど」と、ぜんぜん悪いと思っていない顔で倉田が笑う。
「それって絶対『募集』って言わないよな」
「まあ、物事をスムーズに運ぶためには、建前ってやつは大事だからな」
倉田のもっともらしい説明を聞きながら、災いが我が身に降りかからなかった喜びを反芻していると、知らない奴と目が合った。
教室後ろ側の出入り口ラインを跨ぎ、不機嫌丸出しでこっちを凝視しているのは見たことのない顔。
制服が新しいので一年であることは間違いない。
他のクラスのヤツなんだろうなと思っていたら、無遠慮に中に入ってきていきなり俺の前に立った。
「瀬崎先輩と手つないで歩いてたって?」
目をつり上げて仁王立ち。
俺を見下ろし、投げつけた言葉がそんなだったもので。
「……は?」
驚きのあまりそれしか出てこなかった。
しかも、そいつは次の瞬間にはもうプイッと顔を背け、教室から出ていってしまった。
「なんだったんだ?」
幸せをかみ締めていた口の中に、いきなり砂を投げ込まれた感じだ。
「矢本、昨日、手なんて繋いでたっけ?」
桜沢が首をかしげ、
「手っていうか、この辺」
左の肘の上あたりを指すと、倉田が「ああ」と言って頷いた。
「そうだな。確かに腕だった」
一瞬ホッとしたものの。
「だよなぁ……あっ」
嫌なことに気づいてしまった。
そうだ、あの日だ。
「なんか思い出した?」
「あー……うん。編入の説明会の時に」
部室から遙に引きずり出されてそのままバス停まで行った。
けど、あれは「手を繋いでた」んじゃなくて、「手を掴まれてた」んだ。
勝手に誤解して絡むのはどうかと思う。
「まあ、ああいうのもいるさ。そういう意味じゃ大変だな、瀬崎先輩の従弟っていうのは」
なんとなく言わんとしていることは分かるような、あんまり分かりたくないような。
というか。
「……俺と遙って仲良さそう?」
その誤解はものすごくありがたくない。
「うん。すげー良さそう。『イトコって普通そんな仲いいもんか?』ってイベ部の先輩たちもみんな思ってるっぽい」
この返事に至っては相当なショックで、しばらく立ち直れそうにないレベルだった。
一気にヘコんだ俺の気持ちなど察することもなく、倉田は部費の申請を書きはじめたが、すぐに何かを思い出したらしく、手を止めるとチラリとこちらに視線を向けた。
「そうだ。確かあいつ、中等部の頃、わざわざ高等部の校舎まで告白しにきて、なのに遙先輩にさっくり振られたんだよ。去年の夏だったかな。で、矢本の話聞いて、八つ当たりしに来たんだろ」
その瞬間、また「ぅえっ?」という変な声が出そうになったが、今日はかろうじて飲み込んだ。
「ああ……そう、なんだ」
マジかよ、というのが率直な感想だけど、さすがにそれは口にできず、「俺に当たっても意味ないのに」という無難な言葉だけに留めた。
中等部だろうが高等部だろうが、学内で恋愛すると好きな相手も男ならライバルも男だ。
男子校なんだから当たり前だが、ものすごく奇妙な感じがしてしまう。
なんだか背中がかゆい。
「矢本、顔に『変』って書いてあるぞ」
そして、ここでも本心ダダ漏れな俺。
「あー……ごめん。なんかまだそのへんが慣れないんだよな」
桜沢からは「まあそーだよなー」と軽いつぶやきがあったが、そのあとで軽く釘を刺された。
「でも、差別はもちろん、からかったりするのもダメなんだからな?」
「いや、そんな気は少しもないんだけど」
倉田の説明によると、そのあたりの校風は「本校の学生は全ての事柄に対し、真剣に取り組むべきであり、その過程においてあがいたり失敗したりする者を笑うのは紳士にあるまじき行為である」というような内容の学校の教育理念に「基づいていることになっている」らしい。
「勉学・部活はもちろんのこと、たとえそれが恋愛であっても……っていう解釈なんだよ」
もちろん生徒手帳にそんなことは書いてないし、編入者説明会のときもそれっぽい話はなかった。
「矢本、イベ部の中に入ったことあるんだろ? 壁にそんな感じの貼ってなかったか?」
「覚えてないなぁ……」
あの時は本当にいっぱいいっぱいで、壁なんて見ている余裕はなかった。
「あそこならありそーなんだけどなー。俺、今度見てくる!」
桜沢が急に張り切り出す。
悪乗りの好きな部だとたいてい勝手に書いた裏校則が貼ってあるので「イベント部には絶対にある!」というのが桜沢の意見らしい。
倉田は倉田で「額の裏とか部長の引き出しの中とかに貼ってあるんじゃないか」と真剣だ。
とにかくここでは「本気であるなら冷やかさない」。
暗黙だけどルールは絶対なので、表立ってあれこれ言うヤツはいないということだけは分かった。
「もちろん告白されたヤツも――たとえどんなに驚いたとしても紳士的な態度で返事をしないといけないんだ」
「……それは大変そうだな」
まあ、だとしても自分がその立場になることはないだろう。
「けど、それも良し悪しだよなぁ。ついこの間までネタとして面白おかしく噂されてたことなのに、ある日とつぜん誰もその話に触れなくなったりすると、『あー、マジで告白したのかぁ』って、みんなに丸分かりだしさー」
ビミョーだろ、と桜沢が笑う。
冗談のうちは噂もさらりと流される。
だが、どっちかが本気とわかった瞬間に冷やかしは消えるのだ。
「むしろ怖いよな」
倉田も真剣な面持ちで頷くと、開きかけた化学の本を閉じて申請書類と一緒にカバンにしまった。
「だから、それを含めて『すべて気付かないフリをしてやるのが紳士ってもんだ』っていう話なんだって」
ちょっと大人びた表情で、桜沢がもっともらしいことを言う。
「サクも矢本も、告られた時のために練習しておけよ。その分じゃ、思いっきり動揺して、紳士な対応なんて不可能だぞ」
「それはそうだけど……まあ、大丈夫だよ。絶対にないから」
自分には関係のない話だ。
そう思っているのは桜沢も同じだったようで、まったく他人事のような顔で大きなあくびをしていた。



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