- 春ノイズ -

-5-

新しい環境、伝統、校風。
いろんなことを受け入れながら過ごす高校一年の4月というのは本当に慌しい。
遙との約束は忘れていなかったが、一週間があっという間すぎて曜日の感覚は抜け落ちていた。
「矢本、いいなー。俺も瀬崎先輩んちのコーヒー飲みたいぞー」
放課後、桜沢がボソリとつぶやいた。
いつもと違ってテンション低めな感じだったのは、遙と従兄弟であることを隠しつづけている俺への気遣いなんだろう。
桜沢は隅々まで能天気に見えて、案外律儀なのだ。
「そういえば今日だった。っていうか、何時に行けばいいのか聞くの忘れた」
普段ならたとえ遙が帰ってない時間に行っても何の問題もないけど、今日はおばさんがいないはず。
メールして確認してみようと携帯を取り出したら。
「利央、帰るぞ」
何を思ったか、遙がいきなり教室まで俺を迎えにきた。
「従兄弟だってことは内緒にして欲しいって頼んだよな?」
あわてて駆け寄って、ものすっごい小声でクレームをつけてみたけど。
「だから何だよ。『帰るぞ』しか言ってねーだろ」
全てにおいて俺様価値観な遙は、世間というものがぜんぜんわかっていない。
「そうだけど、でも」
結果的には言ったも同然だ。
すでに何かを問いたげな視線がチラチラと飛んできている。まったく何の説明もなしというわけにはいかないだろう。
「どうでもいいこと気にしてんなよ。いいから帰るぞ」
グズグズするなと怒られ、カバンを人質代わりに取られてしまった。
今ここにいる全員が月曜日までにこのことを忘れてくれることを祈るばかりだが、何せ『食いつけるものは何でも楽しむ』という校風だ。
無理な話に違いない。
「あーあ……」
「何、ため息とかついてんだよ」
月曜日のことを考えると、「遙のせいだからな」と文句を並べる気力さえなくなった。
「本屋とコンビニ寄ってくから、先に行ってろ」
一気にゆううつになった俺とは対照的に、遙の機嫌は悪くなかった。
ポケットから取り出したばかりの、妙にあったかい鍵を渡され、一人で遙の家の門をくぐった。
「あれ……?」
玄関が開いていたので、そっと覗いてみると、おばさんが今まさしく出かけるところだった。
「あら、リオ」
「こんにちは。遙がコーヒー入れてくれるって言うから一緒に帰ってきたんだけど、なんか買うものあるとかで今は本屋に行ってる」
すぐに来ると思うけど、という俺の説明なんておばさんは半分も聞いてないみたいだった。
というか、遙の所在はどうでもいいらしい。
「ちょうどよかった。今日はリオの好きなおやつたくさんあるのよ。お夕飯も用意してあるから、よかったら一緒に食べていってね? それと、日本のおばあちゃんから荷物が届くので受け取っておいてもらえるかしら?」
「うん、わかった」
お留守番よろしくねと言うやわらかい声は、ずいぶん日本に慣れた今でもやっぱりどこか外国の人らしいイントネーションがまじる。
そして、「お土産楽しみにしていてね」の後半は閉まっていくドアに消されていた。
「おじゃまします」
誰もいないのは承知の上で挨拶をしつつリビングのドアを開けると、ふんわり甘い香りに包まれた。
手作りと思われる菓子類が何種類もかわいらしいガラスの入れ物に収められてテーブルに並んでいる。
「って言っても、コーヒーを入れてもらうまで食べないほうがいいよな」
遙は買い物に時間をかけるタイプじゃないし、そんなに待たされることはないだろう。
上着を脱いで背もたれに掛けてから、ソファに腰を下ろし、暇つぶしにテレビをつけたとたんにあくびが出た。
「今日、あったかいよなぁ」
これからどんどん気温は上がり、気が付いたら連休で、それが過ぎたら学祭で、その直後にはテストがあって、あっという間に夏休みだ。
ぼんやりそんなことを考え始めたとき、ペシっといい音がした。
というか、頭を叩かれた。
「なんでヒトんちでグーグー寝てんだよ、おまえは」
自分ではただの考え事のつもりだったのに、どうやらうっすらと夢を見ていたらしい。
脳内に残っていた映像は何かのゲームの画面っぽかった。
『夏休み』から冒険を連想してしまったのかもしれない。
「……遙が帰ってくるまで留守番してろって、おばさんが……あと、ばーちゃんから荷物届くって」
言われたことはちゃんと伝えたものの、まさしく寝起きの声だった。
「鍵もかけずに寝てたら留守番にならねーだろ」
「……だよなー」
どうもここへくるとぼーっとしてしまう。
一応よその家だというのに寛ぎすぎだ。
呆れられてもしかたない、と思ったけど。
「『だよなー』じゃねえっつの」
怒ってるのかと思ったら笑ってた。
バカにしているのかもしれないけど、なんだか楽しそうだ。
コトリ、と目の前に置かれたのは淹れたてのコーヒー。
「あー……いただきます」
本当に遙が用意してくれたらしい。
しかも、コーヒーができあがるまで起こさずにいてくれたらしい。
明日は雪に違いない。
そういうレベルだ。
「なんだよ?」
「え、別に……なんでもないよ。遙んちのコーヒー、やっぱうまいよなぁって」
斜め前にある一人掛けのソファに据わって頬杖をつき、コーヒーをすする遙の横顔を見ながら、わけもなく「うわー」と思った。
でも、どういう意味の「うわー」なのかは自分でも分からなかったけど、別に嫌な種類の「うわー」ではないから、まあ、それはいい。
テーブルに投げ出されていたのはさっき買ってきたと思われる本。
バイクとか車とかそういう関係の雑誌。あとは参考書。
「遙って、まじめに勉強してんのかぁ……」
「当然だろ。来年受験だぞ」
「あー……遙は二年なんだよなぁ」
当たり前のことに少し戸惑ってしまうのは、自分の頭の中にある遙のイメージといろんなことが違っているような気がしたせいだろうか。
横柄で俺様で、遊んでばっかりいるくせに勉強で苦労したことはない。俺の知ってる遙はいつだってそんな感じだった。
「つか、おまえ、何でいきなり『俺』とか言ってんだよ。色気づきやがって」
クラスに同じ中学のヤツがいないので変えたところで誰も気付かないだろうと安心していたんだけど。
そういえば、一番ツッコミそうなヤツがここにいた。
というか、改めて尋ねられるとなんだかちょっと恥ずかしい。
「別にたいした理由じゃないよ。『僕』だとちょっと子供っぽいかなって思っただけで、特別何かあるわけじゃ……っていうか、男子校で格好つけても意味ないし」
いろいろ詮索されるのも嫌なので、話題を変えようと思って遙が買ってきたばかりの参考書をペラペラとめくった。
その時、急に桜沢の話を思い出した。
一年の時に先輩と付き合っていたという、あの噂のことだ。
「……遙って、好きな人とかいんの?」
まだ半分寝惚けていたのか、なんとなくぼんやりしていたせいであまり考えずに口に出していた。
てっきり『はあ?』とか『何わけわかんねーこと聞いてんだよ』とか言われると思ったのに、返事は予想外で。
「いたら悪いかよ」
断定はしていないけど、それはどう考えても肯定だ。
今度は少しどころじゃなく思いっきり戸惑った。
「悪いっていうか、いや……悪くはないけど」
小学校も中学も同じで、一度だって誰かと付き合ったことがあったら嫌でも俺の耳に入っただろう。
つまり、少なくとも高校に入るまではそんなことはなかったわけで。
「えと、その人と……つきあってんの?」
「いや」
「どこの学校?」
聞いてどうする、と自分で思った。
けど。
「興味あんのかよ?」
その返しも相当予想外だったもんで。
「え、あ、興味って言うか……なんか、そういう流れだったから」
社交辞令として聞いてみただけだというような言葉を慌てて足してみたが、背中には変な汗が流れる。
その間、遙はずっと斜めに俺を見ていたけど。
「あ、そう」
その一言でさっくりと会話を終わらせ、雑誌に視線を移してしまった。


インターフォンが鳴って少しホッとしたのは、無言でコーヒーを飲みつづけるのが嫌になっていたせいだろう。
「誰か来たよ」
いい機会だと思って声をかけたが、遙は雑誌を読みふけっていて顔さえ上げる気配がない。
というか、面倒だから無視を決め込んでいるのかもしれない。
セールスとか勧誘の類なら確かに煩わしいから、このまま居留守にしておこうかとも思ったけど。
おばさんから「荷物が届くからよろしく」と言われていたことを思い出し、慌てて玄関に向かった。
インターフォンを素通りし、遙の靴を踏みつけてドアを開けたが、立っていたのは宅配のお兄さんなどではなかった。
びっくりしたまま固まっていたら、その人はこちらに向かってにっこりと笑いかけた。
「阪口と申します。えと、遙君の弟さん?」
「え……」
違います、と答える前に背後から足音が響いて、遙が顔を出した。
けど。
「……ああ、久しぶり」
口を開いてから声を出すまで、なんだか微妙な間があった。
「こんにちは。ほんと久しぶりだね」
近くまできたからちょっと来てみたんだ、というような前置きをしている間に、遙はささっとリビングに引き返していった。
失礼なヤツだと思っていたら、戻ってきた時には俺の荷物と上着を持っていた。
それらを一纏めにこっちに押し付けたあと「じゃあな」と目線で玄関のドアを指し示した。
すなわち「じゃまだから帰れ」の意味。
「ああ、弟さんじゃなくて友達だったんだ。ごめんごめん、気を遣わなくていいよ。一人暮らしするんで引っ越ししたから、お礼を兼ねて挨拶しに寄っただけだから」
5分で済むからって言ってくれたけど、そんな話をする間も遙は遠慮なく俺の背中を押していた。
「そっちこそ気ィつかわなくていいよ。こいつ、近所に住んでる従弟だから」
コーヒー入れるから上がって、と遙にしてはかなり愛想良く招き入れ、そのあと「おまえはさっさと帰れ」とストレートに俺を追い払った。
なすすべもなく荷物を抱え、靴をつっかけて外に出る。
パタン、と背中でドアが閉まった瞬間、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「……すっごい待遇の差だと思うんだけど」
確かに近所に住んでる従弟だけど、あの態度はひどくないか?
『先輩が来たからまた今度な』とか言ってくれたら俺だって快く帰ったのに。
相手は年上だし、久しぶりだって言ってたし、優先するのは仕方ないとは思うけど、でも、やっぱり面白くない。
「コーヒー、まだ残ってたのに。お菓子だって、まだ2種類しか味見してないし」
おばさんが用意していったご飯だって食べる気でいたのに。
なんだか全てが不愉快だった。


家に帰って宿題と夕食を済ませ、遙に文句のメールを送ってみたが返事はなかった。
むしゃくしゃした気分でシャワーを浴び、冷蔵庫を開けたが目当てのものが見当たらない。
「母さん、牛乳ないよ」
「あ、ごめん。買ってくるの忘れちゃった。利央、コンビニ行ってきて?」
おつりはあげるから、と500円玉を渡され、少し機嫌を直して外へ出た。
遙の家の前まで行ってみたが、どの窓にも明かりはついていないし、自転車もない。
「こんな時間にどこ行ってんだよ」
なんだかもう、すべてがムカついてどうしようもなかった。



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