- 春ノイズ -

-7-

愚痴を聞いてもらったせいで多少気は晴れたものの、家に帰ってあれこれ考えてみると別のもやもやしたものが膨張しはじめた。
無言で夕飯を食べ、家族に「どっかおかしいんじゃないの?」と熱を測られ、楽しみにしていたはずのテレビにも集中できずに二階にある自分の部屋に引きこもった。
「……なんか疲れる」
先輩が来たとき、遙は珍しく動揺していた。
会長や他の友達といるときとは違う、特別な感じだった。
―――結局、「つきあってた」って話はホントだったってことだろ?
考え始めるとモヤモヤが大きくなる。
気になることは遙に直接聞いてみればいい。
そう決めたばかりなのに、携帯を手に取るまで1時間以上悩んでしまった。
時刻は9時半。
遙だってまだ余裕で起きているだろう。
窓辺に立ち、何気なくガレージの斜め前あたりに目をやったら、人影があった。
「えっ……遙?」
思わずつぶやいたのと同時に手の中で着信音が鳴って、思いっきりビクッと跳ねてしまった。
しかも、そのメールはまさに遙からで。
またしても「ちょっと顔出せ」みたいな王様全開モードかと思いきや、『今なにやってる?』というわりと普通の、いや、むしろ遙にしてはかなり控えめな文面だった。
『何もしてない』
とりあえずそう返すと、今度は『ちょっと出てこれないか』。
『いいけど』と返事を送ったあと、そろそろと階段を降り、靴をつっかけて音を立てないようドアを閉めた。
塀の向こう側、待っていたのは遙と自転車。
「乗れよ」
低姿勢で誘ったわりには横柄な口調だったけど、別に嫌な感じはしなかった。
「コンビニ?」
「もうちょい先」
「二人乗りは―――」
「怒られそうな相手がいたら速度落すから飛び降りろ」
「そのほうが危ない気がするんだけど」
子供の頃もたまにこうやって親に内緒で家を抜け出した。
コンビニだと「夜遅くに子供だけで来ちゃダメだよ」なんて店の人に注意されてしまうから、行き先はほんの少しだけ遠い自動販売機。
ジュースを一本買って二人で半分ずつ飲む程度のことしかしなかったけど、とても楽しかった。
すっかり忘れていただけで、いい思い出もけっこうあるんだなって、遙の背中を眺めながら、ぼんやりと昔の記憶に浸った。


自転車が止まったのは、なだらかな坂を上った場所。
すぐ下は学校のグラウンドで、「もうちょい」のはずがずいぶん遠くまで来ていたんだと気づく。
「なんで、こんなところに―――」
駐車場らしきスペースに自転車を置いて歩き出した遙の後を追うと、小奇麗な洋館風の家が目に入った。
「俺、そこでバイトしてんだ」
看板が出てるわけではないが、一応カフェらしい。
柵の内側にあるポストに名前が二つ書いてあったが、どちらも日本人ではなかったから、遠い親戚とかおばさんの知り合いとか、そんな感じなのかもしれない。
「こっちだ」
白い柵に沿ってぐるりと回ると、建物の真後ろに幅の狭い階段があった。
周囲の建物が変わっていたせいで記憶が不鮮明だったけど。
これは、もしかして。
「昔、おまえが転げ落ちた階段」
「……だよな」
ここを一番下まで降りていくと学校のすぐ裏に出るという、噂の『秘密階段』でもある。
二人で並んで立った場所は、その一番上に当たる。
「俺が一年の時の土曜日か日曜日で、バイト終わったあとにここ通って学校に行こうとしたら、真ん中あたりに先輩が座り込んでた」
突然切り出した遙の口元を見ながら、少々面食らった。
階段入口の両端はちょうど肘を置ける高さの手すり。
そこにもたれながら、淡々と話しているのは例の先輩のことなのだ。
先輩には同じクラスに付き合ってる人がいたけど、親に知られて問題になり、相手は転校。それきり音信不通になったらしい。
当時、そのことは学校中の噂になった。
受験だというのに成績は下がる一方、体調を崩してしばらく学校を休んだ先輩はときどきそこで膝を抱えていたという。
たまたま遙が通りかかった日も先輩の目は真っ赤で、袖は涙で濡れていた。
「普通、高校生にもなって目が腫れるまで泣かねーだろ?」
よほどのことなんだろうって思ったら放っておくこともできなくて、カフェに誘ってコーヒーを入れてあげた。
それから少しずつ仲良くなっていろんな話をするようになった。
勉強を教わることもあった。
学校のことも、もっと個人的で言いにくいこともいろいろ相談されたらしい。
「ただでさえ落ち込んでる時に、陰口まで全部一人で背負うのは大変だしな」
特別何かの役に立つわけじゃなくても、味方がいると思えたら気持ちは少し軽くなるかもしれない。
だったら、それでいいんじゃないかって思ったんだって遙は言うんだけど。
「それだけだ。別に付き合ってたわけじゃねーよ」
遙とのことはもともと先輩をあまり良く思っていなかった人が面白がって立てた噂で、生徒の大半は信じていなかったから、いちいち否定したりもしなかった。
「向こうは3年だったから、ほっといてもどうせすぐ卒業だろ?」
成り行きといってしまえば、確かにそうなんだろう。
でも。
「……なんかいつもと違ってずいぶん優しいような気がするんだけど」
「そんなことねェよ」
「でも、泣いてるの見てたらちょっと優しくしてあげたくなったってことだし」
「じゃなくて。『そこで泣くな』って思っただけだ」
「はあ?」
たとえ階段の真ん中に座り込んでいたとしても、まったく通れなくわるわけじゃないのに。
「……意味わかんないんだけど」
そのあとも遙からは「とにかくものすごく嫌なんだ」という以外の説明はなかった。
何にしても、昔の遙はもっと違ってたような気がする。
どこまでも俺様で、人が嫌がることばっかりして。
話す時だっていつもバカにしたみたいな口調で、こっちが泣いても怒っても面白がっていた。
遙が高校に入ってからの一年間は会う機会も少なかったから、そういう微妙な変化に気付かなかったけど。
たった一年。
でも。
遙の背がまた一段と伸びていつの間にかすっかり大人びてしまったように、一年は俺が思っているよりもずっと長い時間なのかもしれない。
「それで……先輩、この間は何しに来たんだって?」
ごちゃごちゃしていた何かが少し片付いて、その分だけ隙間ができる。
尋ねた瞬間、空いた場所にふつふつと湧いてきた感情がいったい何なのかさっぱりわからなくて、前よりもいっそうもやもやした。
半分無意識につづけたものの、本当はこんな話はしたくないんだと30秒くらい経ってから気付く。
「別に。引っ越しして、ようやく落ち着いたからって、礼言いにきただけ」
「でも、あの日の夜、遙の家誰もいなかったよな」
聞けば聞くほどイライラする。
今すぐあの夜のことも今のこの会話も、全部どこかに押し込んでふたをして、ぜんぜん違う楽しい話をしたい気分だった。
「来たのかよ」
「……牛乳買いにコンビニ行くとき、真っ暗だったから」
斜め上方向から遙の視線が落ちてくるのを感じた。
気まずいというのとも少し違ったけど、なんとなく変な空気だったから、目が合わないように顔は1ミリも動かさなかった。
「あれは……コーヒー飲んでたら、『寒い』とか言うから、自転車でアパートまで送った。つか、あんな暖かい日なのに、寒いっておかしいだろ?」
家についたあともあまりに具合が悪そうだったので、しばらくつきそっていたらしい。
「遙って他の人には親切なんだな」
「なんでそうなるんだよ。向こうは一人暮らしなんだから、しかたねーだろ?」
そんな返事もやけに説明臭く聞こえるんだよな、とか。
けど、今の話が全部嘘だったとしても俺にはぜんぜん関係ないしな、とか。
余計なことを考えつつ、「ふーん」と気のない返事をした。
あまりに「どうでもいい」って感じに聞こえたのか、遙の手がおもむろに後頭部の髪を引っ張った。
「痛いって」
「んな強く引っ張ってねーだろ」
高校生なんだから子供染みたことはしないはずという会長の読みは既に思いっきり外れている。
今後もあまりあてにしないほうがいいだろう。
「で、話戻すけど」
引っ張っていた髪を離し、適当に撫でつけながらこっちの返事を待つ。
いつもは勝手に言いたいことだけ並べるのに、今日は違うらしい。
昼間俺がブチ切れたせいなんだろうなというのは分かっていたけど、どんな理由にしろ一方的でないっていうのはなかなかいい感じだ。
「うん。いいよ、聞いてやっても」
調子に乗ったとたん、遙の手が前に回って俺の額をペチンと叩いた。
別に痛くなかったけど、手がおでこにくっついたままだったので、指を掴んで剥がしておいた。
遙の手の温かさが心地よく感じられるのは、少し肌寒いせいなんだろう。
何か羽織ってくればよかったと後悔している俺の耳元で、遙の話はつづいている。
「その後、夜中に高校ん時に別れた相手っていうヤツが来たから、そいつに任せて帰ってきた」
家に戻ったのは0時過ぎだから、外泊したわけではないと付け足した。
「じゃあ、先輩、今はその人と付き合ってるんだ?」
「知らねーよ。ってか、興味ねェ」
別れた相手か何か知らないけど、すっかり疎遠になっていたら夜中にふらりとやって来たりはしないだろう。
本当のところは遙にも分からないみたいだったし、それ以上にものすごくどうでもよさそうだったので、二人の間柄についての考察はそこで終了となった。
とりあえず、心の中で「なーんだ」とつぶやいた。
それから、噂なんてこんなもんだよなと頷いてみた。
失恋した人を慰める遙なんて意外すぎて想像もできなかったけど、会長が言っていたとおり、それほど最悪な性格ではないってことだろう。
「話ってそれで終わり?」
「そう」
さっきより少しマシな「ふーん」を返して街を見下ろす。
「つか、つまんねェことで怒んなよ。先輩が妙な発言して変な方向に誤解されたら面倒だからおまえを家に帰したのに、これじゃ意味ねーだろ」
背中から聞こえたつぶやきは怒っているというよりもため息まじりという感じだった。
もちろん全面的に俺に向けられていたんだろうけど、もはやどうでもよかったので思いっきり耳を素通りさせておいた。



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