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二人で車に乗り込み、コンビニで飲み物を調達してから海に向かった。
「なんでクーラーボックスなんか……」
所長の車には他にもいろいろ積んであった。
にもかかわらず、恐ろしいほど全てがきちんと置かれていて、かえって几帳面さが強調されてた。
こういうタイプはきっと自分にも他人にも厳しくて、イヤなヤツに違いない。
そう決め付けたのが分かったかのように、所長が笑いながら付け足した言葉は以下の通り。
「実はここに赴任する前から遊ぶ気満々なんだよな、俺」
「あ、そうっすか」
実は遊びに来たってことなのか。
……いや、こいつに限ってそれはねーな。
だって、にっこり笑ってても何か隠してるっぽい感じだもんよ。
人気のない場所で車を止めて小道に入り、脇から伸びて覆いかぶさる草むらを掻き分けて海岸を目指す。
「うわ、こんな所を通るのか? 虫に刺されそうだな。あ、あれ合歓の木だろう?」
珍しそうにあちこち指を差し、途中で立ち止まったり、葉っぱを触ったりするんだけど。
「変なもの触ってかぶれても知りませんよ。あっ、葉先と逆方向に手を滑らせたら指切りますって」
まったく見ちゃいられない。
「所長って都会育ちなんですか?」
そりゃあ、そうだろう。
田舎で育ってたら絶対にこんなことはしない。
節なんてなさそうな真っ直ぐな指はこの辺の男としちゃあり得ないほどキレイで、手は切りそろえられたツメの先まで隙がない感じだった。
「そうだよ。生まれてからここに来るまでずっと東京。でも、東京にも緑はあるんだけどな」
まあ、そうだろうけど。
顔も首筋も。
色白っていうんじゃないけど、染み一つない肌。
真っ黒になりながら野山を転げまわったり、海でふやけながら夏を過ごした経験などなさそうだ。
「榊は本当にいい色に焼けてるよな」
それだって厭味なのか褒め言葉なのか分からない。
どう受け止めるべきかいちいち考えなければいけないのは疲れる。
「毎年日に当たっていると染みついて落ちなくなるんですよ」
どうでもいいような口調で妙な言い訳とかしてみたり。
だってな、去年も今年もそんなに遊び呆けてないし。
海だって先週はたぶん一度も入ってないし。
「所長も何年かここにいたら、こうなりますよ」
でも、こいつは一ヶ月間の仮所長。
顔と首くらいしか日に焼けないだろう。
「いい天気だな」
「夏なんて毎日こんなですよ」
「やっぱりアスファルトの熱とは違うよな」
「へー、そうですか」
子供みたいに笑う横顔を見ながら、投げやりな返事をして。
でも、まあ、一ヶ月だけならこんな上司もいいかと少しだけ思った。
「この辺でどうですか?」
まだなんとなく半信半疑のまま、でも、自分のために何にも邪魔されずに泳げそうな場所に案内した。
「へえ、さすが地元っ子。俺のリクエスト通り」
こんな時間に遊びに来るのなんて普段はガキんちょだけなんだが、世間的にはお盆は海で泳いじゃいかんので、今は誰もいない。
それにここまで来るのは子供の足ではちょっと大変だから、この辺りにチビたちは近寄らない。
なので砂も綺麗だった。花火なんかもできない場所だからゴミもないし、賑わう浜からは死角なので人影は視界に入らない。
まさにボーっとするにはもってこい。
「プライベートビーチだな」
いや、そんなに格好のいいもんじゃないけど。
でも、まあ、泳ぐのにこれ以上の場所はない。
「今年は意外とクラゲも少ないし」
少し離れた所に横長の小島があって、そこまでの間なら波も高くない。
思う存分往復できる。
「んじゃ、泳ぐぞ〜!!」
ついさっきまで、「本当に上司を放ったらかして一人でガシガシ泳いでもいいもんなんだろうか?」なんてことも考えていたんだけど。
海を見たら所長がいることなんてすっかり忘れてしまい、勢いよくシャツとズボンを脱ぎ捨てていた。
蹴飛ばしながらサンダルを脱ぎ、ジャブジャブと海に入ると心地よく海水が足に纏わりつく。
「準備運動はしないのか?」
「大丈夫だって〜。うっわ〜、冷てー。気持ちいいー」
自分がタメ口になっていたことにも気付かないほど、はしゃぎながら沖を目指す。
社会に出た途端、忘れてしまった夏休みの香りが辺りいっぱいに立ち込めていた。
潮の匂いのする空気を思い切り吸い込んで、頭までジャブンと海に浸かる。
目指す小島は真正面。小島といっても横長の岩が二つとコンクリートの堤防が水面から出ているだけなんだが、平らだし結構広くて寝心地がいい。
そこまで一気に泳ぎ着くと太陽熱を思いっきり浴びたコンクリートの上に這い上がった。
「あったけー」
そのまま体を温めていたら、いつの間にか所長も来ていた。
「アザラシみたいだな」
微笑ましいものでも見るような目だけど。
でも、『アザラシ』は褒め言葉ではないよな?
どうなんだろう。
悩む所だが、まあ、どうでもいいか。
「所長って海でも泳げるんっすね」
もやしっ子かと思ったのに、意外といい体をしていた。
「あまり波がなければな」
「体、鍛えてるんすか?」
「ああ。ジム通いしてた」
この辺には駅の方まで行かないとスポーツクラブなんてないから、赴任前の話なんだろう。
「そういう榊こそ」
いい体してるってか?
けど、さっき『アザラシ』って言わなかったか?
う〜ん……いちいち悩む。
「俺のは遊んでるだけですけど」
社会人になっても夏は泳いで真っ黒け。
毎年、取引先に「いいねェ、若い人は」とか言われるありさま。
もちろん褒められてない。
でも、所長はにこやかに笑った。
「いいんじゃないか。健康的で」
海から岩に上がった所長の髪からポタポタと雫が落ちる。
もちろん眼鏡なんてかけてなくて、普段のエリート上司な印象は少しもなかった。
っつーか、えらくイイ男だった。
そういえば、女の子たちがそう言ってたっけ。
……今頃気付くなってことか。
ごちゃごちゃ考えながら、岩の周りを泳いだり、体を干したり。
それはそれで楽しいし、一人でいるよりは変人扱いされないような気はしたものの。
「榊」
相手をしなくていいはずだったんだけど、近くにいればやっぱり話しかけられる。
「いいよな、ここ」
話すこと自体はキライじゃないんだけど。
「……何がですか」
頭のできが違うのか、育ちの差なのか、所長と俺はどうも会話がかみあわなかった。
「夏って感じで」
「……夏ですからねぇ」
当たり前だろと思っていたのがあからさまに分かるほど表に出たが、寝転んだままこちらに顔を向けている男はやけに慈愛に満ちた目で笑ってた。
「蝉の声も、たまに聞こえる電車の音も、肌にまとわりつく潮風も、緑の匂いも」
すうっと息を吸って、また吐いて。
「な?」とか言うんだけど。
「……それが何か」
蝉の声以外は夏じゃなくても同じだ。
それよりも、蝉の声なんて暑苦しさ倍増なだけじゃねーかよ。
あああああ。かみ合わねー。
「絵に描いたような日本の夏っていいよな。朝、ラジオ体操とかしたくなるだろう?」
「……別に」
その気持ちがわかんないのは俺だけですか。
「ノスタルジーってこういうことなんだろうなって思うよ」
そんな気障っちい言葉と一緒に遠い目とかするし。
「……『のすたるじー』ってなんですかね」
どう頑張ってもかみ合わないんだから、ムリに相手をすることはない。
そうは思っても上司は上司。
「若いとあんまり感じないものの一つ……なのかな」
フッと大人な笑みを浮かべる口元。
「榊、」
名前を呼ぶだけなのに、なんだか都会チックなのがやっぱり俺とは相容れない感じだ。
「なんですかー」
もうどうでもいいやと思いながら、あふあふとアクビ混じりの返事をした。
「いいところで育ったんだな」
そう言われましても。
なんて答えたらいいのやら。
「……そうっすか」
っつーか。
会話にならねー。
めんどくせー。
「……俺、昼寝していいですか」
「どうぞ、ごゆっくり」
さらりとした笑顔が俺の目を見る。
「じゃあ、遠慮なく。おやすみなさい」
所長も「おやすみ」と返したけど。なんだかオトナの微笑みつきだった。
「あふ〜……」
大あくびをしながら、ごろんと横になる。
ついでにそのまま伸びをして大の字になる。
所長はぜんぜん気にしてないみたいだけど、所詮は上司と部下。
しかも、男二人で海ってやっぱ失敗だったんじゃないだろうかなんて思いながらも、心地よい眠りに突入した。
人気のない海はほどよく風も通り、本当に気持ちよかった。
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