-ひとなつ-




-3-

のどが渇いたと思いながら目を開けて。
そしたら、いきなり視線が合った。
「おはよう、榊。よく寝てたな」
「……はよ……ございます」
なんだかじっと見てたみたいなんだけど。
「榊、日焼けして体が痛いってことはないのか?」
所長から飛んできたのはまるっきりどうでもいいような質問だった。
「……あんまり」
うっかり三時間寝てしまったときは大変なことになったけど、今は少し雲もあるし、一時間程度ならどうってことない。
それよりも、所長の視線が……。
俺の顔なんて見てなくて、胸元に注がれたままなのが気になった。
そりゃあ、世間の同年代から比べたら明らかに日焼けしすぎだけど。
「焼けてるとマズイんっすか?」
やや開き直って聞いたら、
「仕事上はまずくないだろうけどな」
そんな返事。
もっとも、「まずいな」と言われたとしても、どうにもならないんだけど。
それにしても、「仕事上は」っていうのはなんだ?
意味するところがわからない。
「……俺、もっかい泳いできます」
疑問を疑問のままにして、またジャブジャブと海に入った。
「深読みしても仕方ない」という気持ちと「頭を冷やしたら何か思いつくかもしれない」という安易な気持ちからだったんだけど。
「ぷはっ」と水面から顔を出した時も、なんとなく後頭部に視線を感じて振り向けず、そのまま黙々と泳ぎ続けた。


いい加減疲れて浜に上がると、日陰に避難していた所長からまたアザラシ呼ばわりされた。
それはまあいいんだけど。
「ゴーグルの跡がついてるぞ」
「……そうっすか」
なんというか。
「どうした、榊?」
ちょっと真剣に泳ぎすぎたらしい。
「……だりぃ」
気がつくと俺だけヨレヨレでクタクタ。
浜に打ち上げられたクラゲ状態になってたら、所長が本当におかしそうに笑った。
「榊って、地黒なわけじゃないんだな」
唐突に吐いたのはそんな言葉で、視線の先は腰の辺り。
つられるように確認すると、海パンがズレて焼けてない部分がほんの少しだけ覗いてた。
「綺麗に焼けるもんだな」
まじまじと見ながら、また微笑まれて。
そりゃあ、男にしちゃあ、俺のはキレイな方だと思うけど。
男のケツなんて見て笑うなよなと思う。
「……毎年同じ海パンはいてますから」
たぶん、コイツはちょっと変わってるんだろう。
そんな結論を出しつつ、ズレた海パンを定位置までずり上げた。




「じゃあ、そろそろ行くか」
所長のひとことで引き上げることになった。
帰りに賑やかな浜まで行って、知り合いにシャワーを借りて。
「ふあぁ〜、気持ちよかった」
潮も落としてすっきりさっぱり。
さあ、帰宅……と思ったのに。
「ドライブでもするか」
まだ夕方だしな、とかいきなり言われて、思わず「げっ」と言った瞬間にまた笑われた。
「疲れてないっすか?」
普通は泳ぐと眠たくなるはずだ。
ついでに俺は日に当たりすぎてるから余計にヤバい。
そんな状態で運転なんてかったりぃぃぃ……と思ったのも顔に出たらしい。
「榊は助手席」
ナビだけしてくれればいいからと言われて、
「ふぁーい」
アクビ混じりに渋々承知した。
「どこ行きたいっすかーぁ……あふぅ〜」
どうでもいいけどアクビが止まんねーし。
「そうだな。車の通りが多くない道で、できれば海と夕日が見えるところがいい」
もうこのリクエストだけで俺の気持ちとはかみ合ってないんだけど。
意外と肩の凝らない相手だということがわかったので、まあいいか……ってことにした。
その3分後。
「ふぁ〜ぁい。じゃあ、そこ右」
半眠り状態で出した俺の指示を聞いて、所長はいきなり車を脇に寄せた。
妙なものでも落ちてるのかと思って前を見たけど何もない。
「どうしたんすか?」
だったら忘れ物でもしてきたかと浜辺の光景を脳内再生までしてみたが、車を止めたのはそんな理由じゃなかった。
「右に道なんて……」
「それ、道ですよ」
「え? だって、草が生えて……」
舗装してないところは道じゃないのか?
草が生えてたら車は走っちゃいけないのか?
一度じっくりと問い詰めてみたいものだ。
「ここら辺じゃ、それは普通の道です」
「ふうん、そうなのか」という間の抜けた返事の後。
何が楽しいのか、かすかについている轍をわざと避けて車を進め始めた。
雑草をなぎ倒しながら上機嫌でハンドルを握る男を白い目で見つつ、『なんか妙なんだよなぁ……』と心の中で突っ込んでいるうちにまた眠くなってきた。


アクビをかみ殺して抜け道をナビする。
小道を出ると急に視界が開けて、その先は夕日が見える海沿いの一本道。
「こんなに綺麗な場所なのに車の通りは少ないんだな」
「まあ、そうっすね」
っていうか、盆なんて親戚が集まって、墓参り行ってスイカでも食ってごろごろしてるだけなんだから、大通りだってそんなに走ってない。
心の中だけでタラタラ文句を言いながら、あふあふとあくびをしている俺の存在など忘れて、所長は運転しながら周りの風景に見とれていた。
「本当に綺麗だな」
「……そうっすかぁ。どうでもいいけど、わき見運転は危ないですよ」
盆に葬式なんてシャレにならないからやめてくれ。
ってか、言ってるそばからカンペキに横向くなよ。
あああああ。もう。
「榊、兄弟は?」
「はぁ?」
少し油断するとすかさず趣旨がわからない質問が飛んでくる。
「兄が二人……なんか関係あるんすか?」
だったらスペアがいるんだからいいだろうとか言われるんじゃないかと思ったが、もちろんそんなことはなく。
「お兄さん、ご結婚は?」
「へ? 上はしてる。けど、下のはまだ……」
だから、何だ?
俺の疑問をよそに所長は意味深に頷きながら笑っていた。
その本意を問う間もなく。
海辺に不似合いな様相の車は静かに減速した。
「じゃあ、この辺で停めるか。駐車禁止なんてことないよな?」
そんなこと聞くまでもない。
「大丈夫ですよ」
それ以前に。
……こんなとこ誰も来ねーんだよ。



夏草が生い茂る路肩に車を停めて外に出た。
夕日はまあキレイといえばキレイだが。
「所長、もしかしてデートコースの下見っすか?」
東京においてきた彼女が遊びにくるっていうのなら、こんな場所でも悪くはないのかもしれない。
人の気配がないから好き放題やれる。
なんてことも一瞬考えたが。
「いや。そうじゃないよ」
ただ単に遊びに来ただけってことなら相当の物好きだ。
第一、なんで部下と来る?
「榊、いつも彼女とどこへ行くんだ?」
「へ?」
唐突に聞くんだけど。
その前に。
「……んなもん、いませんけど」
ほっといてくれよという気持ちでそう答えたら、「俺もだけどな」と笑って返されて。
「あ、そうなんですか」
気の抜けた返事をしながらも、少しだけ親近感を持つ。
絶対いそうなんだけどな、彼女。
だから男二人でドライブっていうのもナンだけど。
でも、そんなことに拘る気はないらしい。
「こっちで可愛い恋人でもできたら残ってもいいんだけどな」
サラッとそんなことを言うから。
「好きなタイプとか条件出しといてくれたら、友達紹介しますよ」
俺もちょっと乗ってやった。
この顔で、この地位で、東京に持ちマンションがあるという噂の男。
知り合いに紹介したとしても嫌がられることはないだろう。
けど、東京の女子と比較して俺の友達ってどうなんだろうなどと思っていたら。
「普通の子がいいよ。榊みたいなこの辺でのびのびと育った感じがいい」
……って言われたんだけど。
「それって好みのタイプ関係ないっすよね?」
この辺の女なら誰でもいいって言われてるような気がするのは俺の思い込みか?
「そんなことないだろう?」
何がおかしいのか知らないけど、所長はやけに楽しそうに笑いながら俺の顔を見ている。
「なんかついてますか?」
きっとそうなんだろうと思って自分の顔をひとなでしてみたけど、別に変わったことはなかった。
「いや、何て言うのかな……榊みたいなのんびりした子がいいなって思っただけなんだ」
できればあんまり恋愛慣れしてなくて、ついでに、どちらかと言わなくても解りやすい性格の子がいい、と。
「解りやすい性格ってどんなですか?」
わかんねー……とか思っていたら、また笑われて。
「思ったことがすぐ顔に出ると、こっちで余計な気を回さなくていいだろう?」
まあ、そうだけど。
「所長、意外と面倒くさがりなんですね」
あれこれ考えるのが好きそうなタイプに見えるんだけど。
整った顔を凝視したまま返事を待っていたら、またニッと笑われた。
「前の会社で人間関係に疲れちゃってね」
「……へー」
都会暮らしは大変そうだ。
つくづくお気楽職場でよかったと思う。
なんてことを心の中でつぶやいていたら。
「榊、」
「なんすか」
「毎日楽しそうでいいよな」
今まさに考えていたことを見透かされてるような気が……。
「それって……褒めてないんすよね?」
所長はしばらくクックッと笑い転げてたけど。
「榊から見て俺はどう?」
またしても唐突にそんなことを聞いた。
突然わけのわからないことを言うのがきっとコイツの趣味なんだろう。
それはなんとなく分かったんだけど。
……『どう?』って聞かれてもなぁ。
つい数時間前までは、インテリくさくて自分にも他人にも厳しいタイプと思っていて。
でも、意外とそうでもないかもしれないと思ったくらいで。
別に、あえて本人に言うような感想はない。
「えー、うー……っと。今までずっと所長はオヤジだったからなぁ」
それに比べたら若い上司の方がやりやすいとは思うけど……って答えてみたら、また笑われた。
「なんで笑ってるんすか? 別におかしいことなんて言ってないと思うんですけど」
俺なりに当たり障りのない言葉を選んだつもりだったのに、笑われたのはちょっと心外だ。
でも、所長は申し訳ないなんて少しも思っていないみたいで、ひとしきり笑った後に、
「―――俺の聞き方が悪かったんだな」
そんなことを言った。



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