-ひとなつ-




-4-

結局、その言葉の謎は解決されないまま、俺と所長の間に心地よく夕方の風が吹き始めて。
「なんかよく分からない日だなぁ」なんて思いながら空を仰いだ。
所長は隣で深呼吸しながら少しだけ笑ってて、なのに、またいきなり話を逸らした。
「―――いいよな、ここ」
毎度のことながら、本当に何の脈絡もない。
まあ、都会の人間の言いそうなことではあるんだけど。
「……っすね」
俺は別の場所で生活したことがないから、東京にある本社に行くたびに絶対に都会では暮らせないと思う。
真夏にアスファルトが放つ熱、大量の車が吐き出す空気。
ちょっと考えただけで心の底からうんざりするほどだから、ここがいいっていうのには同感なんだけど。
「俺の理想通りだよ」
そこまで言われるほどのところでもないような……。
「……っすか」
曖昧に答えたら、隣からまた笑い声が聞こえた。
やっぱりどこかが噛み合っていないんだよな。
そもそもぜんぜん笑うような話じゃないじゃんよ?
「なんだ、榊、不審そうな顔をして」
「いや、別に。ってか、ええと」
アンタの態度が不審なんだ……って言っていいものか悩んだけど。そんなことを思っているうちに、
「榊」
また呼ばれて。
「なんですか」
その後のセリフが。
「誰かに『可愛い』って言われたこと、ないか?」
「はあ??」
それは俺の話をしてるのか?
思った瞬間に顔に出たらしく「榊のことだよ」って肯定が入ったが。
「……あるわけないっす」
俺をいくつだと思ってんだ、こいつ。
「せいぜい幼稚園までっしょ。そんなこと言われんの」
それに対して所長の返事は「そうか?」で。
ついでに。
「榊の子供の頃、可愛かったんだろうな」
またいきなり話が飛んでるような。
……まあ気にしないでおこう。
常に繋がらない会話なんだと思えばどうってことないし。
「幼稚園くらいから俺は野放しだから、写真を見ても白目以外は全部真っ黒で顔なんてよくわかんないっすよ」
今と違って幼稚園の頃なんて海パンのあとだってついてないくらい真っ黒だったんだからと説明したら、「へえ」とか言いながら妙に受けてた。
「今度写真見せてくれよ」
「……他人が見てもぜんぜん面白くないと思いますけど」
ってか、自分で見ても面白くないんだけど。
そう思って断ったのに。
「大丈夫だろ。今の榊を見てても面白いんだから」
その返事にも大概「はあ?」って感じだったが。
「……そう……ですか」
何時間も二人っきりだったから、このビミョーな会話にはもう慣れた。
けど。

……東京のヤツってみんなこうなんだろうか



夕日が消えかかる頃、ようやくお許しが出てその場を去ることになった。
あー、長い一日だった……と思ったのもつかの間。
「じゃあ、軽く食べて帰るか」
そのまま拉致されて、連れていかれたのは駅へ行く途中にあるバー。
小洒落てるという時点で俺には縁のない場所だが、それ以前にこの辺にはない感じの店だった。
内装とか照明とか、そういうのもあるんだけど。
なんか、こう、もっと別の部分で何だか違和感が。
「ここのマスターが最近まで東京で働いてたとかでね」
「あ、そうっすか」
だから、ちょっと雰囲気が独特なのか。
まあ、飯を食うだけだからそんなことはどうでもいいんだけど。
「ちょうどいいからマスターと俺にこの辺のことをいろいろ教えてくれよ」
接待に使えそうな店とか、遊べそうな所とかを厳選してっていうご指定だったんだけど。
厳選するまでもなく、俺はそういう情報にはめっきり疎い。
「えー……と、接待ではあちこち行かされたから、高めの飲み屋とかなら……」
それも前の所長の行きつけとかだったから、ちょっとオヤジくさい。
「あとは、ええと、女の子のつく店とかはあんまし得意じゃないんで」
ああいうところの子って客の財布以外には興味なさそうでちょっと……って感じなんだよな。
でも、所長もマスターも「それはいいよ」ってあっさり流した。
そこだけ変に息が合ってるのが何だか妙に気になる。
でも、じっくり訝しむ間もなく会話は先に進んでいく。
「榊、いつもは外食なんだろ? 地元のものがうまい店とか知らないのか?」
よく考えたら飲みに行くのはいつも居酒屋だし。
味なんてぜんぜんこだわってないし。
なーんにも思い浮かばなかった。
「え〜と……おっちゃんとオバちゃんがやってるような店でよければ……他は……えっと、俺、あんまり夜遊びはしないから」
困ったなと思っていたら、また笑い声。
ついでに。
「榊は海で遊んでるのが似合ってるよ」
そんなフォローが。
ってか、それはフォローじゃないな。
「それは誉めてないんですよね?」
「どうして? 海が似合うって普通は誉め言葉だろ?」
そういう言い方をされれば、まあ、そうかもしれないけど。
でも、最初に言われたのとは微妙にニュアンスが違うような……。
「じゃあ、そういうことにしといてください」
どうせかみ合わないんだから追究してもしかたない。
クイッとビールを飲み干して時計を見たが、夜はまだまだこれからという時間で、思わず深いため息をついた。


その後の会話もことごとくすれ違い気味で。
「榊」
「なんですか?」
「おまえんち、ここから遠いよな?」
「えーっと……まあ、近くはないですけど」
少なくとも歩いて帰るのはかなりキツイ。
余裕で一時間はかかるだろう。
「それがどうかしたんですか」
俺の質問に対して、所長の返事は。
「聞いてみただけだ」
「……あ、そうっすか」
なんだかなぁ、と思っていたら。
「榊」
また呼ばれて。
「はい」
でも、一応返事をして。
その次の言葉が。
「人がいいと言われたことは?」
こんなだったりして。
「……は?」
「素直に育ったって感じだよな」
「……はあ」
どうやってもまともな会話にはならないんだなと思っていたら、また質問が。
「惚れてない相手と寝たことは?」
「はあ??」
もう、なんだかすべてが分からない。
そんなこと聞いて何になるんだ?
「そりゃあ、まあ……ってか、寝たいからそれほど好きじゃない相手と付き合ったことはありましたけど」
もちろん嫌いじゃなくて、そこそこいいなと思ってた相手だったけどなんていう説明もして。
「でも、男なんてそんなもんじゃないかと……」
自分でフォローとかしつつ、所長の反応を待ってみたが。
その返事は何故か。
「よかったよ」
こんなだったわけで。
俺はますます「はあ?」な状況に陥ってしまった。

どうやらコイツとの間にある溝は果てしなく深くて広いらしい。
今日一日でそれだけはよく分かった。

……のちのち何の役にも立ちそうにないけど。



Home     ■Novels          ■Back     ■Next