Sweetish Days
〜ほのかに甘い日々〜

- 9 -



まともに眠ることもできなかった。空が白んできた頃、ようやく車を出した。
疲労感を抱えたまま事務所に戻ると徹夜明けの松浦が朝っぱらからソファでくつろいでいた。
「チビに電話したか?」
「したよ。けど、振られた」
松浦が暢気な声で「へえ」と言いながら立ち上がった。
「で、チビスケはなんだって?」
「もう、会えないってさ」
「理由聞いたか?」
「いや。電話切られたから」
「かけ直したか?」
「出てくれなかった」
「何回?」
「20回くらい。メールもしたけど返事なし」
「おまえにしちゃあ上出来だな。ま、人生、なるようにしかならないから」
他人事丸出しの口調で笑いながらロッカーを開ける。
約束があるからと言って、松浦は黒のスーツに着替えた。
「なんだ、不幸でもあったのか?」
「そんなわけないだろ?」
「……そうだな」
振り返ったらシャツがワインレッドだった。
「誰と会うんだ? クライアント?」
「カワイコちゃんとおデート」
意味ありげな笑みと共に空中にコロンを散布した。
「いくらなんでも趣味悪くないか? 怖いぞ」
180センチでがっしり体型の松浦が黒いスーツだ。
知らないヤツなら、擦れ違うのさえ遠慮したいところだろう。
「いいの、いいの。お楽しみはソコなんだから」
「コスプレか?」
「まあ、そうなんだろうな。ちなみに竹浪も一緒だ」
「アイツもそんなカッコなのか?」
「多分な」
竹浪の方が恐いかもな。
どうせカオルのパーティーかなんかだろうと思って、無気力に見送った。
俺はそのまま事務所の仮眠室で眠ってしまった。
身体がやけに重く感じられて、夢さえ見なかった。



昼過ぎに松浦から電話がかかってきた。
「どうしたんだ?」
寝ぼけ半分で電話を取るといきなり「代わりに仕事に行ってくれ」と言われた。
「仕事をすっぽかして何してるんだ?」
松浦は曖昧に笑っただけで答えない。
俺には問い詰める元気も怒る気力も残っていなかった。
『出張がなければおまえが行くはずだったんだから、いいだろ?』
悪びれもせずにそんな言葉を返すあたりが松浦らしい。
まあ、いいか。
どうせやることもない。
こんな時は忙しくしている方がいいのかもしれない。
少なくとも余計に滅入るようなことは考えなくて済みそうだ。
「……わかったよ」
いつもの代理店と客先に向かった。
仕事の話をしていると不思議なほど落ち着いていられた。
好きなことを仕事にしていなければ、もっと滅入っただろう。
「モデルさんじゃなくて一般の人なので、よろしくお願いします」
代理店の担当が細かい説明をする。
何千万とかいう宝石を身に着けてドレスアップした写真を撮る宝飾店のイベント。客の中から抽選で選ばれたと言う5人は、みんなそこそこ可愛い子だった。
「こちらが今日写真を撮ってくれるカメラマンの方です。グラビアアイドルの写真集なんかも手がける有名な方ですよ」
嘘っぽい説明を聞きながら簡単に自己紹介をした。
その間、女の子たちはこの店で買ったというアクセサリーをつけて応接室のソファに行儀よく座っていた。俺の自己紹介の後、はしゃぎながら自分の名前と、どんな風に撮って欲しいかなんてことを話してくれた。
その中の一人が付けていたピアスを見て、ツカサの小さな耳を思い出した。
ツカサの両耳には一箇所ずつ穴があいていたが、ピアスをしているのを見たことはなかった。
そんなことを考えていたから、無意識のうちにじっと見てしまっていたのだろう。
女の子が気がついてニッコリ微笑んだ。
「カメラマンさんの彼女はピアスしないんですか?」
「え? ああ、穴はあいてるんだけど……つけてるのは見たことないな」
「じゃあ、プレゼントしてあげたらどうですか? ここの、すっごく可愛いですよ」
写真を撮ったら、みんなで選んでくれると言うのだけれど。
「……えっとね、彼女じゃなくて、男の子なんだ」
俺の言葉に沈黙するかと思いきや、
「きゃあ。素敵〜!」
そんな言葉を返されてたじろいだ。
「カッコいいカメラマンさんだから、そういうのもアリですよね」
「そうそう。相手の子はモデルさんとか?」
「いや、普通の高校生だけど」
真面目に答えなくてもいいんだろうけど、今は切り返せるほど頭が働いていなかった。
「じゃあ、シンプルなのがいいですよね」
「彼氏の写真はないんですか?」
そんなことを聞かれて、ディズニーランドに行った時の写真を持ち歩いていたことを思い出した。
写真くらい見せたからといってどうってことはないだろうと、カード入れから取り出したとたんに、また大騒ぎになってしまった。
「いや〜ん、可愛い〜。っていうか、女の子じゃないんですか?」
「男二人だと変だからって、女友達の服を借りて着てたんだよ。ちょっと化粧もしてる」
「そっかぁ。大変ですね」
その後も女の子たちは俺とツカサの話で盛り上がっていた。
こんな話ですっかり打ち解けたので、撮影会も終始和やかなムードだった。
店の担当者も大喜びで、次回も是非とまで言われてしまった。
写真はでき上がったら店から送付されることになっていたから、今日の仕事はそれで終わり。精神的に調子が悪い時だから、滞りなく済んだことにやっぱり少しホッとしていた。
「みんなキレイに撮れたと思うよ。お楽しみに」
気分がブルーだったわりには写真の出来も悪くはないだろう。
はしゃぐ女の子達が店に繰り出す。
早くも興味はツカサのピアス選びに移っているらしい。
「これは? ちょっと高いけど」
「う〜ん、もうちょっと可愛いのが良くない?」
それぞれ真剣に選んでくれてるのだけれど。
「ご本人がイマイチ乗り気じゃないのは何故なんでしょう?」
一番年上の子に痛い所を突かれてしまった。
「ほら、ちゃんと選んであげないと」
ショーケースの前に連れていかれて一緒に選んだ。
目に留まったのはプラチナのシンプルなピアス。
「さっすが、カメラマン。センスいい〜!」
「あ〜、私のカレシもこのくらい趣味がよければなぁ」
紺色の箱に銀の縁取りの白いリボン。
手提げ袋を用意してくれたが、そのままポケットに突っ込んだ。
「なんて言って渡すんですかぁ?」
「らぶらぶですね。いいなぁ」
女の子達に冷やかされながら、解散となった。



一度だけでいいから、会って話がしたかった。
なんて言ったら、ツカサはピアスを受け取ってくれるのだろう。
現実に引き戻されて、無意識のうちに溜息が出た。



夕方、下り坂の気分で事務所に戻ると松浦が待っていた。
もう黒いスーツは着ていなかった。
「撮影会、どうだった?」
「うん……まあまあ、かな」
ぼんやりしているとニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
手にしているのはごく普通の白い封筒。
いやにしっかりと封がされている。
「これ。おまえに」
「……なんだ、これ」
中には厚みのある紙が何枚か入っていて、手触りですぐ中味が写真だということがわかった。
「まだ開けるなよ。話はこれからだ」
「おまえのために竹浪までご足労願ったんだぜ?」
「なんで竹浪が?」
「黒いスーツでユスリ返し。覿面だろ?」
「……強請り……って?」
俺の手に乗っかっている封筒を松浦がピンッと指ではじいた。
「おまえのカワイコチャンのやぁらしい写真だ。見たら驚くぞ」
耳を疑った。
ツカサの、写真?
「もっとも、ボクちゃんは、おまえにだけは見られたくないって言ってたけどな。……どうする?」
「じゃあ、見ないよ。……で、これが?」
「元彼かなんか知らんけど、えらいエロおやじでな。それをネタにチビをゆすってたらしい。三回会ってくれたら、ネガも全部返してやるって。もちろん、そんなのはウソっぱちだったけどな」
俺は言葉を失った。
「で、竹浪に頼んでお仲間連れてホテルに押し入ったんだ。医者を家の前まで車で連れていって、ネガも全部残らず巻き上げて、ボコボコにして。手元に1枚でも残ってるってことがわかったら、ただじゃ済まないって脅したらバカみたいに震えてたよ」
医者なら、社会的地位もある。逆にゆすってやれば良かったんじゃないか?
……いや、それじゃ、犯罪だな。
「そんなことなら、俺に相談してくれれば……」
「ボクちゃんは、それができなかったから泣いてたんだろ?」
あの日、どんな気持ちで家に帰ったのだろう。
俺が追いかけてくることを期待していたかもしれない。打ち明けられる唯一のチャンスだったはずだ。
「……松浦、ライター貸して」
俺は封筒を持ったままパントリーに行った。
シンクの中でチリチリと焼けていく写真に背を向けて窓を開けた。
「けど、なんで松浦に?」
そのことはちょっとショックだった。
俺には話せないのに、松浦には言えるのか――――
「俺じゃなくって。おまえが静岡に行くのをチビスケが泣きながら見送ってたんだってさ。カオルが見つけて事務所に連れてきて、あまりに不憫だったから、そのまま相談に乗ってやったんだ。……もちろん、俺じゃなくてカオルが」
カオルなら優しく聞いてくれそうだもんな。
俺とは違う。
「で、おまえは?」
「あんまりにも面白そうだから乗っただけだ」
竹浪まで巻き込んで。
二人で黒スーツ着て。
「マジ、面白かったけどな」
まだ複雑な心境だったけれど。
ツカサのことが気になった。
泣いていないだろうか。
ちゃんと学校に行ったんだろうか。
「ぼうっとしてないで、チビに電話してやれよ」
「……そうだな」
電話をするとツカサはすぐに出た。
本当は電話がかかってくるのを待っていたんだろう。
そんな気がした。
「ツカサ、今日は最後まで切らないで聞いて」
『……幹彦さ……ん』
やっと聞き取れるくらいの小さな声だった。
「写真、焼いたから。もう、気にしなくていいから。だから、一度会ってくれないか? 話がしたいんだ」
『幹彦さん……写真、見た……?』
「見てないよ」
『ホントに?』
もう、泣きそうな声だった。
「ああ、ほんとに。会ってもらえるかな」
『……いいの?』
「ツカサに会いたい」
ツカサは電話口で『うわ〜んっ』と大きな声を出して泣き始めた。
「ツカサ?? 今、どこ? 家? ツカサ……」
呼びかけたが返事はなく、ただ泣き声だけが聞こえた。
いきなり電話が切れて、そのまましばらく繋がらなくなった。
「あ〜、もう、最後まで切るなって言ったのに……」
心配でオロオロして何度も電話をかける俺を松浦が笑いながら眺めていた。



それから30分後、ツカサは泣きながら事務所に現れて、俺の顔を見てまた盛大に泣いた。
パントリーで黒焦げになった写真と溶けたネガを確認してから、俺のシャツにしがみついてまた泣いた。どこからそんなに涙が出るんだろうと思うほど、後から後からポロポロとこぼれてきた。
柔らかい頬は何度拭いてやってもすぐにぐちゃぐちゃになって、抱き締めていた俺のシャツもすっかり濡れてしまった。
「今度からは相談しろよ。何があっても嫌いになったりしないから」
ツカサはコクンと頷いて、
「でも、もう、そんなこと、ないと思う、から」
としゃくりあげながら切れ切れに答えた。
「キスマーク、もう消えたよな?」
ちょっと意地悪をしてそんなことを言ったら、見る見るうちにまた涙が浮かんできて、俺は慌ててツカサを宥めるハメになった。
「もしかして、僕、もう、一生、エッチしてもらえないの??」
泣きながらそんなことを聞くツカサを見て、松浦が笑い転げた。
「おまえもカッコつけてないで、さっさとしてやれよ」
そう言い残して松浦は自宅に帰っていった。
「ムードのないヤツだなぁ……」
呆れながら松浦を見送った後、ツカサを連れて家に帰った。
「ツカサ、着替え持ってきてないよな? 今から家に戻って明日の用意してくるか?」
「ううん。明日は休むから、いいの」
「ズル休み??」
頷くツカサは屈託がない。ちゃんと言い聞かせるべきなのだが、幸せ一杯な笑顔に負けてしまった。
「……まあ、いいか。けど、今回だけだからな。家にはちゃんと電話しろよ」
「うんっ」
そんな電話さえ親はあっさりと承諾した。
俺の母親なら100%激怒するだろうけど。家庭によってこうまで違うものなんだな。
どんな風に育ったんだろう。
なんで親を好きじゃないんだろう。
そんなこともいつか俺に話してくれるだろうか。



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