子供と言っても年齢は10代前半といったところだろう。
顔のつくりや体つきよりも表情に子供らしさが見えた。
「さあな。分かっているのは中野が拾って啓のところに連れてきたってことだけだ。今は北川が預かってるらしい」
中野と北川の付き合いを考えれば、「いい子がいたら連れてこい」程度の遣り取りがなされていてもおかしくはない。
ただ、写真を見る限り、そういう仕事には不向きな外見だし、何よりも幼すぎる。
「それが何か?」
何度見てもただの子供。彼に近づけて情報を引き出すことが目的なら、もっと食指の動く相手を選ぶのではないか。
そんなことを考えていたら、久世から意味ありげな視線が飛んできた。
どうやら最初からそんな心配はしていないらしい。
「このガキ、前にいっぺん裏通りで見かけたんだが、いかにも最近あの辺りに湧いてきたようなチンピラ連中に引っかかってる所でな」
体を売って金を稼いでいるなら、うろつく場所は裏通りか公園かその手の店だ。そんな光景に当たったとしても「よくあること」で済まされるだろう。
「それが……どうかなさいましたか?」
さらに説明を求めると久世はテーブルに足を投げ出して煙草を咥えた。
そして、火をつけながら窓の外に目を遣った。
「その時、中野が一緒にいた。……で、止めに入った」
そこまで聞いて、やっとこの話の趣旨が分かった。
他人のことには口を出さない男。
以前、久世が目の前で刺された時も無視して通り過ぎたほどなのに。
「北川に対しても『そいつに怪しい客はつけるな』って指示があったらしい」
何のために、という問いが咽喉元まで出掛かったが、同時に久世が面倒くさそうに視線を投げて寄越した。
おそらくは「察しが悪い」という意味で。
つまり、それを調べるのが今回の自分の仕事なのだ。
「わかりました」と返事をした後で久世が言葉を足した。
「周囲の連中の話じゃ、十回騙したら十回とも引っ掛かるようなボーッとしたガキらしい」
写真の中で笑っている少年は痩せていて、襟元が伸びきったTシャツを着ていた。
容姿を言うなら決して恵まれた方ではない。
ましてや中野の隣を歩くあの華やかな青年とは比べるまでもなかった。
「身元はもちろんだが、あらゆる方向から調べておけよ」
中野と血の繋がりはないか。
親族でないなら、どういう間柄なのか。
いつ、どこで彼と知り合ったのか。怪しい点はないか。
「今時のガキでそこまでボンヤリしてるってぇのも考えにくい。こっちを油断させるための演技ってことも十分に有り得る」
けれど、何度見直しても写真の中の笑顔は素直そうで、体を売って金を得ている少年たちに見られるような世慣れた感じもなかった。
「かしこまりました」
ごく普通の少年。
だからこそ中野が気にかける理由が分からないのだが。
「その翌日、中野にちょっとカマをかけてみたんだが、如何せん秘密主義でな。何も話しやがらねえ」
万が一、敵対勢力からの回し者であったとしても、騙されて利用されているだけなら対応は簡単だ。少年の身元を調べて保護者の元に送り返す。家庭環境に問題があるなら公的機関に保護させる。それだけのこと。
だが、もしそうでなかった場合は……―――
「ついでに泳がせていたヤツの周辺を洗っとけ」
見えないところで複雑に絡み合う裏の事情。
「……『エイジ』と名乗っているバイトのことですね」
中野の周囲を取り巻く影。
「そうだ」
久世の口元には相変わらず意味深な笑みが浮かんでいた。
「黒だと判ったら情けはかけるな。エイジって奴にも、そのガキにもだ」
その言葉を聞きながら、もう一度写真を手に取って目に焼き付けた。
笑顔も仕種も本当に無邪気で、黒と審判された時に手を下す決心がつくだろうかという不安が過っていく。
「……ですが、まだ本当に子供では―――」
首は細く肩も華奢で、およそ「男」の体つきはしていない。
「ガキっつても北川の話じゃ年は15だ。中学は出てる」
「年齢の問題では―――」
そう言いかけたが、すぐに厳しい口調で先を遮られた。
「十分な年だろ」
半年もこんな世界に浸って暮らせば、あっという間に染まってしまう。
素直な性格であればなおさら陥れるのは簡単だ。
「ですが、もし……―――」
騙されているだけだとしたら。
少年の写真を見ながら言いかけたけれど、その瞬間にキツイ目線に咎められた。
「どんなにガキだろうが、現に中野とは何度か寝てる。おまえが思うほど可愛いタマじゃねえってことだ」
甘いのはおまえの方だろうと言われて、わずかに俯いた。
確かに15ならそこそこ分別もある。組織にいても使い走りくらいにはなるだろう。
だが、誰もが生きていける世界ではない。
こんな少年を性的な意味合いで抱く人間がいるということさえ想像する気にはなれなかった。
「もちろん、ちょっとした出来心で買ってみたってセンもありだ。……もっとも、その場合はヤツの趣味を疑うがな」
いずれにしても、ここで論じたところで事実は見えない。
「ヤバいことにならないうちに行ってこい」
クルリと椅子を回転させて背を向けた久世に一礼すると社長室を出た。
嫌な仕事だと思いながら……――――
最初の行き先は診療所。一番正確な情報が得られそうな相手を考えてのことだった。
噂好きの患者たちには見られないよう、香芝医師に直接連絡を取って外で待ち合わせた。
「……マモル君のこと、ですか?」
「はい」
明らかに警戒した表情に変わるのは、こちらの意図を見透かしているからだ。
「別に……あの子が怪我をした時に中野さんが連れてきただけですよ。でも、わざと付けたような不自然な怪我ではありませんでしたし、不審な点なんて」
何もありませんでした、と続いた口調にもこちらに対する不信感が見えて、「そうですか」と曖昧に頷くしかなかった。
察しが良過ぎる相手というのも時と場合によってはやりにくい。
一瞬、この先全ての質問をシャットアウトされそうな空気が漂ったが、しばらくすると香芝医師はいくらか和やかな表情で言葉を足した。
「そんなにご心配なさらなくても……放っておけなかっただけじゃないですか?
中野さん、子供が落ちてると拾ってきてしまうので」
それからクスッと笑い出したのを見て、ホッとするのと同時に彼の弟のことを思い出した。
「もしかして先生の弟さんに似ていらっしゃいますか?」
医師のデスクに飾られた弟の写真。
診察のついでに何度か見たことがあった。
容姿だけを言うなら、久世に渡された写真の少年とは似ていないけれど。
「うーん……そうですね。僕はなんとなく似ていると思いますが……でも、身内だから、あの子に似ている所を探してしまうだけなのかもしれませんね」
その言葉の裏には、中野はそう思っていないはずだというニュアンスが感じられた。
「そうですか」
曖昧な返事と軽くかわされる質問。
いくつかの問いのあとで分かったのは、少年が中野とは血が繋がっていないだろうということ。中野と付き合っているわけではなさそうだということ。
それだけだった。
「もしお差し支えなければ、運ばれてきた時の怪我の状態を詳しく知りたいのですが」
できるだけ丁寧に尋ねたつもりだったが、「本人以外には教えられない」とあっさり断られた。
「患者の情報を医者が漏らすとお思いですか?」
温和な医師には珍しく、やや厳しい口調が返ってきて、彼の機嫌を損ねたことを知った。
そして、その後は何を聞いてもまともには答えてもらえなかった。
「彼のフルネームとか、住んでいた場所とか、家族とか」
何でもいいので判ることがあれば、と言っても、
「あの子は僕にファースト・ネームしか名乗らなかったので。お知りになりたいのでしたら、中野さんにお聞きになったらどうですか?」
少し含みのある言葉。
香芝医師とて、これが中野の身辺調査だということはわかっているはずなのに。
「……中野氏はこの子の名前をご存知なのですか?」
他人に興味など持たない男。
フルネームだって知っているかどうか怪しいものだと思っていたけれど。
「名前くらいは知ってると思いますよ。―――僕には教えてくれましたから」
こちらの調査に対するあからさまな拒絶の言葉に少し面食らいながらその場を後にした。
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