Tomorrow is Another Day
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翌日、目を覚ました俺はやっぱり自分がどこにいるのかわからなかった。
「あ〜?……うあ、イタタッ……」
体の痛みでようやく記憶が蘇る。
「そっか、俺、ケガしてたんだっけー」
狭い視界の片隅。ベッドの脇に置かれた椅子の上に見慣れた紙袋が置いてあった。
俺の着替えの入った袋だ。
公園に置いてあったはずなのに。
ドアのほうとか横のほうとかを向きたかったんだけど、首が回らないから確認できるのは自分の足のあたりだけ。
どんなに目を動かしてみても見えないものは見えないんだけど、誰かいそうな雰囲気だったから隣りのベッドに声をかけた。
「ね、この紙袋さ、」
ちょっとだけ顔を動かしたら、オヤジくさい靴下を履いた足先がちらっと見えた。きっと昨日のオヤジだろう。
「ああ、今朝なぁ、ヨシくんが持って来たんだ。チビっ子のなんだろ?」
そう言いながらオヤジはベッドを降りた。それから椅子を引きずってきて、俺の顔が見える位置に腰掛けた。
移動してくる時、ダルそうに「よっこいしょ」という声が出てたけど。それは単にオヤジだからであって、病人だからということではないんだろう。
一人で起きられて、ご飯も普通に食べられて、見えてる部分には包帯どころかバンドエイドさえもしてない。
それどころか、とても楽しそうに俺の頭をくりくりと撫でた。
……俺、子供じゃないんだけど。
呼び方からして『チビっ子』って、どうだよ?
そりゃあ背は高くないけど、『子』って言われるほどじゃないのに。
でも、まあ、アイツを『ヨシくん』って呼ぶのに比べたらぜんぜん変じゃないとは思うけど。
「どうした? 声、出ないのか? 坊主」
オヤジの質問をほったらかしていたら、顔を覗き込まれた。
「出るよ。さっき、しゃべってたじゃん」
「そうだけどなあ。で?」
「うん。俺の着替えだよ。まだ洗濯してないけど」
でも、アイツ。
なんで分かったんだろう。
公園を通る時だって、俺のことなんてちっとも見てなさそうなのに。
「公園に住んでるって本当なのかい、チビちゃん」
今度は『チビちゃん』。可愛いって言えば可愛い呼び方なんだけど。
犬みたいだから、止めて欲しい。
いい人っぽいオヤジなんだけど、それはそれ。この呼び方はちょっと嫌だ。
「な、あのさ、チビっていうのさ、やめてよ。名前、マモルって言うんだ」
そう言われてもオヤジは別に不機嫌になることもなかった。
ニコニコ笑ってこっちを見てた。
「じゃあ、マモル君な。で、公園で寝てるってホントなんか?」
面白がってんの、ありありと分かるんだけど。
……まあ、いいか。
っていうか。どうでもいい。
「うん」
「家は?」
「ないよ」
あったら家に帰ってるよな。
好きでホームレスしてるヤツなんていないだろ?
「オヤジとオフクロは?」
「死んだ」
オヤジがどこの誰なのかも知らないけど。多分、そんなところだろうと決めて適当に返事をした。
「そっかぁ、大変だなあ」
ああ、もう。面倒だよな。
どうでもいいじゃん。俺のことなんて。
「別に大変でもないけどさー……」
なんとか食べていかれるし。
急に金が必要になったりもしないから、そんなに困ってないし……
……あっ?
必要じゃん。金。
俺、手当てしてもらったのに払えないじゃん。
どうすればいいんだ?
「エライなぁ、まだちっちゃいのに」
オヤジがほんわかと話し続けるので、切羽詰った感覚が消えてなくなった。
まあ、あの医者モドキは優しそうだから、頼めば『分割でいい』って言ってくれるかも。
「あのさ、オジサン、俺のこといくつだと思ってんの?」
いくらなんでも『まだちっちゃい』って酷いよな、って思ったのに。
俺の視界の外から聞こえた声が、俺とオヤジのノンキな会話に割って入った。
「実際ガキだろ」
うわわわ?
いつから居たんだろう。
煙草の匂いがしなかったから気付かなかった。
「まったく、何度も同じような手に引っ掛かりやがって」
カンペキに俺の視界の外にいるから、顔どころか身体の一部さえも見えないんだけど。
いつも以上に不機嫌な声だけが聞こえてくる。
「そうだよ。気を付けないとね、マモル君」
俺の頭の方向から降ってくる心配そうな声は医者モドキ。姿は見えないけど、どこかにいるらしい。
「気をつけてるつもりなんだけどさぁ……だって、そんな悪いヤツに見えなかったんだもん」
見るからにヤバイって奴なら、俺だって近寄らないけど。
「だってさぁ、ホントにヤバイ奴とちょっとだけヤバイ奴なんて簡単には区別できないよね?」
普通のヤツじゃ仕事にならないから、ちょっとだけ変な趣味のヤツを探さなきゃいけないんだけど。
そんなの見分けられないって。
それに。
たとえばコイツだって、見た目はヤバイもんな。
でも、ちゃんと俺のこと拾って病院モドキに届けてくれたし。
「う〜ん……わかんないー」
それを考えたら、ますますわからなくなった。
「おまえ、本当にバカだな」
俺の頭上で本当にバカにしたような声が響いて、すぐにバタンとドアが閉まった。
どうやら出ていったらしい。
「……ひどいなぁ」
もしかして心配してくれてるのかなぁ……なんて喜んだのに。
まあ、世の中そんなに甘くはないか。
「そうだね。今のはちょっと酷いよね。でも、僕もマモル君にはそういうお仕事、向かないって思うけどね」
医者モドキが視界に入る位置に立って俺の脇に体温計を挟んだ。
「なんで? やっぱ、もっと顔がよくないとダメ?」
そんなこと言われても今更どうにもならないんだけど。
「そうじゃなくてね」
メガネの向こうで優しそうな目が、何故か困ったみたいに笑ってた。
「マモル君って、素直ないい子だって誰が見ても分かっちゃうタイプなんだよね」
「それだとダメなんだ?」
いい子のほうがいいような気がするけど。
「そりゃあ、駄目だろう? ヤリ逃げされてオシマイだ」
オヤジがワハハと笑った。他人事だと思って。
「小宮さん、その言い方はあんまりですよ」
ホントだよ。
俺、今までだって、ほとんどはちゃんと金貰ってるし。
ひどい目にあったのだって3回だけだし。
……いや、4回か。
俺だって死にかけることがあるなんて思わなかったけど。
「俺、ダメなのかなぁ……でも、他にできそうな仕事思い付かないもんなー」
オヤジが俺の前に顔を出して、ふんふんと頷いた。
「オヤジさんもオフクロさんもいないとなると、まともな勤め先を探すのはちっと大変だろうなぁ」
それが『ちょっと』じゃないってことくらいは俺にもわかってる。
だからウリなんてやってるんだから。
「どこかお店で働いた方がいいんじゃないかな」
医者モドキも心配してくれてるみたいなんだけど。
「店だっておんなじさぁ。よっぽどヨシくんにでも囲ってもらった方がいいって」
その『ヨシくん』という呼び方がどうしても俺の耳には馴染まない。
だって、あの顔のどこが『ヨシくん』なんだよ??
「でも、彼はそんなことをする人じゃないでしょう?」
医者モドキがふうっと溜め息をついた。
「まあなぁ。で、マモルちゃん、ヨシくんとはヤッたんか?」
オヤジ、なぜかまた「ちゃん」づけになってるし。
「う〜ん……えっと、ねー……」
それって、答えていいものなのかな。プライバシーとかってヤツがあるんじゃないの?
と思っていたら。
「ほら。マモル君、素直なんだから」
医者モドキがまたしても困ったように笑った。
「嘘もつけないってか。しゃあねえなぁ」
もしかして、もうバレてんの?
「俺、まだナンにも言ってないよ?」
「でも、分かっちゃうんだよ。マモル君、顔に出ちゃうから」
……ダメじゃん、俺。
「アイツに怒られるかなぁ?」
普通はバレちゃダメだもんな。嫌がるヤツだってたくさんいるに違いない。
「そんなことで怒らないと思うけどね」
医者モドキが笑いながら体温計をしまった。
「うん、そうかも。アイツ、全体的にどうでも良さそうな感じだもんなぁ……」
ヤル相手が毎日変わっても気にしないんだもんな。
俺とヤッたことだってどうでもいいに違いない。
「マモルちゃん、そんだけ人を見る目がないクセにヨシくんの性格はわかってんだなぁ」
分かってるわけじゃないけど。そういう風に見えるもんな、アイツ。
きっと分かりやすい性格なんだ。
「アイツって、ナンにも考えてなさそうだもんな」
言った瞬間に、オヤジと医者モドキが吹き出した。
……なんで笑ってんの?



それからしばらく俺の入院生活は続いた。
俺の身の上に同情した医者モドキが、「お金はある時でいいよ」と言ってくれたおかげで俺も安心してのんびりできた。
隣りのベッドのオヤジは小宮という名前で、奥さんだか愛人だかと上手くいってない時だけ病院モドキに泊まりにくるらしい。
もちろん『入院費用』は払ってる。
カルテには『心臓と肝臓が悪くて、血圧が高くて、発作が起こりやすい』って書いてもらったらしい。
「僕は闇医者だからね。そういうのもアリなんだよ」
「ふうん」
医者モドキの正式名称は『闇医者』と言うらしい。
でも、みんなはちゃんと『先生』って呼んでいる。
「だったらホテルにでも泊まればいいのに。ここだったら、安静にしてるフリをしなくちゃならないんだから、遊べなくてつまんないじゃん」
小宮のオヤジが大好きだって言ってたパチンコにだって行けやしない。
普通はそう思うだろ。
なのにさ。
「ホテルだと浮気してるんじゃないかって疑われるんだよ。ま、子供にはわからない大人の事情ってヤツだな」
またウリウリと頭を撫でられて。
「子供じゃないってー」
何度も言ってるのに。誰も信用してくれないのは俺がチビだから?
「だってマモルちゃん、13、4だろ?」
「もっと上だよ」
まあ、たいして変わんないけど。
「ああ、そうなの? 中学生かと思ってた」
闇医者にまでそんなことを言われてしまった。
「ひどいなぁ……ちゃんと卒業したってば」
背が低いだけなのに。
それに、今でもちょっとずつ伸びてると思うのに。
「マモル君、高校は?」
闇医者が真面目な顔で聞く。
「行ってるわけないじゃん。それって本気で聞いてんの?」
冗談かもしれないと思ったけど、闇医者は真面目な顔で「本気で聞いてるよ」と答えた。
「お医者サマは大学出だから、高校行かないなんてピンと来ないんだろ。俺たちとは違うんだよ」
そう言いながら、また俺の頭を撫でた。
オヤジはさっきから闇医者のことを褒めてる。
こんなところでモグリの医者なんてしてるのはもったいないって言って、女の子を紹介しようとしたり、就職先を世話しようとしたり。
闇医者はオヤジよりもずっとちゃんとしてるんだから、自分の心配をした方がいいと思うんだけど。
「オジサン、俺とおんなじだよね。その場しのぎっていうやつ」
「マモルちゃんとは一緒にされたくないけどなあ」
闇医者はそんなやり取りに苦笑いをしながら、俺の包帯を取り替えてくれた。
「マモル君の怪我、思ったより治りが早そうだね。よかった」
「ウラヤマシイねえ。若いからねえ」
オヤジがしみじみ言うんだけど。
「……自分はケガしてないくせに」
ハッハッハというオヤジ笑いを響かせながら、パジャマを脱いで普通の服に着替えた。
「でもさ、病気のフリしてまで家出するのってヘンだよなぁ。せっかく家があるんだから、ずっと家にいればいいじゃん」
しかも金を払って病院に泊まるなんてさ。
絶対、変だよ。
「だからな、大人の事情だって。チビっ子犬にはわからないだろうけどなあ」
「なんだよ、『チビっ子犬』って」
闇医者に応援を求めたけど。闇医者も一緒になって笑ってた。
「マモル君、本当に子犬って感じだよね」
否定して欲しかったのに。思いきり肯定された。
「犬でもいいけど、なんで『子』がつくんだよー」
叫んだら余計に笑われた。
「マモルちゃん、変わってるなぁ」
またクチャクチャに頭を撫でられた。
動けたらお返ししてやるのに。
いまだに手も足も首もまともに動かないんだもんな。ご飯も闇医者に食べさせてもらってるし、トイレも抱っこして連れていってもらってるし。
体が不自由って、ツライ。
なによりも。
「ねー、それよりさぁ」
「なに?」
「アイツ、もう来ないのかなぁ」
公園にいればアイツに「おはよー」って言えるのに。
「ヨシくんも昼間は事務所を抜けられないだろうからなあ」
事務所?
ってことは、まともな勤めなのかな?
……そんなわけないか。
「つまんないのー」
お帰りも言えない。顔も見られない。
「マモルちゃん、ヨシくんが好きなのか?」
オヤジがニタニタ笑いながら上着を羽織った。
病人のフリをしているくせに食事だけは外に食べにいく。まあ、ここにいても病院らしい食事なんて出てこないんだけど。
「うん、まあまあ好き」
「そうか。大変だなあ。ヨシくん、色男だけど優しくないだろ?」
「うん。ぜーんぜん優しくない」
そう答えたら、闇医者も珍しく声を出して笑ってた。



入院中、小宮のオヤジはずっと俺を遊び相手にしてた。
「な、チビっ子。たまには一緒にメシ食いにいくかあ? 奢ってやるぞ?」
「それは嬉しいけどさ。『チビ』つけるの、やめてよ」
オヤジの職業が何なのかは知らないけど、金にはあんまり困ってないらしくて、俺や闇医者にしょっちゅうごちそうしてくれた。
「マモル君、歩けるようになったからって、喜んで走ったりしちゃダメだからね?」
闇医者も優しいし、言うことなし。
でも、その間アイツは一度も顔を見せなかった。
来るはずないって思っても、ドアが開くたびに振り返ってしまう。
「マモル君、人の出入りが気になるなら、カーテン閉めておいてあげるよ?」
闇医者が気を遣ってそう言ってくれるんだけど。
「ううん。いい。閉められちゃうとつまんないから」
もしかしたら、来てくれるかもしれないって。
毎日毎日、起きてから寝るまでずっと思ってた。
けど。
「……つまんないなー……」
アイツだって、たまたま俺を拾っただけって言ってたんだ。
来るはずなんてない。
分かってるつもりだけど。
「もう俺のことなんて忘れちゃったかなぁ……」
口に出して呟いたら、なんとなく淋しくなった。
闇医者が困ったように笑ってた。
でも、何も言わなかった。


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