ようやく普通に歩けるようになった俺は無事病院モドキを退院することになった。
「若いっていいよね」
闇医者が感心しながら足の湿布を貼り直して包帯で固定してくれた。
「自分だって若いじゃん」
闇医者の見た目は27くらい。どんなに上だとしてもまだ30にはなってないと思う。
でも他のやつが言うとおり、「ちょっと年齢不詳」って感じだ。
先生なんて呼ばれ続けてるせいか、妙な落ち着きがあって、でも、言葉遣いとかはたまに子供っぽくて。
「はい、出来上がり」
「ありがと」
ちょっと歩いてみたけど、固定されてるから歩きやすい。変なふうに捻ることもないし。
これなら走れそうだ。
と思ったら。
「マモル君」
「なに?」
「走っちゃダメだよ」
……バレバレじゃん。
なんで分かるの?
オヤジも笑ってた。
ちぇっ。
「あ〜、でも売り飛ばされなかったからよかったけど、アイツに拾われなかったら今頃どうなってたのかなぁ」
すっごいヤバかったんだってことは俺でも分かるけど。
「そうだよなぁ。今頃はもうクスリ漬けでヘロヘロになって死にかけてたんじゃないかあ?」
オヤジの呑気な声にさえ背筋が寒くなる。
今でも時々夢に見る。笑い声とカビ臭いエレベーター。
あの時、心の底から怖いと思った。
あったかい病室でブルッと震える俺の顔をオヤジが不思議そうに覗き込んだ。
「そういやあ、そん時の非常ベルってヨシくんが鳴らしてくれたんか?」
あまりの不意打ちで目が丸くなった。
「……え……わかんない」
考えたことなかった。
けど。
確かにそんなにいいタイミングで鳴るわけないような気もした。
「後でアイツに聞いてみようかな」
もしそうだったら、すごくうれしいかもって思ったけど。
「マモル君、それ、聞かない方がいいんじゃないかな」
闇医者が痛み止めと湿布と替えの包帯を密封できるビニール袋に入れながら笑った。
他の人に渡すヤツは紙袋だから、ビニール袋はホームレスな俺のための雨の日対策なんだろう。
「どうして聞いたらダメなの? アイツじゃないと思う?」
ヌカヨロコビってやつ?
って思ったけど。
「わざわざ確認なんてされたら照れ臭いでしょう?」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。きっと返事なんてしてくれないと思うよ」
「返事はいつもしてくれないけどさー……」
ってことは、闇医者はアイツが鳴らしたって思ってるんだな。
なんか、それだけでいいやって気になった。
「じゃあ、聞くのやめておこうっと」
本当は違うのかもしれないけど、そうなんだって思うことにした。
へこみそうになったら思い出して、「いいこともあるんだから」って頑張れるように。
「でも、ホントにこの程度でよかったよなぁ。動けなくなったりしたら、働けなくなっちゃうし」
正直なところ、この後すぐにでも客を探さなきゃいけないってことはそれなりに憂鬱だった。
でも、金は必要だから。
できるだけたくさん楽しいことを思い返しながら頑張ろうと思った。
アイツが俺を拾ってくれたこと。
着替えを届けてくれたこと。
闇医者が優しかったこと。
小宮のオヤジが遊んでくれたこと。
「マモル君、大変だよね」
闇医者の溜息混じりの返事につられて、また少し暗い気持ちになる。
夕方、またにぎやかな街のすみっこで相手を探す自分。
それとクスリ漬けになっていた若い男が重なりそうになって慌てて首を振る。
「でも、こんなケガなんてしちゃったら、なんとなく来る所まで来ちゃったカンジだよねー」
どうしても憂うつが抜けなくて、ちょっとだけボヤいたら闇医者が笑った。
「何言ってるの。まだまだ先は長いし奥も深いよ。メモリが100あるとしたら、マモル君はまだ20くらい。この世界はこんなもんじゃないんだから」
とっても軽く言うんだけど。
「う〜ん……そっかぁ……」
妙に説得されてしまった。
実際のところ、闇医者のところには怪しいヤツがたくさん来る。
もちろん患者として来るんだから、ケガをしてたり、病気だったりいろいろだけど。
そいつらときたら、本当にスゴイ。
アイツだってマトモに見えるくらいだ。
なのに、闇医者はどんな妙なヤツにも俺や小宮のオヤジに接するのとおんなじように笑顔で話をする。
みんなも闇医者のことは「先生」って呼ぶ。
イレズミびっちりのお兄さんだって闇医者には頭が上がらない。
いろんな相談とかして、安心して帰っていく。
ちなみにアイツの背中にイレズミはない。いくつか傷痕があったけど、広くて大きくてスベスベした背中だった。
それを思い出して、少しズキンとした。
「あ、また来たよ」
イレズミのお兄さんの二人連れ。前に話しかけられたから顔を覚えた。
「薬を取りに来ただけだから。ちょっと待っててね」
闇医者が薬の入った紙袋を取り出す間にそっとベッドのカーテンを閉めた。別に怖くはないんだけど、話しかけられるとなんて言っていいかわかんないし。それに誘われたこともあって、すごく困ったし。
だから、いつも隠れてる。
「ほんとにすごいトコだよね」
二人が帰ったのを確認してから、カーテンを開けて顔を出した。
半月で治るケガで「死にかけた」と大騒ぎしてる俺は、闇医者の言う通りまだまだなんだろう。
「自分がしっかりしないと大変なことになっちゃうから。マモル君も気をつけてね」
そう言った後、俺の髪を撫でた。
「でも、本当のことを言うとマモル君には普通の生活をして欲しいな」
闇医者はいつも心配してくれる。俺だけじゃなくて、ここに来る人全部。
でも、ケガなんて全然してないオヤジのことまで心配するのは、ものすごくムダだと思う。
「でもさ、俺、他にできることないし。ごはん食べないと死んじゃうし」
そんなことを言うと決まって闇医者は悲しそうな顔をする。それが俺にはちょっと心苦しい。
「マモル君、」
俺を呼び止めた闇医者の手にTシャツとハーフパンツ。
「僕のお下がりだけど、よかったら着て帰って」
頷いてから遠慮なく受け取ってその場で着替えた。
ただでさえ数の少ない俺の服は入院前の事件でさらに少なくなっていた。その上、残り二組の上下を着回していたらあっという間にボロっちくなって。
今着てたTシャツなんて首がのびのびでオフショルダー状態なのに、もらった服はお下がりとは思えないほどパリッとしてた。
「ありがと。すっごく嬉しいー」
闇医者はホントに優しい。
一人で生活するのはけっこう大変だから、こうやって助けてもらったりするとすごく身に染みる。
満面の笑顔で見上げると、闇医者も笑い返した。
「こんなにいい子なのにね」
そう呟いた時も闇医者は笑ってた。でも、なんだか淋しそうに見えた。
何か言ってあげたかったけど、適当な言葉も思いつかなくて、結局、必要なことだけを話す。
「あのさ、金、ホントに後払いでいいの?」
いくらかかったか知らないけど、薬と治療費と入院費。それに半月分の食費まで立て替えてもらってる。
できれば早く返したいけど、金のあてはない。
足だってまだちょっと痛いから、普通にヤルならまだなんとかなるけど、無理な体位の時だってある。
すぐに仕事ができるかだってわからないし。
最悪の場合いつまで待ってもらえるのかを確認しておかないとな……って思ったんだけど。
闇医者は笑顔で予想外の言葉を告げた。
「お金なら、もう貰ったよ」
「え??」
誰から、なんて聞くまでもない。
ここで俺が知ってるのは、闇医者と小宮のオヤジとアイツだけだ。
「……アイツが払ったの?」
闇医者はにっこり笑ったままで「そう」と答えた。
「けど、俺、そんなことしてもらう理由ないよ」
助けてもらったのだって、もう二回目。
その上、金まで借りて。
「じゃあ、俺、アイツにお金、返せばいいんだ?
俺の入院っていくらかかったの? いつまで待ってくれるのかなぁ?」
びっくりするような金額じゃないことを祈りつつ、闇医者の返事を待った。
闇医者はちょっといたずらっぽく笑いながら、俺の髪の寝癖を撫で付けた。
「完治したら体で払ってもらうからいいって言ってたけどね」
「へ??」
もちろん冗談だと思うけどねって笑ってたけど。
「でもさ、あんまり高かったら、大変だよね?」
俺は微妙に必死だったけど、その質問もはぐらかされた。
「そうだなぁ、そういう意味なら5、6回でいいんじゃないかなぁ」
「5、6回?」
薬や包帯の値段なんて見当もつかなかったし、医者が俺の一回をいくらで計算してるのかも分からなかったけれど。
それでも、多少上乗せして10回やればいいだろうと勝手に決めてみた。
……まあ、アイツがそんなに俺と寝る気があるのかは、わかんないけど。
毎日違うヤツを連れて帰ってくるくらいだし。最初に公園で会った男とも関係ありだろうし。他にもいろいろ居そうだし。
恋人とだって……
そう思ったら、ズキンと心臓に響いた。
「……あのさ、闇医者」
呼び止めたら、薬を箱にしまっていた闇医者がクスクス笑いながら振り向いた。
「そんな風に呼ばれたの初めてだな。なんだか新鮮」
どうやら「闇医者」って呼び方はおかしかったらしくて。
小宮のオヤジも「闇医者ってなぁ」って言いながら笑ってた。
けど、それって闇医者が自分で言ってたんだよな?
……まあ、いっか……
「あのさ」
ずっと聞きたいと思ってたことが頭を過って、次の瞬間には聞いてしまっていた。
「……前にアイツが拾ってきたのって、今の恋人?」
なぜか声が小さくなる。
「ああ、ヨシくんのね。うん、彼氏だよなあ」
「それって誰かに言うとまずいこと?」
アイツ、なんにも答えてくれなかったもんな。
もしかしたらその話はしたくないのかもしれないって思ったんだけど。
「そんなことないだろう? 有名な話だからなあ」
「有名? どんな風に?」
「まあ、いろいろだなあ」
それって何の説明にもなってないよ。
「相手、どんなヤツか知ってる?」
俺の質問に闇医者が首を傾げた。
「どんなって……う〜ん、僕は良く知らないけど。どこから見ても普通の子って感じだよね」
オヤジも頷いた。
普通の子っていうのが、アイツとはちょっと合わないような気がするんだけど。
「会ったことあるんだ?」
「あるよ。最初にあの子を拾った時、ケガしてたから手当てしてあげたんだ。僕がまだ学生の時。でも、あんまり喋らない子だったんだよね。すごく礼儀正しくてお礼とかはキチンと言うんだけど」
ってことは大人しい感じなのかな。
「最初に会った時はまだマモル君くらいだったんだよね」
闇医者の呼び方は『あの子』だけど。今は24歳。
ってことは、ずいぶんたってるんだな。
「アイツって男を拾うのが趣味?」
って言うか、子供をって言うべきかも。
「そんなことないんじゃない? 特にマモル君みたいな厄介なケースはね。出来れば避けて通りたいって思うのが普通でしょう?」
ちょっと耳が痛い。でも、それは闇医者の言う通りだ。
「誰かそいつのこと知らないかなぁ」
なんでこんなに気になるんだろう。
『アイツのコイビト』
ただ、それだけの理由で。
「ヨシくん、彼氏は誰にも紹介しない主義だからなあ。みんな顔くらいしか知らないんじゃないか?
一緒に歩いてるところはたまに見かけるけどなあ」
「そっかぁ……」
まあ、知らないなら仕方ない。そう思って諦めかけたのに。
「でもね、すごく目を引く子だよ」
闇医者の聞き捨てならないセリフに俺の耳が大きくなった。
「ヨシくんも色男だし。並んでたら思わず振り返るよなあ」
二人とも、そんなことだけはしっかり教えてくれるんだから。
「……ふうん……」
なんだか、ますます落ち込んでしまった。
そんな俺を見て闇医者がまたまたクスクスと笑って頭をなでた。
「なんだ、マモルくん、本当に好きになっちゃったの?」
その言葉に心臓がズキンと鳴った。
「そんなんじゃ……」
ないと思うけど。
「ならいいけど?」
その言葉も思いっきり笑ってた。
知られたからって、どうって言うんじゃないんだけど。
医者は少し伸びた俺の髪を耳に掛けながら、ずっとニコニコ笑ってた。
「マモル君が恋人になるのはちょっと無理だと思うから、できれば他の人を好きになってね。うちの患者さんの中にもマモル君のこと気に入ってる人はたくさんいるし」
ついでに、『興味があれば紹介するよ』なんて。
「そんなこと言われても……」
もう好きになっちゃってたらどうしようもないよな。
「……ありがと。じゃあ、俺、そろそろ帰るね」
考えるのが面倒になって適当に切り上げた。
まあ、帰るって言っても公園なんだけど。
早く行って、アイツのこと待って、お礼言わなきゃいけないし。
「じゃあ、気をつけてね。気が向いたらまた遊びにおいで」
闇医者はそう言って俺を送り出した。
社交辞令ってヤツなんだろうけど。
「うん。またね」
俺は素直にその言葉を喜んだ。
だって、そんなふうに言ってもらえることが本当に嬉しかったから。
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