Tomorrow is Another Day
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退院したその日、公園でアイツを待った。
お礼を言いたかったし、おやすみなさいも言いたかったから。
「でも、アイツ、俺の話なんて聞いてないんだよなぁ」
いつもムッツリしてて、何の返事もしてくれなくて。
「それに恋人と一緒だったりしたら、馴れ馴れしく話しかけちゃダメだよね?」
恋人じゃなくても、「今日の相手」と一緒かもしれないし。
「う〜ん……まあ、いいか。とりあえず話すことだけ考えておこうっと」
アイツが公園を通り過ぎる短い時間でダーッとしゃべれば俺が聞いて欲しいと思ってる最低限のことくらいは言えるはずだ。
そう思いながらセリフを頭の中でまとめていたら、まだそんなに遅い時間じゃないのにアイツが帰ってきた。
「うわ。まだ考えおわってないのにー」
今日は一人。誰も連れてない。
言うべきことは全然まとまってなかったけど、とりあえず近くに行っておかないと。
「あ〜、通り過ぎちゃうよ」
と思ったら、足がもつれた。
足が痛いわけじゃないんだけど。まだケガをしてる自分に慣れてなくて、どうも上手く歩けない。
グズグズしてるとサッサといなくなるから、早く追いかけないと……って焦ったんだけど。
珍しくアイツの方から俺に近寄ってきた。
「もう手足は動くのか?」
その声も俺を見下ろす目も、相変わらず面倒くさそうで冷たかった。
でも、これって実は心配してくれてるんだよな?
それとも俺の思い込み?
「うん。まだ重い物は持てないし、走っちゃダメって言われてるけど」
普通に生活する分にはぜんぜん大丈夫。筋を違えてるって言われた肘と足首だけは無理をするとまだ痛むけど。
でも、すぐに客を探さないとな……。
財布には小銭さえも残ってなくて、痛いとか動かないとか言ってられなかった。
その日暮しっていうのは、こういう時に不便なんだよな。
「あ、体で払う約束だったよね。アンタんちで良ければいつでもいいから言ってよね?」
まだ湿布も取れないし、できれば雨の日とかに泊めてもらえるといいなぁ…って思ったけど。
「なら、今から来い」
いきなりそう言われてしまった。
これから客を探さないと明日のメシさえないって時に。
けど、『いつでもいい』って言った直後に『明日じゃダメ?』なんて聞けないよな。
「……まあ、いっか」
さっさと歩き出すアイツの後を少し脚を引きずりながらついていった。
アイツは歩くのが早いから、頑張らないとどんどん離れていく。
闇医者に足を固定してもらってなかったらきっとこんなスピードで歩けなかったに違いない。
それよりも。
シャワーを浴びちゃったら、湿布は貼りかえるのかな? 包帯は? 巻き直し?
俺、そんなことできるんだろうか??
ヤル時だってきっと乱暴に扱われるんだろうなぁ……
そう思っただけで身体が痛くなりそうだったんだけど。
「今日、泊めてもらえる?」
気がついたらそんな質問をしてた。
どうせすぐには客なんか探せない。
コイツと寝てから、公園に戻ったらすっかり真夜中だ。フラフラしてたら、またヘンな連中に見つかるかもしれない。
鎖で繋がれてた男の笑い声が今でも俺の耳に残っていて、それがケガをしたことよりもずっと怖かった。
「ね、俺の話聞いてる?」
アイツがウンともスンとも言わないから、そんな質問をしたことをちょっと後悔した。
きっと迷惑だったんだ。
「あのさ、今のウソだから。聞こえなかったことにして」
図々しいと思われたくなくて、小さな声でボソッと取り消したけど。
やっぱりアイツからの返事はなかった。
一秒ごとにどんどん不安な気持ちが広がっていく。
「……あ、あのさ、闇医者のところにいるオヤジがアンタのこと『ヨシ君』って呼ぶんだけど、ホントは何て名前なの?」
なんでもいい。
どんな言葉でも。
ほんの一言でも。
「俺、夜はいつもあの公園にいるから、ヤリたくなったら来てよ。金なんて取らないし、いつでもアンタの都合のいい時でいいから」
返事が欲しくて意味のない言葉を繋げていると、アイツは振り返りもせずに吐き捨てた。
「帰り道だ。嫌でも毎日通る」
低い声なのに意外なほど良く響いて、そんな言葉でも俺は安堵した。
「……あ、ごめん……別に、アンタが俺とヤリたいから公園に来てるって思ってるわけじゃないよ。そうじゃなくて、あのさ……」
どうしていいのか分からなくなって、言い訳もぐちゃぐちゃ。
でも、一番言いたかったことはなんとか口にできた。
「あのさ、いろいろ、ありがと。俺、嬉しかったんだ」
もうその時にはアイツの歩くペースに全然ついていけてなくて、何メートルも距離があった。
だから、聞こえるようにと思って大声を出したら、言い終わらないうちにアイツがクルッと振り返った。
しかも、なんとなく眉を寄せていた。
「……なんか、怒ってる?」
イライラしてるように見えたから、慌てて走って追いつこうとした。
でも、そしたらホントに怒られた。
「走るな、バカ」
アイツはそう言いながら、不機嫌そうな顔で俺の前まで戻って来た。
その後はものすごく面倒臭そうに、でも、ゆっくり歩いてくれた。
離れそうになるたびに、アイツは何も言わずに足を止める。
俺が追いついてから、また歩き出す。
「……ごめん、まだ歩くのイマイチで……でも、すぐ治るから、ごめんね、あのさ、」
俺は何度も謝ったけど。
一度も返事はなかった。
それでも、アイツはマンションまでの短い距離をいつもの何倍もかけながら歩いてくれた。
冷たそうに見えるけど。
きっと、わざとそんなフリをしてるんだって。
思ったら、胸が苦しくなった。

みんなが振り返るほど美人の恋人がいるくせに、好きでもない相手に優しくするのはダメだって思う。
俺だっていつもなら強がりを通すけど。
いろいろあったせいか自分が思ってる以上にへこんでいて、今日は泣きたい気持ちを隠すだけでいっぱいいっぱいだった。


エントランスで面倒臭い暗証番号を押して、エレベータに乗る。
その間もアイツは一言もしゃべらない。
聞かないことにしたはずだったんだけど。
「ね、あの時の非常ベルってさ……アンタが鳴らしてくれたの?」
長い沈黙に耐えられなくなって、なんとなく口にしてしまった。
もちろん、スッパリと無視された。
「アンタってさ、返事してくんないよね」
そりゃあ、そんなのコイツの勝手なんだけど。
ここまで無反応ってすごくない?
「それって俺が嫌いだから? それともみんなにそうなの?」
俺だけだったらかなりショックだよな。
立ち直れないかも。
だから、真剣に返事を待ってたんだけど。
「少し黙ってろ」
答えの代わりに冷たい視線が飛んできた。
「うー、怒られた……なんでー?」
俺、なんか悪いこと言った?
なんにも言ってないよね?
「ぜんぜん分かんないよー」
思わず呟いたら、また睨まれた。
だってさ。
俺はこんなに好きなのに。
ちょっと冷たすぎるよな?


その夜、アイツは『ホントにヤル気あんの?』って思うほど適当に俺を抱いて、さっさと先に眠ってしまった。
だから、もちろん『泊まっていい』なんてことは言ってもらえなかったけど、かわりに『済んだらさっさと出ていけ』なんてことも言われなかった。
「おやすみなさい」
もうすっかり眠っていたから、俺の声なんて聞こえてないだろうけど。
これで『ありがとう』も『おやすみ』も言ったもんね。
しかもベッドで寝られるし。
「よかったぁ……」
いつ見ても整った顔。
コイツが誰にも見せたがらないほど大事にしてる恋人は、どんなヤツなんだろう。
見たこともない相手に少し嫉妬して。
でも、コイツの隣りで夢を見た。
ついこの間までぜんぜん知らなかったヤツだけど。
隣りにいると妙に安心した。
ガンガンにクーラーの効いた部屋。でも、ベッドは心地いい。
ぴったりくっついたら怒られそうだから、アイツの腕に指一本だけで触わって。
「やっぱ、温かいよなぁ……」
そう思った瞬間、眠くなった。


翌朝、包帯と格闘している俺をアイツはしばらく見下ろしていた。
「うわ〜、絡まった……なんでだよ〜??」
やればやるほど捻れていく。
「う〜……」
もう包帯なんてしなくていいやと思った時。
「貸してみろ」
アイツが呆れ果てながら包帯を巻いてくれた。
「うわぁ、上手いかも……」
コイツ自身が何度もケガをしたのか。
それともケガをした誰かにこんなふうに包帯を巻いてあげたのか。
とにかく闇医者並みに上手だった。
「アンタってさ、何の仕事してんの?」
もちろん返事なんてしてもらえないんだけど。
「病院でバイトしてたことあるの?」
それも無視して包帯を巻き終えると俺の腕を掴んで立たせた。
「じゃあ、お医者さんごっこが好きとか……?」
そのとき、顔を見なくても気配でアイツが不機嫌になったことがわかって。
ついでに。
「黙ってろと言ったはずだ」
また怒られた。
「いいじゃん。せっかく話相手がいるんだからさぁ……」
ぶちぶち文句を言いながら一緒にマンションを出て公園で別れた。
「じゃあね、いってらっしゃい」
手を振る俺をカンペキに無視してアイツは駅の方に消えていった。



それから、たまにアイツと寝るようになった。
夜遅く、アイツは公園を通って家に帰る。
目が合ったら黙ってついていく。
それが正しい判断なのかはわからないけど、アイツが俺を追い払った事はなかった。
「助けてもらったんだから、金なんて要らないよ」
最初は金を受け取るのを断わっていたんだけど。
ヤバい奴らに目をつけられないように客を探すのは思っていたよりもずっと大変で、食い物にさえ困るような生活が続いてて。
3日ぐらいロクに食ってない状態でアイツに抱かれた日、不覚にもヤッてる最中に腹が鳴ってしまった。
「意地張ってないで受け取れ」
終わった後、アイツは煙草を咥えたまま財布から札を取り出した。
「じゃあ、一万だけ」
当面の食費。
それ以上は受け取れない。
今でもクスリでフラフラになってた若い男のことを思い出す。
あの男はどうなったんだろう。
非常ベルが鳴らなかったら、俺だって……。
そう思うと寒気がした。
気分を変えるためにアイツに話しかける。
「あんたってさ、彼氏いるんだよね? なのに、いいの? 俺とこんなことしてて」
そんな質問に返事なんかしてくれないのも相変わらずで。
ちょっと無愛想でヤル時だってかなり乱暴だけど。
「あのさ、俺にできることとかあったら、なんでも言ってよ。ちゃんとお返しするから」
コイツには感謝してた。
今、ここでこうしていられるのだってコイツのおかげだ。
それだけは間違いない。
けど。
「何も出来ないくせに偉そうなことを言ってるなよ」
いきなりの全面否定はちょっとひどい。
「う〜……いいじゃん。気持ちの問題なんだからさぁ……」
俺、なんでこんなヤツ好きになっちゃったんだろう。



そんなこんなで何日も過ぎて。
やっとのことで、まともな客を取ったと思ったのに、あっという間に時間は経つ。
無収入8日目のお昼前。
公園で昼寝のついでに考えた。
まだ3日分くらいの金はあるけど。
そろそろ稼がないと夏も終わる。
秋になって、冬になって。
そしたら寝る所だって確保しなきゃならないんだから。
溜息をついた時、アイツが現れていきなり聞いた。
「バイトをする気はあるか?」
聞いてくれてはいるけど、選択の余地はなさそうな感じだった。
「……うん。ウリなんだよね?」
「ああ」
愛想なく頷いて俺を車に乗せる。
「けど、あんまりヤバイのはやだなぁ。俺、この間で懲りたし」
正直言うと今でもちょっと恐怖感が抜けなくて、客を見つけることが憂鬱だった。
「丁寧に扱うように言っておいてやる」
「けど、」
なんでコイツが俺をバイトに行かせるんだろう?
「相手は複数。ただし3時間だけだ」
「なに、それ」
「知り合いが経営している店のパーティのホストだ」
「って、乱交?」
「そうだな」
あっさりと肯定された。
足はもう走っても大丈夫になったし、傷もなくなった。
でも、入院中に鈍った体で複数の相手ってどうなんだろうってちょっと思ったけど。
危険を感じながら裏通りで客を探すよりはマシなはず。
それにコイツともまだ10回は寝てないから、働いてキャッシュで返せってことかもしれないし。
ここは大人しく従っておくことにした。


「ここだ」
着いたところはちょっと胡散臭いけどわりとキレイなビルの部屋。
ドアを開けるとちょっとした仕切りがあって、受付っぽく電話が置いてある。
中は見えなかったけど、普通の事務所って感じだった。
「入るぞ」
返事も待たずにズカズカ入っていくアイツの後をこそこそついていった。


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