Tomorrow is Another Day
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だからちゃんと寝ておけって言われて毛布を被った。
でも、なんだか目が冴えてしまって。
「どうした? 眠れないのか?」
気持ちの準備をしておけって言われたこともあるけど、それよりも目を閉じると黒服の背中や焼け焦げたシートが浮かんできて。
どんなに頑張っても眠れそうになかった。
でも、本当のことを言ったらきっと白井が心配するから。
「あ……うん……ここへ来る途中ずっと寝てたから、あんまり眠くないんだ」
辛うじてそんな言葉でごまかした。
「白井こそ寝なくていいの?」
ここへ来る前もずっと仕事をしてたはずだから、疲れてるんじゃないかって思って聞いてみたけど。
白井は「大丈夫だ」って言って腕時計に目をやっただけ。
その後はずっと何にもしゃべらなかった。

カビと埃の臭いのする部屋。
ときどきむせ返って咳き込むと白井が背中をさすってくれた。
車に乗ってたときからずっと身体がダルくて。
なのに意識だけはピリピリと尖ったまま。
ただやり過ごすだけの時間は長くて息苦しくて。
でも、隣を見ると白井がいるから、それだけはよかったなって思った。



どれくらい経ったのか。
少しだけ気持ちが緩んだ頃、白井の手がそっと髪に触れた。
「そろそろ時間だな」
白井の腕にはめられてる時計はあと少しで二時。
「……うん」
重い身体をなんとか起こして、白井の後からグレーのドアの前に立った。
でも、さっき鍵をかけていたのとは違うドアだった。
「隣はここと同じような部屋になってるが、事情があって普段は誰も近寄らない」
どんな事情なのかとか、本当に大丈夫なのかとか。
いろんなことが気になったけど。
なんだか今は心臓も頭も破裂しそうだったから、何も聞かずにただ頷いた。
白井はポケットから取り出した変な形の金属を取り出して、鍵穴に差し入れた。
「本当はこっちからは開かないことになってるんだけどな」
言い終わらないうちにカチャッという音がしてドアが開いた。
覗き込んだ部屋はこっちよりもさらに真っ暗だったけど。
なんだか気持ちが焦って、急いで入ろうとしたら白井に止められた。
「……なに?」
振り返ったら白井の手にはハンカチが握られてて。
「中は見ない方がいい」って目隠しをされた。
そのまま手を引かれて、ゆっくりと部屋の中を歩いて。
でも、なんだか変な匂いがして、また少しむせてしまいそうになった。
カビ臭いのとホコリっぽいのはさっきまでいた部屋と同じだったけど、それとは別の臭いが混じってて、なんとなく嫌な感じに襲われた。
記憶の底から何かを拾いそうになったとき、白井がギュって俺の手を握った。
「あと少しだからな」
よけいなことは考えるなって言われて。
「……うん」
とにかく今は白井の後をついて行こうってそう思った。
身体がダルかったのと目隠しのせいで、途中で何度も何かにつまずいたけど、思っていたよりも早く反対側のドアにたどり着いた。
「ここで目隠しを外すけど、絶対に振り向くなよ」
それだけ約束をして、ハンカチを解いてもらうとゆっくりと目を開けた。
部屋は本当に真っ暗だったから、振り向いたところで何も見えそうになかったけど。
こんなに寒いのに空気は身体にまとわりつくように重苦しくて、そこに立っている間ずっと嫌な動悸が消えなかった。
慎重にドアを開ける白井の背中に貼り付いたまま、なんとか気持ちを落ち着かせた。
「ここを出たらすぐ右に曲がる。その突き当たり手前に隠し扉があるから」
そこの向こうは部屋になってて、中に抜け道があるからって言われて。
黙って頷いた後、二人で部屋を出た。
一歩ごとに心臓が鳴って、頭の中にまで響いた。
それでも、息を整えながら、足音がしないように暗い廊下を歩いていった。

あと少し……―――

廊下の突き当りが迫ってきて。
白井の目線の先。
右側に、言われなければ分からないほどの窪みが見えた。
「ここだ」
小さな声でそう言われて。
さっきの白井の説明を思い返した。
このドアの向こうは抜け道のある部屋で。
そこから二人で外に出られるんだって。
そう思った。
けど。



白井が壁に手をかけたとき、背中の方でカツンと靴音がした。
それから――――

「そのまま動くな」
心臓が破裂しそうなほど驚きながら。
でも、声は出なかった。
その一瞬、俺は呼吸さえ止まってしまって。
白井もドアに手をかけたまま動きを止めた。
「動いたら撃つからな。両手を上げて、ゆっくり振り向け」
しゃべっているのは黄色い髪の男。
声を聞く限りイライラしてるわけでも怒ってるわけでもなさそうだったけど。
でも、呆れてるみたいで、かすかに溜め息が混じっていた。
「残念ながらゲームオーバーだな」
手を上げて振り返ると、そいつの手には確かに銃が握られていたけど。
でも、撃つ気なんてないんだろう。
いいかげんに構えてるだけで、銃口はぜんぜん違う方を向いていた。
「アンタが隠し扉のことを知ってるとは思わなかったけどよ」
肩をすくめながら白井のすぐそばまで歩いてきて、白井が持ってた鍵を取り上げて。
「万一部屋に入れたとして、後はどうするつもりだったんだ? これくらいのガキならなんとか小窓から出られたとしてもアンタは無理だろ」
そう言った後で、そいつは急に何かを思いついたみたいに「ああ、そうか」って頷いた。
それからチッと舌打ちをして顔をゆがめた。
「最初からガキだけ逃がすつもりだったか……ふん、一緒にいて情が移ったってえのは本当だったんだな」
弁護士のクセに案外バカなことをするんだなって溜め息をついて。
そのまま俺と白井をもといた部屋に戻そうとしたけど。
白井はただ呆然と突っ立っているだけで、背中を押されても歩きだそうとはしなかった。
その代わりに、
「……帰ったんじゃなかったのか」
ひとり言みたいな小さな声でつぶやいた。
そいつは少し苦い笑いを浮かべてから、面倒くさそうに白井の肩をポンって叩いて。
「なんかイヤな予感がして残ったってわけよ。嬉しくない勘ってヤツに限って案外当たるもんなんだよな」
勘弁して欲しいよなって言いながら銃をウエストに挟むと、手錠を取り出して俺に見せた。
「悪いがコレを填めさせてもらうからな」
言葉のとおり、本当に嫌そうに俺の手首を取ってそれをかけようとしたけど。
でも、すぐに白井に止められた。
「他の連中は仮眠中で知らないんだろう? だったら、見なかったことにしてくれないか」
どうせ交代時間を過ぎていて、本当ならここにはいないはずなんだからって。
そう言った白井の声はなんだかひどく必死だったけど。
でも、黄色い髪の男ははっきりと首を振った。
「まあ、いろいろあって、そういうわけにもいかなくなったんでな」
そう言って差し出したのは一枚の写真。
「オレがコレ持ってる意味、アンタだって察しがつくだろ?」
そこにはランドセルを背負った女の子がニッコリと笑って立っていた。
写真を見つめたまま白井はしばらく呆然と立ち尽くしていたけど。
「アンタの家族の安全を確保しようと思うなら、『本部』ってヤツはもちろん、その下の連中もそのまた下も潰す必要があるんだ。残念ながら俺にもアンタにもそんな金も力もない」
男に苦い顔でそう言われて、白井は肩を落とした。
それから、「警察なんてあてにはならないしな」って言って重い溜め息を吐いた。


そのあとしばらく二人とも黙って壁を見てたけど。
「……まあ、いざって時にはアンタは本部との交渉をしてもらわなきゃならねえし、聞きたいこともあるしな。このことは上には内緒にしてやるからよ」
だから、あんまりバカなことは考えるなって言いながら、男は俺の手に手錠をかけた。
白井は横目でそれを見てたけど、カチャッという音を聞いて諦めたみたいに廊下を歩きだした。
「どうせ次の取引にも連れて行くのはダミーのガキなんだろ? それさえ無事に済んじまえば、こいつは処分されちまうんだからよ」
だからこんなガキのことはさっさと忘れろよって言われて。
白井はそれを黙って聞いてたけど。
急にフイッと顔を背けて、男に見えないように小さく舌打ちをした。
そのあとは何か考え込んだまま、黙って靴音の響く廊下を歩き続けた。



部屋の前まで戻ってガチャガチャと鍵を二つ外すと中に押し込まれた。
そのまま置いていかれるのかと思ったけど、そいつは俺たちの後から部屋に入ってきて、完全にドアが閉まったことを確認するとすぐに白井に尋ねた。
「本部の連中ってヤツら、いったい何を企んでる?」
白井は面倒くさそうに聞き流して、まず俺をソファに座らせた。
その後、自分も隣に腰を下ろして、あんまり興味なさそうな口調で返事をした。
「……さあな」
いかにも自分には関係ないことみたいな言い方に男は少しだけ不機嫌な表情を見せたけど。
「アンタ、隣の部屋見たんだろ?」
すごく嫌な顔をしながら、あごで指し示したのは俺が目隠しをして通った部屋のドア。
「……ああ」
白井もチラッとそっちを見たけど、すぐに顔を曇らせて目を逸らした。
「少し前からヤツらの態度が急変してよ。ちょっとヤバイことがあれば簡単に処分される。どういうつもりなのかを確認しようと思ってかけてみれば今まで連絡してた番号も繋がらない。痺れを切らしてキレかけた頃にやっと公衆電話から指示があったが、内容は『こちらから連絡するまで動くな』。それだけだ」
焦っているのかだんだん早口になる男を見ながら、白井は「それがどうした」って顔をして、少しだけ冷たい口調になった。
「直接指示を受けてた事務所に行ってみればいいだろう?」
その言葉に男はちょっとムッとして、白井が全部言い終わらないうちにしゃべり出した。
「少し前に逃げだした連絡係とよく似た男があたりをウロついてたとかで、すっかり引き払った後だ。あの『エイジ』とかってヤツ。アンタも知ってるだろ」
まくし立てるようにしゃべる男をよそに、白井は手の中の写真に視線を落としてた。
「……ああ、後藤のことか。金沢にいたんじゃなかったのか」
そんな返事もなんとなくどうでもよさそうで。
白井が何を考えてるのかは俺にもわからなかった。
「そこまでは知らねえよ。とにかくここはヤツがズラかった後で確保したから、そっち経由で見つかりゃしないだろうがな」
どう思うかって聞かれて。
「どちらにしても後藤は向こうに付いた可能性が高いな」
そう答えた白井はどこか上の空で、やっぱり他の事を考えているみたいだった。

『エイジ』と名乗ってた『後藤』という男。
最初にその話を聞いたのは白井の事務所のクローゼットの中。
その時は「そんなはずない」って思ったけど。
白井たちの取引の相手が中野だったんだから、それが北川の店にいたエイジだっておかしくない。
だとしたら。
中野と一緒に仕事をしてたくせに、本当はこっちの人間だったんだなとか。
なんで急に逃げたんだろうとか。
今、どうしているんだろうとか。
いろいろ考えてみたけど、何にもわからなくて。
かわりになんだか頭が痛くなってめまいがした。
「それで……浜谷が例の男から5千万を受け取った直後に電話してきた相手が後藤だという話は本当なのか?」
「ああ、そうらしいな。けど、込み入った話をするには通話時間も短すぎるしよ、逃避の金目当てのゆすりだってえのが大方の見方だ。浜谷もここの場所までは知らなかったんだろ?」
中野が金を渡した後、作り笑いにかかってきた電話。
てっきり仲間からだと思っていたけど、言われてみればあの時はひどく嫌そうな顔をしてた。
「ああ。ここを知ってるのは、本部の下の組織から派遣される男一人と、こちら側の連絡係だけだろう」
「ってことは、今、本部とここの関係を知ってて生き残ってるのは俺と交代要員の一人、それからアンタだけってことか」
その言葉に白井の頬がピクっと動いて。
「……向こうから派遣されてた担当はどうした?」
その時、急に寒いような暑いような変な感じがして。
風邪を引く時ってこんなだったなってぼんやりと思った。
それを意識したら、体もなんだかダルくなってきてすぐにでも横になりたかったけど。
でも、もう他人事じゃないんだから、どんなに分からなくてもちゃんと聞いておかないとダメだよなって思って頑張って起きてることにした。
「指示待ちの電話をかけてきたのはいつもの担当じゃねえ。……あの部屋に転がってる一つが、たぶん、そいつだ。さすがに俺もひっくり返して顔まで見ちゃいないけどよ」
その言葉の後、白井もそいつもまたさっきのドアに目を遣って。
変な沈黙と緊張感が漂った後、二人ともすぐに視線を外した。

―――……ひっくり返して……?

真っ暗で何も見えなかった部屋の中にあるもの。
それって……

そんなことを考えていた俺の目の前。
黄色い髪の男がまた口を開いた。
「仮に……エイジってヤツが向こうについたとして、ヤツらにはこっちの本部や下の組織を潰す力があるのかよ?」
白井も最初よりはずっと真剣な顔になってたけど、その質問には「どうだかな」って投げやりな答えを返した。
「俺たちが交渉している相手は久世に情報を流している男だ。どんなに金があろうと所詮は一個人。できることなんてたかが知れてる」
第一、そいつのことさえ詳しくは分からないんだからって言われて、男は不満そうな顔をしたけど。
「なら、久世ってヤツが会社の金を動かして潰しにかかる可能性は? デカい会社なんだろ?」
どんどん落ち着きがなくなる男とは対照的に、白井はどこか冷めた顔のまま。
「子供一人助けるのにそこまでする理由はないだろう。不都合があれば逆に情報元の男を処分すれば済む話だ」
物騒な言葉をさらりと告げた。
「そうか。こっちに情報を流したら、そいつも消されるんだな。……だとしたら、なんにしてもコイツは助からないってことか」
俺の顔をチラッと見て。
だからってここから逃がそうなんてバカなことは考えるなよって。
そう言った男の言葉を白井は苦い顔で聞き流した。
「……とりあえず取引は予定通り進んでる。今は向こうからの返事を待つしかない」
小さな声でそう答えたけど。
その間、白井は一度も俺の顔を見なかった。



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