Tomorrow is Another Day
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頼んだのは、前に中野に書いた手紙のこと。
「あれ、封をしてポストに入れて欲しいんだ」
宛名も書いたし、切手も最初から貼ってある。
「手紙を投函すればいいのか?」
「うん。出すの忘れてたから」
それだけでも誰かに見られたらまずいのかもしれないって思ったけど。
「それくらいなら、なんとかなるかもしれないけどな。……どこに置いた?」
「辞書の間に挟んである」
白井は一度頷いたけど。
「俺には監視がつくだろうから、あんまり期待するなよ」
そう言った声はなんだかひどく暗く聞こえた。
「うん。無理だったら、別にいいから」
本当は頑張って出して欲しいなって思ってたけど。
俺の勝手なお願いだから、さすがにそれは言えなかった。
「だが、本部のヤツらだって事務所はチェックしてる。見つかってたら、もう捨てられてるかもしれないな……何が書いてあるんだ?」
「別にたいしたこと書いてないよ。『元気でやってます』ってそれくらい」
そう答えたら、「そんなことしても何にもならないだろう」って言われたけど。
「うん……でもさ」
中野が本当に俺の身代わりに気付かなかったのなら、そいつの顔は見えなかったってこと。
作り笑いの男と一緒にいた時だって、車は暗かったから俺が本物かどうかなんて分からなかったはず。
「だから、本物の俺はどこか違う場所で楽しく暮らしてて、人質になってるのはニセモノだって、中野が思ってくれたらいいなって……」
そう思うから。
「バカ。もしそいつが本当にそれを信じたら―――」
迎えは来ないんだぞって言いながら、白井は目を丸くしてたけど。
「……うん……できれば、来ないで欲しいなって……」

灰になってしまった金はきっと一生かかっても俺には返せない。
だったら、これ以上迷惑なんてかけたくない。
でも、俺にできることなんて他にはなんにも思いつかないから。

「一回くらい、ちゃんとお礼も言っておきたいし」
次の取引の時も中野のところに連れて行かれるのは俺の身代わり。
それに、このままだったら、俺も中野も助からないんだから。


どうせ、もう会えないのなら……―――


そう言ったとき、白井が少し顔をゆがめて。
そのあとギュッて俺の肩を抱いた。
顔は見えなかったけど。
見上げたらきっといつもと同じ困った顔をしてるんだろうなって、そう思ったから。
「……ごめんね」
白井はなんにも言わなかったけど、代わりに小さな溜め息が聞こえた。
その時なんとなく中野の顔がよぎっていって。
また胸が痛くなった。

俺が泣くたびに眉間にしわを寄せていた中野。
鬱陶しいって何度も言われたけど。
こんな時に思い出すと、すごく優しかったような気がして。
だから、やっぱり手紙を受け取って欲しいなって思った。

「ね、白井」
白井のことだって、最初はひどいヤツだなって思ったけど。
「俺ね、あの街に来て一番最初に白井の顔を覚えたんだ」
顔を覚えて、買ったものをチェックして、後をつけて、エレベーターが止まった階を確認して。
「友達になれたらいいなって思ってた」
一人で頑張ろうって決めたけど。
でも、心細くて、淋しくて。
「だから、部屋に連れて行ってもらったとき、すごく嬉しかったんだ」
掃除して、買い物に行って、おつりをもらって、住まわせてもらって。
「あとね……」
思い出したこと全部を白井に話して。
自分が楽しかったことだから、白井もちょっと楽しくなってくれたらいいなって思ってたのに。
俺の予想とは反対にすごく苦い顔をした。
「どうしたの?」
俺、何か悪いこと言ったかなって思って顔を覗き込んでみたけど。
白井は溜め息をついてから、やっと重苦しい口調で答えてくれた。
「……おまえを事務所につれて帰ってきたのも、あそこに置いてやったのも、飯食わせてやったのも全部、その辺で野垂れ死にされたら気分が悪いから仕方なくやってただけだ」
一気にそう言って。それから、「悪かったな」って言われたけど。
仕方なくとか、そんなことはどうでもよくて、ただ本当に嬉しかったから。
「俺、泊めてもらったのも、食べさせてもらったのも嬉しかったよ」
知らない街に一人きりで。
どんなに心細かったかなんて、話しても白井には伝わらないかもしれないけど。
「俺に手伝えることがあったのも、ちょっとでもあてにしてもらえたのも全部嬉しかった……だから、別にいいよ」
嘘でもいい。
なんでもいい。
それで楽しく過ごしてこられたんだから。
「ありがと。いろいろごめんね」
そう言ったら、白井は今までで一番困った顔をして。
それから。
「……あの時、おまえを拾われなければよかったな」
目を閉じて、そうつぶやいた。


その後、白井は目を閉じたままで。
俺は夜が明けるまで、ずっと白井の腕時計を眺めていた。




翌朝、黄色い髪の男がドアを開けて、白井に「迎えが来てるぞ」って言った。
白井は「ああ」って軽く頷いてから男に近寄ると、俺に手錠をかけないことと、隣の部屋が片付いたらストーブを入れることを頼んでくれた。
「けどな……」
眉を寄せて言いかけたそいつに白井が小さな声で何かを話して。
「ったく、アンタも何考えてんのかわからねえよなあ」
黄色い髪は渋々頷いてから、「早くしろよ」と言い残して部屋を出ていった。
それを見送ってから白井はまたこっちに戻ってきて、男から受け取った鍵で手錠を外してくれた。
「……行くの?」
口に出した瞬間、ものすごく心細くなったけど。
仕方ないんだって心の中で言い聞かせた。
「ああ。多分、もうここへは戻れない。……一人で大丈夫か?」
そう言う間も白井はずっと困った顔で俺を見てたから。
また心配させてるんだなって思ったら、申し訳なくなった。
「うん。ぜんぜん平気だから、白井は心配しなくていいよ」
できるだけ元気にそう答えてムリして少し笑ってみたけど、白井はもっと苦い顔になっただけだった。
「……つらくても諦めるなよ」
温かい手が髪に触れて。
「うん」
ありがとうって思いながら、少しだけ頷いた。

白井とも、きっとこれで最後。
「白井」
俺のことはもういいから、自分の心配をしなよって思って。
首にかかってたひもを手繰り寄せてお守りの袋を取りだした。
「これ、あげるよ」
差し出されたそれを見て白井は驚いた顔をしたけど。
「銀行に持って行けば、新しいお札にかえてもらえるんだよね?」
中野のところを出た時、これを見ながら一人で頑張ろうって決めた大切な金だけど。
でも、もう俺が持ってても何にもならないから。
「……だから、白井が持って行って」
少しでも役に立つなら。
「ね?」
そう言っても、白井は黙って金を見つめてたけど。
しばらくしてから、「悪いな」って言って、やっとポケットにしまった。
それから、俺の目を見て。もう一度「大丈夫か?」って聞いた。
「うん。大丈夫。白井が行っても普通にしてられるよ」

泣いたりしない。
悲しい気持ちも見せない。
白井は事務所の片付けに行っただけ。
ちゃんとそんな顔でいるから。

「……いろいろありがと。気をつけてね」

元気でね。
いつか娘に会えるといいね。

今日からちゃんとお祈りするから。
だから、きっと大丈夫。

「じゃあね、白井」
手紙のこと、よろしくね……っていう気持ちで手を振った。
白井は一瞬だけ苦い表情を見せたけど、何も言わずに部屋を出ていった。




「……行っちゃった」
一人になって振り返った部屋はさっきよりずっとガランとして見えた。
白井はもう戻ってこなくて。
だから、自分でなんとかしないといけないんだから。
「落ち込んでないで、ちゃんと考えないと……」
ここがどこなのか、どうやったら逃げられるのか。
「……場所くらい、白井に聞いておけばよかったんだよな」
俺ってダメだなって思って、ため息をついた。
それから、ソファに座って膝を抱えて。
もう自分一人きりなんだなって思ったら、急に悲しくなって。
「……闇医者元気かなぁ。みんなに……会いたくなっちゃったなぁ……」
泣き出す前に目を閉じた。

楽しいことを考えようって思ったけど、浮かんできたのは中野に宛てた手紙。
本当はもっとキレイな文字で書き直すつもりだったけど。
「それもできなかったもんな……」


『―――中野へ
だまっていなくなってごめんなさい。
おじさんちに帰るつもりだったけど、やっぱりやめました。
今いるところは中野のうちからはすごく遠いので、もう会うことはないと思うけど、でも、中野のことも闇医者のことも他のみんなのこともずっと忘れないので、みんなにありがとうって伝えてください。それから、今は元気で楽しくやっているので、闇医者に心配しないでって言ってください。 一瀬 護 』


自分でも呆れるほど不ぞろいな文字だったけど。
それでも中野の手元に届くなら。

どうか。
中野がちゃんと手紙を読んでくれますように。
俺がどこかで楽しく暮らしてるって思ってくれますように……―――



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