やっと泣きやんで、少し疲れちゃったなって思った頃、白衣の先生が体温計を取り出した。
「熱がなかなか下がらないね」
少しだけ首をかしげる先生の顔にはやっぱり見覚えがあって。
どこで会ったんだっけ……って考えていたら、
「マモル君、前に健康診断してもらったでしょう? 覚えてる?」
闇医者にそう言われて、やっと思い出した。
ごめんなさいって謝ってみたけど、先生は笑って首を振った。
「無理して考えたり思い出したりしなくていいんだよ。とにかくゆっくり休むといい。傷はまだ当分痛むだろうけど、すぐに良くなるからね」
他に具合の悪いところはないかって聞かれたけど。
なんとなくぼんやりしてるのは熱のせいだったんだなって思ったくらいで、あとはこれといってなんともなかった。
「ううん」
それよりも気になることがあって。
だから、闇医者がいるうちに聞いてみることにした。
「……ね、中野は……?」
もう仕事に行っちゃってたら少しがっかりだなって思ったけど。
闇医者はクスッと笑ってちらっとドアに目をやった。
「まだ向こうで煙草吸ってるんじゃないかな」
ずっとガマンしてたからねってウィンクをして。
それから、中野がテーブルに忘れて行った薄い水色の紙をキレイにたたみ直した。
「中野さんね、ずっとマモル君の側についててくれたんだよ」
車で病院に運ばれて、手術をして。
それから、目が覚めるまでずっとだよって。
そう言われて。
「……そうなんだ」
そう思ったら、また涙が出そうになったけど。
ここで泣いたら闇医者が心配するから、それはなんとかガマンした。
でも、闇医者はなんだかすごく楽しそうで。
「マモル君の意識が戻って気が緩んじゃったんだろうね。待合室のソファに座り込んでボーッとしてるよ。あの様子だとしばらく立てないかもね」
クスクス笑いながらそう教えてくれた。
診察は思ったよりも早く終わって。院長先生も闇医者も「だいたい順調だよ」って言ってくれたけど。
「まだ油断せずにしばらくは様子を見ようね」
ケガはもちろんだけど、他にもいろいろあるからって言われて。
なんのことって聞き返してる途中であくびをしたら、「もう少し休んだほうがいいね」って院長先生に言われてしまった。
眠いのとはちょっと違うような気がしたんだけど。
でも、 「……うん」
とりあえずそう答えた。
ホントは中野のところに行きたかったから、ちょっとがっかりしたけど。
それは口には出さなかったのに、闇医者にはちゃんとわかってしまったみたいで、
「じゃあ、おやすみなさいを言わないとね」
そう言って中野を呼びに行ってくれた。
数分後。闇医者の後からすごく面倒くさそうな顔で入ってきた中野はさっきとは違ってすごくムッとしてた。
火はついてなかったけど、タバコはくわえたまま。
本当はちょっとだけ期待してたんだけど、「大丈夫か」とかそんな言葉もなくて。
それどころか俺の顔を見てすごく嫌そうに眉を寄せて、ドアから一歩入ったところで立ち止まってしまった。
「嫌だな、中野さん。マモル君、もう泣きやんでるから大丈夫ですよ」
闇医者はそんなことを言って笑ったけど。
それでも中野はその場から動くこともなくて、ただ一緒に入ってきた男の人に目で合図をした。
「ボディーガードだ」
とりあえず紹介はしてくれたけど。
その間だって、ちらっとも俺の顔は見てくれなくて。
腕を組んで半開きのドアに寄りかかったまま廊下のほうを眺めてた。
「……こんにちは」
仕方なくすぐそばに立っている男の人に挨拶をしてみたけど、前にボディーガードをしてくれたお兄さんとは違って年もかなり上で。
「宜しくお願いします。一瀬さん」
真面目な口調でそう言って軽く会釈をしただけで、楽しい話はしてくれそうになかった。
ちょっとつまらないかも……ってがっかりして。
それから、ここって大きな病院だから変な人なんて入ってこないはずなのになんでボディーガードなんているんだろうって疑問に思って。
だから、そのまま追加の説明を待ってたけど、中野もボディーガードの人もその後はなんにもしゃべってくれなかった。
「……それだけなの?」
遠慮がちに催促してみたけどやっぱり返事はなくて。
それでももうちょっとって思ってじっと待ってみたけど、何分経ってもダメそうだから、あとでこっそり闇医者に聞いてみればいいやってことにしてそのまま諦めた。
それよりも中野はいつまでここにいてくれるのかってことの方が気になったから。
「ね、中野」
小さな声で呼んでみたら、いきなり「大人しく寝てろ」ってキツイ口調で言われて。
俺が「え?」って思っている間に中野はドアに手をかけて出て行こうとしてた。
「もう行っちゃうんだ……」
寝ている間ずっとついててくれたのは嬉しかったけど。
でも、できれば俺が起きてるときにいて欲しいなって思ったのに。
「中野さんはもう仕事の時間だからね」
闇医者に慰められて、あわてて「うん」って返事をした。
だって、その時の中野はなんだかものすごく機嫌が悪くて、それ以上のわがままなんて言えそうになかったから。
「また会える?」って聞いてもいいかなって考えていたら、闇医者がクスクス笑い出した。
「中野さん、今日から大きな会社にお勤めするらしいから」
それだけ言って口を抑えて。
本当はもっと笑いたいけどガマンしてるって顔をして。
中野はもうドアを開けて、体も半分部屋から出てたけど。
振り返りもしないで「うるせえよ」って言い捨てた。
中野がなんで怒ってるのか、俺にはやっぱり分からなくて。
だから、そっとみんなの顔を見てみたけど、院長先生もボディーガードの人も少しだけ笑ってた。
「……大きな会社に勤めるのって、おかしいことなの?」
すごくいいことのような気がするんだけど。
違うのかなって聞いたら、もっと笑われて。
中野はそれ以上怒ったりはしなかったけど、「余計なことはしゃべるなよ」って言ってさっさといなくなってしまった。
ビシッてすごい音でドアが閉まって。
それからシーンと静まり返った。
「……ね、闇医者。俺、よくわかんないんだけど」
もう中野はいなくなったんだから、ちゃんと説明してもらえるよねって思ったけど。
「別にたいしたことじゃないよ。大きくていい会社だけど、中野さんはあんまり好きじゃないみたいだから」
行くのが楽しくないんじゃないかなって。
闇医者の説明はそれだけで。
分かったような分からないような感じのまま、その話は終わってしまった。
「……俺、一人で頑張ってる間にすごく大人になったって思ってたんだけど」
部屋には俺を含めて4人いたけど。
今の話がなんでおかしいのかが分かってないのはどうやら俺だけみたいで。
「……ホントはあんまり変わってなかったかも」
それはちょっとだけショックだった。
看護婦さんがドアを開け閉めすると廊下からざわめきが聞こえて。
病院はたくさん人がいるから賑やかでいいなって思ったけど。
ボディーガードの人はすぐに仕切りの向こう側に行ってしまって。
院長先生も迎えに来た看護婦さんといなくなって。
闇医者だってもう診療所に戻らなきゃいけない時間だから、ホントは引き止めちゃダメだって思ったけど。
「……もうちょっとだけ話してもいい?」
なんだか一人になるのが心細くて、気付いたらそう聞いていた。
「じゃあ、少しだけね」
また熱が上がるといけないからって言いながらも、闇医者はベッドのそばに椅子を持ってきて座ってくれた。
でも、話すことなんて何も思い浮かばなくて。
「……やっぱりいいや」
引き止めてごめんねって言ったら、闇医者が首を振った。
「だったら、少しだけマモル君のこれからのことを話そうかな」
本当はもうちょっと経ってからにしようと思ってたんだけどって。
でも、早く話したほうがゆっくり考えられていいかもしれないからねって。
そう言われて。
「これからのこと?」
「そう。入院している間の約束事とか、そういうこと」
闇医者に言われたのは、ケガがすっかり治って中野が退院してもいいって言うまではずっと病院で生活することと、その間はずっとボディーガードの人がそばについてるけど、話しかけて仕事のジャマはしちゃいけないってこと。
それから、退院してからのことはおじさんとよく相談して決めること。
それだけだったけど。
「……おじさん、来るの?」
だとしたら、知らせたのは中野なんだろうなって。
それがどうっていうんじゃないけど、ちょっとだけ複雑な気持ちになった。
「午後になったらお見舞いにいきますって」
でも、これからのことは今日無理に話さなくていいからって言われたけど。
俺はただ「大丈夫だよ」って答えた。
それでも闇医者はまだ心配してたけど。
「でも、ホントに大丈夫だから」
だって、決めたんだから。
もう一度やり直せるなら、今度はちゃんとおじさんちに行って、言われたとおりの生活をしようって。
誰にも迷惑をかけずに大人になろうって。
そう決めたんだから。
「ね、闇医者」
でも、やっぱりそんな未来はほんの少し寂しくて。
「……おじさんちに行ったあとも、たまには電話していい?」
診療時間が終わってからにするから。
邪魔にならないようにすぐに切るから。
夜遅い時間と朝早い時間にはかけないから。
思いつく限りのことを並べてみたけど。
闇医者はにっこり笑って、「たくさん話そうね」って言ってくれた。
「携帯が繋がらなかったら、診療所にかけておいで。僕が仕事中でも小宮さんか他の患者さんが出てくれるから」
そしたらみんなと話せるよって。
それから、
「遠慮なんてしなくていいから、気が向いたらいつでも電話してね」
みんな喜ぶからって。
だから、なんでも話してねって。
何度も何度もそう言って、そっと髪をなでてくれた。
「……うん。ありがと」
今でもここにいたいっていう気持ちに変わりはないけど。
でも、これ以上ここにいないほうがいいんだってことも今ならちゃんと分かるから。
「じゃあ、俺、もう少し休むね」
にっこり笑う闇医者におやすみを言って目を閉じた。
あと少し。
だから、明日また中野が来てくれたらいいなって思いながら。
それから。
できることならバイバイを言う日まで、少しでも長く一緒にいられたらいいなって思いながら。
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