闇医者が言ってたとおり、おじさんは昼過ぎに来た。
花束とか着替えとかいろいろと持って、闇医者にも挨拶をしてたけど。
俺はあんまり楽しい気持ちになれないまま、ただ「大丈夫」を繰り返した。
「私にとってはたった一人の姉の大切な一人息子だからね」
だから、本当の家族と同じように思ってるよって言われて。
「……うん」
そう答えながら、白い天井を眺めていた。
気持ちのどこかがピリピリするのは、きっと少し緊張してるせい。
何かがイヤとか、そういうんじゃないけど。
これから上手くやっていかなくちゃならないって思うほど、気持ちが塞がっていくような気がした。
大丈夫。少しずつ慣れていけばいいんだからって自分に言い聞かせてみたけど。
「それで、この後のことだけどね」
退院して、おじさんちに行ってからの予定はもう全部決まっていて、俺はただ「うん」って言うしかなかった。
部屋も用意して、学校の手配もしてあって。
「今から高校に行くのは時期的にも少し難しくてね。それなりに大きい所だけどアットホームな学校のような塾があるから、そこで一緒に勉強するといいんじゃないかってことになったんだ」
ケガが治ったら一度見学に行って、もし気に入らないようなら他の学校を探せばいいって。
「でも、そこは事情があって途中で学校にいかなくなったような子がたくさんいるから、護君とも話が合うんじゃないかな」
場所はどの辺で、何人くらい生徒がいて……って。
説明は何十分も続いたけど。
「護君にはそういうところの方がいいんじゃないかって、中野さんが―――」
そんな言い訳みたいな言葉を不思議な気持ちで聞いていた。
入学にかかる費用とは別に、俺の「養育費」っていうのが月に20万円。
その金で俺は学校へ行って、食事をして、服を買って。
それから、毎月の俺の小遣いはあとで相談して決めようって言われた。
俺が学校を出て就職するまでずっと送金は続くらしい。
「……それって、中野が払うの?」
そう聞いてみたけど。
「姉さんの貯金だって聞いたけど……違うのかい?」
母さんの通帳にあった金は俺が全部使ってしまったから、絶対に違うって思ったけど。
でも、それを言うのは止めておいた。
「……俺は……何も聞いてないけど」
ただそれだけ言って。
おじさんが「そうなの」とつぶやくのを聞き流した。
たぶん、金の出所なんてどこでもいいんだろう。
あまりにも気のない返事がそう感じさせた。
「とにかく、護君を迎える準備はもう全部できているからね」
自分の家だと思って安心して退院しておいでって言われて。
「……うん」
視線を上げることもないままそう答えた。
「どうしたんだい? 気になることがあったら何でも聞いていいんだよ」
我慢なんてする必要はないし、同居がうまく行かなかったら一人暮らしも考えるから、何も言わずに一人でどこかに行ったらダメだって言われて。
俺はそれにもただ「うん」って答えた。
「早く治すんだよ」と「また来るからね」のあと、おじさんが部屋を出て行って。
ドアが閉まった時、なんだかすごくホッとした。
気持ちのどこかで「嫌われないようにしなきゃ」って思ってたせいなんだろう。
それは自分でもわかってた。
「……なんか疲れちゃったな……」
気分転換をしたくても起き上がることもできなくて。
だからと言って眠れそうにもなくて。
ただじっと天井を眺めながら時間が過ぎるのを待ってた。
「……中野、何してるかなぁ」
夜になって、仕事が終わったら来てくれるかもしれない。
ダメなら明日。
それでも来なかったらあさって。
いつでもいいから、来てくれたらいいのに。
そしたら、きっと決心ができるのに。
中野の口から、もう一度「戻ってくるな」って言われたら、きっと――――
闇医者が様子を見に来たとき、俺の意識は半分くらいしかなかった。
「マモル君?」
自分では寝てるだけだと思ってたけど。
「どうしたの、この熱―――」
朝まで微熱だったはずなのにって言って闇医者が慌てたけど。
「……具合なんて悪くないよ」
少しダルいだけ。
なんとなくボンヤリしてるだけ。
身体が痛いのはきっとずっと寝てたせい。
だから、大丈夫だよって言ったけど。
「大丈夫かどうかは僕が決めるから、マモル君はちゃんと言うことを聞いてね」
体温を測って、少しだけ検査して。
そのあと注射をされて、「おやすみ」を言われた。
今何時なんだろうとか、なんで熱なんて出たんだろうとか。
もう全部がなんだか分からなくて。
「……でも、俺……闇医者が言う通りにしてればいいんだよね」
自分で決めなくても。
なんにも考えなくても。
闇医者が全部ちゃんとしてくれるから、大丈夫。
「ね……?」
『そうだよ』って言われたような気がした。
でも、なんだか遠くてちゃんと聞き取れなかった。
まだ現実。
あと少しで夢。
自分でもわかるくらい眠りは浅くて。
ふっと意識が消えかかるたびに刺されたときの記憶が蘇って、またハッと目を開けて。
「変な夢見そうになってたかも……」
生温かい血が指の間を流れ落ちて冷たい床を濡らす。
首筋を流れた汗にあの日の嫌な感触が蘇る。
心臓がバクバクして、もっと眠れなくなって。
不安で。
泣きたくなった。
「そうだ。ひつじ数えようっと」
こんなひとりごとを言っている間は、閉じ込められていた時のことは思い出さずに済むけれど。
一度目を閉じて辺りが暗くなると急に怖くなって。
「……やっぱダメかも」
暗い視界。
焼けただれたシート。
倒れた黒服の背中。
嫌なことばっかりを思い出してしまって。
少しだけうとうとしかけても、すぐにハッと目が覚めてしまう。
しばらくそんなことを繰り返して、どれくらい時間が過ぎたのかもわからなくなってた。
眠らなきゃって思ってムリに目を瞑ると、また真っ暗な部屋に閉じ込められているような感覚に陥って、変な動悸がして。
それでも頑張らなくちゃって思ったけど。
どんなに深呼吸してもどうにもならなくて、神経だけがキリキリしてた。
「……でも、こんなことで看護婦さん呼んじゃダメだよね」
いくら考えてもいい方法は浮かんでこなかったから。
目を閉じなければ大丈夫なんだからって思いながら朝までずっと起きていた。
「おはよう、マモル君」
声をかけられたときも疲れと怠さでぼんやりしてた。
夕べの記憶は曖昧で切れ切れで。
何一つちゃんと思い出せなかった。
「じゃあ、熱を測るよ」
闇医者と看護婦さんと。
あとから来た院長先生。
「おはよう」を何度も聞いたような気がしたけど。
「……俺、もしかして誰にも『おはよう』って言ってない?」
自分のことなのによくわからなくて。
闇医者に聞いたら、「困ったね」って悲しそうな顔をされた。
「あのね、マモル君」
白衣のまま静かに椅子に腰かけた闇医者は、何度か俺の髪をなでてから、ゆっくりと話し始めた。
「キュウセイ……ストレス……?」
耳慣れない言葉過ぎて最後まで聞き取れなくて。
「そう。急性ストレス障害」
眠れない理由はそれなんだって。他にもいろいろ説明してくれた。
「でも、心配しなくても大丈夫だからね。いろいろ大変なことがあると、そういう症状が出ることが多いんだよ」
すごく普通のことで、俺だけが特別じゃないから気にすることはないよって言われても、やっぱり少し気になったけど。
「しばらく様子を見ようね」
無理に眠ろうとすると逆に目が冴えたりするから、眠ることにはこだわらない方がいいし、話し相手が欲しかったら遠慮なく看護婦さんを呼んでいいよって言われて、少し安心した。
「看護婦さんを呼びにくかったら、ボディーガードさんでもいいしね」
そのためにいるんだから、気を遣うことはないよって言われて。
「うん。そうだね」
ボディーガードの人。
あれから顔を見ることもなかったけど、夜はずっと仕切りの向こう側にいることはわかってた。
「でも、話しかけちゃいけないっぽいんだ」
中野に怒られるかもってちょっとだけ愚痴をこぼしたら、
「僕からちゃんと話しておくから大丈夫だよ」
闇医者はニッコリ笑ってくれた。
「じゃあ、マモル君。夜になったら少しだけ薬を飲もうね」
そうすればぐっすり眠れるって言われたけど、俺は首を振った。
白い錠剤を思い浮かべるだけで吐き気が込み上げてくるのは、きっと作り笑いの男にムリヤリ飲まされたことを思い出すから。
「固形が飲めなければ粉の薬にしてあげるよ?」
そう言われても。
「……ううん」
全部があのときの記憶に繋がっていく。
病院に来た最初の日は平気だったのに。
「大丈夫だから。ちゃんと寝るから」
だから、薬はいらないって一生懸命断わったら、闇医者はなんでもないことみたいに「じゃあ、やめようね」って言って紙に何かを書き込んでいた。
「怖かったら夜中もずっと電気はつけておくから。あと、好きな曲があればCDを買って来てあげるよ」
「うん。ありがと」
でも、あんまり音楽なんて聴かなくてよくわかんないから、闇医者が好きなのにしてってお願いしたら、
「じゃあ、家にあるのから何枚か選んでこようかな。マモル君の気に入るのがあるといいんだけど」
洋楽は嫌いかなって聞かれて「そんなことないよ」って答えた。
歌詞が日本語だと、また嫌なことまで連想してしまうかもしれないから、だったら何にもわからない方がいいかもしれないって、そう思ったから。
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