Tomorrow is Another Day
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二人きりになったけど。
でも、やっぱり中野は何にもしゃべらなくて。
何しにきたんだろうって思うくらい普通に新聞を読んでいた。
「……仕事、もう終わったの? まだ夕方なのに大丈夫なの?」
ちょっとだけ話しかけてみたけど、やっぱり返事はなかった。
中野が来るってわかってたら、ちゃんと話すことを考えておいたんだけどなって思いながら、とりあえず「おかえりなさい」って言ってみた。
でも、やっぱり何の反応もなくて、ちょっとがっかりした。
どうしようかなって思ったけど。
「ね、ちょっとだけ話してもいい?」
気を取り直してそう聞いて。
もちろん中野は「いい」なんて言ってくれなかったけど。
でも、そんなのいつもと一緒だから。
「あのね―――」
小宮のオヤジとか患者モドキが毎日遊びに来てくれることとか、看護婦さんが優しいこととか、闇医者がお茶を入れてくれたこととか、いろいろ話して。
それから。
「俺、ちゃんとおじさんちに行くことにしたよ。……それでさ」
ものすごく勇気を出して、「たまには電話していい?」って小さな声で言ってみたけど。
「駄目だ」
0.1秒の間もなくそう返されて、またちょっとだけ落ち込んだ。
ホントは聞く前から「きっとダメだろうな」って思ってたけど。
それにしても、あまりにもそっけなくて。
「……どうして?」

だって、闇医者に聞いたときは「たくさん話そうね」って言ってくれたのに。
診療所にかけてくれればみんなとも話せるよって言ってもらったのに。

「中野……電話が嫌いなの? それとも俺のこと、うるさいって思ってるから?」
電話が嫌いなだけならいいなって思って。
そのままじっと返事を待ってたけど、その後も沈黙が続くだけだったから。
「……なんでもない。変なこと聞いて、ごめんね」
諦めて鼻まで布団をかぶった。
それだっていつもと同じだよなって自分に言い聞かせて。
だから、頑張ってガマンしたけど。
ちょっと気が緩むとやっぱり視界がにじんで。
慌てて少し横を向いて、顔だけ動かしてゴシゴシ涙を拭いた。
そこにあるのは枕のはずだったんだけど、どう見てもそれは中野のコートで。
「……うわ……間違えた」
バレたら怒られるかも……って、あせって中野を見上げたら目が合って。
その瞬間に大きな手がおでこに触れた。
「……中野?」
なんで熱なんて測ってるのって聞こうとしたとき、中野が顔を顰めたのがわかった。
いつだって中野の手は温かいんだけど。
でも、今日は少しだけ冷たく感じたから、眉間のシワの理由もすぐにわかった。
「あの、えっと……それはさ、きっと中野が外から来たせいじゃないかなって思うんだけど……」
俺のおでこと中野の手。
比べても俺の方がちょっとあったかいだけだし。
たいしたことじゃないよねって思ってたのに。
中野の眉の間の縦ジワがさっきよりももっと深くなったから、仕方なく言い直した。
「……もしかしたら、ちょっとだけ熱があるかもしれないけど……でも、ぜんぜん大丈夫だし、それに」
具合なんて悪くないし、中野だって来てくれたし……って。
ちゃんと言い訳になってるのか分からないような説明をして。
でも。
中野は面倒くさそうに溜め息をついただけだった。
それから。

「―――眠れないのか」

そう言いながら手を離して。
新聞をたたんで、ポケットのタバコを取り出そうとして、でも、やめて。
そのまま、また俺を見下ろした。
「……うん、えっと、でも昼間もずっと寝てたから……」
本当は「ずっと」じゃなくて「ちょっと」だから。
少し嘘だったかもって思って、そのあとは言葉に詰まってしまった。
「あ、でもさ、ホントに大丈夫だよ」
そう付け足してみたけど、なんだか白々しくて。
中野もその後はなんにもしゃべってくれなかった。
「……ホントなんだけどなぁ」
中野がしゃべらないのは別に今日だけじゃなくて。
いつもそうなんだからそれほど気にしなくていいって思ったけど。
でも、このまま帰ってしまったらやだなって思ったから、一生懸命次の話を考えた。
けど、あせってたせいか何にも思い浮かばなくて。
「……えっと、あの、さ……中野、今日、何か用事があったの?」
気がついたらそんなことを聞いていた。
当たり前なんだけど、中野の返事は「ねえよ」のひとことだけ。
そのあとはまた沈黙だった。
でも。

「ね、中野―――」

名前を呼んで、横顔を見上げたら。
ニコニコしている俺を見て、中野はまた眉間にしわを寄せたけど。

「……ありがと」

だって。
ぜんぜん用なんてないのに来てくれたんだって。
そう思ったら、嬉しかったから。

ホントにすごく嬉しかったから。

「―――……来てくれて、ありがと」

そんな言葉のすぐあと。
中野はぜんぜん違う方を見たまま、枕元に置いてあったコートをバサッと俺の顔にかけてしまった。
「さっさと寝ろ」
聞きな慣れた声が、いつもと同じくらい面倒くさそうにそう言って。
「……うん」
返事をしたら、鼻先に当たってたコートから、ふわっといい匂いがした。

中野の匂い。
なんでこんなに大好きなんだろうなって思いながら。
コートの端をこっそり握り締めた。

「あのね、中野」
さっきは「寝る」って言ったけど。
でも、せっかく一緒にいられるんだから、やっぱり中野が帰るまで頑張って起きてようって思って、コートを少しずらして目だけ出してみたんだけど。
それはすぐ中野に見つかって、
「……うるせえよ」
まだなんにも言ってないのに、今度は隣に置いてあった予備の枕を顔の上に置かれてしまった。
「……怒られちゃったかも」
すっかり周りが見えなくなった状態でもぐもぐ言いながら耳を澄ませてみたけど。
やっぱり返事はなくて、聞こえるのは新聞を広げる音だけ。
「……じゃあ、静かにしてる」

静かな病室。
思い出したのは中野のマンション。
いつもこんな感じだったなって思って。
そしたら、なんだかすごく安心して、ふわんとあくびが出た。

このまま中野の隣で、ずっとずっと同じ空気を吸っていたいって。
そう思いながら、タバコの匂いのするコートをギュッて握り締めた。

それだけなのに、なんでこんなに楽しいんだろうって。
そう思うのも楽しくて。
思いっきり息を吸い込んで、目を閉じた。




もちろん眠るつもりなんてぜんぜんなかった。
なのに、気がついた時にはもう次の日になってて。
しかも。
「え? もうお昼なの??」
それにはさすがに俺もびっくりしてしまった。
当たり前だけど、中野はもういなくて。
ガッカリしてたら闇医者に笑われて。
「中野さんだってお仕事があるからね」
仕方ないよって言われている間にすごく大変なことに気付いた。
「……あ、」
俺の手にしっかりと握られていたのは中野のコート。
しかも体の下に半分敷いていた。
「ああ、中野さん、コート置いていっちゃったんだね」
闇医者は本当になんでもないみたいな口調でそう言うんだけど。
「……っていうか、俺のせいだし」
だってこんなにしっかり下敷きにしてたら、持って帰れるわけないもんな。
寒くなかったのかなってすごく心配だったけど、それにも闇医者はクスクス笑っただけだった。
「大丈夫だよ、どうせ車だし。それに中野さんはコートなんて何枚も持ってるんだから」
クローゼットから一枚盗んできても絶対に気付かないよなんて言うんだけど。
「……でもさ」
やっぱり悪いから早く返さなくちゃって言ったら、闇医者に「マモル君、いい子だよね」ってもう一度笑われた。
「気にしなくてもどうせ夕方にまた来るよ」
闇医者はなんだか自信満々なんだけど。
「でも……昨日、来たばっかりだよ?」
っていうか、寝てたせいで、ついさっきまで会ってたような気がするのに。
また会えるのかなって思ったら、なんだかすごく不思議だった。
「毎日来てるって言ったでしょう? まだ僕の言うことが信じられない?」
闇医者がちょっとだけ真面目な顔になって。
だから、「そんなことないよ」って慌てて首を振った。
『でも、中野だよ?』って心のどこかでやっぱりまだちょっと思ってたけど。
「ね、闇医者」
「なに?」
「……『夕方』って4時くらいかなぁ?」
時計を見ながら、すごく楽しい気持ちになってしまった。

そのあと小宮のオヤジとかがまたお見舞いに来てくれたけど。
その間も15分置きくらいに「まだかな」って言ってしまって、みんなに笑われた。
「そろそろヨシ君、来る頃かなあ?」
小宮のオヤジが何度目かにそう言ったとき、「面会です」って連絡があって。
「じゃあ、マモルちゃん、また明日な」
みんながニコニコしながら帰っていくのを見送ってから、ドキドキしながら待ってたんだけど。
静かにドアが開いて顔を上げたとき、そこに立っていたのは中野じゃなかった。



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