Tomorrow is Another Day
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結局、その日、お兄さんが「白井氏の事はこちらにお任せください」って言って。
ついでに、「一瀬さんがご心配なさるようなことはいたしませんから」って約束してくれた。
中野はその間もずっと知らん顔してたけど。
特に文句も言わなかったから、きっと大丈夫なんだなって思った。


その次の日には中野は本当に出張に行ってしまって。
その上お兄さんは中野から「当分見舞いに来るな」って言われたらしくて、ぜんぜん病院に来てくれなくて。
だから、そのあと白井がどうなったのかを俺に教えてくれる人はいなかった。
「闇医者、知らない?」
聞いてみたら、返事の代わりにお兄さんが朝置いていったものを差し出した。
「これ……」
ベッドに座っている俺の膝に置かれたのは闇医者がクリスマスにくれた辞書と白井にあげたお守り。
お守りは渡した時より少し薄くなってた。
「マモル君が大事にしてるものだから返して欲しいって」
それから少しだけ闇医者が白井のことを話してくれて。
俺はその時はじめてあの日白井が中野の事務所を訪ねてきたことを知った。
「……そうだったんだ。手紙ってそんなにすぐには届かないよなって思ってたから、ホントはちょっと不思議だったんだ」
中野が俺を迎えに来てくれたのも白井が居場所を教えたからで。
助け出されたあの日、白井もすぐ近くにいたことも知った。
「中野、やっぱり白井のこと知ってたんだな。なんでぜんぜん知らないみたいな顔してたんだろう。それに、知り合いだったらもっと一生懸命助けてくれてもいいような気がするんだけど」
もしかして、白井が場所を教えたせいで俺を助けに行かなきゃいけなくなったことが迷惑だったのかなって思って。
闇医者に「どう思う?」って聞いてみたけど、「そんなわけないじゃない」って笑われた。
「だって、中野さん、あんなにマモル君のこと心配してたんだよ。もう忘れちゃった?」
そう言われて、思い出したのは車の中で文句を言ってた中野と、目が覚めたとき窓のそばに座ってた中野。
「……ううん。覚えてるよ」
どんなに心配してくれたのか。
ちゃんとわかってる。
「そうだよね」
言いながら、また胸が痛くなった。

このまま退院して。
なんとなく普通の生活に戻って。


そしたら、中野にはもう会えない。


ため息を飲み込んで、受け取ったお守りを開けてみた。
白井が何枚か使ってくれたから、少し薄くなってはいたけど、中には前と同じように破れた一万円札が入ってた。
俺が一生大事に取っておくって言ってたから。
だから、白井は返してくれたんだろう。
「でも、白井、財布も持ってないって言ってたのに大丈夫なのかなぁ……」
これだって元は俺の金じゃないんだから、えらそうに「あげる」なんて言うのは変かもしれないけど。
「大丈夫だよ。それはきっと中野さんがそれなりの対応をしてくれるはずだから」
それなりの対応っていうのがどういうのかはイマイチわからなかったけど。
でも、とにかく大丈夫ってことなんだろう。
「……そっか」
ならいいやって思って。ついでに。
「じゃあ、あとで中野にお礼言っておこうっと」
そう言ったら、「それは止めておいた方がいいかもね」って闇医者から止められた。
「なんで?」
「それを言うと中野さんの機嫌が悪くなると思うんだ」
その返事についても「なんで?」って思ったんだけど。
でも、機嫌が悪くなるのはイヤだったから、とりあえず「うん」って返事をしておいた。

一緒にいられる時間はきっともう何日もない。
だから、せめてその間くらいは楽しく過ごしたいって思ったから。

左手にお守りを持って、右手に辞書を持って。
交互に見比べながらなんとなく懐かしい気持ちになった。
闇医者から辞書をもらったのだってついこの間なのに。
いろんなことがありすぎて、なんだかすごく昔みたいに思えた。
病室の隅にまとめられてる俺の着替えは全部闇医者やおじさんが新しく買ってくれたもので、俺が今までの生活で持ち歩いてたものは何にも残ってなかったから。
これだけでも手元に戻ってきたことが本当に嬉しかった。
「忘れないようにおじさんちに持って行かなきゃ」
学校へ通うことになるなら、辞書だって必要だし。
「お守りは教科書入れるカバンにつけておこうっと」
俺の言葉を聞いて、「バッグも買わなくちゃね」って言いながら、手帳にメモを取る闇医者に「いろいろありがとう」って言ったけど。
「いいんだよ。どうせお金出すのは中野さんだし。ついでに僕もおそろいで買ってもらおうかな。春の服も買わないとね」
闇医者の手帳の一ページ。
あっという間にこれからの生活に必要なもので埋め尽くされた。
「……そんなに買ったら、たくさん金かかるよね」
どうやってお礼を言ったら、それに見合うんだろうって。
考えながらまた少し悲しくなった。
前に闇医者の診療所の入院費用を払ってもらった時は「体で払えばいいんだね」なんて軽く返事をしたけど。
もうそんな気持ちにはなれなかった。
「マモル君は気にしなくていいんだよ」
どうせ中野は他にお金使うところなんてないんだからって闇医者は言うんだけど。
「でもさ」
他にないからって、俺が使っていいわけじゃないもんな。
「あとでいくらかかったか教えてもらえる?」
闇医者にお願いしたら、「いいよ」って笑って。それから、
「お礼をしたかったら、中野さんが喜ぶようなことをしてあげればいいんじゃないかな」
楽しそうに笑う闇医者を見ながら、俺はまた少し暗い気分になった。
「だって、俺、中野が喜びそうなことなんてなんにも思い浮かばないよ」
知り合ってから今までずっと。
中野は一度だって笑ったことがなくて。
「俺といる時って、いっつも怒ってるか呆れてるかどっちかなんだ」
それでもそばにいられるだけで俺は嬉しかったけど。
中野は俺といてもきっと楽しくないんだろう。
「……闇医者、中野が笑ってるの見たことある?」
どんなことだったら笑ってくれるんだろう。
知ってたら教えてって頼んでみたけど。
「僕も見たことないよ」
闇医者からはたったそれだけの言葉。
それに、なぜかすごくつらそうに見えた。
「十年も一緒にいるのに、でも、一度も見たことないな」
もう一度そう言って。
それから、「全部僕のせいなんだけどね」ってつぶやいて窓の外を見た。
「どういうこと?」って聞きたかったけど。
でも、なんだか聞いちゃいけないような気がして。
「……そっか……闇医者も見たことないんだ」
それだけ返して、俺も一緒に窓の外を見た。

中野が喜んでくれること。
今までだって何度も考えたけど。
でも、どんなに一生懸命考えても何も思いつかなかった。
だから、クリスマスプレゼントもキーホルダーにしたのに。
「ね、闇医者」
俺はなんにもしてあげられないから。
代わりに中野のことを幸せにしてくれる人ができたらいいなって。
「……もし、あれが最後だったら、叶えてもらえたのかな」
中野のためにひとつだけでも何かできるなら。
やっぱりあのお願いを叶えてもらうのがよかった。
「今そんなこと言ってもどうにもならないんだけどさ」
ため息をつく俺に闇医者はニッコリ笑って首を振った。
『最後だからって何でも叶うわけじゃないんだよ』って言われるのかと思ったけど。
でも、返事は違った。
「大丈夫だよ。もう叶えてもらったみたいだから」
マモル君のおかげだね、って言われて。
一瞬、どういうことなのかわからなかった。
だって、中野は今までとどこもぜんぜん変わりなくて。
だから、そんなはずないって気持ちのどこかで思ってた。

でも、他の意味なんてない。

―――……恋人が、できたんだ……

自分でお願いしたはずなのに。
でも、ぜんぜん喜べなくて。
「……それ……可愛い人……?」
俺の気持ちなんてわからないから、闇医者はニッコリ笑って頷いて。
「とても可愛い子だよ」
すごく普通にそう答えた。
「アイツより美人?」
そんなヤツ、絶対にいないって思うけど。
「美人っていうのとはちょっと違うかもしれないけど。でも、可愛い子だから」
僕が保証するから大丈夫だよって言われて。

本当は、もう「うん」って言うしかないってわかってた。
なのに。

「でも、でもさ―――」
どうして、『そんなヤツじゃダメなんだから』って思うような理由を探してしまうんだろう。
「まだ何か条件があったんだっけ?」
「アイツみたいに途中でいなくなっちゃうヤツはダメなんだよ? ずっとずっと中野の側にいてくれる人じゃなきゃ」

あの日みたいに、中野が一人で酒なんて飲まなくていいように。
ずっとずっと好きでいてくれる人じゃなきゃダメなんだから。
必死でそんな言葉を並べて。
「だって――――」
言ってる途中で気がついた。

そんなの、俺の勝手な言い訳。
本当はそんな相手、この先ずっと現れなければいいって思ってただけ。

「……俺、すごいやなヤツだよね」

ごめんね、って謝った。
中野はここにいないけど。
でも、嘘ばっかりついてたってことに自分でも気付いてしまったから。
「でも、でもさ……それでも、ちゃんと恋人できたんだから、いいよね」
俺が本当はそんな気持ちだったことは中野には言わないで……って。
「そんなお願いするのだって、ホントはダメだよね」
でも、中野には嫌われたくないんだって、言い訳をして。
悲しい気持ちのままうつむいたら、闇医者は俺の髪を梳きながら、少しだけ真面目な顔になった。
でも、すぐにまたニッコリ笑って。

「――――……離れても、ずっと忘れずにいてあげてね」

真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。

「……闇医者?」
なんのことって聞こうとしたとき、不意にカチャってドアが開いて。
それから、ふわりとタバコの匂いが流れ込んだ。



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