終わったあと、しばらくは口を利く気にもなれなかった。
「う〜、ダルい……もう、最悪……」
うっかり呟いたら北川に耳を舐められた。
「マモ、それは俺に対して失礼だろ？」
「だって、これじゃ、動けないよ」
実際、俺は指も動かせないほどぐったりしてた。
「泊まっていけよ。どうせ中野はマモのことなんて気にしないんだから」
二言目には「マモのことなんて」って言うんだよな、コイツ。
北川は俺の体に腕を回したまま携帯のメールチェックをしてた。
ちらっと見えた画面には『淋しい』とか『会いたい』とかの文字が見えた。
どうでもいいけど、それって恋人なんじゃないの？？
中野も北川も、なんでそうやってあっちこっちで浮気してんの？？
なんか嫌になってきた。
「俺、もう帰るー」
ダルイけど仕方ない。のそのそ起き上がったら、北川に止められた。
「止めとけよ。中野のところには今日も可愛いコイビト君が来てるかもしれないだろ？」
ニヤニヤしながらそんなことを言うから、つい聞いてしまった。
「オーナーは中野の彼氏、知ってるの？」
「ああ、まあ、顔くらいはな。中野の奴、どういうわけか誰にも紹介しないんだ。俺もマジマジと見たことはないよ」
「ふうん」
それも小宮のオヤジが言ってた通り。なんだか落ち込む。
「……どんな人？」
気にしても仕方ないんだけど。
「そうだな。細身で均整の取れた身体も美味そうだし、いい声で啼いてくれそうな感じだ」
エロオヤジすぎてあんまり参考にならない。
「もっと普通に説明してよ」
北川は笑いながら携帯を置いて、俺を抱き寄せた。
「なら、清楚で賢そうで、世間ズレしてなさそうなカワイコちゃんってところだな。涼しそうな顔立ちの正統派美人」
それってほめまくりだよな。
俺には「バカっぽいところが可愛い」くらいしか言ってくれないのに。
「ま、早めに諦めておけよ。マモは何年たってもあの子には追いつけないから」
「いいもんね、別に」
ふて腐れていたら、北川がわざわざ付け足した。
「誤解のないように言っておくが、中野が一生マモちゃんをコイビトにしない理由は、今の彼氏がカワイコちゃんだからじゃないぞ？」
そんなことを言って俺の興味を引きつけておきながら。
「じゃあ、なんで？」
俺が食いついたら。
「さあな。中野に聞いてみろよ」
理由を教えてくれないってどうなんだよ？
ホント、やな奴だよな。
かと言って中野に「なんで俺じゃダメなの？」なんて聞けるわけないし。
「マモ、彼氏に会ったことないんだから、当然、中野とのツーショットも見たことないんだよな？」
タバコに火をつけて思いきり吸い込んだ後、俺に煙を吹きかけた。
「うわ、最低〜〜っ」
でも、中野のタバコと違って軽い匂いだった。
バタバタする俺を笑いながら北川が言葉を続ける。
「すごいぞ。あの中野が公衆の面前で腰を抱いてキスするほどの可愛がり様だ。なのに俺たちには絶対に紹介しないんだからな」
「ふうん」
いろいろ話してくれるんだけど。
実はこれって俺が落ち込むのを楽しんでるだけなんじゃないだろうか。
「抱く時だってコイビト君には優しいんじゃないか？ 中野、マモには優しくなんてしてくれないだろ？」
北川にからかわれてるだけだって思うけど。
わかっててもやっぱり落ち込む。
「……そうだけど……」
中野とは結びつかない。
セックスのついでじゃないキスも。
誰かをギュッて抱き締めることも。
「どうした、マモちゃん、暗い顔して」
「別にー」
「とか言って、淋しくなったんだろ？」
「違うよ」
反論したけど。
北川は笑いながら俺を抱き締めて、おでこにキスをした。
「中野の所なんて出てこいよ。借りてる金なら立て替えてやってもいいぞ？ どうせたいした額じゃないんだろ？」
「……かもしれないけど」
ちゃんと聞いておけばよかったのかな。実際、いくらなのか見当もつかない。
「考えておけよ。マモがいい子にしてるなら毎日可愛がってやるから」
甘くて優しい声が耳元で響いた。
けど。
「そんなこと言って、適当に遊んで飽きたら売り飛ばすつもりなんだろ？」
絶対、そうだ。
俺、ボーッとしてるかもしれないけど、それはきっと当たってると思った。
北川は本当におかしそうにくっくっくと笑って俺の唇を指でなぞった。
「マモは抜けてるのかそうじゃないのか分からないな」
……ほら。やっぱ、そうなんだ。


結局、その日は動けなくて北川の事務所に泊まった。
でも翌朝には復活してサクサク着替えて事務所を出た。
「じゃあ、またねー」
手を振ったら北川に「ガキだなぁ」と笑われて、ちょっとだけムッとしながら闇医者のところに遊びにいった。
「マモル君、顔色悪いみたいだけど」
おはようの挨拶の後、いきなりそう言われた。
「そうかな？ 言われてみたらちょっと頭が痛いような気がするかも」
闇医者が俺の額に手を当てた。
「熱はないみたいだけど、少し休んだ方がいいね」
闇医者は相変わらず心配ばっかりしてる。「大丈夫だから」って言った俺を無理やりベッドに寝かしつけた。
「マモル君、昨日はあんまり寝てないでしょう？」
一晩中北川と一緒だったんだ。
たいしたことはされなくても寝られるはずなんてない。
「う〜ん。昨日、オーナーがさー……あ、闇医者、オーナーってね」
言いかけたけれど、なんて説明していいのかわからなかった。
でも、闇医者はすぐに頷いてくれた。
「知ってるよ。マモルくんがバイトしてるお店の北川さんでしょう？」
北川のことは知ってても不思議じゃないけど。
「なんで俺がバイトしてることまで知ってるの？」
ちょっとびっくりだ。
俺、まだ闇医者にはなんにも話してないのに。
「誰から聞いたの？」
店の客がここに出入りしてるってセンはありそうだけど。
「ああ、それは中野さんにね」
それを聞いてもっとびっくりした。
……中野って、闇医者とは普通に話すの？
少しショックだ。
「ちぇ〜…俺とは口利いてくれないのになぁ」
話しかけても返事をしないのが当たり前で、『おはよう』の一言さえカンペキに無視するヤツなのに。
落ち込みモードに突入した俺を闇医者が笑って慰めた。
「やだな、マモルくん。無理やり中野さんに聞いたんだよ。自分から話してくれるわけないでしょう？」
そっか。そうだよな。
……よかった。
「ね、闇医者」
「何？」
「俺、今まで、何の話してたんだっけ？」
どうでもいい話だったような気はしたけど。
びっくりしたせいか、すっかり忘れてしまっていた。
闇医者はクスクス笑いながら俺に薄い布団を掛けた。
「中野さんの話でしょう？ でも、もう終わりね。夕方まで寝てた方がいいよ。今日はバイトないの？」
「うん。ないよ」
なんか他に話そうと思ってたことがあったような気がしたけど、もう思い出せなかったから、そのままにしておいた。
「冷房入れてるから風邪引かないようにね。布団、剥いじゃダメだよ？」
闇医者は俺の肩まで布団を上げてから空気が入らないように浮いている部分をパフパフと押さえた。
最初にここに来た時はまだ夏の初めだったのに。
もう夏も終わりだ。
本当にあっという間。
でも、いろんなことがあった。
俺の生活もあの頃に比べたらちょっと安定したけど。
それでもすごくいいってわけじゃない。
最初に北川からもらった金もたぶん残りはあと少し。
中野に残りがいくらか聞いてみようかと思ったけど。
それより、もっと働いた方がいいよな。
布団から目だけ出してキョロキョロしてる俺に闇医者が笑いながら話しかけた。
「中野さん、最近忙しそうだね」
「そうなの？」
彼氏の部屋に勝手に入った日から、中野は俺を無視して公園を通り過ぎるだけになった。
最近は無反応がさらにひどくなってて、金をもらう時だって俺が「あのさー」って言った瞬間に黙って１万円札を渡すだけ。
その後は本当に何も言わないでいなくなる。
きっと俺と話すのが嫌なんだって思った。
「なんでかなぁ……」
昨日の北川の言葉も気になって朝からずっと考えてるけど、やっぱり全然わからなくて。
そりゃあ、俺は中野の彼氏みたいにみんなから美人って言われるような顔でもないし、子供っぽいし、キスだってヘタかもしれないけど。
俺がどんなに中野を好きになっても中野は俺をコイビトにしないのは、それが理由じゃないんだろう。
しかも、「この先ずっと」なんて。
なんで北川にそんなことが分かるんだろう？
「どうしたの、マモルくん」
「ううん、ちょっと考えごとー」
闇医者なら何て言うだろう。
そう思った時、不意に思い出した。
闇医者が前に言ってたこと。
『マモル君が恋人になるのはちょっと無理だと思うから、できれば他の人を好きになってね』って。
それも同じ意味なんだろうか。
「ね、闇医者」
「何？」
「俺、絶対に中野のコイビトになれないと思う？」
突然だったからか、闇医者はものすごく驚いた顔をした。
「そうだね、絶対にとは言わないけど難しいとは思うよ」
そう答えた。
「なんで？ 俺が美人じゃないから？」
「そんなことないよ。マモルくんのことはみんな可愛いって言うからね」
みんなって言うのは、たぶん闇医者のところに来ているじーちゃんばーちゃんのことだ。
でも、それってきっと孫を可愛いって言うのとおんなじレベルだよな。
少なくとも見た目の話をしてるわけじゃないけど、まあ、それはいいってことにして。
「それとも、性格がダメなのかな？」
闇医者は困ったような顔で笑ったまま、
「マモル君はいい子だよ。だから、気にしない方がいいんじゃないかな」
そう言ってくれたけど。
「でも、それって俺じゃダメだってことに変わりないよね？」
確認しながら溜息をつきそうになった。でも、吸い込んで吐き出そうとした空気はなんとかノドで止めた。
「マモルくん、もしかして中野さんのこと本気で好きになっちゃった？」
闇医者が少し悲しそうな顔で俺に聞き返した。
「……わかんない」
本当のことを言ったらきっと闇医者は心配するから、中途半端な返事になる。
「マモル君、中野さんね、」
俺のおでこに手を当てて、そのまま髪を梳いて。
「きっと素直ないい子は彼氏にしたくないんだよ」
それがホントだったら変わったヤツだよな。
「ひねくれたヤツが好きってこと？」
「そうじゃないんだけど……何て言うのかな」
闇医者は眉を寄せたまま口元だけ笑ってみせた。
「本当は好きなんだと思うけど、だからこそコイビトにはしたくないって言うのかな……」
「じゃあ、今の彼氏は素直じゃなくていい子でもないの？」
何を聞き返しても困った顔をするから、すごく悪いことをしてる気分になった。
「素直でいい子だと思うけど、『素直』と『いい子』の種類がマモルくんとは違うんだよ。わかるかな？」
「う〜……ぜんぜんわかんないよ。俺、頭悪い？」
難しい言葉は使ってないのに、なんでわからないんだろう。
闇医者は静かに首を振って、俺の頬に手を当てた。
「ごめんね、上手く説明できなくて。もう気にしないでお休み」
イマイチ納得できないままだったけど。
「うん。おやすみなさい」
それ以上は聞けなくて、目を閉じた。
疲れている自覚はなかったのに、あっというまに眠くなった。
時々騒がしくなる闇医者の診療所は、いつもの公園と似てる気がした。


「うわ、もうこんな時間なの？？」
目が覚めたら、すっかり夕方。時計を見たら５時過ぎだった。
でも、眠ったせいで気分はすっきり。今ならちょっと頑張れそうだった。
「じゃあ、俺、オーナーの事務所に行くね」
「え？ バイトないんでしょう？」
闇医者が何故かまた心配してたけど。
「うん。違う用事」
ベッドから這い出てクチャクチャになった服を伸ばした。
じゃあね、と言いかけた俺を闇医者が引き止めた。
「待って、マモル君。寝癖ついてるから直してあげるよ」
闇医者が何かのスプレーとブラシを持って来て俺の髪を梳かす。
「はい、できあがり」
「ありがと」
向かいのベッドに座ってたイレズミのお兄さんが笑いながらこっちを見ていた。


事務所のドアを開けて中を覗くと、北川が若い男と話をしていた。
でも、すぐに俺に気付いた。
「なんだマモちゃん。またヤリにきたのか？」
ニヤニヤ笑いながら迎えられて羽交い締めにされた挙句、濃い目のキス。
「んんんー……っ、ん、なわけないじゃん」
バタバタ暴れたら笑いながら解放してくれた。
「じゃあ、どうした？」
「ちょっとねー」
人がいるところで頼んでいいかわからなかったから、とりあえずごまかした。
北川はちゃんとそれに気付いたみたいで、男に向かって笑顔を向けた。
「キミはもう帰っていいよ。お疲れさま」
男はぺこりと頭を下げて「よろしくお願いします」と言い残して出ていった。
「バイトの面接なんだけど。経験ないって言うし、それにちょっと大人しそうだよな？」
北川はちょっと不満そうだったけど。
「うん。でも優しそうだ〜」
一緒にバイトするならまともな奴の方がいいもんな。
「マモは呑気だな。ライバルになるかもしれないのに」
ライバル？
「なんで？」
聞き返したけど。
「まったく足りないって言うか、可愛いっていうか」
北川は笑い転げるだけで答えてくれなかった。
「なんで笑ってんの？？」
「なんでもないって」
でも笑ってる。
「すぐそうやってバカにするしー。俺、オーナー嫌いだ」
でも、まあ、いいか。
それよりも頼みごとだ。
「あのさ、オーナー。もうパーティーとかやんないの？」
単刀直入に『客を紹介してくれ』とはさすがに言えなくて。
「うん？ いや、月２回くらいはやってるけどな。乱交に興味があるのか？」
「ううん。そうじゃなくって。金がなくなりそうなんだ」
本当はもうなくなってるような気もするんだけど。
中野は何も言わないし、自分から聞く勇気もない。
「じゃあ、次は呼んでやるよ。マモちゃんでも大丈夫そうな客をつけてやるから目一杯可愛い顔で来いよ」
可愛い顔なんて言われても、って感じだけど。
「ありがと」
とりあえず礼を言った。
「その返事、子供っぽいけどオヤジ受けしそうだな」
ニヤニヤ笑いが返ってきた。
「子供っぽいかなぁ？？ フツーじゃん？」
お礼を言う時は「ありがとう」だよな？
俺、間違ってる？
「でも、感謝の気持ちは別のもので示してくれよ。ほら、シャワー浴びて来い」
やっぱり、そこにいくのか。
「昨日やったばっかりなのに、またやるの？」
俺の返事なんて聞かずに北川の手がシャツを脱がしにかかる。
「中野だって浮気し放題なんだからマモが遠慮することなんてないんだぞ？ ……ああ、よく考えたらアイツの場合はマモと寝ること自体が浮気なんだな」
俺が聞きたくない言葉をわざと選ぶ。
「ほら、ちゃんとしろって。金、欲しいんだろ？」
しかも本気で困ってるところを突いてくる。
でも、金をもらえれば、また中野に預かってもらえるかもしれないし。
そしたら、話しかけられるし。遊びにいけるかもしれないし。
「うん」
快く返事をした。
北川と寝るのにも慣れたから、どうってことないし。
「じゃあ、今日は研修。で、明日の午前中に一人客を取れよ。高飛車な客じゃないから、マモでも大丈夫だろ」
「うん、わかった」
北川の話だと店にもたまに来る人らしいんだけど。
俺は知らなかった。
「まあ、いつもは他のヤツらが相手してるからな。でも、子供っぽいのが好きらしいから、ちょうどいいだろ。気に入られるようにイイ子にしてろよ？」
「大丈夫だよ」
オーナーみたいなネチっこいヤツじゃないといいな。
「一緒にシャワー浴びるか？」
ほら、きた。
「やだー」
笑いながら俺を見てるコイツは、きっと悪いヤツなんだろうけど。
普通のときはけっこう優しいかも、なんてちょっとだけ思ったりもした。