Tomorrow is Another Day
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ぐっすり眠って起きたら、事務所から北川の声が聞こえた。
時計を見たら、なんと12時半。すっかり昼を過ぎてた。
しかも、慌てて起きてシャワーを浴びて出ていったら、中野がいた。
「おかえりなさい」
とか言ってみたけど。
ここって、中野のマンションでも公園でもなくて、北川の事務所じゃん。
俺が「おかえり」を言うのはちょっと変だったかも。
でも、中野は相変わらず俺を無視して、北川に何か書類のようなものを渡してた。
「中野、コーヒー飲むか? それともさっさとマモちゃん連れて帰る?」
中野はチラッとも俺の顔なんか見ずに用が済むと黙って事務所を出ていった。
「相変わらず無愛想だな。じゃあな、マモ。また遊ぼうな」
北川はそう言って俺まで一緒に送り出した。
バタンと背中でドアが閉まって、仕方なくエレベーターに向かった。
中野の姿はもう見えなかった。


ビルを出た時、ちょっと風が冷たいと思った。
天気がいいからって油断してたけど、意外と涼しくなってるんだな。
なのに俺と来たら、まだTシャツ一枚。
「金もあることだし、服でも買いにいこうかな」
でも、けっこう高いんだよな。
「……あっ、北川から金貰うの忘れた」
もう公園の近くまで来てたけどすぐにUターンした。
でも、昨日は1時間もしないうちに寝ちゃったんだよな。
「もらえないかも」
まあ、しょうがないかって、一瞬諦めかけたんだけど。
「でも、金貯めないといけないんだよな」
今はいいけど、冬になった時に公園で寝るのってどうだろ?
俺、いつかカゼ引いて死ぬよな。
ちょっとだけでももらえれば服も買えるかもしれないし。
「うーん……」
グルグルといろんなことが巡っていく。
「やっぱ、もう一回北川のところに行ってこよう」
走って戻って、事務所のドアを開けると北川が笑った。
「ああ、悪いな。中野がいたからすっかり忘れてた。ほら」
5万全部はもらえないと思ったのに。
「ホントにくれるんだ?」
そう言ったら北川が吹き出した。
「黙って貰っておけばいいのに。マモはそういうところが可愛いんだよな」
笑いながら俺の腰を抱き寄せてキスをした。
「中野、待たせてるんだろ?」
中野なんてもうとっくに帰っちゃったんだけど。
「うん」
これ以上かまわれると疲れるから、頷いてドアを閉めた。


それから、ふらふら歩いて公園に戻った。
まずは中野のところに行って、金を預かって欲しいって言ってみよう。
預けたらできるだけ使わないようにして、ちゃんと貯めよう。
「そしたら、冬には屋根のついたところに住めるかもしれないもんな」
屈み込んで、小石で地面に数字を書いた。
昨日のバイト代と、さっき北川にもらった金。合わせて15万。
必要なのは食費と長袖の服。あとは寝る時に布団の代わりに上にかけられるようなものでも買おうかな。
「でも、服なんてギリギリまで買わないで貯めておいた方がいいのかなぁ。住むところなんていくらかかるのか分かんないし……」
まだ秋になったばっかりだけど、一日ごとに風が冷たくなっているのが分かった。
この先、壁と屋根は大事だよな。
今日なんて変な感じの曇り空だし。台風とか来たらどうするんだよ?
「雨降るのかなぁ? 北川に相談したら事務所の廊下くらいは貸してくれるかな」
普段は自分の家に帰ってるから、夜は使ってないし。
言えば廊下の端っこくらいは貸してくれるかもしれない。
「でも、また散々ヤラれそうだしなぁ……」
ぶつぶつ言いながら、地面に書いた数字を何度も石でなぞった。
「はぁ……どうしようかなぁ」
溜息をついてちょっと顔を上げたら、靴の先が見えた。
そのまま上を向いたら、中野がすぐ目の前に立っていた。
「もう帰っちゃったかと思った」
俺の言葉なんてすっかり無視して、中野は質問をしてきた。
「北川のところで何をしてたんだ?」
なんでか分からないけど、ムッとしてるみたいだった。
「バイトの後、事務所に泊めてもらったんだ。何してたって言われると困るけど、オーナーがしたいことなんでも。でも、ちゃんと金もらってるよ?」
表向きは中野のモノってことになってるけど。
実際は違うから、俺が何をしてても中野は怒ったりしない。
「ね、それよりさ。部屋借りるとしたら、どのくらい金があれば足りるのかなぁ?」
そんな質問に中野が答えてくれるはずもない。
結局、いつもと同じように一人で話し続ける。
「俺、昨日から頑張ろうって決めたんだけど、でも、そんなにすぐには貯まらないし、雨の日とか寒い日だけでも中野んちの廊下で寝てもいい? ちょっとなら家賃も払えるから。ね?」
自分で言っておきながら、「ちょっと」がいくらなのか見当もついていなかった。
一泊300円くらいだと嬉しいけど。
「えっと、今月は長袖の服とパンツを買わなきゃいけないから、その金と……あ、店も冬服になるのかなぁ……そしたらもっとかかるか……じゃあ、とりあえず3万引いて、店にある服のクリーニング代を引いて……あ、食費、引くの忘れた」
俺の独り言を中野はぜんぜん聞かずに歩き出したから、慌てて後を追いかけた。
「な、ダメ? 金が貯まって部屋が借りられるまででいいから。毎日じゃなくていいし、寒い日と雨の日だけでガマンするから。ね?」
靴の裏が剥がれてきたのか歩くたびにペタペタと音がした。
「あ、靴も買わなきゃ……」
その前に「金を預かって」って言わなきゃいけなかったんだ。
泊めてもらうのはダメでも、それは頼んでいいよな?
悩んでしまって思わず立ち止まったら、中野がクルリと振り返った。
「来るのか来ないのか、さっさと決めろ」
相変わらず不機嫌なんだけど。
「行く。行くよ」
屋根のある部屋なら廊下でも玄関でもオッケーだ。
しかも、中野の部屋だもんな。
ドアさえ開けておけば、廊下からだって中野が新聞を読んでるのくらいは見えるんだよ?
……ちょっといいかも。
「な、部屋借りるのってどうすればいいんだろ? 不動産屋に行けばいいの?」
本当はずっと中野の廊下にイソウロウがいいけど。
それはきっとダメだよな。
そう思って聞いたのに。世の中はもっとキビシかった。
「保護者のいないガキに部屋を貸す奴なんていねえよ」
それはそれでかなりマズイ。
「じゃあ、俺、冬も公園で寝なきゃいけないの??」
中野のところに泊まれない日はどうすればいいわけ??
「……あ、エンドウマメみたいなヤツ買ってくればいいかな? なんだっけ、ほら……寝袋?」
中野にも分かるように説明したつもりだったのに。
「少し黙ってろ」
またしても怒られただけだった。
「……ちぇー。いいじゃん、少しくらい話しても」
返事が欲しいなんて言ってないんだから。
「冷たいよなぁ」
無愛想でぶっきらぼうなのに。
なんでか俺はこんなヤツが好きなんだよな。
「な、それより金預かってよ。昨日のバイト、結構いっぱいもらったんだ」
どんなに美人のコイビトがいても。
中野がそいつのことだけ物凄く大事にしてても。
「今度はできるだけ使わないで貯めておこうっと」
それでも。
「な、預かってってばー。俺の話聞いてる?」
もう、諦められないくらい好きになってた。


「おじゃましまーす」
中野の部屋は相変わらず。
誰が掃除してるのか知らないけど、キチンと片付いていた。
「金はそこに入れておけ」
どうやら預かってくれるらしい。
「うん」
俺の話なんて全然聞いてなさそうなのに。
「荷物は散らかすなよ」
店で着る服は北川の事務所に置いてあるから、持ち歩いてるのは普段着だけ。あとはナンにもない。
「このへんに置いてもいい?」
そんなに大きくない紙袋を廊下の隅に置いた。
それから貰った金を電話が置いてある棚の引き出しに入れた。
「出入りしていいのはリビングとキッチン、バス、トイレ。それ以外の部屋には勝手に入るな」
中野の視線の先はヌイグルミのある部屋。
「うん。彼氏の部屋とかね。わかった」
他愛のない言葉。
なのに、自分で言いながらツキンと胸が痛んだ。
「ね、あっちの部屋は?」
気を紛らわしたくて、前から気になってた部屋のドアを指差す。
「物置だ」
「ちょっとだけ開けてみていい?」
「物には触るな」
それは入ってもいいってことだよな。
「うん。大丈夫。見るだけだから」
喜んで開けてみたけど。
本当にただの物置だった。
「なんで? 一番日当たりのいい部屋なのに」
薄い色のカーテンが全開になってて、雲が晴れた空から光が入ってきていた。
「もったいないなぁ。俺ならここを自分の部屋にして、天気のいい日はひなたぼっこして、ヌイグルミもたまには干してやったりするのに。きっとフカフカになるよ?」
カーペットさえ敷いてないフローリングの部屋に光が反射していた。
「うわぁ、気持ちいい〜」
ベランダの側まで行ってコロンと横になった時には中野はもうリビングに戻ってしまっていた。
「物には触ってないからいいよな?」
昨日もぐっすり眠ったのに。
なんだかすごく安心して、また眠ってしまった。
床の上だから身体はちょっと痛かったけれど、そんなことも気にならないほど気持ちよかった。


起きた時、すっかり天気は良くなっていた。
頬に床の板の跡がついていて、髪も太陽の熱でふかふかだった。
「やっぱ、ヌイグルミも干してやりたいなぁ」
アイツの部屋を横目で見つつリビングに戻ったら、中野は夕刊を読んでいた。
「ごめん。あんま気持ちよくて寝ちゃった」
もう夕方だったけど、どう見ても雨なんて降りそうになかった。
ってことは追い出されるかな……とちょっと心配になったけど。
「な、中野、夕飯どうするの?」
だったら、もうちょっとだけでも一緒にいたいと思って、そんなことを聞いてみたけど。
やっぱり返事なんてしてくれなかった。
「つまんないのー…」
テレビをつけたら「うるさい」って言われそうだったから、大人しく中野の近くまで行って床に座りこんだ。
新聞を読んでる中野の横顔をしばらく眺めていたけど、一分も経たないうちに追い払われてしまった。
「ちぇー……」
仕方なく夕刊と一緒にポストに入ってたピザの広告を広げた。
朝から何にも食べてなかったから、見てたら胃が痛くなってきた。
「食いたかったら電話すればいいだろ」
中野が呆れながら電話に視線を投げたけど。
「ううん、いい。高いもん」
一食平均3〜400円の生活をしてる俺には、2〜3000円もする夕飯なんてちょっと考えられなかった。
なのに。
中野は携帯を取り出すとさっさと電話をかけて俺に渡した。
「え??」
おろおろしてたら、何かのカードみたいなものが降ってきた。
住所と電話番号。それと『中野義則』の名前が書いてあった。
ピザ屋のお兄さんにいろいろ聞かれて、カードを見ながら焦りつつ注文をした。
一応、中野も食べるってことにして、大きいピザ一枚とサラダ。飲み物は付いてくるらしい。
電話を切って中野に返すと引き替えに1万円札を渡された。
「あ??」
「インターフォンが鳴ったら鍵のマークのついたボタンを押して開けてやれ」
「でも、これさ、」
差し出された時に思わず受け取ってしまった札を持て余してたけど、中野はもう新聞に集中してて俺の話なんて聞いてなかった。
「……いいのかなぁ……?」
でも、いいんだろうな。
「……ごちそうさま」
小さな声で確認してみたけど返事はなかった。

ピザは思ってた以上に早く届いて、俺は急いで玄関に走っていった。
「うわぁ、あったかい」
届いた大きな箱をテーブルに乗せて、グラスを持って来てウーロン茶を注いだ。
「中野も食べるよね?」
箱を開けたら、ふわりと湯気が立ち上った。
「うわ、大きいなぁ。しかもホントに丸い」
その言葉に中野が思いっきり変な顔をした。
中野、実は俺の話、聞いてるんだな。
……ちょっと嬉しいかも。
「写真の通りなんだなぁって思って……」
一応、説明なんかもしてみたんだけど。
中野が溜息をついて、口を開いた。
「食ったことないのか?」
なんだか珍しいものでも見るみたいに俺を見下ろしてた。
「うん。丸ごと全部はね。だって、店で食べると三角だもん」
その言葉にも中野は固まってたけど。
「そんなことより冷めないうちに食べようって」
俺、昼もナンにも食べてないし。もう限界。
「いただきま〜す」
って言ったけど。
中野が新聞を広げたままだったから、俺も止まった。
「食べないの?」
「先に食ってろ」
本当は一緒に食べたかったんだけど。
「……うん」
もう一度「いただきます」をしてから、口に運んだ。
「肉とシーフードだけメチャクチャいっぱい乗ってるヤツとかないのかなぁ?」
そんなことを言いながらパクパク食べてたら、中野がティッシュの箱を投げた。
思いっきり眉間にシワが寄ってた。
「ガキじゃねえんだから、もっとキレイに食え」
最高潮に呆れてたけど。
「うん」
自分の手と口の周りがどうなってるかくらいは俺にも分かってたから、とりあえず被害が広がらないうちにティッシュで拭き取った。
少し離れて座ってる中野は何かの書類を読みながらピザを手に取った。
まるっきりよそ見をしてるのに中野は手も口も汚れないんだよな。
なんでだろ?
パラッと落ちてきた前髪を鬱陶しそうに払いのけて、また紙面に視線を落として。
険しい顔をしたままページをめくる。
こうして見ると、けっこう若く見えた。
「なあ、中野って年いくつなの? 30くらい?」
もちろん返事なんてなかったけど。
否定もされなかったから、それくらいなんだと思うことにした。

中野の部屋で、二人で夕飯。
「なんか楽しいなぁ」
返事なんてもらえなくても、呆れ果てられても。
俺にはすっごく楽しかった。


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