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 食べ終わった箱を片付けてテーブルを拭いて。
 それから、シャワーを浴びて廊下に自分の服を敷いた。
 「何してる?」
 中野はまたしても訝しそうに俺を見てて。
 「布団の代わり」
 パジャマなんて持ってないから、ハーフパンツとTシャツの格好で持ってた着替えの上に寝転んだ。
 もちろん掛け布団なんてない。
 ゴロンと仰向けになって天井を見上げたら、中野の顔も目に入った。
 「屋根があるっていいなぁ」
 嬉しくて思わず笑ったら、足先で転がされた。
 「う〜……なに??」
 ここじゃダメなのかと思って起き上がったけど。
 そういうことでもないらしい。
 「何しに来てるんだ」
 「何って……イソウロウ」
 間違ってないと思うんだけど。
 中野はやっぱり呆れて俺の腕を掴み、そのままベッドに引きずっていった。
 そこから先はずっと無言。
 パッパと服を脱がせて、自分も脱いで。
 適当に抱き寄せた。
 面倒くさそうな中野も、ふかふかのベッドも、みんな久しぶりで。
 なんとなく懐かしい気がした。
 「……中野、」
 呼んでも返事なんてしない。それもいつものこと。
 「な、ホントにさ、寒い日と雨の日は来てもいい?」
 シャワーの後は中野の髪もサラサラで目にかかって翳ができる。
 なんだか変にゾクッとした。
 「でも、中野がイヤな日は来ないから、心配しなくていいよ?」
 怒られるかもしれないと思いながらも話し続けるのは、そうすれば中野が面倒になってキスをしてくれるんじゃないかと思うから。
 「黙ってろと言ったはずだ」
 「……うん、でも、」
 言いかけた時、ようやく唇は塞がれて。
 それから、面倒くさそうに俺を抱いた。
 膝に乗せられて、体の奥まで突き上げられて。
 でも、こんな風に中野にしがみつけるのもこんな時だけだから。
 「あ、ん、……っあ、ああっっ」
 声を上げるたびに唇は塞がれる。
 「ね、ダメ、っ、んっく、あぅんんっっ……っ」
 自分の中に出された熱を感じて、そのすぐあとに崩れ落ちた。
 
 中野の腕に抱き止められた瞬間。
 やっぱり、誰よりも好きだと思った。
 
 
 
 翌朝、中野のうちから北川の事務所に出勤した。
 「おはよー」
 すごく爽やかな朝だったのに。
 ドアを開けたら俺の嫌いな客が座ってた。
 昨日、初めて店に来たくせにすっごく偉そうで、なのにケチって最悪の客。
 年はまだ若いみたいだけど、言うことが説教じみててオヤジくさい。
 話すのも嫌だったのに。
 「マモに客だよ」
 北川が真顔で言った。
 「なんで俺なんだよー?」
 聞き返したら客がまた説教を始めた。
 客に対しての礼儀がなってないとか、親の顔が見たいとか、まあ、そういう類のイヤミ。
 「いいから、行ってこい。ふて腐れてるなよ」
 北川も相手をするのが嫌みたいで、結局、押し付けられてしまった。
 「せっかくイイ気分だったのに〜……」
 なぁんか、やな感じだったけど。
 仕方ないもんな。
 
 
 そして20分後。ホテルの一室。
 「痛っっ! ちょっと、ね、待って……って」
 俺は本気で抵抗してた。
 もともとそんな感じだったから気乗りがしなくて、最初からやる気は半分。
 しかも、いざ寝てみたらすごく自分勝手でドヘタだった。
 おかげで散々な結果になった。
 体はズキズキ。たぶん、尻も切れてた。
 なのに、客は俺に下手だとか気が利かないとか言って金を払わずに帰る始末。
 「……最悪」
 なのに。
 帰ったら北川に怒られて。
 だからといって口答えもできず。
 「しばらく謹慎。バイトも来なくていいぞ」
 「うん」
 俺だってヤダもんね。
 気持ちの中でぶつぶつ文句を言いながらも黙って説教を聞いた後、闇医者の診療所があるビルに行った。
 
 そのままエレベーターで一番上まで行って、短い階段を上がって屋上に出るドアを開けた。
 ドアには大きな赤い文字で『立ち入り禁止』って書いてある。
 でも、鍵が壊れていてちょっとコツを掴めば簡単にドアは開く。
 「ふあ〜……気持ちいい」
 中野の彼氏を見た日から、なんとなく一人でここに来るクセがついてしまった。
 誰もいなくて、空がたくさん見えて気持ちいい。
 なのに。今日はイマイチ気分が晴れなかった。
 「頑張って金貯めようって思ったばっかりなのになぁ」
 フェンスから乗り出して、下を眺めた。
 斜め向かいのビルのすぐ下に白い花が置かれていた。
 そう言えばいつも置いてある。
 こんな細い路地で交通事故なんてあるはずない。
 「あんなところから飛び降りるヤツもいるんだな」
 高いところは好きだけど。
 落ちたら痛いだろうな……って考えていたら。
 不意に小さな塊が俺の肩を直撃した。
 「痛っ??」
 なんだかよく分からないまま、コンクリートに跳ねて変な方向に飛んだそれを拾い上げた。
 「うーん……消しゴム?」
 飛んできた方向に顔を上げてみると、向かいのビルの窓から中野が顔を出していた。
 物凄く不機嫌な顔だった。
 「中野〜、そんなところで何してんの〜?」
 手を振ったらピシャリと窓を閉められた。
 「ちぇっ……」
 なんで俺、消しゴムなんて投げつけられたんだろう。
 それを見ながらしばらく固まってしまった。
 けど、考えてもわからない。
 「ま、いっか。それより、これ、あとで中野に返そうっと」
 消しゴムをポケットに入れて。
 でも、中野に遊んでもらったから。
 憂鬱だった気分も、ちょっとだけ晴れた。
 
 
 そのまま下に降りて、闇医者のところへ遊びにいった。
 謹慎中でバイトもない。今日は昼間も夜もずっとヒマだ。
 「なんか手伝うよ。今日、やることないんだー」
 「そう? 助かるよ」
 掃除とか洗濯とかいろいろやって。
 闇医者にも喜んでもらったし。
 ついでに患者のじーちゃんやお兄さんと話してたら、あっという間に夜になった。
 「マモル君、カーテン閉めてもらえる?」
 「うん」
 シャカシャカとカーテンを閉めまくっていたら、中野が入ってきた。
 「あれ? 中野さん。珍しいですね。仕事もう終わりなんですか?」
 中野は無愛想に「ああ」とだけ呟いた。
 昼間ほどは不機嫌そうでもない。
 あ、そうだ。消しゴム。
 「中野、これ」
 忘れないうちにと思って消しゴムを取り出し、中野の上着のポケットに入れた。
 闇医者が不思議そうな顔をしてたから、
 「昼間、中野にぶつけられたんだ」
 と説明した。
 「どうして?」
 闇医者も中野から返事をもらおうなんて思ってないらしくて、俺に聞くんだけど。
 「わかんない。屋上で下を見て遊んでたら向かいのビルから飛んできた」
 そしたら闇医者が笑った。
 「ああ、向かいのビルからここの屋上が見えるんだね。乗り出して下を見てたんじゃない?
      マモル君が落っこちると思ったんだよ、きっと。ね?」
 中野はやっぱり何にも答えなかったけど。
 ちょっとだけ、そうかもしれないと思った。
 「マモル君、こんな時間になっちゃったよ?
      バイト、いいの?」
 闇医者が心配して聞いてくれるんだけど。その話、ちょっと嫌だな。
 「ちょっと失敗しちゃって。オーナーに怒られて謹慎中なんだー」
 金を稼げなくなると困るんだけどな。
 謹慎、いつまでなんだろう。
 「……はぁ……」
 また憂鬱な気分が復活しそうだ。
 楽しいことを考えようと思って、慌てて中野に目を移す。
 何をしに来たのかわかんないけど、中野はもうドアに向かってた。
 「中野、もう帰るの? あ、ね、待ってよ」
 闇医者にバイバイをして、後を追った。
 診療所のテレビは天気予報が流れていて、明日の朝は雨。
 それを横目で見ながら診療所を出た。
 「ね、中野。今日も泊まっていい?」
 聞いてみたけど返事はなくて。
 中野はさっさと先を歩いていく。
 頑張ってついていこうとすると小走りになって、サラリーマン風のオヤジにぶつかってしまった。
 「うわ、ごめんなさい」
 そのまま通り過ぎようとしたんだけど。
 その人もなんだか機嫌が悪かったみたいで、いきなり俺の手を掴んで引き止めた。
 しかも。
 「ごめんじゃねえよ。ちゃんと謝りな」
 って言うから。
 「ごめんなさい」
 もう一度謝ったけど。
 「ごめんじゃなくて『すみません』だろう? どういう教育されてんだ? 男のくせにチャラチャラしたカッコしやがって」
 そんなこと言われてもなぁ……仕事の後からそのままなんだから仕方ないじゃん。
 なんか、今日ってイイコトないなぁ。
 溜息を飲み込んで、言われた通り「すみません」って謝ろうとしたら、中野が戻ってきてた。
 「何してる」
 それがまた冷たい声で。
 俺の手を掴んでたオヤジがビビってた。
 知らない人から見たら、中野は怖いと思うんだよな。
 「いや、この子がぶつかってきたから……」
 なんて言いながら、そのままこそこそ逃げていった。
 「ありがと、中野」
 今度は少しゆっくり歩いてくれているらしい中野の隣りで。
 また一人で話しかける。
 「謝る時は『すみません』じゃないとダメなのかな?
      ごめんなさいと同じ意味だよね?」
 酔っ払いもチラホラ出始めた時間の新宿は賑やかで、ようやく俺も少しだけ楽しくなってきた。
 だって、隣りに中野が歩いてるんだよ?
 「ね、夕飯どうするの? いつも外で食べてるんだろ?」
 見上げたらまた「黙って歩け」と怒られた。
 でも、その数分後にはダイニングバーと書かれた店のドアを開けて、俺を先に中に入れてくれた。
 薄暗い店の中で中野に気付かれないようにこっそりポケットに入ってる金を確認した。
 「大丈夫。たぶん、足りる」
 千円札が2枚と百円玉3枚。自分が食べる分くらいはなんとかなる。
 そう思いながら、店の奥に進んだ。
 
 
 ―――――その後、すぐだった。
 
 
 妙に違和感のある声が耳に響いて、俺は思わず振り返ってしまった。
 「……ショウ?」
 そう呼んだのは確かに中野で。
 でも、俺の心臓は止まりそうになった。
 だって、中野がいつもとぜんぜん違う複雑な表情をしてて。
 聞いたこともないくらい優しい声だったから。
 中野の視線の先に、ワイシャツとネクタイ姿のアイツが座ってた。
 「……中野の、彼氏……」
 アイツもすごく驚いた顔をしていて、隣りに座ってるヤツが本当に心配そうにアイツを見てた。
 俺は少し離れたところに立っていたけど。
 そこから一歩も動けなくなった。
 目の前に立っている中野はちゃんと自分からアイツに話しかけて。
 アイツのことを真っ直ぐ見つめてた。
 そんな中野は、まるっきり俺の知らない人みたいで。
 話しかけることも、近寄ることもできなかった。
 「……中野……早く戻ってきてよ……」
 絶対聞こえないくらいの声でつぶやいて。
 そしたら、突然、悲しくなった。
 
 
 その後も中野は俺のことなんてすっかり忘れたみたいに、アイツと何か話してた。
 少しだけ聞こえてくる会話は全部俺の頭を素通りして。
 呆然としてたら、ようやく中野がチラッとこっちを振り返った。
 戻って来てくれるのかもしれないと、一瞬だけ期待したけど。
 中野はただ目線で奥の席に行くように促しただけだった。
 俺はなんとか少しだけ頷いて、示された方向に歩いていった。
 店が混雑してきて、俺が座った席からは中野もアイツも見えなくなった。
 中野が俺のところに戻って来たのは、それから数分後。
 そんなに長い時間じゃなかった。
 でも。
 その後の中野はいつも以上に不機嫌で。
 話しかける気にはなれなかった。
 無言で食事をしてる俺の斜め前で、ずっと酒だけ飲んでいた。
 目の前に座ってる俺のことなんて少しも見ないで、テーブルに肘をついたままアイツが出ていったドアをぼんやり眺めていた。
 
 
 その日、俺は公園で中野と別れた。
 中野は俺がついてきていないことにも気づかずにマンションまで帰ったんだろう。
 俺の方なんて一度も振り返らなかった。
 「……アイツのこと、『ショウ』って呼んでた……」
 ちゃんと名前で。
 すごく優しい声で。
 「……俺、一回も……呼ばれたこと、ないのにな……」
 
 天気予報は少しだけ外れて、雨はまだ暗いうちに降り出した。
 眠れなくて起きていたけど、動く気になれなくて。
 着替えの入った紙袋にビニールだけ掛けて。
 濡れたまま朝を迎えた。
 
 
 
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