Tomorrow is Another Day
- 18 -




月曜日。
お礼を言おうと思って闇医者の診療所に行った時には、もうすっかり元気になってた。
「よかった、元気になったみたいだね」
「うん。ありがと」
返事をした声はいつもと一緒でぜんぜん掠れてもなかったんだけど、闇医者はのど飴を出して俺に渡した。
「あの後、中野さん、煙草吸ってたでしょう?」
なんでわかるのかな。
「でも、ベッドのある部屋では吸ってなかったと思うよ?」
ホントは寝てたからわかんないけど。
一応、フォローのつもり。
「仕方ないな。マモル君もちゃんと『のどが痛いから止めて』って言わなきゃダメだよ?」
「うん」
まあ、中野は俺の言うことなんてちっとも聞いてないから、頼んでも変わんないと思うけど。
「マモル君、食欲は? 岩井君と小宮さんとお昼食べにいくんだけど一緒に行かない?」
闇医者に誘われた。
時計を見たらもう12時過ぎで。お腹も空いたような気もする。
けど。
……岩井君って誰?
診療所にはもう闇医者と小宮のオヤジと俺の他にはイレズミのお兄さんしかいなかった。
「ね、お兄さん、岩井って名前なの?」
念のためこっそり聞いたら苦笑いされた。
「今頃聞くなよなぁ。いつも話してるのに」
「そうだけど」
名前を呼んだことなんてないもんな。
「おまえって、ボーッとしてるよなあ」
みんなにそう言われるから別にいいんだけど。
「そんなハッキリ言わなくてもいいじゃん」
ちらっと中野の恋人の顔が浮かんだ。
キリッとしてて、頭も良さそうだし、ボーッとなんてしてないだろうなぁ……
また溜息をついたら、イレズミのお兄さんに頭をポコポコ叩かれた。
「なんか元気ないよな?」
「うん、ちょっとねー」
もう大丈夫って思ったんだけど。
やっぱり、しばらく復活できそうにない。
俺ってダメだなぁ……
「ほれ、マモルちゃん、おいてくぞ?」
「ふえ〜」
小宮のオヤジに背中を押され、岩井に突つかれながら歩いてる途中で金がないことに気付いた。
「あっ。俺、中野んちから金持ってくるの忘れちゃった」
走って取ってこようかと思ったけど、よく考えたら中野は仕事に行ってるから部屋には入れない。
……お昼代くらいなら闇医者が貸してくれるかな?
どうせ明日もヒマだからすぐ返しに来られるし。
でも、昨日もおとといもお世話になって、そんなことまで頼んじゃダメだよな。
悩んで立ち止まってたら、闇医者が俺の手を引いた。
「お金、中野さんの家に置いてあるの?」
「うん。なくすといけないから預かってもらってるんだ」
預けたきりでまだ一度もあの引き出しは開けてない。
なるべく使わないようにって思ってたから。
でも、バイトもできない状態じゃ金は減る一方で、かと言ってまたその辺で客を見つける気にもなれなくて。
結局、あの金に手をつけることになりそうだけど。
ため息は飲み込んだけど、考え始めたらまた憂鬱になりそうだった。
「そう、良かった。中野さんのマンションはセキュリティがしっかりしてるから安心だね」
闇医者がすごくいいことみたいにそう言うから、俺の気持ちもなんとなく明るくなった。
「うん。2回も暗証番号入力しなきゃならないんだもんねー。でも、中野は面倒じゃないのかなぁ?」
結局、お昼代は闇医者が貸してくれることになったけど。
岩井は別の心配をしてた。
「その金、中野さんに使われたりしないのかよ?」
そんなことするわけないじゃん。
「大丈夫だよ」
ちょっとムキになってしまった俺を見て小宮のオヤジが笑って助けてくれた。
「ヨシくん、金には困ってなさそうだもんなあ」
そうだよ。
ものすごーく面倒くさそうに寝た日だって、中野は当たり前みたいに一万円札5枚を渡すんだから。
「お金に困ってないのは小宮さんもおんなじですよね」
闇医者にそう言われて小宮のオヤジがワハハと笑った。
それから、「まったく先生にはかなわないなあ」とか言いながらみんなにお昼を奢ってくれた。


診療所に戻ったら、また体温計を渡された。
熱はもうほとんどなかったけど。
「昨日に比べたら下がってはいるけど、まだちょっと元気がないみたいだしね?」
念のためと言って薬を飲まされた。
でも、元気がないのは風邪引いたせいじゃないんだよな。
「マモル君、午後はバイト?」
闇医者に聞かれてまた溜息をついた。
「まだ謹慎中。だから、今日もやることないんだ。無職ってツライね」
考え始めると憂うつになるけど仕方ない。
実際、謹慎なんて中野がアイツを名前で呼んでたことよりは全然ショックじゃないし。
「なんか手伝う? 俺、実は掃除が得意だってことに最近気付いたんだ」
闇医者はクスクスと笑ってたけど。
「じゃあ、手伝ってもらおうかな。今日はビルの周りのお掃除をしてもらえる?」
ビルの管理人が旅行中だとかで、落ち葉やゴミの片付けを任された。
「いいよ。俺、庭の掃除好きかもー」
散らかってたところがキチンと片付くのは気持ちいい。
それに、集中してる間は少しだけ中野のことも忘れていられる。


「うーん。われながらエライかも」
ビルの前も裏口の方もついでにちょっと隣りのビルの前もすっかりキレイになった時、岩井がキョロキョロしながら近づいてきた。
仕事の途中で抜け出してきたって感じだった。
「今日、ヒマなんだろ?」
「うん。バイト、強制休暇中だし。やることないんだ。何か手伝う?」
でも。
ヤクザってどんな仕事してるんだろう?
「それはいいから。夜、一緒にメシ食いに行かないか?」
「え〜? だから、俺、金持ってないんだってばー」
もう忘れちゃったのかなと思ったんだけど、岩井は本当におかしそうに笑って、
「もちろん俺の奢りで」
あっさりそんなことを言った。
「なんで?」
当然の疑問だと思うんだけど。
「まあ、いいから。ヒマなんだろ?」
岩井は適当にゴマかした。
「うん。でも」
「じゃあ、7時にここでな?」
「うん」
いいのかな?
岩井はそれ以上なんの説明もしないでいなくなった。
「まあ、いっかぁ……」
ごちそうしてくれるって言うんだし。
きっと年もそんなに離れてないから、話してても楽しいし。
それに意外と優しいし。


掃除が終わってお茶をもらって。のんびりと午後を過ごした。
ついでに夜まで診療所で遊んでたけど。
「あ、もうこんな時間だ。俺、約束があるんだー」
7時5分前。
今出れば岩井と待ち合わせした場所まで歩いていってちょうどいいくらい。
「お疲れさま、マモル君。今日はちゃんと中野さんちに泊めてもらうんだよ?」
闇医者に言われてちょっと「うっ」と思った。
だって、もしかしたら中野はまだ機嫌が悪いかもしれないし。
それはどうしようかなって思ったんだけど。
「……うん」
時間がないからとりあえず返事だけして、後でゆっくり考えることにした。


岩井は約束通りぴったり7時に戻ってきた。
ちゃんとスーツの上着も着てたけど、中野の恋人や隣りに座ってたヤツと違ってあんまりサラリーマンっぽくなかった。
……まあ、それを言ったら中野なんてぜんぜんサラリーマンに見えないんだけど。
「何食いたい?」
風邪のせいなのか食欲はイマイチで、適当な返事をした。
「お兄さんが食べたいものでいいよ」
あんまり油っぽくないものがいいかなぁ……とか、ちょっと思ってたら。
「あのな、マモル」
いきなり呼び捨てなんだな、これが。
「なに?」
「普通に呼べよ」
お兄さんはダメ?
普通にって、どう呼べばいいわけ?
「……岩井君?」
言ったら吹き出された。
だって闇医者がそう呼ぶじゃん。
それに、普通、友達は君付けだよ。
「マモル、全体的に呼び方が変だよな」
「どういうところが?」
考えてみたけど、なんにも思い当たらなかった。
でも。
「先生を闇医者って呼ぶのも変だし、小宮さんをオヤジって言うのも、中野さんを呼び捨てにするのも全部変だって」
岩井には全面的に否定されてしまった。
「……そうなの?」
でも、誰も何も言わないよ?
それってオッケーだからじゃないの?
「だから、俺のことはマサミチ」
俺としては、『君』がついてるだけ「岩井君」の方が丁寧なんじゃないかと思うんだけど。
……まあ、いいか。
「うん。マサミチね。どんな字書くの?」
「優雅の雅に通る」
「ユウガのガ?」
わかんないよ。そんなの。
そしたら、シャツの胸ポケットからボールペンを取り出して、俺の手に『雅通』と書いてくれた。
それから自分の手を出した。
「マモルも名前書いて」
言われた通り、岩井の手のひらに『護』と書いた。
「うわっ、大きく書き過ぎだって」
岩井は笑ってたけど。
「だって、混んでるから小さく書いたら真っ黒になるよ?」
それを聞いてもっと笑った。
俺ってなんだか笑われてばっかりなんだけど。
でも、岩井のおかげでいろんなことを忘れていられて。
なんとなく楽しかった。
その後も岩井とはいろんなことを話したけど、俺の家のこととか昔のことはほとんど聞かないでいてくれた。
「ふうん。じゃあ、本当に先生の知り合いじゃないのか。なんかマモルのこと可愛がってるから、てっきり親戚か何かだと思ったんだけどな」
本当にその程度で。
でも、なんでかわからないけど、中野のことだけはたくさん聞かれた。
「なあ、中野さんとはどういう仲なんだ? 中野さんのモノって、つまり、それはさ……」
たぶん小宮のオヤジに何か聞いてきたんだと思うけど。
その質問はすごく答えにくかった。
俺は中野のことが好きだけど、中野は俺のことなんてなんとも思ってないし。
やるだけやって寝るだけで、俺なんてホントは居てもいなくても同じだもんな。
「俺ね、中野に金借りてるんだ」
中野との間にあるのは、とりあえずそれだけ。
他はぜんぜん繋がってないんだなって思うのは嫌なんだけど。
「いくら借りてるんだ?」
「わかんない」
すごく曖昧な関係。
中野が一言「もう必要ない」って言えば終わる。
「わかんないって、どういうことだ?」
岩井は本当に不思議そうに聞き返したけど。
「最初にちゃんと確認しなかったから。中野がいいって言うまでなんだ」
俺、みんなにそう言ってるけど。
中野は金の事だってどうでも良さそうで、そんな話は口にしたことさえない。
そんなことを考えてどんどん悲しくなってきたから、急に話を逸らせた。
「それよりさ、雅通って年いくつなの?」
中野に聞いた時は答えてもらえなかった。
でも。
「21。マモルは16?」
岩井は普通に答えてくれた。
「うん……本当はまだ15だけど。あとちょっとで16」
岩井には嘘なんてついても仕方ないなってなんとなく思ったから。
正直に年を教えた。
「そっか。未成年だとは思ってたけど。ホントに若いんだな」
俺の顔をじっと見て、そっとほっぺをつまんだ。
岩井はしばらくそのまま考えていたけど。
「な、中野さんっていくつなんだ? 30過ぎくらいか?」
また中野のことを聞いてきた。
「わかんない。聞いても教えてくれないんだ」
もう中野の話はやめようよ、って言おうかなと思ったけど。
岩井はどうしても気になるみたいで。
「マモル、本当に中野さんと暮らしてるのか?」
金を借りてるだけで一緒に暮らしてるわけじゃないんだけど。
「うん。雨の日と寒い日は泊まっていいことになってるよ」
「じゃあ、それ以外の日は?」
「公園で寝てる」
俺、冬になったらどうするんだろう。
毎日行ってもいいんだろうか。
いくらなんでもそれはジャマだよな。
「ホームレスっていうのも本当なのか。すごいな、おまえ」
岩井と話してる途中でもいろんなことを考えてしまう。
いろんなって言っても、ぜんぶ中野のことで。
しかも、考えても仕方ないことばっかり。
友達と話してる時に考えるようなことでもない。
だから止めようって思っても、
「な、今日は中野さんとこに帰らないとマズイのか?」
岩井は岩井で真面目な顔でそんなことばっかり聞くし。
「そんなことないよ。いつもは中野んちには泊まらないし」
そう答えたら、岩井がやっと笑って。
「なら、今から俺んち来ないか?」
いきなり遊びに来いって言った。
「あ、でも……」
今、思い出した。
今日は中野んちに泊めてもらえって闇医者に言われたんだ。
「嫌か?」
「嫌って言うか、」
どうしようかと思ったけど。
やっぱり闇医者の言うことは聞いておこうと思った。
「……俺、今、風邪引いててのども痛いし、うつすといけないから」
もう具合も悪くなかったけど。
明日までは薬を飲むように言われてたし。
岩井は明日も仕事だろうし。
「そっか。じゃあ、また今度な。早く治せよ」
「うん」
断わっちゃったけど、本当はすごく嬉しかった。
俺のカラダの事なんて闇医者くらいしか心配してくれないし。
闇医者はそれが仕事なんだから、きっとそんなの当たり前だろうし。
だから。
「ありがと、岩井」
「雅通だって」
「……忘れてた」
「忘れるなよ」
岩井は笑って俺の肩を抱いた。
「メシも食ったら、早く帰った方がいいな。中野さんちに帰るんだろ?」
「うん」
友達っていいなと思ったんだけど。
「マモル、」
「なに?」
見上げた瞬間に。
「俺と付き合わないか?」
いきなりそんなことを言われた。
「え??」
「彼氏、欲しいって言ってただろ?」
「あ……うん、でも」
一瞬、中野の横顔が頭を過った。
それから、北川に中野はこの先ずっと俺なんか好きにならないって言われたことを思い出した。
あとは、スーツ姿のアイツ。
中野が呼ぶ声。

―――どうせ無理なんだ……

闇医者にも他の人を好きになれって言われた。
年が近くて、友達よりちょっと仲がいいくらいの人と付き合ってみたらって。
だから。
「……うん、いいよ」
そう返事をした。
だって、岩井はすごく優しかったから。
今はまだ、中野のことが忘れられなくても。
いつか好きになれるかもしれないって思った。


Home    ■Novels    ■TomorrowのMenu    ■Back     ■Next