受付の呼び出しが鳴って、目を覚ました。
ずっと寝てたような気がしたけど、まだ午前中だった。
北川はもうシャワーを浴びたらしくて、髪を拭いたタオルが椅子の背中に掛けてあった。
そして、まだバスローブ姿だった。
「なんだ、例の件もう判ったのか?」
北川はそんなことを言いながら、訪ねてきた客を受付から連れてきた。
バスローブだけの格好で客を出迎えるなんて……と思ったけど。
北川と一緒に入ってきたのは中野だった。
「取り敢えずだがな」
いつもの仏頂面で素っ気ない返事をして、北川に封筒を渡した。
中野はチラッと俺の方を見たけど、顔色一つ変えずに北川に書類の説明を始めた。
寝転んだままだと中野の顔が良く見えなかったから、ダルいのを堪えて起き上がったんだけど。
「うわ……」
自分のカッコを見たら情けなくなった。
もちろんシャワーなんて浴びてないから、胸や腹には精液がべったりついてて。しかも、もう半分乾いていた。
辛うじて腰にはバスタオルがかかってたけど、足元にはティッシュが散らばってて。
「……いかにも『さっきまでやってました』って感じだよなぁ……」
チラッと二人の方を見たら、北川がニヤッと笑った。
ロクに中野の話も聞かずに、俺ががっかりしているのを面白そうに眺めていたらしい。
そんな北川を見て、中野もどうでもよさそうに話を切り上げた。
「残りは来週だ」
それから、北川に渡された書類を大きな封筒に入れた。
「ああ、いいよ」
パラパラと資料をめくりながら、北川が口の端っこで笑った。
「それにしても、相変わらずだな、おまえも。どうやって仕入れるんだ。こんな怪しい情報」
中野はそれには答えずに煙草をくわえたまま席を立った。
帰り際、中野は少しだけ俺と北川を振り返って、
「次回は連絡してから来るからな。普通の格好で出迎えろよ」
呆れたように事務所から消えた。
その時にはもう俺は着替え終わっていたけど。
さっきまでの自分の格好を思い出したら、やっぱりため息が出た。
「ふうん。中野、マモにはあんまり関心なさそうだな」
本当に楽しそうに北川が笑うから、俺もちょっとムッとした。
でも、ホントのことだから仕方ない。
「それとも、どこかの子猫ちゃんがあんまりあっちこっちで好き放題してるから愛想を尽かしたかな?」
「なんだよ、それー……」
自分でやったくせに、そういうこと言うんだからな。
「スレてなさそうな顔して、ヤリ放題だもんなぁ?」
俺だって好きでこんなことしてるわけじゃないのに。
だいたい俺が寝てる相手って中野以外はただの仕事なのにさ。
「もう中野の話はいいよ。どーせ俺は相手にされてないもんねー」
さすがにふて腐れてしまった。
「なんで? マモは中野の可愛い子猫ちゃんなんだろ?」
最初はそう言って北川に紹介したのかもしれないけど。
実際は違うんだから。
「俺、飼い猫以下だもん」
気が向かなきゃ俺に触りもしないし。
抱く時だってすっごーく面倒くさそうだし。
「ホントに猫だったら、もうちょっと構ってもらえたのかなぁ……」
俺の独り言に北川はまた笑い出して。
「中野はペットなんて家に置いとく性格じゃないけどな。まあ、マモにはエサをやる必要もないし、気が向いた時に抱くだけだから手間もかからなくていいんだろ」
けど。
それだって中野は適当だもんな。
別にやりきたいなんて思ってなさそうな感じで。
なんか気に障ることがあれば、挿れてる途中でも止めてしまいそうで。
それが怖くて、何も言えなくなる。
「もっとも、遊び相手ならマモの他にもいるんだろうけど」
中野が取っ替え引っ替えだったことは俺も知ってるけど。
改めてそう言われると憂うつさが倍増する。
北川はまた笑い転げてから、あんまり気が晴れない慰めをしてくれた。
「そんな顔するなって。マモは抱くにはちょうどいいよ。感度イイし。ウブそうな顔してるくせに反応はエロいし」
そう言いながら手が伸びてきて、せっかく着たシャツの下に滑り込む。
「さっき、ヤッたばっかだよね??」
しかも、俺が来る前にもヤってたんだよな、コイツ。
「そうだっけ? 忘れちゃったな」
他にも相手なんていっぱいいるんだから、俺じゃないヤツとやれよって言いたいけど。
「俺、オーナーのそういうところ、キライ」
「そうか? でも、本当はマモだって気持ちいいんだろ?」
手は腹からゆっくり下に降りて、パンツの中に滑り込む。
「うんんっ」
文句を言った時には北川の舌が口の中に入ってて。
「子供っぽい口の利き方もナマイキそうで虐めたくなるし。ホントにその気にさせるのが上手いよな、マモは」
俺、そんな気、ぜんっぜんないんだけど。
だから、北川に構われるんだったら、これからはあんまりナマイキっぽく聞こえないように気をつけなきゃ。
「ほら、口開けて。練習した通りにしてみろって。キス、どうやるのか覚えてるんだろ?」
「覚えてるけどさー……」
もう、やだよ。
「じゃあ、してみせろよ?」
「うー……」
長くてエロいキスのあと、北川は俺を膝に抱き上げた。
それから、耳元で囁いた。
「なあ、俺のペットになれば、客なんか取らせないで家に置いて可愛がってやるよ?」
少しだけ笑ってて。
でも、わりと真面目っぽい顔で言うから。
これって、本気?
でもなぁ……
「やだよ。そんなことしたら外に出してもらえなくなりそうだもん。それに、さっき来てたヤツってオーナーの恋人なんだろ?」
それを聞いて北川は声に出して笑ってたけど。
「何だ、妬いてくれるのか? マモにそんな可愛いところがあるとは思わなかったな」
「違うってー」
北川は外面の良さとは別に、ちょっとヘンタイちっくな匂いがする。
いくら屋根のついたところに住めるからって、ずっとそんなヤツの相手なんてしてらんないもんな。
やっぱ、絶対、ダメ。
「さっきのは、ただの遊び相手だよ。ペットでも恋人でもないって。……まあ、アレとは別に自宅には本物の犬とその世話係、別宅には躾中の犬がいるけどな」
んー??
自宅?
別宅?
北川って家が二つあるの?
「……それって、どういう状況なのか全然わかんないんだけど」
もう、ついていけないって感じ。
それはきっと俺の頭が悪いせいじゃないと思うんだけど。
「知りたかったら、今度別宅に連れていってやるよ。本当はさっきヤッてた子を連れ込もうと思ってたんだけどな。やっぱりマモの方が面白い」
そこで北川がニヤッと笑った。
「けど、マモみたいなおチビちゃんを連れていったら、うちのナマイキな子犬も焦るだろうな」
それって、やっぱり本物の犬じゃないんだな。
「最近、安心したのか態度がデカくてさ。すっかり恋人面するんだよなあ」
なんかよくわからないけど……北川って、やなヤツ。
「そんなの、オーナーが悪いんじゃん」
恋人は一人でいいのに。
きっと、そいつにだって「大事にしてやる」とか「可愛がってやる」って言って連れ込んだに違いないんだから。
ムッとしてる俺の髪を撫でて、耳を噛んで。
「それよりも、マモ。この間の件、お仕置きしないとな」
そんなことを言い出した。
「俺、もうオーナーとするのやだからね」
真面目にイヤな顔をしたら、今度はほっぺに噛み付かれた。
「痛いってー」
その後で笑いながら噛んだところを舐めてくれたけど。
「俺とじゃなくて、よその家で可愛い子猫ちゃんになってご主人様に奉仕して来いよ。まるまる2日間。それがうまくやれたら謹慎は終わり」
また、そんなこと言うし。
「ヤダ。絶対、や。あんな変なヤツ、もう絶対やだー」
ダダをこねてみた。
だって、ホントに嫌だったから。
「バカだな。心配しなくてもこの間の客じゃないよ。マモが最初にパーティーに来た日につけた客。覚えてないか?」
って言われても。
「オーナーの知り合いって言ってた人?」
辛うじてそれだけは覚えてたけど。
顔とか、どんなヤツだったかとかはすっかり忘れてた。
「そう」
でも、記憶に残らないくらいだから、そんなに変わったヤツじゃなかったんだろうと思って。
「うん。いいよ」
とりあえずオッケーしてみた。
でも、まるまる2日は長いよなぁ……
「俺、その間、ご飯とかもらえんの?」
聞いたら北川は意地悪く笑って、また俺のパンツの中に手を入れた。
「マモがいい子にしてたら貰えるんじゃないか?」
その返事って。気に障ることがあったら食べさせてもらえないってことじゃん。
「うーん……」
まあ、2日くらいなら食べなくてもガマンできるけど。
「前の日にいっぱい食べていけばいいかぁ……」
北川は俺の返事が終わらないうちに客に電話をかけた。
一分後には日時が決まって、俺に伝えられて。
「じゃ、マモ。そういうことで。それまでに何回か練習に来いよ?」
結局、謹慎が解けたのって、北川がひまつぶししたいからなんじゃないかって少しだけ思ったけど。
でも、とりあえずそれが上手くいったら店のバイトにも復帰できるんだから。
それだけガマンして頑張って、その後は店で掃除とか洗い物とか、できるだけ普通のバイトをさせてもらおう。
「……うん。じゃあ、またね」
ちょっと憂うつなことに変わりはないけど。
バイト代を貯めて住む所を探さないと、すぐに冬になる。
公園で凍死は笑えないもんな。
「……とは言っても今日現在は無職だしなぁ」
だからと言って、そのへんで客を探す気にもなれない。
「なんか楽しいことないかなぁ……」
なんにも思いつかなかったから、診療所で小宮のオヤジに遊んでもらうことにした。
今日は闇医者もあんまり忙しそうじゃなくて、小宮のオヤジや他の患者モドキとお茶を飲んでいた。
「いらっしゃい、マモル君」
いつでも優しく出迎えてくれるから、遠慮なく来られていいなって思って。
きっと患者モドキたちも同じなんだろうなって思ったら嬉しくなった。
「ね、俺もー」
お茶の輪に交じって、お菓子を食べながらみんなに聞いてみた。
「オーナーってペット飼ってるってホントかな?」
そんなこと知ってるわけないかって思ったけど。
「北川さん? そうそう犬飼ってるって言ってたよね。スピッツだったかな?」
闇医者がちゃんと答えてくれた。
「え? 本物の犬なんだ」
あまりにもびっくりして思わず聞き返した。
だって、俺、思いっきり違うと思ってたもんな。
「そう。奥さんが買ってきたんだって」
隣りにいた患者モドキにそう言われたけど。
一瞬、なんのことか分からなかった。
「それって言うのはさ……北川が結婚してるってことなの??」
だって彼氏もいて、ヒマな時は俺を抱いて、店のヤツとかとも寝てるのに?
「まあ、マモルちゃんがそう思うのも無理はないよねえ。トシキくん、遊んでばっかりだからなあ」
小宮のオヤジが笑ってる隣りで、いつも遊びにくるオヤジが口を挟んだ。
「今の奥さんが3人目か4人目だよ」
うっわ〜……でも、そんな感じだ。
「ってことは、自宅の犬はスピッツで、世話係が奥さんなのかぁ……」
まあ、いいか。とりあえず普通の犬だったんだし。
北川もそんなに変なヤツじゃないんだなって思ったのに。
「別宅の方はカワイコチャンがいるらしいけどなあ?」
小宮のオヤジがニマニマ笑いながら補足説明をしてくれた。
「……やっぱ、そうなんだ」
そう言えば、小宮のオヤジにもいるんだっけ。愛人か恋人か知らないけど。
なんだか、そんなヤツばっかりだよな。
それってアタリマエのこと?
なんとなく不安になって、闇医者を見たら。
「マモル君、それが普通だと思っちゃ駄目だよ?」
他の患者モドキもそれには真面目な顔で頷いてた。
「……そうだよね」
世の中、そんなヤツばっかじゃないよなと思いつつも。
「闇医者の恋人は一人だけだよね?」
念のため聞いてみたら、
「やだな。当たり前でしょう? 僕、何人も恋人がいるように見える?」
ちょっと苦笑されて。
「ううん、全然」
慌てて首を振ったら、ホントに笑われてしまった。
「あ、でもさ」
ついでに気になってしまって、どうしても聞かずにいられなかった。
「あの……中野は……結婚してるのかな?」
中野は北川以上に家庭って感じからは遠いんだけど。
年も北川と同じくらいだから、してても不思議じゃない。
「ヨシくんかあ? さあ、どうかなあ。そんなこと話してくれないしなあ」
小宮のオヤジもそれは知らないらしかった。
他の人も首を傾げてた。
そうだよな。コイビトを箱入りにするくらいだもん。
奥さんなんていたとしても絶対誰にも言わないに違いない。
マンションを思い返してみても、女の人の持ち物なんて一つも置いてなかった。
でも、あのマンションそのものが別宅かもしれないし。
そんなことまで、わかんないよなぁ……
俺が考え込んでいたら、
「中野さんは結婚してないよ」
闇医者がやけに自信たっぷりにそう答えた。
「なんで分かるの?」
やっぱり仲がいいから?
中野も闇医者にはなんでも話すのかな?
「だって、してないからね」
それって答えになってるのかな?
でも、闇医者が嘘なんて言うわけないし、こんなに自信満々に結婚はしてないって言うんだから。
それだけ分かれば、まあ、いいや。
「そっか」
なんとなくニコニコしてしまったら、すぐに小宮のオヤジに突っ込まれた。
「マモルちゃん、嬉しそうだねえ? そんなにヨシくんがいいんか?」
そういうところだけ妙に察しがいいんだもんな。
「……そういうわけじゃないけど」
中野にはアイツがいるんだから、そう言うしかなくて。
好きな人を好きって言えないのも、つまんないなって思ってたら。
「あれえ? マモルちゃん、岩井君とお付き合いしてるんだよね?」
患者モドキの一人にいきなり聞かれて驚いた。
「なんでそんなこと知ってるの??」
「岩井君のお友達が今朝話してたよ」
ってことは岩井がそいつにしゃべったんだよな。
岩井って、意外とおしゃべり?
「ここで話してたの?」
闇医者に確認したら、ちょっと困った顔で頷いた。
なんで困った顔なんだろうって思ったけど。
理由はすぐに分かった。
「けど、岩井くんって彼女いるんだよなあ?」
「え??」
俺はメチャクチャ驚いたのに。
他の人はみんな知ってるらしくて、誰も驚いてなかった。
「なんだ、マモルちゃん、知らないんか?」
「……知らない」
なんか、びっくりすることばっかりだな。
「じゃあさ、中野には? アイツ以外にも誰かいるかな?」
何気なく聞いたら。
「マモルちゃん、付き合ってる彼氏よりヨシくんが気になるんだなあ?」
また突っ込まれた。
「……そうじゃないけど」
でも、そんなの嘘ってバレバレで。
みんなに笑われてしまった。
「そんな笑わなくてもいいと思わない??」
俺には大事なことなのに。
「ごめん、ごめん。でも、マモルちゃんって本当に嘘がつけないんだなあ」
俺だって中野のことなんてキレイさっぱり忘れてしまいたいと思ってるけど。
忘れられないんだから、仕方ない。
「いいよ、じゃあ、もう、中野のことなんて聞かないよーっだ」
ムキになってそう言ったら、また笑われてしまった。
……ちぇ。
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