Tomorrow is Another Day
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みんなが帰ってから闇医者と二人で一緒に夕飯を食べにいった。
小宮のオヤジのこととか、他の患者モドキのこととか、昼間見たニュースのこととかいろいろ話して。
ついでにちょっとだけ中野のことを聞いてみた。
「ね、中野って彼氏とどうやって知り合ったのかなぁ? たまたま会って診療所に連れてきたの?」
そんなことを聞いたら、小宮のオヤジならまた俺をからかうんだろうけど。
闇医者はいつだってちゃんと聞いてくれる。
どんなにバカみたいなことでも答えてくれるし、うまく言えなくても察してくれる。
それに、俺が知ってる人の中で一番優しい。
「そうみたいだよ。診療所に連れてきた時、中野さんが『さっきそこで拾った』って言ってたから」
すっごく前のことなのに、闇医者はちゃんと覚えてて。
なんだか、ちょっと不思議な感じがした。
「ね、闇医者ってそんなに前から闇医者なの?」
俺が真剣な顔をしてるせいなのか、闇医者はくすっと笑ったけど。
ペーパーナプキンで俺の口を拭きながら説明してくれた。
「さすがに10年近く前だからね。僕もまだ学生だったよ。診療所は他の先生がやってたんだ。でも、夜遅くだったから先生はもう帰っちゃってて」
だから仕方なく闇医者が手当てをしたらしい。
「闇医者、あんなとこでアルバイトしてたの?」
別に変な意味で言ったんじゃなくて。診療所はホントにすごく分かりにくいところにあるから。
「当時はね、診療所も表通りに近い綺麗なビルにあったんだよ。」
今は裏通りのそのまた奥をこっそり入ったような場所だ。
ビルの前に車が一台停められるくらいのスペースはあるけど。
まわりは細い道しかなくて、すぐ塀にこすりそうだし。ものすごく運転の上手いヤツじゃなかったらそこまで辿り着けない。
「ふうん……でも、なんで引っ越したの?」
一応、病院なんだから、みんなが来やすいところの方がいいと思うんだけど。
「借りるのが高いから?」
他には理由なんてなさそうだなって思いながら聞いたんだけど。
でも、そのあとに不思議な空気が流れて。
俺、聞いちゃいけないことを聞いてしまったんだって思った。
それに気づいて焦り始めた時、闇医者から返事があった。
「……うん。いろいろあってね」
なんてことはない普通の返事。
でも、闇医者は少し辛そうな顔をしてた。
闇医者のこんな顔を見るのは初めてで、俺はどうしていいのか分からなかった。
何か言わなきゃってグルグル考えてたら、闇医者がポツンと呟いた。
「……中野さんも、もう、ケガしてる子なんて拾ってこないと思ってたんだけどね……」
闇医者の独り言。
これと言って変な言葉はないのに、なんでこんなにズキンと響くんだろう。
「あ、あのさ……中野、アイツの前にも誰かを拾ってきたの?」
聞いちゃいけないかもしれない。
そう思いながら。
聞かずにいられなくて。
「うん……一度ね……」
そのあと、また沈黙が流れた。
闇医者は瞬きもしないで、テーブルに置かれていた水の入ったコップを眺めていた。
「あ、でもさ、アイツみたいな美人だったら、誰でもつい拾っちゃうよね」
何かしゃべらなきゃって思って、そんなわけの分からないことを言ってしまった。
中野だってそれが理由でアイツを拾ったわけじゃないと思うけど。
じっと返事を待ってたら、闇医者は少しだけ微笑んでそれに頷いた。
「そうだよね。中野さんだって可愛い子は拾ってきちゃうよね」
闇医者が笑ってくれたことにホッとして。
それとは別のところで、ちょっとガッカリした。
「やっぱ、そうなのかなぁ……」
そう言えば中野の遊び相手はみんな美人だったもんな。
またちょっと落ち込みそうだったんだけど。
闇医者はそんな俺を見ながら、いつもと同じように笑って言った。
「マモル君で三人目だもんね」
ニコニコしながら俺の髪を梳いて。
闇医者もなんだかホッとしたような顔をした。
「……俺は、そんなんじゃないけど……」
なんとなく恥ずかしくなったから、違う話にしようと思ったけど。
「ね、闇医者は中野のこと、いつから知ってるの?」
結局、また中野のことを聞いてしまった。
俺って、なんで他の話は思いつかないんだろう。
「最初に会ったのはあの子を拾ってくる少し前。中野さんもまだ大学生だった頃」
闇医者はともかく、中野が大学生だった時なんて、ぜんぜん想像できなかった。
「どこで知り合ったの?」
「診療所だよ。中野さんが最初の子を拾ってきた時にね」
そう言いながら、闇医者はまたグラスについた水滴を眺めていた。
たぶん、その話がダメなんだ。
闇医者が一瞬だけキュッと目を瞑るのが目に焼き付いた。
「……ふうん……」
こういう時は何を話せばいいんだろう。
なんだか焦ってしまって言葉が浮かんでこなかった。
そしたら、闇医者が口を開いた。
「でもね、マモルくん」
ちょっとびっくりして顔を上げたら、闇医者はもういつもと同じ顔だった。
「なに?」
「中野さん、本当は優しい人だよ」
なんで突然そんなことを言うのかは分からなかったけど。
「……うん」
だから、中野のこと、好きになったんだから。
ちゃんと分かってるよ。
そういう気持ちでもう一度頷いたら、闇医者は安心したようにニッコリ笑い返した。


それからは当たり障りのない話ばっかりを選んで闇医者に聞いた。
「ね、オーナーって中野と仲いいの? それとも悪いの?」
中野は誰にでも愛想なしだから、北川をどう思ってるのかは全然わからないんだけど。北川は中野のこと、いろいろ聞くんだよな。
「悪くはないと思うけど」
闇医者がクスクス笑う。
「北川さんね、中野さんのことライバル視してるみたいだから。マモル君のこと中野さんから取っちゃおうって思ってるのかもね」
う〜ん?
北川も中野とはちょっと種類が違うから、ライバルって言うのは変な感じなんだけど。
「……なんかさ、オーナーって俺が中野に冷たくされるのが楽しいみたいなんだよなぁ」
別に北川のことが嫌いなわけじゃないんだけど。
そういうところがちょっとイヤだなって思う。
だって、わざわざ人の不幸を喜ばなくてもいいと思うのに。
「中野さんがマモル君のこと可愛がってるから気になるんじゃないのかな」
「可愛がってないじゃん、ぜんぜん」
話しかけても答えてくれないし。すぐに面倒くさそうな顔するし。
アイツのことはあんなに優しく呼ぶくせに。
俺の名前なんて一度も呼んでくれないし。
……自分で言ってて悲しくなってきた。
「もう、いいや。なんでも」
「嫌だな、ホントだよ?」
闇医者は俺と二人でいる時の中野がどんなに素っ気ないかは知らないんだもんな。
「でも、オーナーがさー……俺はホンモノの猫と違ってエサもやらなくていいし、手間がかからないから置いておくだけだって言うしー……」
俺だってその通りだって思うんだけど。
やっぱりちょっと拗ねてしまった。
闇医者が優しいから。
ほんの少しだけ甘えてみたくて。
なのに。
「ね、マモル君」
闇医者の声は笑ってた。
「なに?」
俺、おかしいことなんて言ってないと思うんだけど。
「自分で気付いてないみたいだけど」
「うん?」
「マモル君、猫よりも手間かかってると思うよ?」
「え??」
「特に中野さんには」
……がーん。
そりゃあ、中野の家でシャワー借りたり、金を預かってもらったり、ケガして包帯を巻き直してもらったことも、盗まれた金を取り戻してもらったことも、無理やりヤラれてるところを助けてもらったことも、変なヤツにボコられて死にかけて診療所まで運んでもらったことも、風邪引いて泊めてもらったことも、ピザを食べさせてもらったことも、いろいろあるけど……って、そこまで思い出して。
中野、俺のことちゃんと構ってくれてるじゃんって、ちょっとだけ思った。
そう思ったら、少し元気になった。
「……そっか。そうだね」
闇医者って。
慰めるの上手だよな。
「うーん……でも、中野はそれが面倒くさいんだろうなぁ……」
その事実は変わらない。
思わずふうって言ってしまったら。
「でもね、マモル君。手間がかかるのは悪いことじゃないんだよ」
闇医者はまだ笑ってた。
その間に、俺の顔を拭いて、俺が汚したテーブルを拭いて。袖口が汚れないようにシャツをまくってくれた。
これじゃあ、俺、ホントに子供みたいだよ。
「……手間なんてかかんない方がいいに決まってるじゃん」
こんな自分を見てしまうとどうしてもそう思う。
けど、闇医者はニコニコ笑ったままで。
「何でも一人でできる子よりも、自分がいないとダメな子の方が可愛って思う人もたくさんいるよ」
そうかなぁ……
でも、それは闇医者が優しいからだよな。
「闇医者は知らないかもしれないけどさ、中野は俺といる時、すごーく面倒くさそうなんだ」
話しかけても面倒くさがって振り向かないってすごくない?
……って、思うんだけど。
それでも闇医者は何かを思い出しながら、少しだけ笑って。
「中野さんは素直じゃないからね。でも、」
そこで話すのを止めて、声を出してクスクス笑い出した。
それから、笑ったまま電話をかけ始めた。
「こんばんは。今、大丈夫ですか?」
電話の相手は中野らしくて。
「今日もマモル君のこと、お願いしますね。……え? 今、一緒に食事をしてますよ。中野さんの話をしてたところで……」
「うわっ、そんなこと言わなくていいよっ!」
思わず叫んで立ち上がって、思いっきり人目を引いてしまった。
それでも闇医者は本当に楽しそうに笑ってたけど。
「もう、変なこと言うから、汗かいちゃったよー……」
そうじゃなくても鬱陶しいって思われてるのに。
「いいじゃない。中野さんも別に何も言ってなかったよ」
そんなの当たり前だ。
「中野は何を言っても、なんにも言ってくれないんだよー」
診療所に来た時だっていつもそうなんだから、闇医者だって分かってると思うんだけど。
「そんなことないよ。間違ってることと嫌なことははっきり言うよ?」
「そう?」
俺は滅多に返事をしてもらったことがないから、その辺はよく分からなかったけど。
闇医者がそう言うんなら、きっとそうなんだろう。
それよりも。
「ね、もしかして昨日も闇医者が電話してくれたの?」
雨でもなくて寒くもなかったのに中野がマンションに泊めてくれたから、なんでだろうって思ってたけど。
「まだ風邪が治ってないしね。公園でなんか寝ちゃ駄目だよ」
闇医者はいろんなことを心配してくれて、本当に優しくて。
だから、ちょっと涙が出そうになった。
「……いつもごめんね」
唇をキュッと結んで泣くのを我慢してたら、闇医者がハンカチを貸してくれた。
「謝らなくていいって言ってるのに」
困ったような顔で、でも、にっこり笑って。
ずっと俺を見ててくれるから。
「……ありがと」
涙を拭いてから鼻先に当てたハンカチはとてもいい匂いがした。
「マモル君ね、僕の弟に似てるんだ。だから、つい構っちゃうんだよね」
闇医者は自分のことはあんまり話さない。
家族のことだって、聞くのは初めてで。
なんだか嬉しかったんだけど。
「闇医者、弟がいるんだ? 他には兄弟いないの?」
その後になぜか長い沈黙があって。
返事があったのはしばらく経ってからだった。
「……いないよ。マモル君は?」
「俺、一人っ子。兄弟、欲しかったなぁ」
今の、なんだったんだろう。
ちょっと胸に引っ掛かった。
でも、『なに?』って聞けなかった。
「じゃあ、僕の弟になってみる?」
俺が考え事をしてる間に、闇医者はいつもの顔に戻ってた。
「え……いいの?」
「いいよ。だから、なんでも相談してよね?」
「うん」
「遠慮なんてしちゃ駄目だよ?」
「うん」
闇医者は話しやすいから、それはきっと大丈夫。
……中野のこととか、話してもいいのかな?
母さんに好きな子の話をしたみたいに。
兄弟がいたら、そんなことも話すのかな。
「ね、闇医者の弟にも会ってみたいな」
ふと思って、何気なくそう言った。
今度は短い沈黙の後。
「今度、写真を見せてあげるよ」
そんな返事があった。
それがどういう意味かなんて俺はぜんぜん気付かなかった。
「楽しみー。俺に似てる?」
俺は浮かれてたけど。
「顔は似てないけど。背格好とか全体の雰囲気が似てるかな」
闇医者はその話の間、ずっとグラスを見つめてた。
「……闇医者、どこか具合悪い?」
ちょっと辛そうに見えたから、聞いてみたんだけど。
「そんなことないよ。マモル君こそしっかりご飯を食べてね。ちゃんと栄養を取らないから風邪なんて引くんだよ?」
闇医者はすごくお医者さんっぽい顔で俺を注意した。
ついでに、
「ご飯は三食きちんと食べないとダメだよ? いつまで経ってもマモル君が大きくならないと僕だって心配しちゃうでしょう?」
母さんみたいな口調でそんなことを言った。

『護、ちゃんと食べないと大きくなれないわよ。母さん、心配だわ』

いつもそう言われてたことを不意に思い出した。
母さんが死んでからしばらくは悲しくて、できるだけ思い出さないようにしてたけど。
「……うん。いくらなんでも、もうちょっと大きくならないとダメだよね」
今なら。
あの時は楽しかったな……って。
泣かずに思い出せる気がした。



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