Tomorrow is Another Day
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お腹いっぱい食べさせられた後、闇医者と別れた。
それから、中野のマンションに行って、インターホンを押して。
無言でキーロックが解除されて、中野の部屋の前でまたインターホンを押して。
無言でドアが開いて、無言で部屋に入って。
「中野、つまんなすぎー……」
でも、そんなことを中野に期待してもダメだから自分で話す。
昼間、気になったこと。
闇医者が「心配なら聞いてみれば?」って言うくらいだから、きっと聞いても大丈夫なはずだし。
「な、中野ってさ、結婚してる?」
勇気を出して聞いてみたんだけど。
当たり前のように無視された。
中野は新聞を広げたまま煙草を吸っているだけ。
「……つまんないの」
二人でいる時くらい話がしたいのに、何を話したら答えてくれるのかわからない。
「うーん……」
考えても仕方なさそうなので思いついたことを全部話してみる。
「ね、北川の奥さんってどんな人?」
中野は他人の奥さんになんて関心ないよな。
「スピッツ飼ってるんだって。知ってた?」
犬にも興味ないだろうな。
来た時はそれなりに楽しかったのに、どんどん淋しくなっていく。
このまま朝になって、一言も話さないで家を出るんだろうか。
「……北川がさ、」
何を話しても独り言になるだけなのに。
それでも話し続けるのは、なんでだろう。
「別宅に囲ってる恋人にヤキモチを妬かせてみたいからって……」
適当な言葉を並べながら、次の話題を探して。
その繰り返し。
「俺に遊びにおいでって言うんだけど、行っても大丈夫かな?」
そんな話、中野は絶対に聞いてない。
だから、次は闇医者から聞いた診療所の話でもしようかなと考えていたら。
「おまえが行く必要ないだろ」
不意に返事があった。
「え……あ、うん…そう…なんだ、けど……俺が来てヤキモチやいてくれたら、捨てずに置いとこうかなぁみたいなこと言うから」
しかも、新聞から顔を上げて、ちょっとだけ俺の方を見た。
「いくらバカでも、そんな簡単な手に引っ掛かるなよ」
またバカ呼ばわりなんだけど。
「……ってことは、そう言えば俺が来ると思って嘘ついてるってことなの?」
言われてみれば、北川ってそういうヤツだもんな。
きっとそうなんだ。
「そっか……じゃあ、気をつけようっと」
中野はまた新聞に視線を戻して、新しいタバコを手に取った。
煙の匂い。
中野の横顔。
昨日はイマイチだったけど、今日はいいことがたくさんある。
北川も謹慎を解いてくれるって言ったし。
闇医者の弟になれたし。
中野は返事をしてくれるし。
「……なんか、楽しくなってきたなぁ……」
嬉しくてちょっと笑ったら、今度は中野から違う話をしてきた。
「北川にいくら貰ってるんだ?」
唐突な質問だったけど。
「へ? バイトの時? それとも、」
「北川と寝る時だ」
きっと昼間、北川の事務所で会った時のことなんだろう。
「……その時によるけど。今日はもらわなかった。俺、前にちょっと客とトラブっちゃって。そのお詫びもあって……」
言い訳をしてる最中に中野の顔が険しくなった。
「適当に丸め込まれてるんじゃねえよ」
なんでか分からないけど。
なんか怒られてるみたいだよな?
「……そうなのかなぁ……」
でも、トラブったのはホントだし。
店にも戻してくれるって言ってたし。
それでいいんじゃないの?
「それから、あんなになるまでヤルんじゃない。何かあっても逃げることもできないだろ」
「……うん」
中野がそんなことを言うんだけど。
でも、逃げないといけないことなんてないよな?
「けど、北川がさぁ……それに、俺だって好きでヤラれてるわけじゃないんだよ? でも、止めろって言っても聞いてくれないし……それに」
自分でも言い訳になってないような気はしたけど。
「ったく、そうやってグズグズ言ってるから舐められるんだろ」
また怒られて。
なんか、中野が口を利いてくれるのって怒る時だけなんだよな。
それでも。
「……うん」
闇医者が言ってた。『本当は優しいんだよ』って。
俺は『うん』って答えた。
「……じゃあ、それも気をつける」
心配してくれてありがと、って心の中で呟いてから、黙って中野の隣りに座った。
無視するかなって思ったけど。
中野は相変わらずの乱暴な仕草で俺の肩を掴んだ。
それから、そのままソファに押し倒した。
いっつもそんなだけど。
それでもやっぱり中野の手は温かくて。
「中野、あのさ、」
好きだって。
たった一言。
すごく簡単な言葉なのに。
「……ううん、なんでもない」
何度抱かれても言えないのは、中野がアイツのことしか考えてないって分かってるから。
こんな風にたまには心配もしてくれるけど、いつもは俺のことなんかどうでもよくて。
気が向いた時に抱くだけ。
俺の顔さえ見ずに達くだけ。

なのに、なんで好きになるんだろうな……

乱暴なのに。
冷たいのに。
あいつのことしか見てないのに。

「う……あ、ッんん……っっ!」
抱かれたら、長くはもたなくて。
俺が達った後、中野も面倒くさそうに達って。
すぐにクルリと背を向けた。
大きな背中。
「……中野」
いつもと同じ。
中野の視線の先は窓の外。
「ね、中野」
呼んでみたけど。中野には聞こえない。
本当は好きでもない俺を抱いて。
アイツのことだけ考えて。
「……ごめんね」
そう言った時、中野は一瞬だけ振り返った。
すごく不思議そうな顔をしてた。
それが、なんとなく辛くて、中野から目を逸らせた。

アイツだって、こんな風に中野が自分以外の誰かと寝るのは嫌だろう。
それとも。
あんなに思われてたら、体だけの相手なんて笑って許せるんだろうか。

俺には分からないけど。
たぶん、この先もずっと分からないけど。

俺を見てたのはほんの数秒。
中野がすぐに視線を戻した先、窓の外は新宿の夜景。
煙草の煙と肩越しに見える中野の横顔。
遠い目で、アイツのことを考えてる。
だから。

やっぱり、羨ましいと思った。



「ふぁぁ〜〜……」
中野のベッドで目が覚めたのも今日で4日連続。
すっかり自分ちみたいな気がしてた。
中野は相変わらず「おはよう」も言ってくれないけど。
「今日は何しようかなぁ?」
北川との約束はまだ先だし、それまでは無職で無収入。
「あ、ね、中野。金なくなったんだー」
ネクタイを結んでる中野の背中に話しかけた。
前みたいに1万円札を渡してくれるんだとばっかり思ってたのに。
「勝手に出して持っていけ。おまえの金だろ」
そうだけど。
……中野からもらいたかったのにな。


「じゃあね、中野。いってらっしゃい」
公園で中野と別れて。
「何しようかなぁ」
やることがない時は闇医者の診療所。
もう俺のお決まりのコースだった。
待合室は相変わらずで、病人でもケガ人でもない患者モドキと、世間話をするじーちゃんたちで賑わっていた。
「ね、闇医者は?」
「先生なら診察室だよ」
じーちゃんの一人が振り向いて教えてくれた。
行ってみたら、闇医者は真面目に診療をしてた。
患者は岩井の友達で、確かコイツにもイレズミがあったはず。
「打撲だよ。腕は大丈夫だけど、足はちょっと熱を持っちゃってるね。歩いたら痛いでしょう?」
「そうでもないっすけど」
「でも、まあ、無理はしないでね。ひどくはなさそうだから湿布だけ貼っておこうね。」
闇医者に包帯を巻いてもらって、仕事の話なんかもしてたけど。
俺にはさっぱり分からなかった。
でも、なんだか楽しそうでのんきな光景に見えた。
「なー、闇医者ぁ……こんなんで食っていかれるの?」
いつも不思議に思う。
裏通りのそのまた奥にある胡散臭いビルだって、借りたらそれなりに高いと思うのに。
「なんとかね。意外とお得意様が多いんだよ」
「ふうん、そっかぁ……」
……怪しいやつばっかしだけどなぁ。

闇医者がカルテを書いている間に岩井の友達は部屋を出ていった。
「マモル君、今日もバイトはないの?」
「うん。でも、再来週くらいに復帰させてもらえるかも」
まだ確定じゃないのがツライところだけど。
「そう、よかったね」
カルテを片付けている闇医者の隣りに座って机の上を眺めた。
カレンダーとメモ帳とペン立てと……
「あ、これ?」
フォトフレームに少し色褪せた写真。
闇医者と父さんと母さんと弟。
楽しそうに笑っていて、誰が見ても羨ましいほど幸せな家族だった。
「昨日、闇医者が見せてくれるって言ったヤツだよね?」
「そうだよ」
闇医者はまた少し淋しそうに笑ってから、写真を手渡してくれた。
写真はずっと前に撮った感じだったけど、闇医者は今とあんまり変わりない。
弟はきっと俺と同じくらいの年で、背も小さくて子供っぽかった。
でも、闇医者とよく似てた。
俺の表情を見て、闇医者は少し悲しそうな顔をした。
「……マモル君は一人でいろいろ悩まないで、なんでも相談してよね?」
「え? あ、うん。どうして?」
闇医者が俺の髪を撫でながら、また淋しそうに笑った。
「嫌なことはたくさんあると思うけど、誰かに話せば楽になることもあるんだから……」
とても心配そうで。苦しそうで。淋しそうで。
「……うん。ちゃんと話すよ。せっかく弟にしてもらったんだもんね」
どんなに微笑んでも淋しそうに見える闇医者を慰める言葉も思い浮かばなくて。
他の話をしようと思った。
でも。
「ね、闇医者のホントの弟はなんて名前なの? 今、いくつ?」
何気なく言った言葉に、闇医者の顔が歪んだ。
「……敦志っていうんだ……生きていれば、もう27かな」
ズキン、と胸が鳴った。
だって、それって。
「……死んじゃったってこと?」
言ってる間に涙がこみあげてきた。
昨日から闇医者が変だった理由。
褪せた写真をずっと飾っておく理由。
俺の世話を焼いてくれる理由。
「子供の頃から病弱でね。いろいろ悩んでたみたいで……」
いつもは笑ってるのに。
本当は楽しいことばっかりじゃない。
そんなの当たり前かもしれないけど。でも。
「もっと話を聞いてあげればよかったって、何度も思ったよ」
俺、また余計なこと言ったんだ。
「……変なこと聞いて、ごめんね」
写真の中で、闇医者の弟は楽しそうに笑ってた。
闇医者とおんなじ優しそうな笑顔で。
だから、見てたら涙がこぼれた。
「やだな。マモル君が泣くことないんだよ」
「だってさ、」
いろいろ思い出してしまうから。
俺んちの母親は水商売で、客なのか店のヤツなのか分からないけど、いろんな男がうちを出入りしてた。
そんな男の一人。母さんと付き合ってたヤツだったのに。
クスリか酒かわからないけど、酔って母さんを刺した。
俺は何もできなくて。ただ逃げ出して。
そっと家に戻ったら、母さんはまだ息をしてた。
けど……
「死んじゃったら、悲しいよね」
後から、母さんを刺したヤツも自殺したことを知った。
まだ一年も経ってないのに、もうそいつの顔さえ思い出せないけれど。
俺は気持ちの奥でずっと後悔し続けてた。
母さんを助けてやれなかったこと。
それから、今、自分がこんな生活をしていること。
最後の最後まで、ずっと俺のことを心配してたのに。
「マモル君もお母さんを亡くしたんだものね」
黙って頷いたら、闇医者がギュッて抱き締めてくれた。
「でもね、マモル君にはきっとこれから楽しいことが一杯あるから」
中野のこととか。
アイツのこととか。
客とトラブッたこととか。
他にもいろいろ。
忘れたいことばっかりが溜まっていくだけ。
今は明日のことだってまともには考えられなくて。
だから、闇医者の言葉も素直に頷けなかったんだけど。
「マモル君のお母さんが安心して休めるように。それから、僕や中野さんが心配しなくていいように……ね?」
闇医者は、いつでもこうやって俺を心配してくれて。
中野だってたまには昨日みたいに心配してくれて。
だから。
「……うん。そうだね」
俺の返事を聞いて、闇医者はやっといつもと同じように笑ったけど。
「ね、闇医者、」
「なに?」
「……もうちょっとこのままでもいい?」
涙が止まらなくて、闇医者にしがみついたまましばらく泣き続けた。
ごめんね……って言ったら闇医者が気にするかもしれないから。
心の中だけで、何度もごめんねって謝った。



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