Tomorrow is Another Day
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翌日は朝帰りした。
って言っても、朝になってから公園に戻ったってことなんだけど。
中野に『いってらっしゃい』を言おうと思って待ってたけど、今日に限ってぜんぜん来なかった。
「まだ来ないのかなぁ……それとも、もう行っちゃったのかなぁ?」
いつも通る時間には間に合ったはずなのに。
「もしかして、仕事休み?」
平日なのに、そんなことってあるのかな??
中野のマンションの方向を見て首を傾げていたら、背中に声が降ってきた。
「どこへ行ってたんだ」
眉間にしわを寄せて、不機嫌な顔をした中野が立っていた。
「中野、仕事はー?」
その辺で煙草を買ってきたところらしくて。しかも、普段着だった。
どう考えてもこれから仕事って雰囲気じゃない。
やっぱ休み?
それともクビになった??
ちょっとだけ心配していた俺の質問を無視して、中野はもう一度同じ事を聞いた。
「夕べはどこへ行ってたんだ。店はまだ休みなんだろう?」
「うん、まだ謹慎中だよ。昨日は岩井のとこに泊めてもらった」
聞かれたことに漏れなく答えたら、急に腕を掴まれて。
「え? なに??」
そのまま中野のマンションに引き摺られていった。
無言で玄関のロックを解いて、無言でエレベーターに乗って、無言で部屋に入ったくせに。
「いつから付き合ってるんだ」
玄関のドアが閉まった瞬間にいきなり聞いた。
「それって岩井のこと? だったら、この間……えっと……手に名前書いてもらった日から」
全部言い終わらないうちに寝室に引っ張っていかれた。
「待って、中野。俺、まだ、靴……」
脱ぎ掛けの靴が廊下に転がった。
いつも乱暴だけど。
今日はなんだか特別で。
バサッとベッドに投げ捨てられた。
「ちょっと、中野ってば。なに怒ってんのー??」
今日は怒られるようなことは何もしてないのに。
ってことは、俺が岩井に騙されたとか思ってるのかな。
だったら、ちゃんと説明しないと。
「岩井が泊めてくれるって言うから……だって、何もしないって約束してくれたし。それに、昨日は寒かったし」
なんか言い訳っぽくてやだなぁ……と思った瞬間に次の言葉が言えなくなって。
そしたら。
「寝たのか?」
また突然の質問。
「へ??」
それはまだ岩井の話の続き?
だったら、中野、俺の話なんてぜんぜん聞いてないじゃん。
「寝てないよー。もうっ……だからぁ、最初からなんにもしないって約束だったんだってー」
ふて腐れてそう答えたら、俺の服を脱がそうとしていた中野の手が止まった。
その後、俺を放り出して、苛々した様子で煙草に火をつけた。
「……ね、……しないの?」
こそっと聞いてみたけど返事もない。
思いっきり俺に背中を向けて煙を吐いた。
「……中野って、自分勝手」
すっごく小さな声で言ったのに。
肩越しにチラッと振り返って俺を睨んだ。
いつもは全然俺の方なんて見ないのに。
こんな時ばっかりだもんなぁ……
「なー、俺もタバコ欲しい」
なんだか急に淋しくなって。
煙草の箱に手を伸ばしたら、また睨まれた。
「なんでそこで怒るわけ??」
そりゃあ、自分勝手って言ったのは悪かったって思うけど。
煙草の一本くらいくれてもいいのに。
「ケチ。いいじゃん、一本くらい」
ぶーぶー文句を言ったら、中野は煙を吐きながら返事をした。
「香芝に止められてる」
カシバニトメラレテル?
一瞬、謎の言葉に聞こえた。
「……カシバ……って何?」
ハテナマークを飛び散らせていたら、呆れたように半分だけ振り返った。
「診療所の医者だ。名前も知らないのか」
闇医者、カシバって言うんだ。
「うん。初めて知った」
だって誰も名前なんて呼ばないもんな。
小宮のオヤジや岩井は、闇医者の名前知ってるのかな?
今度聞いてみよう。
「ね、どんな字書くの?」
煙草の隣りに置いてあったボールペンを取って、中野に渡した。
それから自分の手を差し出した。
無視されるかなって思ったけど。
岩井が自分の名前を書いてくれた時と同じように、中野も闇医者の名前を書いてくれた。
「……ふうん。学校にこんな苗字のヤツいなかったなぁ」
中野の字はすごく大人っぽくて、俺や岩井のとはぜんぜん違った。
「中野ってさ、字、上手いんだね」
手のひらを何度も何度も開いて、返事をしてくれない中野の横顔と見比べた。
「字、上手いとカッコいいよなー…」
名前を書く時に触れた中野の手の温度が、まだ少し残っているような気がしたから。
気付かれないように、そっと握り締めた。

結局、その日、中野はずっと部屋でゴロゴロしてたけど。
俺を追い出しもしないかわりに、抱きもしなかった。



翌日は金曜で。もちろん平日なのに中野はまた家にいた。
不思議に思って、
「仕事ないのー?」
「お休みなのー?」
「行かなくていいのー?」
って聞き続けたら。
「休みだ」
一言だけ面倒くさそうに返事があった。
家でゴロゴロするのも楽しいけど、せっかくの休みなんだし。
「じゃあさ、どっか遊びにいく?」
「散歩とか?」
「買い物とか?」
同じように言い続けてみたけど。
それは無視された。
「つまんないのー……」
何を言っても、中野は煙を吐きながら新聞を読んでいるだけで。
それが終わったら、何かの書類。
それが終わったら、郵便物。
「……中野、もしかして俺のこと嫌い?」
こっそり聞いてみたけど。
やっぱり、それも無視された。


夜になってから中野はやっとスーツに着替えた。
そのまま玄関に行くから、俺も慌てて後を追った。
「これから仕事なの?」
「でも、休みなんだよね?」
「どこ行くの?」
「ね?」
しゃべりながら勝手についていく。
中野の行き先はデパートだった。
「何、買うの?」
買い物なんて嫌いっぽいのに。
絶対に自分のものじゃない男物の洋服とかネクタイとか。いろいろ見てた。
俺の背丈とシャツを比べたりしてるから、一瞬、買ってくれるのかな……なんて期待したけど。
そんなはず、ないよな。
「ね、それってアイツのプレゼント?」
聞いたところで、もちろん返事なんかなかったけど。
きっとそうなんだって思ったら、楽しかった気分も吹っ飛んだ。
「つまんないの……」
聞こえないように独り言をいいながら、トボトボと中野の後をついて歩いた。
その後、20分くらいフラフラしたけど。結局、中野は何も買わなかった。
時々ため息をついて、何か考えて。
俺の顔なんて一度も見なくて。
たまに時計を眺めて。
「……ね……アイツのこと、そんなに好き?」
当たり前なんだけど。
なんの返事もなかった。
アイツのことなんて何度も聞く勇気はなかったから、あとは全部飲み込んだ。

何をするでもなくその辺を歩いて、その間もこれといって会話はない。
話かければ「黙ってろ」と言われて、「つまんない」と言えば「だったら、ついてくるな」と言われて。
「……じゃあ、黙ってるよ」
中野の用事で診療所の近くのビルに行って。でも、俺は外で待たされて。
一時間くらいしてから、またすっかりシャッターの下りたデパートの裏口に戻った。
そこで10分くらい突っ立っていたら、知らない奴が来て。
チラッと俺の顔を見たけど、中野から封筒を受け取った後ですぐにいなくなった。
「もう、用事終わり? だったらさ、一緒に夕飯、」
そこまで言ったら、中野が突然しゃべった。
「ついてきてもいいが、静かにしてろよ」
そう言って俺を表通りの店に連れていった。
中野と一緒に夕飯だって思ったら嬉しくて、約束したことを忘れて何度も話し掛けそうになったけど。
途中でなんとか思い出して、静かについていった。
「……ここって……」
ドアを開けるまで気付かなかったけど。
この間、アイツに会った店だった。
なぜか心臓がズキンと音を立てた。
店員に恭しく案内されて、中野の斜め向かいに腰かけた。
ピタピタのパンツにロングスリーブTシャツの俺と、買い物に来ただけなのに怪しいスーツの中野。
ハタから見たら、変だろうなって思ったけど。
せっかく二人でいるんだから。そんなことどうでもいい。
「な、今日、俺が奢るよ」
中野に預けた金もそれほど減ってなかったし、それくらいは大丈夫なはずだから。
たまには二人で楽しく夕飯を食べようなんて思ったのに。
中野はまるっきり聞こえていないみたいに、カウンターの方を見つめていた。
それから、俺を置いて吸い寄せられるように歩き出した。
「ちょ……どこ行くの??」
中野が向かった先に座っていたのは青いワイシャツ。細身の背中。
こんな時に。

……アイツだった。

アイツは一人きりで座っていて、少しだけ酒を飲んでいた。
「ショウ」
中野の声はやっぱり優しくて。
驚いて振り返るアイツの顔はキレイだった。
アイツは驚いた顔のままで中野にペコリと頭を下げて。
それから、チラリと俺の顔を見た。
きっと誤解してるんだ。
俺と中野のこと。
今日だって勝手に中野に付いてきただけで。
関係って言っても、たまたま何回か寝ただけで。
それだって、あんな乱暴で。冷たくて。
俺を抱く時だって、きっとコイツのことを考えてるのに。
「誰か待ってるのか?」
中野はアイツの隣りに座って煙草をくわえた。
俺の方なんて、もうぜんぜん見向きもしなかった。
このまま公園に帰ろうと思ったけど。
それさえできなくて、カウンターに離れて座った。
アイツに話しかける中野の声が聞こえて。
でも、アイツは返事をしてなくて。
「明日、誕生日だろう?」
そんな言葉がチラッと聞こえた。
でも、アイツはそれにさえ返事をしてなかった。
「どうした? 何かあったのか?」
心配そうに尋ねる中野に「大丈夫です」と答えて。
その後、アイツの耳元で何か囁いた中野に、困ったような顔で「今日は予定があるから」と首を振った。
また中野が何かを話しかけて、アイツが首を振って。
そんなやりとりを繰り返した時、店が少し静かになって。
同時にテーブルの上でアイツの携帯が震えた。
「……この間の坊やか」
中野が携帯のウインドウを覗き込みながら吐き捨てた。
「この後、約束があって……」
目を伏せたまま答えるアイツを少し咎めるように。
「どういう関係なんだ? ただの同僚ってわけでもないんだろう?」
「会社の先輩。それだけだよ」
俺が聞いても分かるくらい、それは嘘っぽくて。
だから、中野も聞いたんだろうけど。
「一度くらい寝てやったのか?」
中野の声もあんまり穏やかじゃなくて。
でも、アイツも、その時少しだけ苛立った声で返事をした。
「……義則には、もう関係ないことだよ」
当然のように中野の名前を呼び捨てにして。
「そうだったな」
中野はそんなことを言ったけど。
その後で、「愛してる」と告げた。
会話の合間に何度も繰り返すその言葉を、アイツは俯いたまま聞いていた。
そっと頬に触れられて、くすぐったそうにまた俯いて。
そんな仕草の全てを中野が見つめてた。
アイツはすごく困った顔をして、何度も首を振った。
でも、アイツだってホントは中野のことが好きだから。
抱き寄せられた時、そっとキスを受けた。

……そうだよな。
十年も一緒にいた相手なんだから。
好きじゃないはずなんてないよな……


俺には絶対しない。
セックスのついでじゃないキス。
キスをしている間でさえ、中野はアイツのことを見つめていた。
そっと目を閉じてキスを受けるアイツの頬を両手で大切そうに包んで。
ずっとずっと、見つめていた。


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