Tomorrow is Another Day
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「着いたぞ、マモ。早く済ませて来いよ」
北川は中野のマンションの前で車を止めてどこかに電話をかけていた。
「大丈夫。すぐ戻るよ」
金のことなんて、中野はきっとどうでもいいんだろうけど。
これをポストに入れたら、もう中野のことは忘れようと思って。
走ってマンションの門をくぐったら。

アイツがいた。

玄関から少し離れたところで、中野の部屋を見上げていた。
窓にはカーテンも引かれてなくて、ちゃんと電気だってついてるのに。
「……なんで入っていかないんだろうなぁ……」
鍵を持ってないんだとしても、インターホンを鳴らせば済むことなのに。
中野に会いたくないんだろうか。
それとも、あの日、中野を置いて新しい恋人のところに行ったから入りにくいんだろうか。
「……きっと、そうだよな」
そう思って、そっとアイツに近づいた。
中野が待ってるから行ってやりなよ……って、言おうと思って。
行けば中野だって喜ぶと思って。
だって、あんなに好きなんだから。
こいつだってきっと中野のことが好きなんだから。
「……あのさ、」
声をかけたら、ものすごく驚いた顔で俺の顔を見たけど。
次の瞬間にはクルッと方向転換してマンションの敷地から出ていってしまった。
「あ、ね、待ってよ!!」
追いかけようとして飛び出したら、北川にクラクションを鳴らされて。
「マモ、用が済んだら車に乗れ」
ちょっとイライラしてるみたいな声だった。
「……ごめん、まだ……」
アイツの姿はもう信号を渡った向こう側。
今からじゃ追いつけない。
仕方なくマンションの集合ポストに戻って封筒を押し込んで、また車に戻った。
その間にアイツはすっかり見えなくなっていた。
「ね、今出ていったヤツさ、」
北川はいつものニヤニヤ顔で。
「ああ、中野のカワイコちゃんな。なんだ、鉢合わせしたのか?」
ずいぶんと楽しそうにそう聞いた。
「……うん。俺の顔見て帰っちゃったんだけど……中野に悪いことしちゃったな……」
きっと、待ってるのに。
アイツが帰ってくるのをずっと待ってると思うのに。
「そんなのいつものことだよ。ああやって入り口のところで何十分も突っ立ってんだ」
北川がどうってことなさそうな口調でそう答えた。
「……え? だって、電気ついてたし、中野、帰って来てると思うのに」
たとえば中野が帰ってなかったとしても、アイツなら鍵も持ってるはずだし。
勝手に入ったって怒られないと思うのに。
だって、中野のうちにはアイツの部屋があって、中野がアイツのために買ったヌイグルミもいて。
「中野も好き放題してるからな。無断で入るのはさすがにためらうんじゃないのか? 部屋に入ったら見知らぬ男とバッタリなんて嫌だろ」
アイツから見たら俺だってそういう相手なんだろうけど。
「だったら、よけいにさ……」
誤解だって言ってあげればよかった。
どうせ中野は俺のことなんて好きになってくれないんだから。
アイツと上手くいくようにちゃんと説明してあげればよかった。
今からだって、きっと中野は許してくれるって。
ホントは帰ってきて欲しくて、ずっと待ってるんだからって。
言えばアイツだって戻ったかもしれないのに。
「……悪いことしちゃったな……」
考え込んでいたら、北川に頭を小突かれた。
「まあ、他人のことなんて気にするな。マモはこれからお仕事だからな。ちゃんと言われた通りにやるんだぞ?」
なんとなくちょっと信用されてないんだってことはわかったけど。
中野のことは忘れて一人で頑張ろうって決めたんだから。
「……うん」
返事をした瞬間に車は走り出した。
俺はシートに張り付いて思いっきり後ろを向いてたけど。
信号を越えたところで中野のマンションは見えなくなった。

――――バイバイ、中野。

部屋でアイツを待ってる中野の横顔を無理やり気持ちの奥に押し込めて。
前を向いて座り直した。
「何ブツブツ言ってるんだ? それよりも注意事項おさらいしてみろよ。今度トラブル起こしたら、二度と紹介なんてしないからな」
このあとは俺の生活。
ちゃんと一人でやっていくために必要なことなんだから。
「えっと……返事は『はい』で、呼び方は『ご主人様』で、あとは口答えしなきゃいいんだよね。それから……」
北川に言われたことを復習して、これからのことだけを考えようと思ったけど。
「大丈夫か、マモ。涙目になってるぞ?」
やっぱりどこかにいろんなものが残ってて。
「……大丈夫」
少しだけ悲しかった。



一時間くらいしてから、大きなマンションの前で車を降ろされた。
「このマンションだ。ちゃんとイイ子で可愛くしてろよ?」
それには頷けなかったけど。
「言われた通りにすればいいんだよね?」
本当はちょっと心配だったけど、頑張って元気な声で答えた。
北川は「じゃあな」って言っただけ。さっさと車を出してしまった。
「あ、ね、部屋番号とか名前とか……」
なんにも教えてもらってないんだけど。
しかも顔もぜんぜん覚えてなくて。
そんなんで会えるわけないじゃん。
急に不安になって、このまま黙って公園に戻ってしまいたくなったけど。
「……ここってどこ?」
駅がどっちかも全然わからないし。
そんなに遅い時間じゃないのに人も通らないし。
帰るに帰れない。
「……どうしよう……」
適当に歩いてみようか迷っていたら、マンションの入り口に立ってる人が見えた。
「あの人に駅がどっちか聞いてみようっと」
ちょっとホッとして駆け寄ったら。
「あれ……?」
見たことある顔だった。
「ようこそ、子猫ちゃん」
そっか。コイツなんだ。
「……こんばんは」
ペコッと頭を下げたら笑われて。
「他人行儀は止めて欲しいな。彼氏ならそんな挨拶はしないだろう?」
そんなことを言われたけど。
「うーん……わかんない。彼氏なんていたことないもんな」
話してるうちにコイツのことも少しずつ思い出した。
妙にあちこち舐められた以外は変な記憶もなかったから、ちょっと安心した。
「じゃあ、部屋に案内するよ」
そいつにくっついてエレベーターで最上階まで行ったけど。
ドアの前には部屋番号なんてなかった。
「ここって、何号室?」
出かけた後、帰ってこられなかったら困ると思って聞いたけど。
「番号はないよ。このフロアは僕しか住んでないから」
ってことは。
この階全部がこいつの家?
「家族、そんなにたくさんいるの?」
すっごい人数で想像したんだけど。
「いや。僕ともう一人。向こう側は管理事務所になってるけどね」
それにしても広過ぎる。
びっくりしたままの顔でついていったら笑われて。
廊下に並んだ3つ目のドアの鍵を開けて俺を中に通した。
「ここが子猫ちゃんの部屋」
そう言われて見回したけど。
玄関があって、廊下があって、その向こうはリビングで隣りに寝室があって、キッチンもバスもトイレもベランダもあって。
でも、物はあんまり置いてなくて、ちょっとガランとした感じで。
「どの部屋?」
「全部だよ」
その返事にまたびっくりした。
「でも、でもさ、」
「何?」
「……一緒の部屋じゃないの?」
俺がイメージしてたのは、中野のところにいる時みたいな感じで。
客が住んでいる部屋に居候するんだと思ってたから。
「僕の部屋は隣り。リビングと寝室から行き来ができるよ。今は鍵がかかってるけどね」
これじゃ一人暮しとおんなじだ。
なんだか予想と違い過ぎて、とても不安になる状況だった。
「部屋の中は好きに使っていいよ。物を壊したりしなければね。インテリアは前にここにいた子の趣味だから、気に入らなければ変えてもいい。もっと可愛い部屋にしてあげようか?」
そんなことしてもらっても、どうせ2日しかいないんだから。
「ううん。これでいいけど」
ここに住んでいたヤツはどれくれいいたんだろう。
なんでいなくなったんだろう。
「……ね、前に住んでた人はどうしたの?」
けれど、その質問に返事はなくて。
「よろしくね、子猫ちゃん」
挨拶の代わりにキスされて。
なんだかモヤモヤしたまま俺も挨拶を返した。
「よろしくお願いします……えっと、ご主人さま?」
北川に教えられた通りの挨拶は本当に棒読みって感じで、ちょっとダメだったかもって自分でも思ったけど。
そいつは少し笑っただけだった。
「普通に話していいよ。この間みたいにね。それから、僕のことは名前で呼んで」
この前のことを思い出してみたけど、名前なんて聞いた記憶がなかった。
「教えてもらってないよね?」
そいつはにっこり笑って俺の耳元で下の名前だけを教えてくれた。
どんな字を書くのかまでは分からなかったけど。
中野と同じ名前だった。


「じゃあ、早速、シャワーを浴びてきてもらおうかな。服は着てこなくていいからね」
最初の時に妙にあちこち舐められたことも思い出したから、メチャクチャ気合を入れて洗ってきたら、ちょっと遅くなってしまった。
でも、そいつはゆったりとベッドに座って、俺が持って来た着替えを眺めていた。
「服は自分で買うの?」
それって、趣味が悪いってことかな。
「……うん。普段着はね。店で着る服はオーナーが買ってくれる」
それも金はちゃんと自分で払ってるけど。
「この中で自分で買った服はどれとどれ?」
店で着る服は北川の事務所に置いてある。
だから、今日ここに着て来た服以外は全部自分のだった。
「自分で買ったんじゃないのは、これだけ」
着て来た服を差し出したら、いきなり捨てられた。
「えー? なんで??」
今日、持ってる服の中で一番まともで一番新しいのに。
「何でだと思う?」
そんなこと聞かれても。
「わかんないよ」
そいつはまたクスッと笑って。
「君はそういう所が可愛いんだろうね」
そんなことを言った。

そのままベッドに寝かされて。
体に巻いていたバスタオルを取られて。
濡れた髪を梳いて、長い長いキスをして。
「……ね、」
「何?」
「俺、キス、上手くなったかな?」
北川に散々練習させられたんだから、ちょっとはマシになったかなって思ったんだけど。
「そうだね」
そいつはただ笑って曖昧な返事をしただけだった。
俺はちょっとガッカリしたんだけど。
「キスはね、上手くない方が可愛いんだよ」
そんな言葉と一緒にもっと深いキスが降ってきて。
よけいなことを考えている時間はもらえなかった。

それから、長い時間。
北川が教えなかったようなことまでさせられて。
「あ、んんっ……やっ……っっ」
抱かれている間も、何度も言われた。
「名前を呼んで」って。
だから。
「……ん……ヨシノリ、」
言われた通りにしたけれど。
そのたびに複雑な気分になった。
目の前にいるのは中野とはぜんぜん似てないヤツで。
しかも、中野のことは一度もそんな風に呼んだことがなくて。
だから、どうってことないはずなのに。
『義則』
中野を呼ぶアイツの声を思い出してしまって。
『義則には、もう関係ないことだよ』
そんな言葉がぐるぐる巡っていった。
言ったアイツも聞いていた中野も、すごく苦しそうだったから。
そんなことを思い出すとなかなかイケなくて。
一度目に達ったのも、ずいぶん経ってからだった。
「どうしたの? あんまり良くなかった?」
こいつは優しくしてくれるけど。
でも、それだけだ。
「ううん、なんでもない。最近、寝不足だから、ちょっと体調が悪いんだ」
これは仕事だから。
やるべきことだけしっかりやって、約束の時間が終わるのを待てばいい。
「じゃあ、今日はこのまま寝かせてあげるよ。続きは明日ね?」
優しく触れるだけのキスのあと、目を閉じた。
「……ありがと。おやすみなさい」
おやすみ、という声が遠くなっても。
浅い眠りの中でいろんなことが巡っていった。


朝になって、昼になって、夜になって。
もう一度朝になって、また昼になって……
この時間が早く過ぎればいい。
終わったら公園に戻って、今までと同じように中野に「おはよう」を言って。
夜は北川の店でバイトして。昼は闇医者のところで掃除を手伝って。
それから。
今度、中野のマンションの前でアイツを見かけたら、ちゃんと説明してあげよう。
俺は中野とはなんでもなくて。
中野が連れてくる他のヤツだってそれは同じで。
中野はきっと今でも待ってるから。
すぐに戻ってあげてって、言ってみよう。
俺じゃダメだから。
ずっと中野のそばにいてあげて、って。

言ったら、戻ってくれるかな……―――



「おはよう、子猫ちゃん。よく眠れた?」
約束は二日間。
昨日は数えないとしても、今日と明日。
その間だけ頑張れば、また公園に戻れるんだから。
「うん」
そう思って、頑張ったけど。

明日になって、あさってになって。その次の日になっても。
帰っていいとは言ってもらえなかった。



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