Tomorrow is Another Day
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ここに来て、たぶん、もう一週間くらい。
だんだんどれくらい時間が経ったのかもわからなくなってきた。
時計もカレンダーもない部屋。
テレビをつければいいんだけど、現実感はぜんぜんなかった。
毎日、必ず「部屋からは出ないようにね」と言われて、頷いて。
仕事に行くそいつを見送った。
「帰りに新しい服を買ってきてあげるから、楽しみにしていてね」
出ていく時にいつもそんなことを言って。
頼んでもいないのに、だんだん俺のものが増えていく。
仕事で来ただけ。すぐに帰るはずなのに。
俺のサイズに合わせて買った服なんて、その後はどうするんだろう。
それよりも、いつまでここにいればいいんだろう。
疑問を投げかけても答えは返らないまま。
どんどん気持ちが塞がっていった。


仕事から戻るとずっと俺の部屋にいて、話し相手もしてくれたし、一緒にゲームもしてくれたけど。
「なんで部屋から出ちゃいけないの?」
「前にここに住んでいたヤツはどうしたの?」
少しでもすっきりしたくて、投げかけた質問のほとんどは笑顔で流されてしまう。
答えてもらえそうな質問はなんだろうって考えながら、次の言葉を探す。
「ね、ここってさ、ヨシノリともう一人住んでるんだよね?」
最初の日に二人で住んでいることを聞いただけで、会ったことはない。
「お母さん? お父さん? それとも兄弟なの?」
家族でも恋人でも、なんでもよかったけれど。
「違うよ」
「じゃあ、奥さん? じゃなかったら、子供?」
それにも首を振った。
「なら、親戚? 友達? 会社の人?」
思いつく限りのことを並べたけれど、全部違うと言われた。
「どうしても気になるのかな?」
「うん」
正直に頷いた。
「だったら紹介してあげるよ。ここで待ってて」
バタンとドアが閉まって、その瞬間から一人になる。
誰とも接点を持てない場所が寒々しく感じた。
闇医者や小宮のオヤジや岩井や岩井の友達、診療所のじーちゃんや患者モドキ。
誰でもいいから会いたくて仕方なかった。
「いつまでここにいればいいんだろうなぁ……」
ため息をついて、ぼんやりと窓の外を眺める。
中野がしてたみたいに、ずっとずっと遠くを見つめる。
俺が座ってる場所からは白っぽい空しか見えなかったけれど。
診療所の屋上で見たビルの間の狭い空を思い出した。
すごく懐かしくて。
なんだか泣きたくなって。
「……でも、仕事だから。もう少しだけ頑張らなきゃ」
一生懸命自分を納得させて、ぐっと堪えた。


何分経ったのか分からなかったけど、ドアが開く音がして。
でも、そいつ一人だけだった。
「留守だったの?」
普通に聞いたら、少し苦い笑みを見せた。
「自分の部屋にいるけどね……ちょっと甘やかし過ぎたかな」
その言葉とため息を聞いて、なんとなく分かった。
二人で暮らしてる相手は家族なんかじゃなくて、俺と同じようなヤツがもう一人いるだけなんだって。
けど。
だったら、よけいに会いたいと思った。
「じゃあ、俺が会いにいくよ。ね?」
こいつのこととか、他にもいろいろ。
知ってることをこっそり教えてもらおうと思ったのに。
「あの子がね、君には会いたくないって駄々をこねたんだよ」
苦笑いしながら俺のおでこにキスをした。
「それって……ヨシノリがずっとここにいるからじゃないの?」
きっとヤキモチなんだ。
だって今まで二人で暮らしてたなら、俺が来たことなんて絶対に面白くないだろう。
なのに、そいつの気持ちも考えないで、休みの日はずっとここにいて。
平日だって仕事から帰って来たあとはずっと一緒にいるんだから。
「一人で部屋にいたら、淋しいじゃん」
半分抗議の気持ちでそう言ったら、笑いながら俺を抱き寄せた。
「二人いたら、どっちかが一番になってしまうのは仕方ないことだよ」
それって。
「……俺が一番って意味なの?」
みんな大切な人がいて、でも俺を抱いて。
そういうものだと思ってた。
誰かの一番になりたいって思ったことだって何度もあったけど。
「もちろん、そうだよ」
誰にも言われたことのないセリフ。
嬉しいはずなのに。
「でもさ、」
それに、こいつはすごく優しくて、欲しい物はなんでも買ってくれるって言って。
何も不満なんてないはずなのに。
「大好きだよ、僕の子猫ちゃん」
こんな言葉もその後の優しいキスも、やっぱり嬉しくはなかった。
たとえばこの先、こいつが俺をずっと大事にしてくれるとしても。
ずっと一番だったとしても。
「……ね、俺、いつになったら帰っていいの?」
中野が通り過ぎるだけの公園に帰りたいと思った。
でも。
「そろそろ朝ご飯の準備をしないとね」
にっこり笑ってはぐらかされて、それで終わり。
呆然としている俺を残して、自分の住んでいる部屋に戻ってしまった。


20分後、また俺の部屋に来て。
朝食のテーブルでも俺のすぐ隣りに座って。
「おいしい?」
俺が食べている間もずっとこっちを見てた。
「……うん、でもさ、」
ときどきキスされて。
触れられて。
そのまま抱かれて。
気がついたら昼になって。
すっかり冷めてしまった食事をまた温めて。
こうやって何日も過ぎていった。
「食事はちゃんと食べないとね。体を壊されたら困るし」
おんなじようなセリフなのに、闇医者に言われた時とはぜんぜん違って聞こえた。
「……うん」
それでもスプーンを口に運びながら返事をした。
「夕飯も好きな物を用意してあげるからね?」
「うん……ありがと」
もう何日もずっと一緒にいる相手なのに。
家族とも友達とも恋人とも思えなかった。
北川が俺にとって「バイト先のオーナー」なのとおんなじように。
こいつはいつまで経っても俺にとっては客でしかなくて。
「欲しいものがあったら遠慮なく言っていいよ」
俺の部屋という空間。
風呂とトイレとベランダとキッチンとリビングと寝室があって。
広くて、テレビもあって、おやつもあって。
欲しい物だって一言口にするだけで簡単に手に入る生活。
でも。
こいつ以外の誰かと話すこともなく、ただ時間だけ過ぎていく。
いつまで続くのかを確かめることさえできないまま。
「……でも、家にいるの、飽きちゃった。たまには外に行きたいなぁ……」
試すように、少しだけワガママを言ってみたけど。
そいつは穏やかに微笑んでから、リビングにあるドアを開けて自分の部屋に俺を連れていった。
それから、マンションの最上階とは思えない広い庭に案内した。
「ほら、気持ちいいだろう?」
びっくりするような広いテラスはガラス張りで。テーブルもベンチも、花や木もたくさん置いてあって、ジャグジーまであって。
俺がいつもいる公園よりもずっとキレイだったけど。
「そうじゃなくって、外を散歩したいんだけどな……」
ちゃんと地面に足をつけて、誰かと擦れ違いながら。
散歩してる犬を撫でたり、知らない人と話したり。
なのに。
「外はダメだよ」
返ってきたのはその一言だけ。
その声も少し冷たく感じた。
「……なんで?」
問いかけても返事はなくて。ただ唇を塞がれて。
そのまま、また抱かれた。


目が覚めた時、そいつはぐっすり眠ってた。
そっとベッドを抜け出して、部屋を隅々まで歩き回ってみたけど。
ここには電話さえなくて、状況を北川に確認することさえできなかった。
「でも、電話があっても事務所の番号はわからないんだよなぁ……あ、店の電話番号なら思い出せるかも」
夜になってからかければ誰かが出てくれるはず。
店には事務所の電話番号も北川の携帯の番号も控えてあるから、教えてもらえばいい。
「やっぱ、電話探さなきゃ」
隣りの部屋に続いてるドアもいつもは閉まっていて、どこからも外には出られなかった。
「電話したいんだって言ったら、貸してくれるなかぁ……」
でも、それはきっと無理だと思ったから、こっそりそいつの携帯を探してみることにした。
「……あった」
脱いだ服の下からはみ出してたストラップを見つけて喜んだ瞬間、背中に声が響いた。
「何してるの?」
心臓が飛び出るくらい驚いて、掴んでいた携帯をカーペットの上に落としてしまった。
それを目で追って、俺の体を引き寄せた。
顔を見る限り、怒ってるって感じではなかったけど。
何を考えてるかはわからなかった。
でも、正直に話した。
「電話しようと思って……だって、オーナーに二日間って言われてここに来たのに……もうずいぶん経ってるし……」
それでも、返事はやっぱり一言だけ。
「駄目だよ」
即答だった。
「ね、ちょっとだけでいいから、オーナーに聞きたいことがあるんだ……それに、」
闇医者が心配してるかもしれないし。
中野が元気になったかだって気になるし。
そう思って一生懸命頼んでみたけど。
「ここでイイ子にしてるって北川さんと約束してきたんだよね?」
その目はぜんぜん笑ってなくて。
だから、やっと分かった。
……俺、きっとコイツに売られたんだって。
気付いた瞬間に目の前が暗くなった。
「……そうだけど……」
そいつはそれを聞くと急にニッコリ笑って、俺にいつものキスをした。
優しく髪を撫でながら、そっと唇を合わせて。
「ずっと大事にしてあげるよ」
そんな言葉も決して嫌な感じはしなくて。
どっちかって言うと、やっぱり優しいって思うんだけど。
「……でもさ、」
言いかけたけれど、また唇を塞がれて。
もう、どうしたらいいのか分からなかった。


翌日、そいつが仕事に出かけた後、急いで自分の服に着替えた。
もうこれ以上、ここにはいられないと思って。
北川に怒られても、2度と店に出られなくてもいいから、公園に戻ろう。
そう思って。荷物をまとめて靴を履いた。
「ごめんね。でも、ヨシノリにはもう一人恋人がいるんだからいいよね」
はやる気持ちを抑えて深呼吸をしてから、ドアに手をかけた。
けど。
「……うそ……開かない……」
押しても引いても。
ガチャガチャという音がするだけ。
「鍵……外からかかってるんだ……?」
普通のマンションに見えるのに。
中からは開けられないドア。
部屋には裏口なんてないから、出口は玄関だけなのに。
「あとは……あいつが住んでいる部屋に続いてるドアだ……」
寝室に行ってドアノブを回した。
でも、びくともしない。
しっかりとした鍵の手応えがあって、絶望感に襲われた。
リビングのドアもそれは同じで。
「……ぜんぜん、ダメじゃん……」
一気に体から力が抜けた。
完全に閉じ込められてることに今ごろ気付いても遅いけど。
まさか、廊下にさえ出られないなんて思ってもみなかった。
ベランダに出てみたけど、下を見ただけでめまいがしそうな高さ。
何かに掴まって下に降りることなんてできそうになかった。
紙もペンもない部屋。
パニックになりかけたけど。
とにかく落ち着こうと思って、いいことだけを考えた。
「外に出られないだけで、イジメられてるわけじゃないし……」
大事にしてくれるし。
優しいし。
「すぐにどうこうってことはないよな?」
でも、考えれば考えるほど、なんでこんなことをされるのか分からなかった。


そいつが帰ってきてから、いくつも質問をした。
「なんで鍵なんかかけるの? どうして電話させてくれないの? 俺、いつまでいればいいの?」
必死で聞いたのに、全部さらっと流された。
「待っててね。すぐに食事にするから。……愛してるよ、僕の子猫ちゃん」
それで終わり。
まるっきり言葉が通じないみたいだった。

そうやってズルズルと時間だけが過ぎていく。
「どうしたの、元気がないね。ご飯、口に合わないかな?」
今日もそいつはずっと俺のそばにいた。
でも、目を合わせる気にもなれなくて、ただぼんやりと食事を口に運んだ。
味なんて、わからなかったけど。
「……ううん、おいしいよ」
ここにもすっかり慣れて、もう目をつむっていても部屋の中を歩ける。
表面的にはそれまでと何も変わらない毎日。
朝も、夜も。日付も曜日も。
何もかも関係のない生活がただ過ぎていくだけで。
何もしてないのに、変に疲れて。
なのに、眠れなくて。
どんなに優しくされても大事にされても、気持ちは変わらなくて。
「子猫ちゃん?」
家なんてなくても。
中野に『おはよう』って言って、夜は『おかえり』って言って。
少しでも振り向いてくれたらラッキーって思って。
そんな毎日でよかったのに。
「……すぐに帰れるって……思ってた……」
一日ずっと口を利いてもらえなくても。
アイツの名前で呼ばれても。

もう一度、中野に会いたいのに。



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