Tomorrow is Another Day
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「気がついた?」
夢の中で。
こんなの夢かもしれないって思ったけど。
目を開けても、やっぱりそいつのマンションにいた。
「……ごめんなさい」
食事中に気を失ったことさえ、言われるまで思い出せなかった。
全てがどうでもよくて。
でも、辛うじてまた『これは仕事なんだから』って自分に言い聞かせた。
「具合が悪かったら、早めに言わないと駄目だよ?」
仕事なんだから、ちゃんとやれたら帰れるんだって。
そう思いたかった。
「……ごめんなさい」
そいつの顔を見上げて何度も謝った。
「いいよ。けど、もう心配はさせないでね」
心配そうな顔も表面だけで、本当は全部嘘かもしれないけど。
「……うん」
熱を測るために差し出された手は、やっぱり優しく思えた。
なのに、なんで俺を閉じ込めるんだろう。
俺が帰りたいって思ってるから?
だから、閉じ込めておかなければいなくなると思うんだろうか。
「ずっと一緒にいるからね。安心しておやすみ」

中野ならよかったのに。

ずっと一緒にいるって言ってくれるのが中野だったら。
「……うん……」
その返事を聞いた後で、そいつは少し微笑んで同じベッドに入った。
抱き締めて、キスをして。
「ゆっくり眠るといいよ」
そう言ったのに。
その後、何度も俺を抱いた。


気がついた時もまだ夜中で。
眠っていたのはほんの少しの間だってわかった。
ピリピリと体の奥が痛んで、ほんの少しのことで壊れそうな気がした。
「……もう、やだ……」
わからないことばっかりで。
何を考えても混乱する。
「どうしたの? まだ具合が悪い? 熱があるのかな」
眠っていなかったのか、それとも俺の声で起きたのかはわからなかったけど。
俺の額にそっと乗せられた手を無意識で振り払った。
「熱なんてないよ」
好きな人なら閉じ込めたりしない。
好きな人なら抱いた時に金なんて渡さない。
好きな人なら殴ったりしない。

こいつも、岩井も、中野も。
みんな、間違ってる。

「子猫ちゃん?」
本当に好きな相手なら、そんな呼び方しない。
中野がアイツを呼ぶ時は、びっくりするくらい優しい声で。
アイツが困るくらいまっすぐ見つめて。
好きで好きで仕方ないって。
誰が見ても分かるんだから。
「……俺、ネコじゃないよ」
「どうしたの?」
こいつだっていつもは俺の話なんて聞いてないくせに。
「もう、やだ」
俺の気持ちなんてどうでもいいくせに。
「落ち着いて、ちゃんと話してごらん?」
優しい声に聞こえるけど、本当は怒ってるってわかった。
「怒ってるならそう言えばいいだろ? こんなところに閉じ込めて、俺が聞きたいことには何にも答えてくれなくて……!」
叫んでベッドを出て、ベランダに向かって走った。
ダルくて思うように体が動かなくて。
やっと大きなガラスの前に辿りついた時に背中から抱き締められた。
「大丈夫だから、ちゃんと話してごらん。怒ってないから。ね?」
ギュッと腕に力がこもって、そのままソファまで引き摺られて。
身動きなんて取れなかった。
でも、抱き締められた裸の胸から心臓の音が伝わってきて。
だから、少しだけ落ち着いた。
知らない街。
約束はたった二日。
客は優しい人。
そう思ったのに。
なんでこんなことになったんだろう。
「……ごめんなさい……」
何度謝っても何も変わらない。
そんなこと分かっているけど。
「本当に大丈夫なの?」
心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
これが中野だったらいいのにって、また思って。
「……うん」
でも、中野がこんなに優しかったら、きっとそいつはニセモノだよなって。
思うのさえ悲しかった。
「……もう、寝てもいい?」
何も考えずにいられたらいいのに。
中野のことなんて思い出さなければ、ここでも楽しく過ごせたかもしれないのに。
「そうだね。休んだ方がいいよ」
肩を抱かれて寝室に戻った。
「おやすみなさい、ヨシノリ」
中野と同じ名前。
だけど、やっぱり違うから。

どんなに素っ気なくても。
何もしゃべらなくても。
返事なんかしてくれなくても。
食事もテレビもゲームも何もいらないから。
中野に会わせて。

言えない言葉を飲み込んで、毛布に包まった。



その翌日。俺はそいつが普段生活してる部屋に移された。
「すぐに子猫ちゃんの部屋に戻してあげるから」
ここからなら抜け出せるかもって思ったけど。
「今日だけ我慢して」
そう言って、そいつは俺に赤い首輪をつけた。
もちろんロープがついていて、部屋の中に繋がれて。
ネコだったら繋がれたりしないのにって思って、また憂鬱になった。
「……こんなことしなくても逃げないよ」
そう言ってみたけど。
「今日だけだよ。夕方には自分の部屋の帰してあげるからね?」
やっぱり、そんな返事しかもらえなかった。


夕方、俺は首輪を外されて自分の部屋に戻された。
今度は窓もベランダも勝手には開けられないようになっていた。
「外の空気も吸えないの?」
こんなのって、ひどいよな。
俺、なんにもしてないのに。
「落ちたら危ないからね?」
昨日、俺が取り乱したから。飛び降りるとでも思ったんだろうか。
「落ちたりしないよ。だから、これ……」
なんて答えても俺の返事なんて無視で。
「どうしてもっていう時は言ってくれれば開けてあげるよ。ただし、僕が一緒にいられる時か、首輪をつけてる時だけね」
おかしいヤツなんて世の中にはたくさんいるけど。
ここまで何を話してもダメだと、もうどうにもならなくて。
一人でこっそりため息をついた。
「ね、俺の前に住んでたヤツは逃げ出したりしなかったの?」
それとも、そいつが逃げ出したから外に鍵をつけたんだろうか。
そんなことを思ったけど。
「帰りたいって言ったのは子猫ちゃんが初めてだよ。前の子は君が来る前の日に他の人に貰われていったんだ。……嫌がっていたけれどね」
そんなの、笑顔で言うセリフじゃない。
「……だったら、置いておいてあげれば良かったのに」
こいつしかいない世界で。誰とも話さないで。
毎日毎日。繰り返すだけの生活でもいいって言うヤツなんて、俺には信じられないけど。
「そんな顔しないで。ここにいれば、何もしなくてもおいしい物が食べられるよ。ゲームやテレビや他にも好きなことだけして、後はたまに僕の相手をするだけなんだから。子猫ちゃんもすぐに慣れるよ」
そいつは俺の気持ちを見透かしたようにそんな言葉を並べて、またキスをして。
「子猫ちゃんが僕のことを好きになってくれるなら、散歩にもドライブにも旅行にも連れていってあげるよ。もちろん首輪なんてつけないし、外も自由に歩けるよ」
優しい声。甘い言葉。
「……別にヨシノリが嫌いなわけじゃないよ」
でも。
自分の都合の悪いことだけ聞き流す。
そんなヤツを好きにはなれないから。
「ずっと一緒にいてくれるって約束してくれるなら、うちの子にしてあげてもいいよ?」
いつも条件付きで。
金とか物とか。
そんなもので気持ちまで買えるって本当に思ってるんだろうか。
「……ううん。いらない」
屋根のある家と、一緒にいてくれる人。
ここにくるまで、ずっと欲しいと思ってたけど。
もう、そんなもの欲しくなくなってた。
「どうしても嫌?」
嫌って言ったらどうなるんだろう。
前にいたヤツみたいに他に行かされるんだろうか。
「あのさ、」
でも、そしたら外に出られるんだよな。
どんなヤツに売られるのか知らないけど。
「……俺、他に好きな人がいるんだ」
怒るかもしれないって思ったけど、正直に答えた。
少しでもこの状況が変わればいいと思って。
それに。
「だから、他の人は好きになれないよ」
離れたら簡単に忘れられると思ってたのに。
時間が経てば経つほど、どんどん会いたくなって、もうガマンなんてできそうになかったから。
食事をしてても、こいつに抱かれてても、ずっと中野のことばっかり考えてて。
隠していたって、きっとすぐにバレると思ったから。
「……そう」
そいつは少し苦い笑いを浮かべてから深いキスをした。
俺の手首を掴んで。
身動きできないようにしてから、深く舌を差し入れた。
「……んん、や……俺の話……聞いて」
中野のことを好きと言ったばっかりなのに、キスなんてされたくなくて。
顔を背けようとしたけれど、もっと強く舌を吸われて。
「……ん……っ、っ」
やっと分かった。
「大人しくして。手荒なことはしたくないから」
優しいのも、好きだって言ったのも。全部うそなんだって。
「……ヨシノリ、ちゃんとコイビトがいるんだから、そいつのこと大事にしてやればいいんだ。俺じゃなくて、そいつのこと……」
金で買われたんだから、少しくらい乱暴に扱われても仕方ないと思ってガマンしてきた。
けど。
「君が一番なんだって言ったでしょう?」
こいつのことなんて全然好きじゃないのに。
嘘をついてまで、一緒になんていられない。
「愛してるよ。ずっと大事にするって約束するから」
俺が欲しいのはそんな約束じゃない。
ううん。

―――……コイツから、欲しい物なんてなにもない。

「帰らせて。俺、もうここにいるのやだっ……」
北川に怒られてもいいから。
公園に帰らせて。
「暴れないで。いい子にして」
この先ずっと中野に好きになってもらえなくてもいいから。
『おはよう』って言える場所に帰して。
「……い…やだっ……」
どんなに叫んでも、無理やり押さえつけられて。
体を開かれて。
「嫌だ。離してっ!!」
コイツに抱かれるのをこんなに嫌だと思ったことなんてなかったけれど。
思いっきり抵抗したのに簡単に腕を取られて、頭の上に押さえつけられて。
サイドテーブルの引き出しからロープを取り出して俺の目の前にちらつかせた。
「まだ抵抗するなら、明日からはベッドに縛り付けたままで生活してもらうよ?」
こんなことも涼しい顔で言って。
「いい子にできるよね?」
笑顔でそう言われた。
「……う……ん」
他にどうしようもなくて。
「でも、今日はいい子にしてなかったからね」
手だけ縛られて。
泣きながら抱かれた。

終わってからも泣き止まない俺に何度もキスをして。
「本当に困った子だね」
最初に会った時と同じ、優しそうに見える笑顔でため息をついた。
でも、眠っている間も腕は解いてもらえなかった。



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