Tomorrow is Another Day
- 30 -




眠っても、目覚めても。
日付もわからない。
自分が何をしてるのかも。
いつから目を開いていたんだろうとぼんやり思いながら。
全部がどうでもよくなった頃、そいつはため息と一緒に俺に言った。
「ちゃんと僕の言うことを聞いてくれないかな」
ベッドの上。手だけ縛られたまま。
「……聞いてるよ」
もう、ずっと抱かれてるのに体が反応しなくなってた。
「少し休もうか」
俺の返事なんて聞かずに、ガウンを羽織って寝室を出ていった。
何も考えられない真っ白な頭の中に、中野の横顔だけが切れ切れに映ってた。

「子猫ちゃん、お酒と薬、どっちがいい?」
そう言いながら戻って来たそいつの手に茶色い酒と白い錠剤。
「……なんの薬?」
「北川さんからもらったことない?」
「ううん」
だって北川は医者じゃないから。薬なんてくれるわけない。
「子猫ちゃんの好きな方を選んで」
優しい口調。
でも、有無を言わさない。
必ずそのどっちかを選ばないといけなくて、両方を断わることはできないんだ。
「……薬、嫌いだから」
闇医者がくれたなら、薬だって飲むけど。
ここは診療所じゃない。
顔を近づけただけでむせ返りそうになるほど強い酒を口移しで飲まされて、それから水をもらった。
「……おいしくないよ」
ベッドに腰掛けたまま俺を見てる目は笑ってもなくて、怒ってもなくて。
でも、少し怖かった。
「子猫ちゃんがよく眠れるようにね」
ガウンを脱いでもう一度ベッドに入って。
熱い体が触れた。
酒なんか飲まされても、何度抱かれても。死ぬほど体が痛くても。
眠れなくて。
……離して……もう、触らないでよ……
言えないまま。
目を閉じたら、中野の顔だけが浮かんできた。
本当に帰れないんだろうか。
このままずっと、ここに閉じ込められて、手を縛られて。
「もう、やだ……」
部屋の中だけが自分の場所になって。
外の世界はテレビでしか見られなくて。
「大人しくいう事を聞いて。ずっとここで一緒に暮らすんだからね?」
優しいはずの声も乾いて聞こえた。
「嫌だ……帰して……」
頼んでも通り過ぎていくだけ。
何も残らない。
「子猫ちゃんがいなくなっても誰も心配なんてしないよ。北川さんに言われなかった? 身元不明の死体にするのなんて簡単だって」
そんな言葉にゾクッと背筋が寒くなった。
「でも、きっと……探してる……」
闇医者なら、きっと心配してくれてる。
「お母さんもお父さんも面倒を見てくれる親戚もいないんでしょう? ちゃんと調べてもらったんだよ」
やっぱり、二日だけなんて最初から嘘で。
こいつは俺がいなくなっても誰も警察に届けたりしないって、そんなことまで知っててここに閉じ込めようとしてるんだって。
「……弟にしてもらったんだ……死んじゃったホントの弟の代わりに……」
でも、気付くの、遅過ぎるよな……
「診療所の先生には、子猫ちゃんの親戚が引き取りに来たって言ってあると思うけどな?」
そんなことまで手を回して。
そしたら、いくら闇医者だって探したりしないよな。
「後は子猫ちゃんの前のご主人様かな。でも、北川さんが説得してくれたはずだから、彼も探しには来ないよ」
それで、全部。
もう、誰もいない。
岩井だって小宮のオヤジだって、俺の事なんてたまに診療所に来るヤツとしか思ってない。
黙り込んだ俺を見て、そいつは少しだけ笑った。
「子猫ちゃんを北川さんのところに連れていったのだって、ご主人様なんでしょう?」
バイトをしないかって言って俺を北川に会わせたのは確かに中野で。
それだって、中野は俺を北川のところに置いてさっさと帰ってしまったんだ。
「その時点で売られたとは思わなかったの?」
でも、俺はちゃんとバイト代だってもらったし。
中野はそれを取り上げたりはしなかった。
「売られたわけじゃ……」
不安になった時もあったけど、中野は俺のことだってたまには心配してくれてたから。
けど。
「ご主人様には可愛い恋人がいるんだってね?」
それを聞いた瞬間、体から全部の力が抜けた。
今だって、中野はきっとアイツのことを考えてて。
俺のことなんて思い出したりはしないだろう。
でも、どうしても帰りたかったから。
「……探してるよ…絶対、探してる。いつも助けにきてくれるんだから。俺が困ってたら、絶対、来てくれるんだから……」
そんなの、嘘だけど。
そうだったらいいなって、思って。
「もう半月も経つのに? 探してたらとっくに北川さんから連絡が来てるんじゃないかな?」
そうだけど。
そんなこと分かってるけど。
「……でも、探してる……絶対、探してるから」
アイツのことでいっぱいで、俺のことなんてもう忘れてると思うけど。
どうせここから出られないなら。
いつか来てくれる……って、そう思っていようって。
中野のことをしっかり忘れてしまうまで、ずっと。
そしたらガマンできそうな気がしたから。
「そう? じゃあ、北川さんに聞いてみようか?」
聞かなくても返事なんて分かってたけど。
「いいよ。聞いてみればいいじゃん。絶対、探してるんだから」
それが嘘だってことくらい、こいつだってわかってる。
だから笑ってるんだろう。
携帯を取り出して、ボタンを押して。
でも、すぐに首を傾げた。
「……繋がらないね」
そいつは笑ったまま携帯を俺の耳に当てて、また少し笑って。
携帯からはすごく機械的なメッセージが流れてた。
「じゃあ、次は子猫ちゃんのご主人様にかけてみる?」
そう言われたけど。
俺は首を振った。
だって、中野の電話番号なんて知らなかったから。
ピザを頼んだ時に覚えておけば良かったって。
いまさら思っても遅いけど。
「もしかして番号を知らないのかな? 大事にされてたら、それくらい教えてもらえるんじゃないの?」
意地悪な質問と呆れたような笑い。
「違うよ。聞いたけど忘れただけなんだから。別に俺が大事にされてないわけじゃ……」
でも。
言ってる途中で涙がこぼれた。
悔しくて。
悲しくて。
大事にされてないことくらい、自分でもわかってるから。
たとえば俺が中野の電話番号を知ってて、電話できたとしても。
ホントは助けに来てくれないことだってわかってるから。
「北川さんから折り返し電話をもらうことにしたからね」
そう言って電話を置いて、またベッドに戻った。
テレビからニュースと天気予報。
それを見て、今日が俺の16の誕生日だってことを知った。
去年は学校の帰りに友達と寄り道をして、みんなに奢ってもらった。
母さんもまだ生きていて、半日だけ仕事を休んで一緒にケーキを食べてくれた。
それだけであんなに楽しかったのに。
「子猫ちゃん、どうしたの?」
けど。
もう、関係ない。
「手が痛いの? でも、これは君がいい子にしてなかった罰だからね。今日は解いてあげないよ?」
こいつが決めたことがここでは一番。
俺が何を言っても変わらない。
何を考えていても、どう思っても。
何時でも何日でも。
15歳でも16歳でも。
なんにも変わらない。


ぼんやりしたまま時間だけが過ぎて。
気がついたら大きな手が髪を撫でていた。
外はもう明るくなってて。
あっという間に次の日なんだなって、ぼんやりと思った。
「大人しくなったね。もう、いい子にしてられる?」
抵抗する気力なんて残ってなかった。
返事をする元気さえなくて、されるままになっていた。
体が痺れて、体が痛くて。
息苦しく感じ始めた時、携帯が鳴った。
最初は無視していたけど、あまりにもしつこく鳴って。
我慢できなくなったのか5回目くらいにやっと電話を取った。
そいつは親しげに挨拶をした後、俺の方をチラチラ見たけど。
すぐに寝室を出ていった。
長い間戻って来なくて、また時間が過ぎて。
「北川さんからだよ」
戻って来た時は暗い表情を浮かべてた。
「待って。手、外してあげるから」
あれほど解かないと言ってたのに。
あっさりと腕を縛っていたロープを外した。
痺れて感覚の戻らない手で携帯を受け取って、そっと耳に当てた。
「……もしもし」
電話から聞こえた北川の声は不機嫌そうだった。
『今日の12時で終わりだ。明日、事務所に顔を出せよ』
北川の言葉は最初俺の頭を素通りしたけど。
「……それって……帰っていいってこと……?」
ようやく理解しても、半分は信じられなかった。
『ああ、そうだ』
仕事が終わったから、帰って来いって……?
でも、間違いなくそういう意味だ。
「……ホントに帰っていいの?」
念のためにもう一度小声で確認したら、『少しはサービスしてから戻って来いよ』と言われた。
「うん」と短く頷いて。
電話を切ってから、そいつに返した。
「残念だよ」
そいつは重いため息と一緒に携帯をテーブルに置いて、俺を抱き寄せた。
その後、しばらく動かなかった。
目を閉じてたまま、何度もため息をつくのを見てたら、ちょっとだけ可哀想になった。
「……ね、あのさ、オーナーにちゃんとサービスして来いって言われたんだけど。何して欲しい?」
聞いてみたけど、返事はなくて。
「俺、あんまり得意なこととかないんだけど、でも、掃除とかなら……」
膝に乗せられて抱き締められたままでそう言ったら、そいつは困ったような顔で少し笑った。
「まったく、君は……」
12時まであと2時間。
最後にもう一回だけと言われて、そいつに抱かれた。
首や胸や他のところにキスマークをつけられて「うっ」って感じだったけど。
「僕にはしてくれないの?」
穏やかな口調でそう言われて。
でも、断わった。
「だってさ……それ見たら嫌だなって思うよ、きっと」
もう一人いるはずのこいつの恋人。
そいつがヤキモチを焼くほどこいつのことを好きなら、きっとそんなの嫌だろうから。
「だから、ダメだよ」
そう言ったら不意にふっと笑って。
でも、何も言わずにまた俺をギュッと抱き締めた。
「……じゃあ、仕方ないね」
手を引かれてバスルームに行って。一緒にシャワーを浴びて、着替えて。
サイドテーブルに置かれた腕時計が12時になった時、「帰る」と告げた。
「駅まで車で送っていくよ」
そう言ってくれたけど。
「ううん。天気がいいから一人で歩いて帰るよ。散歩したかったんだ」
断わって駅までの道を聞いた。
「最初が右。次の信号は真っ直ぐ。そのあとは左。それから……」
メモも取って準備万端。
「じゃあね」
玄関でキスをして、手を振った。
これで終わりって思った時、そいつに引き止められた。
「え? なに?」
見上げたら少しだけ笑って。
「頑張ったからね」
俺のパンツのポケットに金を入れた。
「いいよ。今日はもらっちゃいけないって……」
ダメとは言われてなかったけど。
でも、きっと受け取っちゃいけないよな。
「いいから、持っていって」
「でもさ、」
そういうわけにはいかないよな?
「北川さんには僕から話しておくから大丈夫だよ」
「でも、」
金なんて……って思ったけど。
そいつは笑いながら、また北川に電話した。
『バカだな、マモは。黙って貰ってこい』
電話に出た北川は、今度は不機嫌な声じゃなくて、ただいつもみたいに笑ってた。
「……うん」
まだどこかで気が咎めたけど、金を受け取った。
「ありがと」
礼を言って、最後にもう一度だけキスをした。
『子猫ちゃん』と呼ばれて、もう一度抱き締められて。
「じゃあね」
手を振ってからドアを閉めた。


早く外に出たかったから、エレベーターがすごく遅く感じた。
「なんか、疲れちゃったなぁ……」
マンションの最上階を全部自分の部屋にして。
好きな物を好きなように買えて。
でも。
「本当の家族、いないのかなぁ……」
そうつぶやいてみたら、急に母さんのことを思い出した。
生きてた頃はなんにも気付かなかったけど。
自分が他の人よりぼーっとしてるなんて思ったこともなかったなとか。
ただ生活していくだけでもこんなに大変なんだなとか。
どんなに大事にされてたのか、今なら分かる。
母さんだってきっと外ではいろいろあって、俺を育てるのは大変だったんだろうけど。
でも、いつも笑ってた。
今頃気付いても、もう俺には誰もいなくて。
この先はきっと猫にでもならないと、誰かと一緒には居られないのかもしれないけど。
「……でも、とりあえず帰れることになったんだから、いいよな……」
飼われて食事をもらって、たまには構ってもらえたとしても。
きっと、そんなの全然楽しくないから。
「帰ったら、まず北川にお礼言わなきゃ」
なんで気が変わったのかわからないけど。
でも、とにかく帰っていいって言ってくれたんだから。
「明日、事務所に来いって言われたけど。帰りに寄っていこうかなぁ」
それが済んだら公園に戻って、中野が通るのを待って「おかえり」って言って。
次の日には「おはよう」って言って、公園を出るまで中野を見送って。
そのあと診療所に行って、闇医者や小宮のオヤジや岩井や他の患者と話をして。
そうやって毎日過ごしていけばいい。
きっと、楽しいはずだから。
「……んーっと……どっちだっけ」
深呼吸して、さっき書いたメモを見た。
「最初が右……あれ、これって、左って字かな……?」
自分で書いたんだけど。
イマイチ読めなかった。
「うーん……まあ、いいか」
考えても思い出せそうになかったら、とりあえず適当に歩き出した。
そしたら、いきなりすぐ後ろでクラクションが鳴って。
ちゃんと歩道を歩いてるのに……って思いながら振り返ったら、見たことのある車が停まってた。
「……あ、中野の車とおんなじだ」
なんとなく嬉しくなって、近くに寄って中を覗き込んだら。
中野が不機嫌そうに煙草をくわえて座ってた。
「……え……なんで……?」
こんなところにいる理由なんてぜんぜん分からなかったけど。
「ボーッとしてんじゃねえよ」
いつもとおんなじ。
バカにしてるみたいな口調なんだけど。
でも。
声を聞いた瞬間に涙がこぼれた。
「……ホントに中野……?」
だって、会いたかったから。
「ったく。何言ってるんだ、おまえは」

すごく、会いたかったから……―――



Home    ■Novels    ■TomorrowのMenu    ■Back     ■Next