Tomorrow is Another Day
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「何してるの? 仕事?」
ポロポロ泣きながら聞いたら、中野は面倒くさそうに短くなった煙草をもみ消した。
「どこへ行くつもりだ?」
車の灰皿はすでに一杯になってて。溢れて足元にも落っこちてた。
「……駅。もう、帰るんだ」
普通に答えたんだけど、それを聞いて中野はもっと呆れた顔をした。
「駅は反対方向だろ」
「え……そうなんだ?」
やっぱ、最初は右だったんだな。
「ありがと」
涙を拭いてから、もう一度メモを眺めて道順を確認して。
そしたら。
「いいから、さっさと乗れ」
中野が助手席の荷物を後ろのシートに放り投げた。
「いいの?」
って、聞いてみたものの。
乗れって言ってるんだからいいに決まってるよな…って思い直して。
「……ありがと」
怒られる前に飛び乗った。


中野は俺が泣いてる理由なんて聞かなかったけど。
「まったく。バカみたいに何度も妙な奴に掴まってんじゃねえよ。北川に言われた時に変だと思わなかったのか?」
ティッシュの箱を取り上げて俺に差し出した。
怒ってるって言うよりは、すっかり呆れ果ててるって感じで。
「……だって、お詫びのつもりだったし……客も、前に会った時はそんな変な感じじゃなかったし……」
本当はあんまり覚えてなかったんだけど。
そんなこと言ったら怒られそうだもんな。
「手首はどうした?」
縛られた場所が擦り傷になっていたけど。
「……ちょっと怒らせちゃって、でも、手だけだから……あとはケガするような事はなんにも……」
中野は俺の話なんて半分しか聞いてなさそうだったけど。
「だったらビービー泣いてんじゃねえよ」
そんな言葉も、別に怒ってるわけじゃなくて。
ちょっと困ってるみたいに聞こえた。
「ごめんね。でも、痛いから泣いてるわけじゃないよ……ちょっとびっくりして」
絶対こんなところにいないはずの中野が。
突然クラクションなんて鳴らすから。
「だって……俺、ずっとさ」
バイバイって言ったくせに。
忘れられなくて。
「―――中野に会いたいって、思ってたんだ」
そんなことを言ってしまったら、余計に涙が止まらなくなった。


空は真っ青で。
隣りに中野がいて。
なんでか分からないけど一緒に帰ってて。

もう、それだけでいいやと思った。


だから、まだ泣いてるくせに一人で話し始めた。
「ね、中野、」
いつもと同じで、きっと返事なんかしてもらえないんだけど。
それでもいいって思ったから。
「もっと親孝行しておけばよかったなって思ったことある?」
中野はまた新しい煙草に火をつけて、ふうっと煙を吐いてから。
「まだ死んでねえよ」
面倒くさそうだったけど、ちゃんと返事をしてくれた。
「そっか」
それが嬉しくて。
もっと涙が溢れてきて。
「……いいね」
それ以上、言葉が出なくなった。


ラジオもつけてない車の中は、ただエンジンの音しか聞こえなかったけど。
それはそれで心地よくて。
「……もう大丈夫かも」
やっと泣き止みかけたら。
「ガキなんだからウリなんてしてないで親戚の所にでも厄介になっていればいいだろ」
中野がそんな話をして。
「ガキじゃないよ。昨日で16になったんだから」
それでもガキだって言うんだろうなって思ったのに。
中野は違う返事をした。
「メシ、食ったのか?」
信号待ちで止まった車の前を通り過ぎていく家族連れを見ながら、また煙を吐いて。
「……うん。昨日の夜、ちゃんと食べた」
俺の返事のあと、中野はまたため息をついたけど。
そのまま、ちょっと走ったところにある店の駐車場に車を停めた。
降りるんだろうと思って、でも、まだ頬が濡れていて。
カッコ悪いから慌てて拭いた。
今日からはいつもの生活。
だから、もう泣いたりしない。
少しくらい嫌なことがあってもきっと大丈夫。
「中野にも会えたんだから、頑張れるもんね」
ごしごし目をこすってたら。
「さっさと来い」
ちょっとだけ怒られたけど。
「うん」
大きな声で返事をして、走って後をついていった。


店の人と中野は知り合いみたいで、入ったらすぐに二人で何か話してた。
「ね、知り合いなのー?」
中野に聞いたつもりだったんだけど、店の人が「そうだよ」って答えた。
俺と中野を見比べて、なんとなく笑ってた。
すぐにアイスティーとビール、それからつまみが出てきて。
「なー、中野、それって飲酒運転?」
俺が何を聞いても中野は相変わらずで。
新聞を読みながら無言で座ってた。
こうなると返事なんてしてくれないよなって思って。
仕方ないから出されたものをつまみながら店の中を見回した。
店はカップルや家族連れで賑わっていて、俺と中野はなんとなく浮いてたけど。
ちゃんと帰ってこられたんだから、たいていの事は『まあ、いいや』って思えた。
「あ、中野んちのヌイグルミとおんなじだ」
大きなドアの外で待っている犬を見て呟いたら、中野はちょっとだけ顔を上げた。
「なんて種類の犬?」
もちろん中野が答えてくれるわけないんだけど。
「ゴールデンレトリバーだよ」
さっき中野と話していた店の人がニコニコしながら答えてくれた。
手に持っているのは大きな皿で。
一人分よりはちょっと多い大きさのピザが乗ってた。
「どうぞ。特製だからね」
子供に話しかけるようにそう言って、俺の前に置く。
ピザはもちろん真ん丸で、トマトやたまねぎは見当たらなかった。
チーズとソーセージ類と肉とシーフードばっかりが乗っていて。
ピザなのに小さなロウソクが3本立っていた。
「……中野、」
呼びかけても新聞から目を離そうともしない。
いつだって俺の話なんてぜんぜん聞いてないみたいなのに。
「……ありがと」
中野に会えたんだから。
この先は少しくらい何かあっても泣かないって、さっき決めたばっかりだったけど。
目の前のピザを見てたら、また涙がこぼれた。
「いいから、さっさと食え。テーブルは汚すなよ」
「……うん」
泣きながらピザを食べる間、中野は一度もこっちを見なかったけど。
黙ってペーパーナプキンを差し出した。
テーブルに置いてあったナプキンを使い果たしてしまったら、中野は呆れた顔をしたけれど。
それに気付いた店の人がウェットティッシュとナプキンを持って来てくれた。
「食後のデザートもあるから、いっぱい食べてね。あ、中野さんにもケーキ持ってきましょうか?」
中野は店の人の冗談にも笑いもせずに。
「……いらねえよ」
それだけ答えて新聞に目を戻した。
ケーキは皿の上にアイスやプリンと一緒に盛りつけられていて。
チョコレートソースで“Happy Birthday”と書いてあった。
「……ね、中野。俺ね、昨日、もうこの先ずっと誕生日なんて楽しくないんだろうなって思ったんだ。でもさ、」
話しながらまた泣き出したら、
「鬱陶しい奴だな」
中野はそう言って新聞で顔を隠してしまった。
「……別にいいもんね、すぐ泣き止むし」
泣きながら文句を言ったけど。
食べ終わるまでに小さなゴミ箱がティッシュだらけになって。
その間、中野は一度も新聞から顔を上げなかった。


「ごちそうさまでした」
店の人にニコニコ見送られて。
外にいた犬をこっそり撫でてから駐車場に戻った。
それから、中野のマンションまで車で40分。
すっかり泣き止んだ俺は妙に楽しくなってて。
「うわぁ……なんか、ドライブみたいだなぁ」
珍しがって車の中をあちこちいじってたら、中野が怪訝そうな顔をした。
「俺んち、車なんてなかったから。あ、飛行機」
中野に向かって話しかけると怒られるから、窓に張り付いてしゃべり続けた。
マンションに着くまでずっとそうしていたけど。
中野はいつもとおんなじで一度も返事をしてくれなかった。

でも、今日は「黙ってろ」とも言わなかった。



「あーあ。着いちゃった。」
マンションの駐車場でちょっとだけガッカリした。
このままずっと中野とドライブしてたかったから。
「あ、でも……」
車を降りる時、ふと気になって。
「中野、仕事はもうよかったの?」
聞いてみたけど。
「今日は日曜だ」
返事はそれだけだった。
それって、仕事は大丈夫ってことだと思うけど。
「じゃあさ、」
なんであんな所にって思って。
もしかして中野が迎えに来てくれたのかなって、ちょっとだけ期待して。
でも、よく考えたら俺がどこにいるかなんて知らないはずだし。
「うーん……」
なんだかよくわからなかったけど。
「まあ、いいか」
そのままにしておいた。
本当のことを聞いてしまうより、『もしかしたら』って思ってる方がきっと楽しいと思ったから。


帰ってから中野に言われて、北川のところに電話した。
「うん。ちゃんと帰ってきた」
あとは何を話せばいいんだろうって思ったけど。
『ああ。じゃあ、明日な』
北川は素っ気ない返事のあとでブチッと電話を切った。
「うわ、冷たいなぁ……」
北川も忙しいのかもしれないし、文句を言っても仕方ないんだけど。
「俺、頑張ったと思うのになぁ」
こんなに長く働いてたんだから、ちょっとくらい褒めてもらえるかと思ったのに。
「でも、いいや」
これでまた店に戻れる。
そう思った瞬間にホッとして体から力が抜けた。
ついでに床にぺったりと座ったら立ち上がれなくなってしまって。
それがちょうどドアの前だったから、中野がロコツに嫌な顔をした。
「そんなところに座り込むな」
「うん……でも、もうちょっと待ってよ」
立てそうになかったから、そう言ったんだけど。
中野は眉間にシワを寄せたまま俺を抱え上げて、風呂場に運んだ。
「さっさと風呂に入って、さっさと寝ろ」
心配してくれてるんだとは思うけど。
……そんなに面倒くさそうに言わなくてもいいのになぁ。
「うん」
とりあえず返事をして。座ったまま服を脱いで。這って風呂場に入って。座ったままシャワーを浴びて。
「だるーい。疲れたー。早く寝たいー」
そんなことをしていたけど、出てくる頃にはなんとか体にも力が入るようになった。
「やっぱ、うちはいいなぁ」
パンツだけはいて、独り言を言いながら髪を拭いてたら、中野がこっちを見た。
でも、見てるのは俺の顔じゃなくて。
「……あ、」
すっかり忘れてたけど。
中野が見てるのはどうやら俺の胸や首にあるキスマークらしかった。
それに気づいたら、なんとなく気まずくなって。
こそこそとバスタオルで隠した。
そしたら中野もプイッと視線を逸らした。


その日、俺はちゃんとベッドで寝かせてもらって。
手を伸ばせばすぐ届くところにいたんだけど。
中野は俺を抱かなかった。
「……なんでなの?」
もう寝てしまった中野の背中にそっと聞いた。
いろいろ理由を考えて。
やっぱり、キスマークのせいかなって思った。
他のヤツがつけたキスマークなんて、きっと触りたくもないんだろう。
当たり前だけど。
ちょっと淋しい気持ちで「おやすみ」を言った。

死ぬほど疲れてたから、あんまりいろんなことを考えないで眠れたはずなのに。
変な夢を見て夜中に目が覚めた。
でも。
すぐ隣りに中野が眠ってたから。
「……そっか。中野んちだもんな」
気付かれないように、こっそり中野の背中にほっぺをくっつけて。
また、目を閉じた。
中野の温度と、中野の匂い。
やっと帰ってきたんだって実感した。

だから、その後はぐっすり眠り過ぎて。
次の日、中野に『おはよう』が言えなかった。



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