Tomorrow is Another Day
- 32 -




目が覚めた時、思いっきりショックだった。
もうすぐ昼っていう時間で、中野なんてすっかり出ていった後で。
「……『おはよう』も『いってらっしゃい』も言えなかった……」
がっかりしたけど。
気を取り直して、泊めてもらったお礼に部屋の掃除をした。
もともとキレイな部屋だから、そんなに時間はかからなくて。
昼ご飯を食べたら闇医者のところに遊びにいこうと思ったけど。
「これ、消えるまでは触ってもくれないんだろうなぁ……」
どうしてもキスマークが気になってしまったから。
「あ、そうだ」
風呂でその周辺だけゴシゴシこすってみることにした。
赤くなってるだけなんだから、周りも一緒に赤くしちゃえばいいって思って。
でも。
「……うわ……血が出てきた」
こすり過ぎて血が滲んで。
乾いてから服を着たけど、首の所が当たるせいでまた血が出てきてシャツについてしまった。
「とりあえずティッシュだ」
服と肌の間にティッシュを挟んで闇医者のところに行った。
きっと心配するだろうなって思ったから、先に言い訳を考えて。
でも。
「よく考えたら嘘なんてつかないで、正直に風呂でこすりすぎたって言えばいいだけだよな」
安易にそう結論を出したんだけど。
闇医者は鋭かった。
「そうじゃなくてね、マモル君。なんでお風呂でこんなに擦ったのかを聞いてるんでしょう?」
厳しく追及されて。
「うー、えっと、客にキスマークつけられちゃって。カッコ悪かったから、全部赤くしちゃおうかなぁって……」
結局、正直に話した。
……マジでカッコ悪い。
「そんなの放っておけばすぐに消えるでしょう?」
それはそうなんだけど。
「でもさ、」
中野が抱いてくれなかったのだって、きっとこのせいなんだから。
「なんかさ、やっぱし……」
さすがにそんなことまで闇医者に説明できないしって思ったんだけど。
「もしかして、中野さんが何か言ったの?」
俺が話さなくても、なぜか闇医者はみんな分かってしまうんだよな。
「……ううん……中野は、チラッと見ただけで別に何も。でもさ、」
そこまで言ったら、闇医者はふうっと大きな溜息をついてから「仕方ないな」と言って手当てをしてくれた。
「本当に心配ばっかりさせるんだから」
服が汚れないように傷がひどい所だけガーゼを貼ってくれた。
それから、シャワーを浴びた後に一人で替えられるようにガーゼの貼り方を教えてくれた。
「こんな見えるところじゃ、他の人だって心配するでしょう?」
そう言いながら、闇医者はシャツのボタンを首まで留めてくれたけど。
「お母さんにもらった大事な体なんだから、傷なんかつけちゃ駄目なんだよ?」
その間も散々怒られて。
「……うん」
ものすごく反省してシュンとしてたら、闇医者が紅茶を入れてきてくれた。
「まず、北川さんに怪我をしたからバイトに行けないって連絡して」
ケガって言うほどのものでもないし、それに。
「今日、事務所に行くって約束しちゃったんだけど……」
お礼も言わなきゃいけないしって思って。
でも。
「駄目だよ」
闇医者がキッパリとそう言うから。
「……うん」
言われた通りに電話した。
例の客のこともちょっと聞きたかったし、電話でもいいから一度ちゃんと話さなくちゃと思ってたのに。
北川はどうでもよさそうに『ああ、わかった』と言って電話を切った。
「大丈夫だったでしょう?」
そんなことを確認する間も闇医者は忙しそうで。
「うん」
ちらっと診察室から外を見たら、待合室には患者モドキがいっぱい座ってた。
「ね、闇医者、こんなことしてる場合じゃないんじゃないの?」
俺が心配しても仕方ないんだけど。
闇医者はガーゼや薬をしまいながら、またちょっと怒った口調でダーッと説教をした。
「マモル君は僕の心配なんてしなくていいから、少し真剣に自分のことを考えてよ? 本当は他にも言いたいことが沢山あるんだけど、今日は忙しくてゆっくり話せないから、今度まとめて言うからね。とにかく、この後は僕がいいって言うまで向こうで大人しく座ってて。いい?」
どんなに忙しそうでも闇医者の口調は変わらない。
いつも優しくて。ホントに心配してくれてるってわかる。
「……うん。いつもごめんね」
小さな声で言っても。
「謝らなくていいって言ったでしょう? マモル君はもっと自分のことを考えないとね」
やっぱり優しい声が返ってきた。
「闇医者、」
「なに?」
闇医者は俺から見てもいいお医者さんなんだけど。
「ありがとね」
本当に兄さんみたいで。
「どういたしまして」
それに、やっぱり、ちょっと母さんみたいだって思った。


その後は待合室でじーちゃんたちの話し相手をしながら遊んでた。
「マモルちゃん、今度は何したんだい?」
「なんにもしてないって。ちょっとこすり過ぎちゃっただけ」
お茶をもらって。お菓子を食べて。
「首のところだけなのかい?」
「ううん、他もちょっとだけ」
そんな事を話してたら、あっという間に夜になって。
「じゃあ、マモルちゃん、また明日な」
患者モドキとじーちゃんたちはサクッと帰っていった。
「俺、いつになったら闇医者に『いい』って言ってもらえるのかなぁ?」
誰もいなくなった待合室でぼんやりと天気予報を見ていたら。
いきなりドアが開いて、中野が顔を出した。
「帰るぞ」
ただ、それだけ言って。
「え?? でも、俺、闇医者に『いい』って言われるまで……」
そこまで答えた時に、闇医者が診察室から顔を覗かせた。
「じゃあ、マモル君、シャワーを浴びたらちゃんとガーゼ替えるんだよ? 傷口には直接シャワーを当てちゃ駄目だからね?」
当然のようにニッコリ笑って手を振るから。
「……うん。じゃあね」
もう帰っていいってことなんだろうと思って、俺も手を振ってから中野のあとを追いかけた。
でも。
「あっ……」
走りながら叫んだら、中野が振り返った。
だからと言って「どうした?」って聞いてくれるわけでもないんだけど。
「帰りにもう一回お礼言おうと思ってたのに忘れた」
手当てしてもらったこともそうだけど。
中野が迎えに来たのはきっと闇医者が電話したからなんだろうって、気付いたから。
戻って言ってこようと思ったのに。
「そんなもの明日でいいだろ」
中野が面倒くさそうに歩き出したから。
「……うん」
俺も急いでついていくしかなかった。


いつもの帰り道。
今日も中野と一緒。
「最近、いいこといっぱいあるなぁ」
ひとりごとを言いながら中野の後ろを歩く。
公園を通り過ぎて、中野のマンションで面倒くさい暗証番号を2回も入れてドアを開けて。
「ただいまー」
って言ったら、中野が顔を顰めた。
そりゃあ、俺と中野以外は誰もいなんだけどさ。
「でも、中野んちにはヌイグルミもいるし……」
それに、やっぱり自分の家みたいな気がしたから。
「いいじゃん、『ただいま』って言うくらい」
口を尖らせたまま靴を脱いで。
部屋に入った途端、中野がいきなり俺のシャツに手をかけた。
「なに?」
「服、脱いでみろ」
中野はいつもみたいに乱暴じゃなかったし、無理やり脱がせたりもしなかったけど。
もしかして、闇医者、すり傷の理由まで話しちゃったのかなぁ。
だったら、なんかなぁ……って思って。
「……やだ」
すっごく小さな声で言ってみたら。
中野の眉がピクッと動いた。
でも、キスマークを消そうとしたことを知られるよりは怒られた方がいいかなって思ったから。
「……だってさ、」
言い訳をしてみるつもりだったんだけど。
『カッコ悪いから』って言うことそのものがカッコ悪いよなって思って、なんとなくぐずぐずしてたら。
「いいから、早くしろ」
結局、怒られて、やっぱり無理やり脱がされた。
すり傷は首と胸とわき腹。それだけなんだけど。ガーゼは5箇所。
「……ったく」
中野はそう言っただけ。それ以上怒りはしなかった。
「さっさとシャワーを浴びて来い。傷口には直接当てるなよ」
呆れながら俺を追い払って、どこかに電話しはじめた。
「……うん」
言われた通りにシャワーを浴びて。
出てきたら、中野がすごく面倒くさそうに薬を塗ってガーゼを貼ってくれた。
「……いいよ、中野……俺、自分で、」
せっかく闇医者にやり方を教わったんだし。
こんなに面倒くさそうにしてる中野にやってもらうのは悪いかなって気をつかったつもりだったのに。
「大人しくしてろ」
またちょっと怒られてしまった。
相変わらず中野は器用で、ガーゼも闇医者と同じように貼ってくれたけど。
「中野って、もしかしてお医者さんになりたかった?」
俺の質問を無視して、呆れ果てながらガーゼと薬を片付けてから、急に俺をソファに押し倒した。
「なに??」
中野の大きな手が俺の顎を持ってクイッと横を向けて。
それから、ガーゼを貼ってない方の首筋に中野の唇が当たった。
息がかかって、そのあと少しだけ痛みを感じた。
「……中野?」
首と胸と脇腹と。
あの客がしたのとおんなじように。
「……中野ってば……」
いくつもキスマークをつけた。
今まで、そんなこと絶対にしなかったのになって思ったけど。
「……ね……くすぐったいよ……」
そう言ったら、中野はすぐに俺から離れた。
そのまま一人用のソファに座って新聞を広げて。
「……それだけ?」
もう、しないのって聞こうとしたけど。
「さっさと寝ろ」
先にそう言われて、寝室に追い払われてしまった。
「つまんないのー」
それでも途中で気が変わるかもしれないと思ってゆっくりゆっくりリビングを出たのに。
中野はもう何も言わなかった。
こっそり振り返ってみたら、窓のそばに立っていて。
それから、いつもと同じように煙草に火をつけて。
月も星も出てない代わりにネオンだらけの街をぼんやりと眺めていた。


一人でベッドに入って天井を見つめて。
ちょっと考えた。
「……なんでやらないのかなぁ……」
確かにほんのちょっとケガはしてるんだけど。
中野ってそんなことを気にするヤツじゃないのに。
最初の時なんて、痛くてヤダって言ったのに無理やり挿れて。
他の時だっていっつも無理やりで。
こんなケガくらいたいしたことないって思ってるはずなのに。
「……もう、俺とはしたくなくなったのかなぁ……」
そう思ったら、なんだか落ち込みそうだった。
でも。
「せっかく戻ってこられたんだから、もっと楽しいこと考えないとな……」
中野がベッドに来たら、ちょっと話しかけてみよう。
20個くらい質問を考えて。
1個くらい返事をしてくれないかなって思いながら待ってたけど。
いつまで経っても中野は来なかった。
「まだかなぁ……」
何度もあくびをしているうちに、俺はすっかり眠ってしまった。



翌朝、結構早い時間に目が覚めて。
「……うー……あのまま寝ちゃったんだ」
慌てて横を見たら、中野はまだ眠ってた。
「おはよー、中野」
起こさないように小さな声で挨拶して。
「今日は言えたもんね」
ちょっとだけ中野の方に近づいて、また眠った。
側に寄ったら、ちょっと温かくて。
「……いいかも」
すごくいい気持ちでぐっすり眠れた。


でも、それが失敗で。
次に起きた時には、もう中野はいなかった。
「……うわっ……今日も『いってらっしゃい』って言えなかった」
あのまま起きてたらカンペキだったのに。
俺ってダメかも。
「でも、明日もあさってもその次もあるんだから」
そうだよな。
これから毎日言えるんだから。
そう思ったら、元気になった。
「とりあえず掃除して。それから、えっと……天気がいいから窓拭きしようっと」
結構、頑張って、全部の窓がピカピカになったのを確認してからマンションを出た。
「あれだけキレイになったら、外だってよく見えるもんな」
中野がいつも眺めてる窓の外。
何も見てなさそうな目で。
でも、何か考えていて。
中野の隣りで同じ方向を見たら、何を見てるのか分かるのかもしれないけど。
「……下を見たら、アイツが立ってるかもしれないしなぁ……」

あの日。
アイツは窓を見上げてた。
あんなに中野に思われてるのに。
アイツの横顔も幸せそうじゃなかった。
俺やその他のヤツなんて、中野にとっては遊びなのに。
それでもやっぱりダメなんだろうか。

「……もう、仲直りしたのかなぁ……」
俺が心配しても仕方ないんだけど。
昨日もおとといも、中野はいつもとあんまり変わりなくて。
あの後どうなったのかもわからない。
「でもなぁ……」

なんとなく、うまくいってないような気がした。



Home    ■Novels    ■TomorrowのMenu    ■Back     ■Next