Tomorrow is Another Day
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翌日はちゃんと中野に「おはよう」も「いってらっしゃい」も言って。
俺は満足して闇医者のところに遊びにいった。
「ね、闇医者」
「なに?」
「手、大丈夫だった?」
昨日からずっと心配だったけど。
「え?」
「オーナーのこと殴ったんだよね?」
右も左もぜんぜん普通だった。
闇医者の優しくてキレイな手。
「中野さんに聞いたの?」
闇医者は少し笑いながら自分の右手を見てた。
「ううん、オーナーが『啓ちゃんに殴られた』って」
俺の言葉にもっと笑って。
「マモル君、僕の名前知ってたんだ?」
そんなことを尋ねた。
「あ、うん。それは中野に聞いた。苗字も知ってるよ」
闇医者はいつもと同じように優しく笑って、最初の質問に答えてくれた。
「ちゃんとグーで殴ったし、そんなに痛くはなかったよ」
グーで殴るのが「ちゃんと」なのかはわからないんだけど。
「ごめんね。俺のせいで」
でも、闇医者の手が無事でよかった。
ケガなんてしたら、患者モドキたちが困ってしまうから。
「いいんだよ。僕はマモル君のお兄ちゃんだからね。これくらいは当然」
子供の頃に俺が憧れた通り。
闇医者は頭が良くて、マジメでみんなに好かれてる優しい兄さんで。
「……ありがと」
本当の兄弟だったら絶対、みんなに自慢するんだけどなって思った。
「今度から、よそに泊まる時はどこに行っていつ帰るのかちゃんと言ってね?」
やっぱり母さんと同じことを言うのがちょっと不思議だけど。
「うん……でも、『よそ』っていうのは中野のうちとか岩井のうちとかも入るの?」
闇医者は笑ったまま俺の髪を撫でつけて。
「中野さんちは入らないよ。僕だけじゃなくてね、中野さんにも教えてあげてね?」
そんなことを言うんだけど。
「……でも、中野は俺の言うことなんて……」
面倒くさそうに聞き流して終わりだと思うんだけどな。
「大丈夫だよ。ぜんぜん関心ないみたいな顔してるけど、本当はちゃんと聞いてるんだから」
闇医者にそう言われて。
思い返してみたら、「そうかな」って思うこともあったから。
「……うん。じゃあ、中野にも話すよ」
ちょっと嬉しくなって。
ポケットに入れてあった新聞の端っこを取り出して、闇医者に見せた。
「俺ね、昨日、中野に電話番号教えてもらったんだー」
思いっきり自慢したら、闇医者は「よかったね」と言ってクスクス笑った。
それから、
「中野さんに繋がらなかったら、僕にかけてね」
そう言って新しい診察券の裏に番号を書いてくれた。
「わー、いいの?」
中野の番号と闇医者の番号を手に書き写してから、紙は大事に財布の中に入れた。
ホントはもう中野の電話は覚えたんだけど。
闇医者の番号とごちゃごちゃになるかもしれないし。
「二つとも忘れないようにしなくちゃ」
もう二度と中野にも闇医者にも会えないと思ったのに。
戻ってきて。
たくさんいいことがあって。
「なんか、楽しいかも」
明日もあさっても、こんな気持ちでいられたらいいって。
そう思った。
「それでね、マモル君。頼みがあるんだけど」
ニコニコしたままの闇医者に、ニコニコし返してみたらもっと楽しくなった。
「いいよ、なんでも言って?」
「ビルの補修工事があって、ちょっと部屋を片付けないといけないんだ。金曜日と土曜日に手伝ってもらえるかな?」
「ホシュウコウジ?」
言葉の意味は分かったんだけど。
このビルって、どこかを直したらすっかりキレイになるっていうレベルのボロさではないような気がしたから。
ちょっとだけ首を傾げてしまった。
「そうだよ。キャビネットを動かして周りの物をダンボールに入れたりするんだけど」
闇医者が部屋の中に目をやったから、俺もくるくる辺りを見回してみた。
でも、そんなに散らかってないし、大変でもなさそうだった。
「掃除みたいなもんだよね? うん、いいよ」
闇医者の話だと工事は土曜の午前中にやるらしい。
「だから、前の日に余計なものを片付けたり、キャビネットを運んだりするんだよ」
金曜の診療が終わったあとだから、夜遅くになるんだろう。
「どのくらいかかるの?」
遅くなるなら中野に言わなきゃって思ったから、先に聞いておいた。
「僕は終わるまで診療所にいるつもりだけど。マモル君は早めに帰っていいからね?」
そう言われて、「うん」って答えて診療所を出たんだけど。
歩いてる途中で、だったら俺も終わるまで手伝おうって思って。
だから、家に帰ってから中野にはそう言った。
「たぶん、時間がかかると思うんだ。だから、診療所に泊まるよ」
中野はぜんぜん聞いてなさそうな顔で、さらっと聞き流してた。


金曜の夕方、診療所は大賑わいだった。
「だってな、先生の手伝いしなきゃならんだろ?」
小宮のオヤジや他の患者モドキもたくさん来てて。
「なんか楽しいね」
学校の文化祭みたいだなって思って、ちょっとわくわくした。
「よ、マモル。おまえも手伝い?」
俺に声を掛けたのは、北川の店のヤツだった。
「うん。俺、いつもここで遊んでるから」
返事をしてそいつの隣りを見たら。
どこかで会ったことのあるヤツがいた。
「あれ……??」
こいつ、初めて公園に来た日に中野に当り散らしてたヤツだ。
って思ってたら。
「マモルっていう名前なの?」
そいつの方から声を掛けてきた。
「……うん。なんで?」
聞き返したけど。
にっこり笑うだけで答えてもらえなかった。
その代わりに。
「中野さん、元気?」
そんなことを聞かれた。
「うん。朝は普通だった」
他にどう答えていいのか分からなくてそんな返事をしたんだけど。
そいつは「ふうん」って言っただけで、どこかに行ってしまった。
こいつって、きっと中野のことが好きなんだよな。
最初にあった時、そんな感じだったってことを思い出して。
なんか、ちょっと……やだなって思った。


たくさん手伝いに来てくれたおかげで作業は案外早く終わった。
「マモル君は中野さんのところに帰るんだよね?」
闇医者に聞かれたけど。
「うーん……でも、最近は毎日泊まってるしなぁ……」
最初の約束では、天気の悪い日と寒い日だけだったんだけど。
でも、最近はそれなりに寒いから、まあ、いいのかな。
「行きにくいなら、僕が電話してあげようか?」
闇医者はそう言ってくれたけど。
「ううん、いい。自分でするから」
せっかく番号を教えてもらって暗記したんだから、って思って。
闇医者に携帯を借りてドキドキしながら中野に電話した。
けど。
「……つながらないみたい」
ちょっとがっかりした。
「じゃあ、もうちょっとここでお茶していかない?」
闇医者に誘われて頷いた。
しばらく二人でいろんな話をして、何度か電話をしたけど中野には繋がらなくて。
「なんか、ダメみたい」
闇医者は紅茶のおかわりを持ってきて、
「ご飯食べてるかもしれないよ。お店の中って繋がらないことが多いから」
そんな風に慰めてくれた。
「うん」
すっかり片付いて殺風景になった診療所に二人きり。
でも、一緒にいるのが闇医者だから、寒々しい感じはしなかった。
「ね、マモル君。もう一つお願い事があるんだけど聞いてもらえる?」
時計を見ながら、突然そう言った闇医者はちょっと複雑な顔をしてた。
面倒くさいことなのかなと思ったけど。
闇医者の頼みごとならなんでも聞くもんね、って思って。
「うん、いいよ。なんでも言って」
元気良く返事をしたら、闇医者がさっき隅にまとめた書類入れから手紙を出してきた。
「これ読んでもらえないかな? もしかしたら、嫌なことも書いてあるかもしれないけど」
そんなの別に構わなかったけど。
「でもさ、これ、封が開いてないよ?」
そう言ったらすぐにハサミを差し出した。
「本当にお願いしてもいいかな」
宛名は『香芝啓様』。
書き方のお手本みたいな優しくて綺麗な字だった。
「うん」
そっと隅っこにハサミを入れた。
シャキッという音が静かな診察室に変に乾いて響いた。
中から取り出した手紙は二枚。
薄い緑色の紙に丁寧に書かれていた。
「読んでいい?」
声に出して読むんだろうなと思ってたのに。
闇医者は首を振った。
「マモル君が読んで、僕が読みたいと思う手紙かどうか教えてもらえる?」
不思議な返事だって思ったけど。
「……うん、いいよ」
言われた通り、声に出さずに読んだ。
手紙は短くて。
文字は少しだけだった。
一枚目には『ありがとう』と『大好き』と『いいお医者さんになれるように祈ってるね』と。
それから、『ごめんね』って書いてあって。
でも、本当にそれだけだった。
2枚目も同じような感じだったけど。
そっちは他の人への伝言だった。
『迷惑をかけてごめんなさい。それから、大好きでしたと伝えて下さい』
誰に伝えるのかは書いてなかったけど。
きっと、その人のことがすごく好きだったんだろうって。
なんとなく思った。
手紙には差出人の名前さえなかったけれど。
「……これって、闇医者の弟……だよね?」
その質問に闇医者が頷くのを、なんでか分からないけどまともに見られなくて。
少しうつむいてしまった。
「……マモル君が泣いてるのは、どうしてなのかな?」
闇医者が心配そうに聞くから。
泣きながら、やっと答えた。
「これね、闇医者が読んだ方がいいと思う」
それだけ言って手紙を渡した。
大事な人からの、大事な手紙。
もう10年以上たってて。
それでも、まだ、つらいかもしれないけど。
「いい手紙だから、読んだ方がいいと思う」
もう一度そう言ったら、闇医者はやっと手紙を開いた。
しばらくの沈黙の後。
「ね、マモル君」
「なに?」
「……最後のお願いなら……神様は叶えてくれると思う?」
闇医者にそう聞かれて。
本当はよく分からなかったけど。
「うん」
だったらいいなって思ったから。
そう答えた。
母さんが死ぬ前に言ってたことを思い出して。
最後の最後まで、ずっと同じことばっかり言ってたなって思いながら。
「大丈夫だよ、絶対かなえてくれるって」
闇医者は少しうつむいて、たった一言、
「……そうだよね」
そう呟いた。


闇医者が泣くところなんて見たことなかったから。
俺も、もう一度泣いてしまった。


二人してしばらく泣いてて。
でも、闇医者は少しだけ弟のことを話してくれた。
子供の頃から体が弱くて。
いつでも、あと少し頑張ってって言い続けてきたんだって淋しそうな顔をした。
「助けてあげられると思ったんだ。医者になれば。でもね、」
闇医者の弟は、闇医者が本当の医者になる前に死んでしまって。
闇医者は本当の医者にならずに、今はここで闇医者をしてる。
でも。
「……俺、闇医者はすごくいいお医者さんだと思うよ」
本当にそう思うから。
できるだけ真面目な顔をしたのに。
「ありがとう」
闇医者はそう言って、泣いてるくせにクスクスと笑った。

その後もしばらく笑ってから。
もう一度「ありがとう」って言った。



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