Tomorrow is Another Day
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アイツの車がすっかり見えなくなった後、わざと30分くらい時間を潰して。
その後、そっと中野の部屋に戻った。
「ただいま……」
すごくちっちゃな声で言いながら入ってたら、開け放されたアイツの部屋が見えた。
スーツやカバンはなくなってたけど。
でも、普段着やヌイグルミは残ってた。
「……中野、大丈夫?」
声をかけてみたけど。
ぼんやりと突っ立っているだけで、振り向きもしなかった。
また外を見てタバコを咥えて。
でも、灰は床に落っこちていた。
いつもそうだけど。
今日はそれよりも、もっと遠くを見てた。
「だって……中野が悪いんだよ……殴ったりするから……」
話しかけてもピクリとも動かなくて。
遠くを見たまま煙を吐いた。
引き止めれば良かったのに。
そばにいて欲しいって。
こんなふうになる前に。
本当のことを言えばよかったのに。
「アイツ、きっと、中野にかまって欲しかったんだよ」
何も答えない中野に、ただ一人で話しかける。
いつものことなのに。
中野に無視されるのがつらかった。
「あんなにキレイな顔してるんだからさ……きっと子供の頃からみんなに可愛がられてたんだよ。なのに、中野、ちっともかまってやらなかったんだろ?」
ずいぶん前からアイツのことも知ってたけど。
中野と一緒に歩いてるところも、一人で公園を通るところも見たことがなかった。
何度も泊まりに来たけど、マンションでアイツを見かけたのだって、一回きり。
どんなに優しい声で呼んであげたとしても、中野は中野だから。
ベタベタに甘やかしたりはしなかったんだろう。
新しい恋人みたいにすごく心配そうにアイツの後を追いかけたりはしなかったんだろう。

中野は静かに溜め息をついて。
いつもなら、俺の言う事なんて一個も聞いてないのに。
「……おまえなら、構われたいか?」
そんな言葉を返した。
だから。
なんだか淋しくなった。
「……よくわかんないよ。俺は……コイビトなんていたことないし、誰かにかまわれたことだってあんまりないから……」
アイツとは違うんだから。
きっと生まれた時から、ぜんぜん違うんだから。
「……でもさ、もっとかまってあげればよかったんじゃないのかなって……」
真っ直ぐ笑いかけて、好きだって言って。
抱き締めてあげればよかったんだ。
好きだから離したくないんだって言えばよかったんだ。
アイツだって迷ってたんだから。
中野の部屋を見上げて。
一人でずっと悩んでたんだから。
なのに、中野はなんにも言ってあげなくて。
だから……

取られたくなくてアイツを殴ったくせに。
側にいて欲しかったくせに。
今でもずっと一緒にいたいって思ってるくせに。

―――……ショウ……

まだ、耳の奥に残ってる。
アイツを呼ぶ中野の声。

何よりも大事にしてたのに。
中野の気持ちの全部だったのに。

「ね、中野……今でもアイツのこと、好き? もし、アイツが戻ってきたいって言ったら許してあげる?」
俺はまだ、心のどこかでアイツが戻ってくるかもしれないって思ってた。
でも。
「……ね、中野ってば……」

その後はずっと。
中野からはなんの返事も返ってこなかった。

少しくらい聞いてくれてもいいのに。
少しでいいから、俺のことを見て欲しいのに。
「返事くらいしてくれても……」
泣きそうになりながら。
でも、ガマンして言い続けて。
やっと。
「少し、黙ってろ」
中野からは相変わらずの返事。
「……うん」
俺なら、こんなそっけない答えでも嬉しく思うのに。


―――なんで俺じゃ駄目なんだよ……



遠い目。
中野の横顔。
眠ることもないまま。
中野は日曜の朝、部屋を出ていった。
そのまま。
月曜の朝になっても帰ってこなかった。




心配になって、朝一で闇医者のところに行った。
「あのさ、中野が帰ってこないんだけど、どこにいるか知らない?」
闇医者はぜんぜん心配なんてしてなさそうに笑いながら、俺に聞き返した。
「電話してみたの?」
「……あ……」
すっかり忘れてた。
俺、電話番号知ってるんじゃん。
呆然としてたら、
「今朝、そこで会ったよ。仕事先に行くところだって言ってたけど」
「なぁんだ……」
すごくホッとして。
ついでに力が抜けて座り込んでしまった。
「やだな、マモル君。座るなら椅子かベッドにしてね」
闇医者に言われて、ベッドに這い上がった。
「中野さん、何かあったの?」
そう聞かれたから。
少し迷ったけど、全部話した。
闇医者は「そう」って言ってから、「仕方ないよね」って頷いただけで。
ぜんぜん驚いてなかった。
「闇医者、もしかして知ってたの?」
って聞いてみたんだけど。
「ううん。でもね、別れるんだろうなって思ってたから」
そんな返事をした。
なんでそう思ったのか、教えて欲しかったのに。
「マモル君は知らなくていいの」
あっさりと終わりにされてしまった。
仕方ないから違う話をしようって思ったんだけど、気持ちがそこから離れなくて。
「……アイツってさ」
いいよな……って。
つい、愚痴をこぼしてしまった。
闇医者はカルテの整理をしながら、俺の顔を見て笑った。
「だってさ、新しい恋人もめちゃくちゃ優しそうだったよ」
それがうらやましいわけじゃない。
中野があんなに好きだってことが。
アイツのことだけしか見てないってことが。
うらやましくて仕方なかった。
「あんなにたくさんじゃなくていいのにな。ホントに、ほんの少しだけでいいのに……」
ほんのちょっとでも中野が俺を好きになってくれるなら。
あとはなんにも要らないのに。
でも、どんなに望んでも俺がアイツに追いつくことなんてないってこともわかってるから、こんな風に愚痴を並べてみるだけ。
「なんで可愛がられるヤツって、誰からも可愛がられるんだろうな……」
どんなにうらやましくても絶対手に入らない物なら「欲しい」なんて言っちゃいけない。
そんなの、子供の頃からわかってたけど。
「俺、何がダメなんだろ……そりゃあ、顔は負けてると思うけどさ」
アイツのことを知ってから何度もそう思って。
そのたびに諦めようとして。
なのに、諦めきれなくて。
「俺もヌイグルミ欲しいなぁ。100円のヤツでいいんだけど」
欲しいのは大きなヌイグルミじゃなくて。
アイツにヌイグルミを買った時と同じ、中野の気持ち。
でも、そんなの無理だってわかってるから、100円のヌイグルミでもいいって思うだけで。
もちろん、それだって俺には手の届かないこと。
なのに。
「買ってもらえばいいじゃない」
闇医者はあっさりそう言ってにっこり笑った。
もうちょっと真剣に聞いてくれてると思ってたのに、ちょっとショックだ。
「ひどいな、闇医者。ムリだってわかってるくせに」
俺はちょっとだけふて腐れてしまった。
「そんなことないよ。中野さん、マモル君のことだって気にしてるでしょう?」
闇医者はいつだってそう言うんだけど。
「別にいいよ。慰めてくれなくても」
アイツとどれだけ違うかなんて、嫌になるくらい分かってるから。
中野がどんなにアイツを好きかってことも、ちゃんと分かってるから。
「……好きなら、殴ったりしなきゃいいのになぁ……」
また、思い出す。
アイツの淋しそうな顔。
闇医者はカルテの整理をする手を止めて、俺の隣りに腰を下ろした。
「僕、思うんだけどね、」
闇医者はいつもみたいに俺の髪を梳いてくれて。
中野の話をしてくれた。
「中野さん、自分で決められなかったんじゃないのかな」
溜め息と一緒にそんなことを言って。
「なにを?」
聞き返したら、ちょっと困ったような顔をした。
「殴ればあの子も中野さんのこと嫌いになるかもしれないでしょう?」
「嫌いになんて……」
なるはずない。
だって。
中野の部屋を見上げていたアイツの横顔。
すごく淋しそうだった。
「嫌いにならなかったとしても、新しい恋人に渡してしまえるって、そう思ったかもしれないよ?」
新しい恋人は素敵な人だったんでしょう、って闇医者に聞かれて。
顔はあんまり覚えてなかったけど優しそうな人だった、って答えた。
「でもさ、中野だってそうまでして別れなくてもいいのに。なんでそんなこと……」
考えれば考えるほどわからなくて。
途中で考えるのをやめて闇医者の顔を見た。
「中野さん、いろいろ危ない仕事もしてるみたいだから。きっと側に置いておけなかったんだよ。あんなに綺麗な子だったら人目につくしね」
そうだったとしても。
自分で別れるって決めたんだったら、あんなに落ち込まなきゃいいのに。
「そうなのかなぁ……」
いまいち納得してない俺の頭をポンポン撫でて、闇医者は立ち上がった。
「みんなね、いろいろあるんだよ」
最初から片思いなら諦めもつくんだろうけどねって言いながら、またカルテを広げた。
「……うん」
俺は頷いたんだけど。
よく考えたら、俺なんて最初から片思いなのにぜんぜん諦められないもんな。
どんどん好きになるばっかりで。
もう、どうにもならなくて。
「まだ気持ちが残ってる相手を無理に忘れるのって大変なことだと思わない?」
中野のホントの気持ちなんて俺にはわからなかったけど。
「ね、闇医者」
中野があんなに好きなのに。
アイツだって、あんなに迷ってたのに。
どうしてダメなんだろうって。
考えてたら、また悲しくなってきて。
「何?」
闇医者は俺の顔を覗き込んで、心配そうな表情を浮かべた。
「……うまくいかないよね」
そうだね、と短い返事の後で。
泣いてる俺をそっと抱き締めてくれた。




「じゃあ、またね」
闇医者に手を振って診療所を出た。
今日は中野の部屋には行かないで公園で寝よう。
岩井に言えば泊めてくれるかもしれないけど。
中野以外の誰かと寝る気にはなれなかったから。
そう決めてたのに。
公園でぼんやりしてたら中野が通りかかって。
「……おかえりー……」
こっそり呟いた時にはもう俺の目の前に立ってた。
それから俺に鍵を投げて。
「先に帰ってろ。暗証番号は解除してある」
いきなり、そう言った。
中野はいつもとおんなじで。
アイツのことなんて全然なんにもなかったみたいな顔をしてた。
「……うん」
鍵を握り締めてマンションに入る。
でも、煙草を買って戻って来た中野はやっぱり窓の外しか見てなくて。
やっぱり、忘れてなんかいないんだって思った。
「ね、中野」
どうせ返事なんか返ってこないんだけど。
今日は中野の隣りに立って一緒に窓の外を見た。
「俺、お祈りしてあげるよ。アイツが戻ってくるように」
もう遅いのかもしれないけど。
気持ちのすみっこでお祈りしようと思った。
本当は、このままアイツが帰ってこなければ中野とずっと一緒にいられるかもしれないって、ちょっと思ったりもしたんだけど。
「俺、普段、お願い事なんてしないから、きっと叶えてくれると思うんだ」
アイツが戻ってこなくても、中野は俺のことなんて好きにならないんだから。
俺にできることなんて、他にはなんにもないんだから。
「だからさ、元気出しなよ?」


その後も中野はなんにも言わなかった。
俺の方なんて、ちらっと見ることさえなくて。
ただ、ずっと窓の外を眺めてた。



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