Tomorrow is Another Day
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翌日、中野は仕事に行かなかった。
それに、なんにもしゃべらなかった。
俺の話なんて聞いてないし、返事だってしない。
俺もずっと中野の部屋にいて。
ずっと、ずっと話し続けて。
さすがに夕方になったら、疲れてしまった。
溜め息をついて。
ペタンと床に座り込んで。
座り込んだままテレビをつけて、周りに落っこちていた新聞や雑誌を片付けてるとき、不意に中野が口を開いた。
一言だけ。
何気なく。
でも……

「ショウ、」

部屋には俺しかいないのに。
アイツの名前。
一瞬、言葉が出なかった。
「……それってさ……アイツの名前じゃん」
俺のささやかな抗議に否定も訂正もせず、中野は新聞に目を落とす。
「……別に、いいんだけど……」
いいなんて思ってなかったけど。
拗ねたり泣いたりしたら、中野はきっと鬱陶しいって思うから。
普通にしていようって決めてたのに。
口が勝手に次の言葉を吐き出す。
「……そんなに好きだったなら、今から『好きだ』って言ってきなよ」
何も答えない中野に話し続ける。
本当はそんな話はしたくないのに。
「電話かけて、『戻って来い』って言えばいいじゃん」
中野だってそれ以上聞きたくなかったんだろう。
「少し静かにしてろ」
ただ、そう言って煙草に火をつけた。
それから、部屋の隅にかためられた荷物に視線を投げて、俺に言った。
「後で捨てておけよ」
アイツの着替え。
たぶん、昨日アイツが持ち帰った物はもともとアイツの物で、今ここに残っているのは中野が買ってやった物なんだろう。
犬のヌイグルミも着替えに埋もれて一緒に置かれていた。
「ね、俺、これ欲しいなぁ」
着替えの山から見えていた犬の耳を引っ張った。
ふかふかの毛が薄くなった首を見ると、中野のネクタイを結んでやるアイツの姿が浮かんできた。
中野はどんな顔でそうしてもらったんだろう。
アイツに笑いかけたりしたんだろうか。
「全部捨てて来い」
ふわふわのヌイグルミ。
なでるとフワリと毛が舞った。
「ちぇー……」
アイツのこと、思い出したくないんだってことくらい俺にも分かるけど。
捨てるならくれてもいいのにな……



部屋の掃除をして、着替えをビニール袋に入れてゴミ捨て場に置いてきた。
アイツのために中野が選んだ服は、どれもシンプルなブランドの服。
俺が着てるみたいなふざけた服は一枚もなかった。
それがアイツへの気持ち。
アイツが汚れないように。
こんな世界からは遠い所に置いておくために。
軽く飲むだけでも裏通りの店になんて連れていかなかったほど中野が大事にしてた相手。
普通の家族。
優しい恋人。
まともな仕事。
俺が1つも持ってないものを、アイツは全部持ってる。
「いいよなぁ……」
生まれた時から運命は決まってて、幸せなヤツはずっと幸せでいられるんだって言われてるような気がした。
俺とは違う世界の人。
それから。
中野とも。


だから、別れたんだもんな―――



ほんの少しでいいからアイツの気分をわけて欲しくて。
中野がシャワーを浴びてる間に、こっそりヌイグルミを拾ってきた。
ゴミ袋から出して、俺の着替えが突っ込んであるダンボールの中に入れておけば見つからないはずだと思って。
中野が出かけたら出してくればいいんだからって。
「いってらっしゃい。俺も、もうちょっとしたら出かけるから」
中野を見送って、ダンボールを開けた。
フカフカのヌイグルミを引っ張り出して抱き締めた。
中野がアイツのために買ってやったものだけど。
それでも全然いいって思った。
抱き締めたら、ふわりとした感触が頬をくすぐった。
そのまま中野のベッドに上がって、ヌイグルミと一緒に布団に包まった。
「気持ちいいー……」
アイツもこんなことをしたかもしれない。
一人が淋しくて、コイツと一緒に中野の帰りを待ってたかもしれない。


うとうと眠りかけた時、抱き締めてたフカフカが急に消えてなくなった。
ガバッと起き上がると中野が立ってた。
ヌイグルミの耳をつまんで。
「……あ、」
「捨ててきたはずだろう」
口調はいつもと同じだけど、たぶん最悪の機嫌だった。
「うん……でも、拾ってきた」
「捨てて来い」
怒られないうちに捨ててきた方がいいってことは分かってたけど。
「もったいないよ。まだふかふかでキレイなのにさー……それにさ、顔がついてるものって捨てるの可哀想じゃない? ね?」
どうしても捨てる気にならなくて、ぐずぐずと言い訳をしてみたんだけど。
「いいから、捨てて来い」
「でも、」
そしたら、中野はヌイグルミとビニール袋を掴んで乱暴にドアを閉めた。
「あ、ね、返してよ。俺が拾ってきたんだから」
追いかけたけど、犬はビニールに入れられてマンションのゴミ置き場に投げ捨てられたあとで。
俺は中野に腕を掴まれて、引き摺られるようにして部屋に戻された。
「いいじゃんかよ。お古くらい、俺にくれても……」
アイツが欲しいって言えばなんでも買ってやったくせに。
そう思ったら、やっぱり悲しくなった。
でも、中野がイライラしてるのが分かったから。
「わかったよ……ごめんってば……」
泣きたいのを堪えて、謝ってから一人でリビングに戻った。
気が抜けて座り込んでいたら、バタンとドアが閉まる音がして。
中野の気配が消えた。
ゆるゆると立ち上がって窓から見下ろしたら、ヌイグルミは無残にゴミの袋の間に転がっていた。
見ていたらもっと悲しくなって、ぐずぐず鼻をすすりながら中野のベッドをきちんと元に戻した。それから、洗濯機を回して部屋を片付けた。
その間もずっと涙を堪えないといけなくて、視界がうるうるにぼやけていた。
「う、……っく、いらないなら……くれたって…っ……」
ダンボールの中はまだヌイグルミの形に空洞が残っていて、見てたら余計に哀しくなった。
「……いいじゃん、ヌイグルミの1コくらい……」
また泣きそうになってたら、不意に後ろから声が聞こえた。
「そんなに欲しいなら買って来ればいいだろ」
泣いてたせいで、中野が戻ってきていることに全然気づかなくて。
すごくびっくりしながら振り返ったら、中野はやっぱり呆れてて。
ものすごく冷たく俺を見下ろしてた。
「……自分で買うんじゃダメなんだよ」
もう、どうにもならなくて。
「中野には俺の気持ちなんてわかんないよ」
結局、半泣き状態で中野に当たってしまった。
中野は突っ立ったまま煙草をふかしていたけど。
「鬱陶しい奴だな」
いつもと同じで面倒くさそうに吐き捨てた。
だから、それ以上中野に当たることもできなくて。
「……いいもんね、なんて言われても……」
掃除は途中で投げ出して、顔を洗いにいった。
「俺も、仕事、行こうっと」
ここにいて、これ以上中野に呆れられるよりずっといい。
俺はダンボールの中のヌイグルミ分の空洞を思い切りグシャッと潰して着替えを取り出した。
ピタピタパンツとシャツに着替えてる途中で、中野が背中から俺を抱き締めた。
「離してよ。もう、ヤッてる時間なんかないんだからな」
また、アイツの名前で呼ばれるのも。
妙に優しく抱かれるのもイヤだって思ったから。
泣きながら断わったのに。
「ガキみたいなことでグズグズ泣くな」
片足をパンツに突っ込んだまま引き摺られて。
さっき整えたばかりの中野のベッドに放り出された。
抱けば俺の機嫌が直るからって。
ひどいよなって思ったのに。
「そんなこと言って、いつもガキ扱いするの、誰だよ」
自分がどうしたいのかわからなくなって、また、中野に当たってみたけど。
中野はもう俺と話をするのが面倒になったみたいで、いきなり唇を塞いでしまった。
いつもとおんなじ。
全然優しくない愛撫と乱暴なセックス。
でも、それはアイツの代わりじゃないってことだから。
「……ずるいよ、中野」
たまに優しくするから、忘れられなくなるのに。


たった一人。
ただ、側にいてくれる相手。

俺のことなんてなんとも思ってなくても。
アイツのことを今でも死ぬほど好きだったとしても。
俺には中野しかいないから。

「……んん……っ」
気持ちなんてカケラもなかったとしても。
「……な……もっと……」
それでもいいから。
これも愛情なんだって錯覚したまま。
側にいたいと思った。

体の奥深く入り込む。
熱くて、激しくて。
忘れられなくなる。
首筋にかかる呼吸と、肌の擦れる音。
「……中……野……っ……」
崩れ落ちる瞬間に感じる。
俺を抱き留める腕は、大きくて、温かくて。


このまま全部。
止まってしまえばいいと思った。



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