そのあとボーッとしてたら、いつの間にか眠ってしまった。
「うわっ……バイトっ!」
慌てて起きた時には、もう中野はいなかった。
走って北川の店に行って、急いで洗い物を済ませてフロアに出た。
「マモルちゃんが相手してくれるの、久しぶりだよねえ」
「うん。なんか、いろいろあって」
テーブルを拭きながら答えたら、客に手招きされた。
近くまで行ったら、隣りに座らされた。
だからと言って特別何かをするわけじゃなくて、ただ普通に話したりするだけなんだけど。
「俺、今日は掃除と洗い物の係で……」
体がダルイせいなのか、なんとなく面倒くさくてそんな言い訳をしてみたのに、「まあ、いいから」って言われて。
仕方なく「うん」とか「ううん」くらいの返事だけしながら、おとなしく座ってた。
今日は早帰りの日だから、あと2時間くらいで終わりだし、もうちょっとだけ頑張ろうと思っていたら、なぜか中野が入ってきた。
「珍しいですね、中野さん」
他のバイトのヤツも驚いていた。
遊びに来てくれたのかなぁ……って、ちょっと期待したんだけど。
「北川はどこだ?」
どうやら仕事の話らしかった。
「えっと……今日はまだ……」
中野と約束してたくせに北川はまだ来てなかった。
店のヤツが北川に電話したら、「酒でも飲ませて待たせておいてくれ」って言う返事で。
中野は面倒くさそうにソファに座った。
その間も俺は客の相手をしていて。
ちゃんと働いてたし、別にやらしいこともしてなかったんだけど。
中野がチラッとこっちを見て、なんとなく嫌な顔をしたから、ちょっと悲しくなった。
俺だってホントは中野の隣りに座りたいけど。
でも、仕方ないもんな。
「マモルちゃんはジュースね」
ちょっとでもぼんやりしてると客に話しかけられるから、答えなきゃいけないし。
「あ、うん。ありがと」
客が渡したのはオレンジジュースなんだけど。
「……なんか、お酒入ってる?」
ちょっと味が違った。
「入ってないよ。大丈夫だから、ほら」
まあ、いいかと思って飲んでたけど、だんだんあったかくなってきた。
ぼんやりし始めた時、急に。
「マモルちゃん、何か欲しい物はないの?」
って聞かれたんだけど。
「あ、えっと、ヌイグルミ」
ぼーっとしすぎてて何も考えてなかったから、条件反射でそう言ってた。
本当に俺が欲しいのは中野が捨てちゃったヤツなんだけど。
そんなこと言ってもどんなヤツなのかわかんないだろうから、あんまり説明はしなかった。
「なら、マモルちゃんに買ってあげようか?」
客は笑顔でそんなことを言い出して。
ついでに、
「その代わり、お店が終わってからデートしてよ」
俺にペタペタ触りながら付け足した。
「……どこ行くの?」
店が終わったあとなんて、もうすぐ朝っていう時間だし。
デートするにもどこも開いてない。
どこかでコーヒーを飲むくらいならできるかもしれないけど。
「ちょっとだけうちに来ない? もちろん、お金は別に払うよ」
やっぱ、やりに来いってことだよな。
「えー……」
文句を言ったら、店のヤツに目で怒られた。
そりゃあ、こいつは得意客だけど。
そんなの俺には関係ない。
「で、どんなヌイグルミがいいの? ティディ・ベア?」
だから、中野が捨てたヤツなんだって……と言いたかったけど。
それはガマンして。
「……犬の大きいヤツ」
ぼそぼそっと呟いた声はオヤジには聞こえてなかったみたいだけど。
中野の耳にはしっかり聞こえてたらしい。
結局、デートの話はさらっと流すことができたんだけど。
北川が来て、用事が済むと中野は俺の腕を掴んで立ち上がらせた。
「ちょっ……中野ってば、まだバイト途中……」
俺が何を言っても聞いてなくて。
北川に助けを求めたけど「シッシッ」って追い払われた。
それで。
帰るなり怒られた。
「当て付けか?」
中野はホントにイライラしてるみたいで、俺の手を掴んだまま離してくれなかった。
その上、俺もあやしいオレンジジュースのせいで、いつも以上に頭が働いてなくて。
「当て付けって? 欲しいもの聞かれて答えただけじゃん」
ちょっとふて腐れてしまった。
俺だって中野以外の人から欲しいなんて思ってないのに。
「ガキじゃあるまいし、本気でヌイグルミを欲しいと思ってるわけじゃないだろ」
しかも、そんなことを言われてもっとムッとしてしまった。
だって、それっておかしいよな。
「なら、なんでアイツにヌイグルミ買ってやったんだよ?
それとおんなじだろ?」
それに対して、中野はなんにも答えなかった。
言いたくないことは無視するって、なんかズルイ。
「アイツと何が違うんだよ? 顔? 体? それともいいとこのボンボンじゃなきゃダメなのかよ?」
頭にきてたはずなのに。
言ってる途中で急に悲しくなった。
顔とかカラダとか、そういうんじゃなくて。
ホントは全部ダメなんだってわかってる。
こんなこと聞くだけ無駄だよなって思ったから。
「その話は止めろ」
なのに、中野が不機嫌になればなるほど止まらなくなって。
言ってはいけないことを口にしてしまった。
「なんで? 会社のヤツと二股掛けてたんだろ?
騙されたのって中野の方なんじゃ……」
そこまで言ったら、引っ叩かれた。
酔っ払ってて、もともとフラついてたから。簡単に体が飛んで壁にぶつかった。
「……ってー……」
呟いたら、口の中に血の味が広がった。
痛かったけど、それでもなんとか立ち上がったのに。
「おまえと一緒にするな」
中野の言葉は容赦なかった。
だから、やっと分かった。
俺、何を勘違いしてたんだろう。
無理だから諦めようって、いつも自分に言い聞かせながら。
でも、いつかアイツの代わりになれるんじゃないかって。
本当は心のどこかで思ってたんだ。
俺はアイツの比較対象にさえならないのに。
それだって、普通ならとっくに気づいてることなんだろうなって自分に呆れて。
悲しくなって。
でも、涙もため息も出なかった。
ゆるゆると後ずさりして、リビングのドアを開ける。
俺だって、好きな人のことを悪く言われたら怒ると思う。
だから、言い過ぎたって思ったけど。
『ごめんね』の一言さえ返せなくて、中野が吐き出した本音を噛み締めながら靴を履いた。
開け放したドアから見える中野は相変わらず窓の方を向いたままで、振り返らない。
「……バイバイ」
小さく口の中でつぶやいて、少し淋しそうな後姿を焼きつけて部屋を出た。
ヌイグルミを捨てられたことが悲しかったのは嘘じゃない。
俺が言っても可愛げなんてないだろうけど。
簡単に捨てられてしまうそいつが、なんだか可哀想で。
助けてあげたいって、ほんの少し思っただけ。
なのに。
「……一緒に捨てられちゃった気分だよな……」
ヌイグルミを拾って公園で一緒に寝ればちょっとはあったかいかもしれないと思ってゴミ捨て場に探しにいったけど。
もう、何も残ってなかった。
俺はまた一人になって。
楽しいことなんてなんにもない毎日に逆戻り。
以前の生活に戻るだけ。
冬だから、少し寒いだけ。
「大丈夫。寒いのくらい、ガマンできるって」
何度も何度も自分に言い聞かせて。
北川の店のドアを開けた。
誰もいなかったらどうしようって思ったけど。
幸い北川が店のヤツとイチャイチャしてて、明かりがついてた。
「オーナー、俺、今日、ここで寝てもいい?」
頼んだら笑われた。
「顔、どうした? 中野に引っぱたかれたのか?」
北川は笑いながら、ちょっと赤くなってる俺の頬を舐めた。
「……うん」
泣きたいのはなんとか堪えたけど。
口を利く気にはなれなかった。
その日は北川の事務所に泊めてもらった。
「その顔じゃ、やってる時に笑いそうだな」
そんなことを言ってたくせに。
北川はやっぱり俺を抱いて。
「ま、この程度で済んだってことは、中野も相当手加減したんだろうけどな」
そう言いながら、何度も笑った。
それから、
「当分、中野のところには帰れないんだろ? だったら、明日は客をつけてやるよ」
またすぐにどこかにメールした。
次の日は客とホテルに泊まった。
それでも、朝になると足が公園に向く。
どうしても、心のどこかで中野に会いたいと思ってしまって。
でも、正面から顔を会わせなくていいように隠れて後ろ姿を見送った。
「おはよ、中野」
こっそり呟いてみたけれど。
俺が言い終える頃には、中野は公園の外に見えなくなってた。
「……行っちゃった」
残された後、ひどく淋しくなる。
話ができただけで楽しかった頃が、すごく遠く感じられた。
その日、中野を待つために手袋を買った。
「もう少ししたらマフラーとコートも買わないとなぁ……」
中野にとっては、俺がいない生活が普通なんだなって。
そう思うだけで自分でも嫌になるほど苦しくて。
できるだけ他のことを考るようにした。
中野のことを思い出しそうになったら無理やり歌を歌ったりして。
なのに、中野が通るまで、毎日ずっと公園で丸くなってた。
まるまる1週間以上、そんな日を繰り返した。
中野は俺が公園で見送ってることだって気付いてないけど。
それでも、毎日、「おはよう」を言いにいった。
「もっとゆっくり歩いてくれればいいのになぁ……」
あっという間に通り過ぎてしまう中野の後ろ姿を見送った後、診療所のビルの屋上に行った。
天気はいいけど空気は冷たい。
これからどんどん寒くなると思ったら気が重くなる。
「あーあ……」
フェンスに肘をついて、ぼんやりと空を眺めてた。
目を閉じて、深呼吸をして。
そしたら、不意に後ろから抱き締められた。
「うわっ……」
びっくりして振り返ったら、
「なんだよ、その色気のない声は?」
岩井が立ってた。
「どうしたの? 仕事は?」
「ん、さっき、またちょっとケガしたから」
手首に包帯をしてた。
「大丈夫なの?」
「ああ、ぜんぜん。かすり傷」
岩井はそう言いながら、俺を抱き締めて唇を塞いだ。
舌を絡める長いキスのあと、
「な、マモル」
岩井は俺の体を抱き締めた。
「なに?」
「ちょっとだけ、いいか?」
何をって聞き返そうとした時には、岩井の手は俺のシャツの下に滑り込んでた。
「……ここで?」
岩井は返事なんてしなくて。
でも、開けっぱなしのドアまで俺を引っ張っていってから、体を押しつけてパンツのボタンを外した。
「ね、雅通、前のビルの窓から見えるよ?」
前に中野が顔を出してたことを思い出したから。
こんなところ、中野にだけは見られたくないって思って。
なのに。
「ここなら大丈夫だって。それに窓からこんなとこ見る奴いないって」
岩井は俺の言うことなんて全然聞かないで、すぐに後ろから挿れてしまった。
「んんっ、あ、」
一応、クリームみたいなものをつけてくれてたけど。
「ゴム、ハメてないんだけどさ……このまま出していいか?」
俺の背中を抱いたまま、耳元で呟いた。
「ダメ、だって、あ、んんっ……っ」
胸の先端を指で弄びながら、激しく突かれて。
俺はあっけなく達ってしまった。
体にギュッと力が入って、
「マモル、っ……」
岩井もすぐに中に放った。
そのままズルッと二人で崩れ落ちて。
ドアにもたれたまま呼吸を整えた。
「……こんなとこでしなくてもさ、泊まりにいったときでいいのに」
俺はちょっとだけ怒ったんだけど。
岩井はあははって笑いながら、俺の体をポケットティッシュで拭いてくれた。
「悪い。マモルの顔見たら、したくなっちゃってさ。ごめんな?」
そう言われたら悪い気はしなかった。
本当はきっとダメなんだけど。
でも、ダメなのは岩井じゃなくて、こんな風にふらふらしている自分だから。
「……うん、いいよ、別に」
そのままなんとなく許してしまった。
|